綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

カテゴリ:その他( 666 )

風の行くへ(2/17)

今日は,隠居のつぶやき,ため息に追記を書きました。是非ご一読を
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by ayabemorinaga | 2016-02-17 09:30 | その他 | Comments(0)

風の行くへ(2/7)

数日前からパソコンの操作ができなくなり,大島先生に頼んでやっと復旧した。2/7日は夜は種清市会議員の市政報告会が、行われたので参加した。丁寧に,わかりやすく簡潔明瞭そのものの話しぶりには感心する。とにかく話がが上手だ。将来が嘱望できる青年市議だ。我々は総力を挙げて地域創生のために、あらゆる角度から政策提言出来る市議に育てる事だ。我が物部にも有望な人材が出てきた。物部地域の将来の発展を彼に託したい。いや,物部だけでなく、綾部市の発展を託すことが出来ル。彼の素晴らしいところは,意見の違う人とも分け隔て無く接して,しっかりと意見を聞く耳を持っている。その姿勢にはお手上げだ。私などとてもとても出来ないまねだ。我々は、彼を立派な政治家に育てる為に支援者の拡大に努力することを惜しまないことだ。偉そうな事を言っておりますが,寄る年波には勝てずせいぜい報告会に参加するぐらいか、種清しんぶんを配る事ぐらいだ。そのような思いにふけりながら話を聞いていたが,明日は豊田市での葬儀に参加しなければならぬので、途中で退席した。                                                                         2/8日当初は電車で行くことを考えていたが,名古屋駅を下りてから,いろいろと乗り換えをしなければ成らないし,面倒なので、甥の運転する車で,家を7時にでて,北陸周りの高速道路をへて,豊田市に10時20分に到着した。所要時間3時間20分である。12時から葬儀が挙行され一時には豊田市を後に帰路についた。葬儀にも所によって,いろんなやり方があると思った。葬儀開始前20分間ヴァウりンの演奏があり,さらに僧侶の読経の後もヴアウリンの演奏で曲目は上を向いて歩こうーー星かげのワルツである。されど違和感を感じることはなかった。これもいいかな--と。
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by ayabemorinaga | 2016-02-11 15:43 | その他 | Comments(0)

長生きのコツ

 毎回政治の話ばりではブログを読む気がしないでしょうから、今回は趣向を変えて、長生きのコツは何かについてかんがえてみましょう。
。戦前は、人生50年と言われていた平均寿命が、人生80年と言われる長寿国なっている昨今ですが、長生きをする人に共通する傾向は、お金に対する執着心が人一倍高い人と言われています。自分の持っているものをだれにでもあげてしまう人、周りの人に気前よくおごってしまう人、こういった人達は、一旦からだが悪くなると、坂道をころがり落ちるように身体が衰弱して命を縮めるそうです。
 逆に自分の財産をしっかり管理し、簡単に誰にもあげたり、譲ったりしない人は、予測を大幅に超えて長生きします。お金に執着度が高い人は、よく言えば自分のものと他人のものの線引きがしっヵりと出来ている人、即ちケチな人です。気前のいい人ほど早く逝き、お金やものにしゅうちゃくするひとほど病気になっても粘る。お金や物に対する執着心が命への執着つながっているのかも知れませんが、執着心が人並み外れて高い人がなぜ長生きするかは、医学的には分からないそうです。
  私の母親も90才まで長生きしましたが、わずかばかりの年金をしっかりと管理していました。お金に対する執着心はすごくありました。ところが、ある日突然に、預金通帳を私に渡して、好きなようにつかってくれ、と考えもしなかったこと、言いました。それから一年足らずで亡くなりました。
  長生きしたければ、守銭奴と言われるぐらいなることですね、健康で長生きするのでなければ、長生きする意味がありませんがね。
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by ayabemorinaga | 2016-02-02 12:40 | その他 | Comments(0)

