綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

カテゴリ:物部( 16 )

自分に勝つ

金のある者は金ずくで、力のある者は、力ずくで世の中を渡っていく。では、金も力もない者はどうするか。    力を使わず人を動かす。戦ををせずに勝つ。即ち智慧の勝負でいこう。機智をはたらかせ。先手を打つ。時には権謀術数を用いる。但し勝者になるには、信望を失ってはならぬ。権謀術数を用いても信用を失わないようにしなければならぬ。ここのところが難しい。信なく場立たずつまり、何事も人に信用されてこそ、自分の思いが達成できるのである。さらに言えば、究極のところは、自分に勝つ精神力がなければ人とは戦えないという事である。今日も市長が言われていたが、自分に勝つという精神力が人との戦いに勝利する道である。言われてみればまさにその通りで異論の余地は無い。
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by ayabemorinaga | 2011-03-05 17:10 | 物部 | Comments(0)

とぼけ

とぼけを漢字に当てはめると、恍惚である。これを訓読すればとぼけ、音読すればこうこつとなる。恍惚はがんらい、ぼんやりとしてはっきりしない状態をさしたもので、そこから、気持がぼうっとするほど、うっとりとして我を忘れる状態、老いぼれてぼうっとする状態という意味に使われる。とぼけるは、老いぼれてぼうっするじょうたいのぼけるから、さらに枝分かれしてわざとぼけたふりをする、しらばくれる、なにかにかこつけて話をそらすという意味に使われるようである。とぼけは人を攻撃する場合、身を守る場合に使われる。とぼけ戦術もうまく使わないと妙なことになる。自分も相手もしらけてしまうことにならないように、とぼけることが必要だ。とぼけという図太さで世の中を渡ってみることだ。なかなか難しいけれどもね。でも、上手にとぼける人がいるでしょうが、私なんかはとても出来ない芸当ですがね。
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by ayabemorinaga | 2011-03-03 17:21 | 物部 | Comments(0)

八百長

新聞紙上で相撲の八百長問題が言われている。かって週刊誌が相撲の八百長問題を記事にして、裁判沙汰となり、敗訴になったことがあった。だが今回はメ-ルでのやりとりが記録に残っていたことが明らかとなった様だ。相撲協会はしっかりとした真相解明に取り組み、八百長問題が事実であれば、再発防止に向けて徹底した取り組みが成されなければ、世間からの信頼を失うことになるだろう。では、国政の場で八百長まがいの国民を欺く様な駆け引きがなかったのか。55年体制と言われる社会党、自由民主党時代に、審議拒否をする事を寝ると言ったそうであるが、お互いに話し合いで台本の筋書き通りやり、その場でも金銭のやりとりがあったようだ。そんな事とはつゆ知らずそんな茶番劇を見せられている国民はいい迷惑である。これも八百長といわずしてなんと言えば良いのか。八百長そのものではなかったのか。(55年体制時代に政治とカネを巡る問題が起こるたびに、社会党をはじめとする野党は正義を代弁するかのように振る舞った。しかし、そうした野党と自民党は国対を通じて裏取引をするのが常であった。そこでいささかのカネも動いた。産経新聞より)今の民主党で、小沢氏が旧社会党関係者と親密なのはそのような過去からの関係が有るからではなかろうか。そのことはともかくとして、相撲界も、政治の世界も八百長まがいの裏取引で善良な国民を裏切らないように願いたいものである。
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by ayabemorinaga | 2011-02-03 09:41 | 物部 | Comments(0)

旬ある人とは

将来大を成すような人は、学生時代からどこかいびつであって、イガイガ・トゲがある。イガイガトゲトゲが有ると言うことは,その人の中にまだ充分成長していない芽がたくさん植え込まれていると言うことで,それが体の中で均衡がとれていない.つまりできあがっていないのです。人間にも旬というものがある。旬とは遅すぎても早すぎてもいけない.いかなる地位についても就くべき時がある.それが旬というものである。人間イガイガ卜ゲトゲがある間はまだ旬がきていない証拠である。組織に属する人達が役職に就く時期について、誰が見てもなるべくしてなったなと万人が認めるときが旬であろう.万人が認めなくてもおおかたの人がそれが順当であると納得する。それが人間の旬というものである。果物で言えばほどよく塾した食べ頃の果物が旬であると言われているようにな。
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by ayabemorinaga | 2010-09-19 11:53 | 物部 | Comments(0)

