綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

カテゴリ:教育・学校( 369 )

理想像

皆さんお久しぶりと挨拶をすれはいいのでしょうか。
 ある高校ての話です。政治経済の講座でのことです。教師が【生徒諸君が考える理想的な官僚とはどのような人ですか。】と尋ねたところー【任官中は、面従腹背を座右の銘とし、出会い系バァ-・ノウパンシャブシャブに出入りをする胆力を持ち、他人からその事を指摘されると貧困家庭の女子の実態を知るためであると強弁し反省する姿勢など微塵もない器量を持つ。さらに、退官したら、守秘義務などおそれずに、マスコミにネタをうりこむ度胸のある人である。さらに、有力者の口利きには徹底して忖度が出来ル人】とこたえたそうな。
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by ayabemorinaga | 2017-06-13 12:59 | 教育・学校 | Comments(0)

風の行くへ(懇親会)

昨日は、岸田校長・伊藤事務長の歓迎会として、同窓会、学校管理職・同窓会・担当理事など、総勢14人で開催された。この企画は、私が同窓会に関わってから53年間で今回が初めてである。
 岸田校長が、挨拶の中で、私は囲碁が三段であると言われた事が、綾部囲碁連盟会長である四方会長と岸田校長との近親感が一気に縮まった感じがした。 宴席は、人間関係を構築する絶好の機会である。それ故に、立ち居振る舞いは、細心の注意を心がけないと失敗をする事がある。さらに、人間評価の絶好の機会でもあるり、どういった気配りをするかを見られている。
 四方会長が、岸田校長に、学校に囲碁クラブを作っててはどうか。体育系三類もある相撲部を作れば土俵は京都場所(相撲巡業)の剰余金から寄付をする。東分校の収穫物の販売を西町商店街で一軒借りて販売実習をすることはどうか。勿論家賃は同窓会が活性化基金からしえんする。と、いつもの持論を展開されていた。
  私はもっぱら伊藤事務長と25年前の話を振り返っていた。私が定年退職後は、枯れ木峠で【あぶり餅屋】をすると言ったことを盛んに言っていたらしい。退職後4/5年を過ぎた頃に知人に出逢うとあぶり餅屋はできましたかと、よく聞かれたものだ。掘っ立て小屋はたてたが、結局あぶり餅屋はいまだに出来ていない。
 湯川副校長が散会の挨拶で、昨今岸田校長と市内の中学校回りをしていますが、いつも、綾部高校に対する熱い思いを聞かせていただいている。綾部高校の発展のためにさらなる努力をしていきたい。と。力強い決意を聞いた。
 何とも和やかな酒席で終わることが出来た。
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by ayabemorinaga | 2017-04-20 09:40 | 教育・学校 | Comments(0)

国旗・国歌

夏の高校選抜野球の開会式で国歌斉唱の時、高校球児達はテレビで見る限り歌っている様子がなかった。一体どうなってるのか。と友人に聞いたら、君は右翼かという言葉が返ってきた。国歌斉唱さえ出来ぬ高校生を嘆かわしく思う考えは右翼につながるのか。高校野球閉会式を見ていたら、北海高校の選手達は誰一人として国歌を歌っている生徒はいなかった。NHKのテレビが執拗に選手一人一人の顔を写し出していたが。私がなぜ国歌斉唱にこだわるのか。管理職時代に式典には国旗を掲揚し、国歌斉唱を府教委から指導されて、日の丸・君が代論争を職員との間で議論を繰り返した苦しかった過去があるからなのだ。日の丸は戦争の旗だ。若者達が戦争にかり出され、この旗の下で尊い命を失った象徴の旗だ。君が代の君は誰をさすのか。日の丸・君が代の国旗国歌なのか。法的根拠を示して議論をすべきである。法的根拠を示せと言われれば、日の丸・君が代が国旗・国歌であるという法律は存在していなかった。広島県世羅高校で、校長先生が、国旗国歌をめぐって職員と対立し自殺をされるという痛ましい事件が発生し、それを契機として国旗国歌に関する法律が制定された。等々、式典で国旗が引きずり下ろされたり、国歌斉唱の時は、職員が着席をして拒否の態度を示す。職員への説得の難しさをしみじみと味わったものである。そのような経験から国歌国旗に異常な程関心を示すようになった。いやしくもスポ—ッマンであるならば、正々堂々たたかう事は言うまでもないが、国歌もきっちりとうたえる選手であるべきだ。それにしても、学校現場で入学式・卒業式などの予行演習をするときに、しっかりと国歌を斉唱できるような指導は出来ないのか。そのことは、管理職の裁量範囲ではないのか。と思ったりするのだが--
 

