耳障りなこと
2015年 04月 11日
耳障りな事を聞いて、自分の行いを反省する人はあまりいない。むしろ、何を偉そうな事をほざいているのだ。人のことをあれこれいうまえに、自分の行っている行為を反省せんかいな。と感情的に反発するのがオチだろう。人間だれもが自分が1番可愛い。だから自分の欠点を指摘されると、反射的に反発する者だ。なるほど自分の行いについてそのように視られていたのか、これからは充分注意しなければならぬ。と、反省する人は人物が出来ている。そんな人は限られている。耳障りな事を云われて素直に反省する人は少ない。むしろ反発を食うだけだと思って人は何も言わなくなる。すると人は天狗になって傍若無人な振る舞いをするようになる。さすれば、人達は、陰では悪口雑言をいって居るがその人の前では、何事もご無理ごもっともと押し黙っている。耳障りな事をいわれて、素直に自分のこれまでノ行いを反省する事が出来なければ人でない。このように偉そうな事を行っておる私なと゛は、この歳になっても、耳障りな事を聞けばこんちくしょう-と感情が爆発寸前まで高まるのであるから情け無い。そこは、冷静にかまえて、耳障りな事を云ってくれる人が居ることに感謝しなければならない。と、思うことは再三ある。か実行が出来ていない。晩節を汚さないなど言えた義理ではない。清く正しく美しく--そんなことを口にするのも恥ずかしいぐらい、あちらこちらに失言妄言を繰り返しながら醜態をさらけ出して生きている。でも耳障りなことが聞ける姿勢だけは堅持していきたい。たとえききながすことがあったとしても-- ぐうたらぐうたらとつまらぬ事を書き綴りましたが、 【耳障りなこと】で皆さんに訴えたかったことは、議員は理事者に対して、住民福祉のためには、ときには、理事者に対して、あえて、耳障りな事がどうどう議場で発言できる議員が誕生することを期待したい。
by ayabemorinaga
| 2015-04-11 11:08
| 教育・学校