2012年 05月 27日
世の中には、いろんな人がおわす。厳しいぎゃくふうにもかかわらず信念を曲げない立派な人がおられるかと思えば、川の流れのように時流に逆らわず・右や左旦那様のたとえのように、右顧左眄、時の権力者にうまく取り入る器用な方もいらっしゃる。私には決してまねのできないことである。今日もきょうとて、おいで遊ばし、しめいをされれば臆面もなく発声されたのには驚きであった。そんな人故、革新知事の時にも管理職として過ごされ、体制が変われば、ころりと変節というか、変化自在に理念も信念もなく追従される度胸の良さにはさらに驚きである。さんざんある人のことを罵詈雑言されていながら、そんなことはおくびにも出さずにしゃしゃ-とされているその態度は私にはとうていできない処世術である。こんな態度を変化自在というのではないかな。立派な方だと改めて寒心する。節操なき変化自在は驚きだ。まあ-人それぞれの生き方があるからあれこれ言うべきことではないかもしれないが、すこしは度が超えていないかと思っただけ-これが世の中を渡るより確かな安全な道ですよ。なんて-言われたくはない。聞きたくもない。あんたは、自分ができないからひがんでいるの--とその人だけには言われたくないわ。
# by ayabemorinaga | 2012-05-27 16:45 | その他 | Comments(0)
2012年 05月 25日
中丹のある学校を訪問した。少し驚いたことがある。アポをとってあうことになっていた。午前九時半の約束であったから、時間きっちりにいった。応接間でまっていたが、時間になっても来る気配がない。どうやら電話中のようである。飛び込みで言ったのなら、致し方がないが、事前にアポがとってあるので、電話中であっても、ちょっと来客があるので、また後ほど、と電話を切ってあうべきではないのか。お茶も管理職が頼みに言って出てくるといったおそまつさである。何も飲みたいこともないが、すぐにお茶を持ってくるのが常識ではないのかな。いやはや-気配り、目配りのできない管理職がいたことに驚きだ。決して上えから目線で言っているのではない。常識が通じないことを嘆いているのだ。こんな管理職は誰がきっちりと応対について指導すべきなのだろうか。本人が気がつくまでそっとしておくのがよいのか。言われなければわからない人が多くなってきた。そんなことを指摘されたらつむじを曲げるような度量のない人間がたくさんいる世の中になってきたよな。
# by ayabemorinaga | 2012-05-25 14:49 | Comments(0)
2012年 05月 23日
政治家は次の時代を考えるが、政治屋は次の選挙を考える。19世紀の牧師J・クラ-クの名言である。と今日の産経新聞に竹中平蔵氏が書いておられる。なるほど、今の日本に政治家は果たして何人おられるのだろうか。大衆受けばかり考えて、自分の考えは言わずに、迎合する人のいかに多いことか。そりゃ-選挙で敗北すればす浪人に成り下がるからわからぬこともないけれど、その程度の信念ならば、最初から政治に関わることなど考えるべきではない。国の繁栄と国民生活の安定のため未来により確かな明るい展望が見いだせるような政策提言を打ち出すべきではないのか。今の政治の現況を見ておれば、未来展望が見つからずに日本沈没が遠からず訪れてくるような悪い予感をひしひしと感じているのではないか。敗戦当時の泥炭の苦しみを知っている人がほとんどいなくなり、贅沢三昧の生活をしてきた人たちが自分の欲望の追求の果てに、奈落の底に落ち込んでいく日が迫っていると考えざるを得ない。次の時代を考えて政策提言ができる政治家が現れること祈らざるを得ない。いや-すばらしい政治家がすでにいおられるかもしれない。大衆迎合・自分選挙のことばかり考えて行動する理念なき政治家を国民は見極めて一票を投じる賢い国民でありたい。そして、マスコミの情報に振り回されることなく、情報を的確に判断できる国民にならなければ、日本の国は滅亡の道を歩み始めることになる。
# by ayabemorinaga | 2012-05-23 20:43 | 政治・議会 | Comments(0)
2012年 05月 11日