老賢者

年をとってくるとろくな事はない.眼は見えにくくなる、耳も聞こえにくい.ともかく、かっては普通に出来ていたことが、だんだん出来にくくなる。そんなときに、老賢者というような表現を聞くととたんに元気が出てくる.せめて、その老賢者に成ってみたいとか、身の程わきまえぬ思い上がりの心が顔をだす。ところで人間の精神は混沌から秩序へと向かう。しかし、さらに良い秩序へと一方的に向かうのでなく、混沌、秩序、混沌へと円環的に変化するのではないか。もし、老賢者が存在するとすれば、それは、若者に負けぬ賢者ではなく、滅びを受け入れる、智慧を持った人であろう.役に立たなくなった人がいることで、役に立たない人とはこのような人かという意味で、存在価値がある。と自ら下げすさみ自嘲している私がいる。昔は老人は物知りとして尊重されたが、現在はコンビュ‐タ-の普及によって瞬時に何事も知ることが出来る、便利な世の中では、老人、老賢人の智慧を借りる必要はみじんもない。ならば無用の用としてしか存在価値がないのか。いや、老賢者とは、滅びを受け入れる智慧を持った人であるだけではあまりにもかわいそうではないのか。昔こんなうたがあったな、先生、先生と威張るな先生、先生、生徒のなれの果て、とか、青壮年よ、やがては君たちも同じ運命を辿るのであるぞ。自己の未来を見据えたときに、君は何を考えどのように生きようとするのか、しっかりと考え給え。
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by ayabemorinaga | 2010-09-15 09:07 | 物部 | Comments(0)

お世辞

カ-ネギ-は,結婚すれば,相手を褒めることが,ひっすう条件になる.結婚生活は外交の場である。と言っているが,その通りかもしれない.いくら結婚して二人が一人の人間になったとはいえ,遠慮も何もいらぬかというとそうでもなさそうだ。文句も言いたいときに言うこともひつようかもしれぬが,文句ばかりいっていたとて愉快な生活は出来ないでしょうが、ここは、やはり外向的センスを入れて、若干お世辞を言うことも必要になってくる.独立記念日も,革命記念日も忘れてもいいが,結婚記念日だけは忘れるな。というフランスの諺がある。私などは、今日は何の日と妻に言われてもすっかり結婚記念日である日を忘れていることが多い。でも自分の誕生日はまだ,覚えていますから,まんざらぼけがきたとも思っていませんが.それはさておき、歳をとればとるほど結婚生活には,外交辞令のお世辞が必要であるようだ。
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by ayabemorinaga | 2010-08-05 10:43 | 物部 | Comments(0)

慎独

谷垣自民党総裁から愼独という色紙をもらった。さて、愼独とは、言志晩録172条にも記されている.独りを慎む工夫は、ちょうど人混みのなか、あるいはひろい座敷の中にいるのと同じ気持でいることだ.人との応対の工夫は,独り閑にいるときと同じ気持ですればよい.とも言われている。愼独とは孤独の自分ではなく、絶対的存在の意。人が見ていようが見てまいが,自分自身を絶対化することを愼独と言うらしい.人は羽振りのいいときから,突然閑職に左遷させられるときがある.その時にふてくされたり,自暴自棄になったらおしまいである.そんな事を言ったって人間であるが悶々の日々を過ごすことはある。そんなときこそ,独りを慎むことが,どんなにとおとい事であるか.人間、今ここに生きていることが大切なのだ.過去がどうの,さきがどうのといちいちかんがえていたら,神経衰弱になる.そんなときこそ,本を読んで,人間を鍛え直すことである.漫画を読んでいるようでは,人間を否自分を鍛え直すことはできないでしょう。愼独をすることが出来るのは,読書によってのみ支えられるのだ.すなわ逆境は人を鍛える事ができる.本人の心構え一つで。しかし年をおいては,そのような時間が無くなっている.そんな考えているから,だめなのだと言われれば,言うことなし。さらに言うなれば、愼独の工夫ができる人に敵なし,とも言われる。
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by ayabemorinaga | 2010-05-04 13:56 | 物部 | Comments(0)

