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綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

追遠

人間というものは、終始を全うする、とくに終わりを全うすると言う事は容易ではない。この終わりを慎むと言う事が如何に大切な事か.終わりを慎むことを如何に会得するか。終活なんて言葉もあるが、追遠と言う言葉には足下にも及ばない.いや比べる方が間違っている。晩節を如何に慎み深く過ごすことが出来るか.田舎暮らしをしていると、常に行動が批判の的になっている.あなたは、老人会の会合になぜ参加されないのか.老人会の会合なんて馬鹿らしいと思われているのか。そんなにあなたは偉い人なの--敬老会になぜ参加されないの--みんな喜んで参加されていますよ.あなたも参加しなさいよ。と言わんばかりのまなざしで見られる。こんな現象を田舎では、同調圧力と言うらしい。みんなと同じように行動しなさい.と言う事らしいが--そのような田舎の雰囲気に嫌気がさすことがある。(情にさおさせばながされるとかくこの世は住みにくい)。いろんな批判にさらされない生き方こそが、終わりを慎むことなのかも知れぬ。時には会合に出ることがあっても、発言は控えて、意見を求められれば発言するくらいがちょうど、いいのかも知れぬがついつい一言多くて、いやがられるこがある。自分意見に反対されれば、我を忘れて激昂する。そのようなことの繰り返しで晩節を汚していくのもなさけないことだ。では終始を全うするためには追遠つまり、遠きを追うと言うことは、過去にさかのぼる、自分の親、祖父母とさかのぼる事により、自分の存在の如何にとおとい事で有るかと言う事が分かる.それが分かれば、始めて子孫のことを思うのである.自分の先祖に感謝し、はたまた、子孫の繁栄を願うならば、自分の言動を慎み、終始を全うする生き方をすることである。ちょうど彼岸だ、墓参りにいこう。
by ayabemorinaga | 2014-09-21 11:06 | 教育・学校