塩見議員のお誘いで、高校中退アウトリ‐チ事業に関わることになりました。よせばいいのにとお考えの方もいらっしゃると思いますが、そこはそれ、昔のなまえならぬ昔の肩書きで中丹通学圏、丹後通学圏の高校に事業内容の説明とご協力のご依頼に、大槻君、高橋さん、玉川さんたちと中丹通学圏の高校に、丹後通学圏は、大槻君と訪問をしてきました。中丹通学圏は、府立高校OB会で校長先生に出合うことがありますから、昔の名前ならぬ、肩書きなと申さなくても、よく知っていただいている。が、丹後通学圏の校長先生となると、私などは、何者なのだ、とんと知っていただいていない。昔の名前で出てきましたと申し上げても--え-つて言ったところでしょう。退職してから19年が過ぎたのだから、知っていただいていないのが当たり前でしょうな。鶴田氏の台詞じゃないが、古いやつでござんす。デモ、しっかりとご理解をいただけたかな-と思っている。私の関心は、ど゛のような接遇をされるのかという一点に関心があった。いずれの高校においてもスマ-トな抜かりのない対応をしていただいた。中丹通学圏は文句のつけようがない行き届いた対応であった。丹後通学圏で一校だけあれ-と思うことがありましたがね。それは私の傲慢さなのかもしれない。家内に上から目線はためですよ。あんたにはそんなところがあるから気をつけてね。と何度も忠告をされています。
# by ayabemorinaga | 2012-05-11 11:33 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 05月 02日
たとえ人が自分に背くとも、自分は人に背くことはしまい。--というのは、誠に確かな言葉である。誰もがわかっていることであるが、現実に人に背かれたとき、そのような態度ができるか疑問である。人間ができていないからと言えばそれまでのことであるが--これに付け加えて-人が自分に背くときは、自分が背かれるに至った理由を反省し、それをもって自分を磨こう。いい言葉だ。デモ八十路を迎えようとしていても、実践することの難しさを改めて実感する。まあ-仇敵感謝せよ。ということであるが---仇敵が多すぎて感謝どころか常に恨み節が止めどとなくでで来る。哀れにも悲しすぎる末路かな。
# by ayabemorinaga | 2012-05-02 10:05 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 05月 01日
教育現場で、不登校、発達障害等私たちが教育現場に携わっていたときとは格段に生徒個々と向き合って指導すべき事柄が多くなっている。個々人の生徒を指導する場合に気をつけなければならないことが多くなっていないか。教師の何気ない一言に傷つく子供多くいることを教師はしっかりと自覚しなければならないだろう。自覚すればそれで好いという物でもない。教職課程を選択する場合に、青年心理、児童心理を少なくとも4単位にして必修にすべきである。現在そのようになっているかもしれない確認はしていない。私も教師養成学校を卒業した者であるが、在学中に児童心理、青年心理各2単位しか取得していない。さらに、初等教育心理、中等教育心理これも各2単位であった。とにかく、これらの心理学の単位を大幅に増やすべきではないか。何でこんなことを言うのかと言えば、教師の一言で生徒が立ち直ることもできるし、また、たたきのめされることもあるという現実に当面したからである。各大学簡単に教職課程が取得できるのはよいが、心理学の単位を大幅に増やし今日の教育現場ではしっかりと対応できる教師を養成してほしいものだ。
# by ayabemorinaga | 2012-05-01 18:09 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 04月 27日
名望を得たいと渇望している人は、俺が俺がという自己主張が多すぎる。そのためにかえって人に疎んじられる。人を責めるのに急な人は厳格なあまり人が寄りつかなくなってしまう。自分では明敏であり辣腕をふるっていると思っているけれど、人望がないのであれば結局人々の力を結集できず大きなことはできない。どんな職場でも必ずといっていいほど軽はずみな人がいる。一見仕事が早そうに見えながら実は軽率なだけである。頼まれた仕事も正確でないこと多い。重用されるためには正確無比でなければならぬ。気が弱いために引っ込み思案な人は決して大成しない。継続できないものは成功したためしがない。見せかけでなく何事も誠心誠意実行することだ。決して偽物といわれるよう人になることなかれ。世間を渡るには、信用第一と心がけておれば、ことは必ず成就しよう。しかし世の中偽物が多くて本物と見間違うことが多い。活眼をもって本物を見分賜え。