善行

佐藤一齋は、人が耳を貸さないのは相手が頑固だからでなく、当人が頑固なのだ。と,言っている.ともすれば私たちは人の欠点を直そうとして注意をするが,それは間違っているようだ.直さなければならないのは他人でなく自分なのである。痛い指摘である.私たちは人を批判して,あの人は頑固だ.全く人に耳を貸さない.と言うが全くの見当違いであり,人に耳を貸さない人に出会ったときは、それをもって我が身を振り返ることである.考えてみれば私たちは物心がつく前から,人々に認められることを求めている.是は大人になっても変わらない.自分のことをわかってほしいのである.何が善行ダと言っても人を理解し評価し受け入れることほど,大きな善行はない.まずひどひとを認めてあげることだ.どんな小さな事からでも
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by ayabemorinaga | 2010-02-13 09:35 | 物部 | Comments(0)

最高道徳

新年あけましておめでとうございます.皆様方には、それぞれのご家庭で輝かしき新春をお迎えのこととお慶び申し上げます.本年も皆様方に健康で健やかな日々を、そして何より幸多き年であることをご祈念申し上げます。シベリアへいくまでは私は軍の世界しか知りませんでした.人間はイコール階級であり,階級が上の人は,それだけ人格も上だとかんがえて、一度も疑問を持ったことがありませんでした.それがロシアの捕虜となって、階級を剥奪され,全員同じように扱われたとき,人間の本当の価値がわかりました.一番最高の道徳とは何か、それは無私に徹して,世のため、人のために尽くすことだと思いました.自分自身が腹ぺこでも,病人の人が出たら,食べ物をわけてやる.課せられた仕事のノルマも手伝う.そんなことは今のような恵まれた環境ならさほど難しい事はないが,あのシベリヤでのどん底の時代では、やはり,価値ある人物でないと出来ない事なのです.私自身も幾度となく助けられたし,逆に助けたことも有ります。と、瀬島氏は告白されている。シベリアでは、人間としてみてはならぬもの、してはならぬ事もやらねば生きていけない地獄の生活であったと言われている.人間も生命の極限状態の中では,生きるために,どんな汚いこと,悪いこともやる.人間を信じろと言われても,とうてい信じることが出来ぬ行為を何の自己嫌悪を感じることもなく平気でやる。それが極限の状態に置かれた人間の情けない行為なのだろうが、そんな中で無私に徹して人のため世のために尽くすという精神こそ、本当の人間の値打ちなのだろう。無私に徹して人のため世のために尽くす。そんな生き方を真剣に考えながら少しでも実践できるよう肝に銘じ、新年の抱負として歩んでいきたい。
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by ayabemorinaga | 2010-01-01 11:21 | 物部 | Comments(0)

個人の信条

人は自分の信念を大切にすべきである.悪辣な権力やカネの力に負けて、自分の信念を曲げてはいけない.つまり人は自分の道をまもり、同時に他人の道を犯してはいけない.他人の道を犯す者とは、実は権力者や財産家だけではない.集団による工ネルギ‐。徒党を組んで個人に圧力をかける者たちがある.彼らは時として民主的とか多数決の優先といった美名のもと、きわめて暴力的に振る舞い、人の心を踏みにじる.これだけ賛同者がいるのであるから、おまえも賛同するのか゛当然だ.といった押しつけである.個人の信念を踏みにじり蹂躙するようなことは、避けたいものである.人それぞれに信念に基づいて行動されているのであるから--そういった個人の信念の視点というか観点は当然社会の発展につくすというというか、社会奉仕の理念に基づいた信念でなければならない。もっとも理想的な信念は公共の福祉のために尽くすということであろう。個人主義的な私利私欲的に満ちた信念はいただけない。
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by ayabemorinaga | 2009-12-07 18:41 | 物部 | Comments(0)