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綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

教育困難校

昭和50年代には、高校三原則の矛盾が顕著となり、工業単独校石原高校に普通科を設置する方向で府教委は考えていたが地域の事情により実現することはなくなり、教育困難校と言われるようになっていた。その抜本的改革に向けて、府教委は、府産業教育審議会に諮問を行い、昭和63年2月23日に府教委に対して、中間答申を出した。そのとき、審議会の副会長をしていた私は両丹日々新聞記者に対して、生徒の進路保障をするためには、これからの時代のニ—ズ応えた教育が必要で21世紀に向けて石原高校を抜本的に改革していかなければならない。そのためには学科改編・先端機器を整備する。校舎を建て替え、校名を変え教育課程の再編成。今あるものを充実発展すると言うより、むしろ新しい学校を作る意気込みです。と、私見を述べたことが、校内検討委員会にまず知らせるべきであるのに、報道機関に最初に発表するとは何事ぞ、厳しい批判を分会ニュ-スでされた。我が母校綾部高校の進路実績が極端に劣化してしないの中学生から敬遠されている実態がある。教育改革は常に十年二十年先を見越して、生徒数、社会の二—ズ二対応しながら、何より生徒の進路保障がどうあるべきが問われるのである。先を見通しながら、現状をどのように改変改革していくのか。このことこそ、議論の中心に据えなければならないだろう。今地域の総意を結集して、如何にあるべきか、を真剣に考えるべき時がきている。そして、地域の総意に基づく学校改革試案ともいうべきものを立案して、府教委に要請することが大事なことであろう。でなければ、やがて、近い将来教育困難校と言う不名誉な蔑称を賜る羽目になることが見えている。誰も教員が行きたがらない学校、いな転勤したくない学校とて名をはせることに誰もが痛みも、悔しさも、情けなさも感じないのだろうか。論点が少しずれるが、教育の場に競争原理が導入されることを私は否定しない。戦後教育界には、競争原理の導入は極端なまでに否定された。その例が、運動会で一等二等など決めずに、みんなおててつないで走りましょう、なんて時代があった。平等主議が徹底した。私は競争原理の導入を決して否定はしない。お互いに進路保障で競い合うこともいいことでないか。だが、能力格差が学校間にできる事を危惧する者で有る。
by ayabemorinaga | 2011-01-31 11:25 | 教育・学校