# by ayabemorinaga | 2012-04-27 09:06 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 04月 26日
苦労することによって人間は二種類に分かれる。苦労することによって、人間の苦しみが理解でき、同情心が深まり、人間としての度量や深み増していく人と、苦労することによって、かえって人間がこすからくなる人がいる。確かに人間はすべて前向きにうけとり、自分の肥やしとしていく人と、何でもひがんで受け取り依怙地になっていくタイプがある。人間としての素養をつむためには、経書、歴史書、伝記を読むことによって、人間として成長していくのだ。経書によって、人間のあり方を見つめ歴史書で人間の様々な生きざまを見る。伝記によって、先人たちはどのように苦難を乗り越えていったかを学ぶ。人間ができていないと感じたら、しっかり意義のある本を読みなさいと言うこと。それではお聞きしますがあなたはどのタイプですか。まだまだ修養ができそこなっていますから、依怙地になったり、まっとうなときもあったり、いろいろですね。私などを反面教師にしていただくとすばらしい人間になれますよ。本当ですか。勿論?
# by ayabemorinaga | 2012-04-26 11:34 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 04月 25日
今日は、高橋顧問、玉川、チ-フキャリアコンサルタント、大槻キャリアコンサルタントに同行して、高校中退者等アウ卜リ-チ事業についての理解と協力要請に、府立工業、綾部高校、西舞鶴高校、東舞鶴高校を訪問した。学校長にその趣旨を説明して、協力要請を行ったが、いずれの高校でも暖かいご理解をいただいたことに、感謝を申し上げたい。今更先輩面をしていくのも迷惑千万なことかもしれないと、私なりに心の中で躊躇することもあったが、ここはやはり一人一人の児童生徒の自立支援をするのに何の遠慮がいるだろうか、と、例の調子で開き直ってみた。高校側の暖かい接遇に改めて感謝をもうしあげる。今後とも、生徒児童の将来のために、民間自立支援機関と協力協調をして、一人でも多くの若者が社会貢献できる人に成長するための支援についてがんばろうではありませんか。
# by ayabemorinaga | 2012-04-25 17:05 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 04月 23日
人をもてあそべば徳を喪い、物をもてあそべば志を喪う---目上の人、あるいは自分に利益をもたらす人だけに謹厳実直にし、目下の人、あるいは利益にならない人に対していい加減であれば、いつしか自分の徳が失われる。常に人に対して愛敬の念を持って接すれば失うことはない。
# by ayabemorinaga | 2012-04-23 09:43 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 04月 20日
NHKあさいちに役所広司氏が出演されており、好きな言葉・嫌いな言葉について尋ねていた。広司氏曰く好きな言葉は、墓に布団は掛けられない。すなわち親孝行は親が生存中にすることである。嫌いな言葉は、自分探しと答えていた。私の好きな言葉は、仁・恕である。仁向無敵とも言われる。嫌いな言葉はといったことは意識したことがないが、あえて言えば自分探しとか、自分探しのたびなんて言われるが、言っておる本人が本当に理解されて言われているのか疑問である。自分を探すとはどのようなことなのか。自分探しをして何を探すことができるのか。自己分析ということはやったことがある。自分の性格を調べることでもあるが。自分を探すことがどんなことなのか。さっぱりわからない。物まねもいい加減に、人が使っているからわからなくても言っているたぐいが多いのではないか。親孝行、若者はそんな言葉は古いと言って一刀両断するかもしれないが。人間として生きる限り忘れてはならないことだ。そんなことなどくそ食らえ--あまりいい表現ではないか゛-親孝行人間としての基本的な思想でなければならぬ。私も父親は60歳の還暦でなくなったから、親に対して孝養を尽くすことはできなかった。慚愧な思いが胸元をかすめる。さて、皆さんは好きな言葉、嫌いな言葉がありますか。そうそう祈りという言葉好きですね。
