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綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

見限ると言う事

人間は時と場合により無能であったり、有能であったりするものだ。家庭状況や地位の変化、はたまた、権力構造の変化、人事の処遇など、サラリ-マンの人生は移ろいやすいものです。如何に、りっぱな上司と思っていても、その人におぼれてはダメで、常に一方では客観的にその人を見限り得る目を保っておく。見限りと言って容も別に裏切る、陥れると言う事ではありません。容れざれれば去るという覚悟とその用意をしておくことが、今時の世には必要。それが現実というものです。容れざれれば去る。簡単に言えるが覚悟となるとなかなか出来るものではない。歴史上で秀吉に思い入れて没落した天下の知者安国寺恵瓊がその人である。秀吉の晩年の思い上がりと老耄を見定めることが出来なかった。最大の判断ミスは、秀吉の死後も天下は安泰であるとはんだんしたことである。さらに安国寺は自分と同じ政略家で文人派の石田三成と組したことである。優れた上司惚れ込むことはいいことですが、その偉さを生涯持続できる人はまれである。部下が上司の能力喪失という現実を見極めて、はやばやと見限ることも人として生きていく知恵なのでしよう。上司を見限れば、薄情な奴、恩知らず、と罵られることもあるが、それはそこ、そのような非難を免れて上手に見限る知慧も必要だ。自己保存のためさっさと上司を見限りる眼力を養うことも必要か。偉いと思って、いつまでもついて行くと身動きがとれなくなるものだ。【容れさざれば去る】その覚悟で人間関係を構築する。そのことが大事だ。官僚なんかはさその実践者として最たる者だ。でもね。政治家がそんな態度を示してはおしまいよね。でもいると思うよ。なんっいったって世の中広いじゃん。そんな人達が--役に立たなくなれば、さっさと、見限る。これ以上つきまとわれては、迷惑だとばかり--それつてそのような政治家を担いだあんたが人を見る眼がなかったんじやんか。そのようにおもってあんたから見限りばいいじゃん。何も人の所為にすることもなかろうが----

by ayabemorinaga | 2016-08-31 09:53