苦言

郵便の番地を間違えたら返却された。郵便番号は間違っていない。番地の間違いも12-4とすべきところを14-4と書いたためである?ならば、郵便番号は何のためにあるのか。疑問を感じる。ほんらいなら郵便番号と氏名を書いただけでも届くはずだ。あてどころに当たりません。と書かれていた。正確にきっちりと杓子定規に言えば、その通りだろう。それではあまりにも配慮に欠けた郵便配達ではないか。まるで郵政民営化以前の官僚体質丸出しの姿勢だ。かって、郵政省管轄かの折りには、私の住む隣の舞鶴市に手紙を出すと番地まで書かなければ全部返却されてきた、お上意識というか、配ってやっているのだしっかり番地までかかんかいと言う横柄な姿勢に辟易としたことがあった。それとおなじ体質がまだ残っているのかと残念に思った。返却されたのは、京都府内ではない。革新系知事のお膝元だ。革新系知事の所だからとけしからんと言っているのではない、たまたま革新系知事のお膝元の郵便局であったと言うことだ。
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by ayabemorinaga | 2016-01-16 13:22 | その他 | Comments(0)
3日には、孫達と元伊勢に参拝した。昨年は大雪の為に参拝は叶わなかったが、今年は、素晴らしい好天に恵まれた日である。駐車場で500円支払い参道に向かう。例年より参拝者が少ないかな。いや、元日、2日に参拝された方が多かったためかも知れぬ。孫達は元伊勢神宮の急勾配をいとも簡単にさっさと上っていく。私は、途中で息切れがして、何度か休もうと思ったが、とにかく休まずに、古いおふだを納めて、本殿にたどり着くことが出来た。しかし、足取りが重い。老いをじわりと感じる瞬間だ。これから何回参拝できるだろうか。そのような思いが頭をかすめる。石原慎太郎氏が、産経新聞新春イン夕ビュ−で歳を取るのはいやですね。人間が朽ちていくのは。島倉千代子の【思いでさん今日は】の歌詞は、誰かのまねして小石を投げた>ポチャンと寂しい音がした雨の小川に揺れている。おもいでさん今日は、つまらないのよ何もかも、あの日はとおいい夢だもの--まさに、その心境だと語っておられた。なるほどーしばし感嘆する。老いるとは、朽ちることか。木が朽ちてポキンとおれるような、人生の終末がいいな。思い通りにならないノが人生であるが-
 いつものとおりー神社の参拝を終えてお守りや、神社の御幣を買う。甘酒一杯300円ふうふういいながら甘酒ほ呑む。これも例年どおりーー駐車場付近で、たこ焼きカステラを買う。ちょっと高値だな。たこ焼き400円は、例年ですと、知人に二、三人出逢うが今年は一人であった。向こうから声をかけられたが、とんと名前が思い出せない。頭も少しづつ朽ちかけたか。
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by ayabemorinaga | 2016-01-05 12:50 | その他 | Comments(0)

知っているようで

知っているようで、知らない作法がある。これは私だけかも知れませんがね。たとえば、神社参拝の作法であるが、神社に参拝したとき、鳥居の手前で一礼をして、参道の左端を通って、神殿の前では真ん中にすすみ、二礼二拍手一礼であるが、お願い事は、二礼の途中でする。そして、帰りは右端を通って帰る。鳥居の前で一礼をして、参道の真ん中を通るのは愚の骨頂だそうだ。これまいで神社の参拝の時は参道のど真ん中を大手を振って通っていた。神様から見れば随分礼儀知らず大馬鹿者がきた。さてさて、どのような願い事をするのだろうか。聞いてやらないぞ馬鹿たれがと、哀れみを持ってながめておられたのでしょう。道理で願い事など聞き入れられたことなど一度も無かった。神に対して礼を失していた罰なのだろう。何事にも礼儀作法があるのだろうが、稽古事など縁の遠い意存在であったから、稽古事を通じて礼儀作法を学ぶこともなかった。家庭で教わることもなくのほほんと育って大人になってしまった。そして、自己流を通してきたのだから、人様がらみられたらなんと礼儀知らずの輩と思われていただろう。恥ずかしい限りだ。そうか、まだ、あなた恥の心を持っていたの--恥も外聞もない人だと思っていたがーー嫌々どうもどうも-
 さてと、昨日もテレビを見ていたら、寂聴さんが、晩節を汚すななんて馬鹿らしい。そのような事を気にすることではない。あくまで自分流で生きていけばいい。晩節を汚すなと言われるような人格を持ち合わせいてるわけでもない。晩節を汚すななんて、人様に言えるような立場でも無ければ、人格者でもない。偉そうな事を言えた義理でもないなと反省しています。反省なんで誰でも出来る。こりゃー手厳しい仰せで--私などは、晩節も、前節も汚し通してきたようなものだ。とにかく心のままに気楽に人様の目などとんとお構いなく好きそうらいに生きようか。晩節を汚すな--なんてあんたからだけは言われたくないわ。ごもっともで--
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by ayabemorinaga | 2016-01-02 13:12 | その他 | Comments(0)