# by ayabemorinaga | 2012-04-20 09:44 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 04月 19日
人に出会ったときの第一印象は大事である。私は初対面の人に与える印象は、あまりよくないらしい。ある人から、どうもぶっきらぼうでとっっきににくい。といわれたことがある。そのこととは自分でも自覚しているのであるから始末が悪い。---につける薬はない。とは、、まさに的を得た言い方だ。第一印象が悪いと後々までその印象を引きづりながら、つきあわなければならない。初対面の人との対応がその人の人間関係を構築するときの大切は判断となる。人に好感を与える対応が求められる。当たり前のことを今更何で---ブログに---そんな思いをすることがさいきんあったから--これが隠居の愚痴というものさ。
# by ayabemorinaga | 2012-04-19 12:25 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 04月 17日
政治屋とは、自分の利益を重点に考えて行動する政治家を蔑視して言う人のことである。時には地位や権力を用いて自己の利益を考える人たち--時には無節操に国民に迎合し耳障りのいいことばかり言う政治屋であってほしくない。政治家は人のため世のため自分を犠牲にしてでも決断し実行する度量がなければならぬ。今時、誰も責任をとらぬ、そんな風潮が蔓延している。何とか言い逃れをしてほとぼりが冷めるのをまとうと言った人たちが政界に跋扈していないか。いな、責任のなんたるかさえもわからないのではと思われる人たちがいる。と思っているのは私だけか。人間神でないのだから全知全能というわけにはいかない。時には間違いもあれば、失敗することもある。過ちであるとわかれば、責任のある地位にある人は、きっぱりと潔く責任を感じて辞任するのが清い姿勢だ。そんな人は国民が見捨てることはない。率先垂範こそ政治家のもっとも大切になしなければならない信条であり姿勢である。政治屋は卒業して政治家として国民のための政治に向けて邁進していただきたい。
# by ayabemorinaga | 2012-04-17 13:04 | 政治・議会 | Comments(0)
2012年 04月 16日
男子学ばざれば すなわち已む 学なぱばまさに 群を越ゆるべし いずくんぞ発憤して志を立て もつて国恩に答え もつて父母を顕さざるべけんや 頼山陽がまだ十歳の頃にかいた文章です。この詩に頼山陽の人間としての気概がかんじられる。現代社会ではこの気概という崇高な精神が薄れているようだ。コ-ヒ-を飲む精神はあるようですが。人間としての欠かせない精神的教育が戦後なおざりにされた結果気概を持つことの大事さがなくなってしまった。気概を持たないもぬけの殻のような人が存在するようになった。気概を持った人たちで、世直しをしていただきたい。。
# by ayabemorinaga | 2012-04-16 16:33 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 04月 14日
綾部市内中学校卒業生300数十名の半数近くが、綾部高校を敬遠して、市外の高校に進学する傾向がここ数年のうちに顕著になってきた。なぜ時間のロスと経済負担をしてまで、卒業中学生の保護者が他市の高校に進学させようとしているのか。中学生を持っている保護者の大半が綾部高校では、希望する進路への実現は望むことができないと見放していることだ。この傾向に何とか歯止めをかけなくては、志のある人々でを誘って母校活性化推進会議を立ち上げて、約二年間にわたって論議をしてきたが、しっかりとした広報・啓蒙活動ができていなかったことを反省したい。猛反省をしなくてはならないのはこれまでの、綾部高校管理職であることは誰もが認めているところである。このことについては、改めて検証していきたい。今後もますますこの傾向が顕著になることは目に見えている。子供たちをすでに卒業させた人たちは、そのような状況にも関心が今ひとつといった感がある。