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by ayabemorinaga | 2016-08-28 11:02 | 教育・学校 | Comments(0)

嫌われる勇気

仏教では、人生は苦である。と喝破している。とかくこの世は住みにくい。智に働ければ角が立つ、情にさおさせばながされる。草枕の冒頭の一節だ。この世での人間の悩みは、すべからく対人関係の悩みである。人間は可哀想ほど、人から嫌われることをおそれている。人から嫌われたくないのは人情だ。人に好意を持ってもらいたいと、心ならず追従、おべんちゃら-を言っている人達。ときには、嫌われる勇気を持ってみようではないか。対人関係の悩みから脱却するカギは自分にある。人は変われる。自分が変わればいいのだ。かって、某党首であった人が【自分が変わる】といっていたことがありましたな。少しも変わらなかったけれども。そのためかどうかは存ぜぬが、今では、存続があやぶまれる政党の代表になっていますな。
 すべての悩みは対人関係の悩みである。仕事の悩みと言ったって根本は対人関係が関わっている。褒め言葉があるが、褒め言葉とは、能力のある者が能力のない者に下す評価の言葉だ。限り無く非礼な言葉なのです。褒めるといった他者からの承認が無ければ自信などもてない。その自信は偽物です。なぜだ。では、いかなる言葉をかけるのか。
 簡単なことだ。感謝と尊敬をつたえるのよ。誰かに評価されるのではなく、自分は誰かの役に立っている。と思わせることだな。仕事である場合は、その業績に対して評価は当然です。人間は対等であり上下関係でない。横の関係がだいじである。褒めたり叱ったりする行為は無意識のうちに縦の関係をきずいている。対人関係のトラブルは他人の領域に介入したとき、また、自分の領域に介入されたとき発生します。他人の領域に介入しないと言う事が、トラブルを回避する事になる。しかし、そのような呑気な事を言っておれないこともあります。さらに、いかなる独裁者であっても尊敬は強要できない。小馬鹿にしている部下を尊敬せよとは。いや、その人の長所を認める事です。どんな部下でも長所は持っていますよ。認めたくないから短所ばかりみてあげつらっているに過ぎないのです。対人関係を構築して行くには、まず自分が変わる。自分が変わらなくて、ひとに変われと強要することは出来ぬ。これまでの自分を反省して自分が変われば対人関係の悩みは解決する。

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by ayabemorinaga | 2016-07-25 16:53 | 教育・学校 | Comments(0)

七つの子

今このことを口にしたら、相手がどんなに喜ぶか。いまこのことをしたら、相手がどんなに傷つくか。こちらがこれから起こす行動によって、相手の心の中に様々な感情が生じる。その感情をあらかじめ読んで、こちらの行動をコン卜-ルする。これこそ気配りの最たるものだ。こんな人達が世の中にあふれかえっていたら、毎日を心豊かに平穏に暮らすことが出来る。ところが、人が三人寄れば、陰口の大合唱とは、情け無い話だ。陰口に理にかなったものがあるかどうかは知らぬ。
 さてと、森繁久弥さんが、目の不自由なことも達を慰問して、楽しいおしゃべりのあと、【七つの子】を歌った。[カラスなぜ泣くの--]。二番の歌手に移った。[山の古巣へ行ってみてごらん]ここで歌をバッタと止めた。周りはドツキとした。一呼吸おいて歌を続けた。[まるい顔したいい子だよ。]もちろん正しくは[まある目をした]目の不自由な子供の前で、だれが、[まあるい目をしたいい子だよ]等歌えるか。一瞬相手を思いやって歌詞を変えた。このやさしさ、この心配り そうそう誰にでも出来る者ではないが、常にそうありたい。このことが平素言行不一致の実践者である私の反省だ。                                              

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by ayabemorinaga | 2016-07-17 08:40 | 教育・学校 | Comments(0)