園部高校では母校の発展のためといって、市民の人たちが後援会を結成して2000人の会員が毎年200万円を学校に寄付されているということであった。園部高校は伝統高校であるが、一時期は園部高校を目の前に見ながら、希望進路実現のために、他市の高校希望が゜顕著になったために地元有志が呼びかけ人となって、母校園部高校の伝統実現に努力されたというお話を伺った。綾部もそのような取り組みを今こそしっかりとしなくてはならないという思いである。市内中学生の半数が市外の高校に進学するという実態と今後ますますその傾向が雪崩のごとく広がっていくことは目に見えている。本当にそのような状況を放置していていいのか。小中学校児童生徒のおられる家庭では、綾部高校があこがれの希望する高校とはなっていない。こんなことが続けば市内中学生のほとんどが市外の高校に進学することになってしまうのではないかとさえ、危惧する状況である。どこにも入れないから綾部高校ということになれば情けないことだ。小学生でさえ友達と他市の高校、中学校に行こうと話しているということである。昔昔デモ・シカ教師などと自虐的に教師が卑下したことがあった。教師にシカなれない。教師にデモなるか。といったことがいわれたことがある。綾部高校tがシカ・デモ高校にならないことを祈るばかりだ。この実態、この現実を綾部市民は、どのように考えておられるのか。国破れて山河あり--慨嘆し無念の涙が頬を伝う。言挙げは日本の古来の伝統的な思想である。言挙げなどあえてしなくてもいいのではないかというお考えもあるだろうが、私は声高に言挙げをしたい。
# by ayabemorinaga | 2012-04-14 09:48 | 政治・議会 | Comments(0)
2012年 04月 11日
四月は今年も多くの人たちが、希望と夢を持ちながら、社会へ大きく羽ばたく季節である。それぞれの職場ではいろんな訓示がなされていることであろう。生き甲斐のある人生であらねばならぬ。生き甲斐とは、自己実現である。青年は時にはじっくりと自己を凝視し、将来自分はどんなしごをしているか、あるいはどんな仕事をすべきか、心に描き、ぞくぞくするような戦慄が走り抜けるそのような経験を何度ももっことである。心の奥にうずくもの、自己の内なる声に耳を傾ける習慣、これが生き甲斐のス夕-トである。まあ---自分がこの世に生きる理由を作りながらいきていくことである。自分がこの世に生きる理由を作ってもそれを認めてくれない上司や職場もあるだろう。そんなときには成り行き任せと---有為な青年そんな思いにさせる職場や上司からは逃げ出せ-逃げ出せ-逃げれなければ何もかも放り出せ---
# by ayabemorinaga | 2012-04-11 10:19 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 04月 10日
トップが変われば学校が変わる。とよく言われる言葉である。教育の世界では--何をやります。こうします。などといってもそれが、誰もの目にも見えなければ意味がない。結果がすべてであるとはいわないがやはり結果は重視せざるを得ない。私は昨年今年と同窓会長の名代として、入学式に参加した。今年は、昨年に比べてかくも変わるものかというほど、来賓に対する応対が違っていた。今年の応対は、気配り目配りの行き届いたものであった。まさにトップが変われば--を地でいく思いだ。来賓の応対など些細なことかもしれないが、このような些細なことが大事なのだ。一事が万事という言葉もあろうが-また、来賓も昨年は府会議員と私とP丅A会長の三人であったが、本年は市長、府教委指導主事、中丹局指導主事が新たに参加されている。某指導主事一人が遅れて会場に入られたのには驚いた。私は、昨年来母校に対する高校進学を目指す親たちの学校評価は惨憺たるものである。子供の願っている進路保障を期待することができない。故に、時間のロスと経済面の負担を覚悟してでも他市の高校へ進学をするという傾向が顕著になってきた。これでは母校が生徒指導困難校に転落するのではないかという思いがした。同じ思いを持っている人たちと高校活性化推進会議を立ち上げて高校進学を目指されている児童生徒の保護者2500人の信頼を勝ち取ることができるためには、進路保障完璧なまでの充実には、新学科の設置か、それとも中高一貫校への制度改革かについて約一年ばかり協議をしてきた。主客転倒とはこのことで本来は学校長が最重点課題として取り組むことではないのか。いらざる口出しであると思われたかもしれないが母校の発展と地域住民のしんらいを得るためにという思いである。同窓会長、府会議員にご理解をいただいたことは幸いである。今年赴任された管理職は、府教委から課題をしめされその任務を負って赴任されたと思っている。今後の学校経営に辣腕をふるっていただきたい。と期待するものである。
# by ayabemorinaga | 2012-04-10 19:12 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 04月 09日
高校では、事務室は学校の顔である。小中では、事務職員が学校の顔でしょうか。学校に電話がかかってくれば、まず事務員が電話を受けるでしょう。その応対によって、どのような学校経営がなされているかほぼわかるものだ。ぞんざいな言葉遣いであったり、つっけんどんな電話の応対であったり、こんな忙しいときに電話なと゛かけてくるなといわんばかりの応対であったり、学校を訪問しても、事務室の机に座って何者がきたといわんばかり姿勢では、ついついなんだその態度はともいいたくなるものだ。事務職員の応対辞令でその学校のすべてがわかる。と断言しても間違いではなかろう。現在の電話では相手の顔が見えないからこそ、丁寧な応対が求められるのだ。事務室は学校の顔である。といった感覚と意識が事務職員にはもとめられている。事務職員の指導は誰がするのか。学校長か、事務長か、教委か。
# by ayabemorinaga | 2012-04-09 12:20 | 教育・学校 | Comments(0)
2012年 04月 07日
今から35年ほどの昔々のこと、私が綾部高校で同和教育担当をしていた頃のことです。中丹八校同研という会議が毎週一回開催されて,高校生の中途退学をどのように阻止し個々の生徒の進路保障をしっかりと実践するための話し合いを行ったものである。(中丹八校同研の構成メンバ-は,福知山高校、石原高校、綾部高校、大江高校、福知山商業高校、福知山女子高校、淑徳高校、共栄高校)各高等学校の中途退学者をできる限り少なくするための実践の取り組みや、生徒個々人の事例研究について喧喧諤々の議論をおこなったものである。すばらしい実践報告は、すぐさま取り入れて実践したこともあった。現在も高校中途退学者がある実態は、嘆かわしいことであるが、せっかく高校に入学したのであるから、いかなる困難があろうとも、生徒の進路をより確かなものにするためには、高校を卒業するための努力を学校もはもとより、あらゆる関係機関と連携協力をしていくことが、今学校に求められているのではないか。しかし、残念ながら、外部との連携に対してかたくなに拒否する姿勢が、時たま見受けられることがあるのは残念なことである。教師社会では、外部関係機関との協力を拒み、できもしないくせに、自分たちでやりきることができるといった変なプライドを持っている。この具体的な事例また、後にかくことにする。高校中退者・不登校生徒をできる限りゼロに近づけるためには、学校はあらゆる機関との連携協力いただくことがあるならば、積極的に働きかける姿勢こそ教師本来のあるべき姿勢であろう。なぜ゜このような昔のことを書く気になったかといえば、かって、議員仲間であった方からお誘いをいただき、私に役に立つことがあればと考えてお引き受けすることになったから-中丹高校の管理職の皆さんご理解をお願いしたい。
# by ayabemorinaga | 2012-04-07 10:02 | 政治・議会 | Comments(0)
2012年 04月 06日
ブログのパスワ-ドとIDを失念していたために,ブログを書くのをあきらめていましたが,知人の助けを借りてようやく書くことができるようになりました。つまらぬ隠居の独り言をこれから書き綴っていきたいと思っています。時には、私特有の頑固さで、痛烈な批判をすることがあると思います批判なければ進歩なしというのが私の心情ですから-匿名で批判するのでなく堂々と厳しい反論なり批判をしてご指導願いたい。
# by ayabemorinaga | 2012-04-06 18:21 | その他 | Comments(1)
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