意地

意地についてはかつてこのブログ書いたことがある。少し視点を変えて考えたい。我々は意地になっている人を見ると、どうしてあんなに意地を張るのだろうと思うことがある。男の意地か。エ-スの意地か、先輩の意地か。はたまた、地位・立場の意地か。まあ、対人関係に意地はつきものだ。意地を通せば窮屈だという程度の意地は避けようがない。ところがだ。君は意地になっているねと言われると誰でも私は意地になっていませんと否定する。人間関係に意地がつきものであり、ある特定の人に意地になっているとき、自分はあんな人間を相手に意地をになるほどくだらない人間ではない、と思い込みたいし事実そう思い込んでいることもある。意地になる発端は、俺は聞いていない。俺が認めていないのに勝手な事をする。こういった場合が多いのではないか。意地は対人関係の葛藤から生じるものだ。だから意地になっている人が、誰からも反対出来ないような大義名分を振りかざして正義を主張するのは、自分が意地になっていることを隠したいときだ。意地なんて所詮自分の思うことを通そうとする心だ。だから、意地の張り合いが生じてにっちもしゃっちも行かないときがあるかと思えば、最後までかたくなに意地を通そうと頑固になっている可哀想な人もいる。意地を通せば窮屈だ。意地もほとほどに--意地を張って生きなければならないなんてナンセンスだよな。皆の衆。世の中には意地を通したくても通す事さえ出来ぬ弱い人人がいるのよ。

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by ayabemorinaga | 2016-07-13 10:51 | 教育・学校 | Comments(0)

イソップ物語

夏の間、歌を歌っていた怠け者のキリギリスが冬になって食べ物が無くなり困ってしまい働き者のアリのところにやってきた。この話の結びは二つ。夏怠けていたから自業自得だとキリギリスを追い返すのが一つ。いさめた上で【ちゃんと働くのですよ】と食べ物を与えるのが一つ。皆さんはどちらー話の結末としてどちらがしっくりいくか、政治家に聞いてみると、なんと92%が食べ物をあげる。追い返すは、わずか12%と言う結果だ。庶民感覚としては追い返すは12%である。なんと心優しき日本人。されど、政治家はあまりにも世の中の風潮に迎合しすぎていないか。このイソップ物語は、本来自業自得という教訓の話であるから、追い返すべしというスジ論があってしかるべきでないか。スジを通すことの善し悪しであるが、物事の【スジを通すこと】に重点を置く人と、【まるくおさめること】に重きを置く人のどちらがスキな人柄ですか。と皆さんにお尋ねしたら、皆さんなんと応えますか。庶民の答えは【まるく】が56%で【スジ】が39%である。政治家の答えは、【スジ】が64%で【まるく】が19%である。世間の感覚と政治家のずれはあってもいい。スジは通すべきだし自己の信念に忠実であって欲しい。人を信頼しないで政治は出来ぬ。しかし、政治家のかくありたいとの思いと実際の言動の落差が大きいことを憂う。スジを通す事とは、世間の常識であり慣習であり条例・会則・規則に基づくことである。スジ論については、私なりの考えを後ほど具体的な例題を示して書くことにする。

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by ayabemorinaga | 2016-07-12 09:38 | 教育・学校 | Comments(0)
昨日は大槻元筆頭総代のご尽力により寺総代0B会が行われた。平成13年4月より平成19年3月まで、二期6年間努めた4人が久しぶりに満福寺で一同に会し、住職夫婦も参加していただき会食をした。まずは、思いで話に花が咲く。総代就任最初の仕事は、高野山大学に在学中の俊裕僧に出逢って満福寺の住職を継いでいただく意志確認に、高野山へ妙俊住職と総代四人が自家用車で行った。高速で入り口を間違えて随分南下して後戻りをしやっとの思いで高野山にたどり着いた。俊裕僧の気持ちを聞かせてもらいほっと一安心した事も遠いい昔の思いでだ。俊裕僧の高野山高校大学の学費は檀家に頼られることはなく、妙俊住職が負担された。俊裕僧は平成18年に満福寺に帰っていただいた。本堂玄関口の改修や、檀家の篤志家から50万円のご寄進をいただき本堂周りをすべてサッシ戸に取り替えた。本堂屋根のトタン葺きの劣化が激しくなったので銅板葺きかえを檀家の了解を得て行うことと成った。その費用は1000万である。酸性雨の影響がどの程度あるのか懸念材料もあったが思い切って銅板葺きにした。さらに浄化槽設置の為に300万円を支出した。また、妙俊住職のたっての願いで有る俊裕僧の新居の建設については、檀家の了解を得てまず建設資金として月々2000円の積み立て始めた。出来るだけ多くの方に総代をやっていただくことも必要であろうという考えに基づき、私達は、新居の建設は後継総代にお任せすることにして、新居建設資金2000万円を引き継ぎした。寺総代の仕事は、新年、お盆、節分、大師請等の準備並び世話である。環境整備の為に寺周辺の草刈りも総代就任後4年間は総代で行ったが、急斜面等があり足場悪いところがあるので、森林組合に委託する事にした。総代旅行を2回行った。北陸旅行の時は、老舗旅館花紫に、山陰旅行の時に宿泊した旅館の名前がどうしても思い出せない。唯、足立美術館で横山大観の絵画を鑑賞したことは憶えている。いろいろと自慢げに総代当時の業績をあげつらっているとお考えかも知れぬが、これらの業績は、大槻筆頭総代の満福寺の護持運営こそ、総代に課せられた責務であるという方針に従い、総代3人が一致協力をした賜ものである。と、我ひとり自負している。
 私も総代を辞めてから久しぶりに満福寺に訪れたが、環境整備はじつに素晴らしい。後継総代のご努力に改めて感謝申し上げる。

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by ayabemorinaga | 2016-04-19 13:18 | 教育・学校 | Comments(0)

組織とは、

組織とは、リ—ダ—の力量を超えることが出来ぬ。正に箴言だといえるように見える。組織が組織をフル回転して、目的を達成するにはリ-ダ-の力量次第だ。故に組織のトップの力量に応じた力しか組織は発揮することが出来ない。選挙でトップを選ぶときは国民はしっかりと此の事を肝に銘じて選ぶ責任がある。トップの力量次第で組織はいかなる力でも発揮できる。無能なトップを選べば組織は弱体化する。
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by ayabemorinaga | 2016-04-17 12:47 | 教育・学校 | Comments(0)

 唯6(シックス)

この数字は何だ。この数字は校長から聞いたのではない、綾部高校の将来と地域の発展は人材にあり、その根幹を占める教育施策の重要性に取り組む四方府議から聞いた。今年度の我が母校綾部高校の国公立大学合格者の実績だ。このところ数年にわたって二桁代を推移していたがついに一桁に、尤も危惧していたことが現実になった。数年にわたって綾部市内の中学校卒業生が綾部高校では自己の進路実現困難であると感じ始めて福知山高校・西舞鶴高校へと進学を始めたという実態をしり、私は、地域の有志と綾部高校活性化推進会議を立ち上げて綾部高校が中学生の期待に応える唯一の道は、綾部高校に小中一貫校設置をする事であるという確信のもと、その実現に向けて地道なカッドウを行ってきた。されど綾部高校に小中一貫校をと言う我らの願いはかなえられず、福知山高校に設置された。とき、我々の何の権限もない非力をまざまざと実感した。
 高校進学を目指す中学生の親たちは、綾部高校に進学せず福知山高校・西舞鶴高校に進学させる事によって、経済的負担・時間的ロスを知りながらも、我が子の進路実現ため文句の一言も言わずにしたがっておられる。従順な市民なのだ。この先に見えてくるのは、子供を持つ親たちは、綾部市から福知山市へと住居を変えていくことになろう。そこまで行かなくても、ユウ-タ-ンを考えている若者は教育が充実している福知山に住居を構える。となれば、綾部市の衰退は現実味を帯びてくる。これは私の取り越し苦労か。
 綾部高校の事については、何回もこのブログで取り上げてきた。しかし、いま、目前に国公立大学合格者6という厳しい現実に唖然とする。このていたらくでは、国公立大学を目指す綾部市内の中学生の親など、綾部高校など見向きもしまい。お隣の府立工業高校は実学を目指す職業高校であるが、国公立大学合格者数は12名である。それにくらべて進学を目指す生徒が大半を占める綾部高校普通科、なんとお粗末なことか。この現実を綾部市民の皆様はどのように考えられるのか。いや市教委はどのようにご覧になるのか。この流れが加速すれば、ますます中丹通学圏(福知山・舞鶴・綾部)での学校間格差が拡大して、学校の序列化が進んでいく事は明らかだ。中丹通学圏のなかには、福知山高校・西舞鶴高校・府立工業高校・綾部高校・東舞鶴高校・大江高校・そのほかに私学高校が三校ある。ナンバ-スク-ルの復活か。綾部のこどもが綾部高校で学んで自分が目指す進路実現(国公立大学への入学等等)が達成できない現況に目をつぶって黙認することがいいとお考えですか。綾部市民の皆様
 批判は簡単である。批判だけでなく、綾部高校再生に向けて、分相応の努力は今後もやっていくつもりである。
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by ayabemorinaga | 2016-04-06 06:34 | 教育・学校 | Comments(0)