新年挨拶

                 あけましておめでとうございます。
  皆様方のますますのご繁栄とご健勝ご多幸を御祈念申し上げ新年のご挨拶とします。
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by ayabemorinaga | 2016-01-01 10:19 | その他 | Comments(0)

無難に生きるため

このような、生き方が出来れば、人生平穏無事に過ごせるのではないか。私などとても及びもつかないがーデモ、努力する価値はあるよね。苦労に負けず、苦労を肥やしにして自分の器を大きくしていきたいものだ。
 人間誰もが持っている四つの欠点をなくすことなのだ。
 まず始めの一つは、【意】であるが、これは主観だけで憶測をするということである。正しい判断を形成するためには、まず何よりも正確な情報を集める必要がある。情報という者はいくつものフィルタ—を通して入ってくる事が多いので、出来ればその上に立って、さらに、自分の足と目で確かめる事で、このような努力を怠って、主観的、希望的な観測に走ると必ず判断を誤る。故にそのような欠点を無くする事だ。
 二つ目は、【必】で必とは、自分考えを無理に押し通すことである。一人前の社会人なら当然自分の考えや意見を持たなければ成らぬ。主張すべき時には、断固主張することは大事だ。だから、やたらそれを振り回したり人に押しつければ、周りの人達に反発を買うことになる。その兼ね合いを見分けることが必要だ。
 三つ目は,【固】であり,固とは,一つの判断に固執すること。わかりやすく言えば、頑固である。仮に正しい判断を形成しても,情勢は常に変化している?先には,正しい判断だとしても、情勢が変化すれば当てはまらぬ。あくまでも一つの判断に固執すれば必然的に対応を誤り,時代に取り残されていく。固の病は,歳を取るにつれて嵩じていくので自戒が必要だ。私などはすてに手遅れで、病膏肓と言われる状況で有る。
 四つ目は,【我】で、我とは、自分の都合しか考えないことだ。これもまた、社会人としての協調性を欠いている、これをやると、どんな組織に身を置いても人間関係の中で孤立してしまうこと間違いない。以上の四つの【意・必・固・我】欠点を無くする努力をすれば、社会人として、きわめてバランスのとれた生き方が出来ると考えますが、如何。
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by ayabemorinaga | 2015-12-19 10:07 | その他 | Comments(0)

風習の崩落

田舎の風俗習慣が戦後は大きく変わってきたように感じる。隣組・地域での人人の連帯意識が驚くほど希薄になってきた。昔から受け継がれてきた、てんごり(地域の人々が何事も協力して生活する相互扶助の精神)
 結い(家相互で双務的に力を貸し合う労働慣行)・たとえば、戸主が病気で田植えが出来ない家があれば、隣組の人達が総出で田植えの手伝いをする。隣組の誰かが病気になれば、組み内の人達が、神社に参拝して、お百度を踏み病気の平癒を祈願する。大雪が降れば隣組は勿論地域の人達総出で雪かきをする。など相互扶助の精神が脈脈と受け継がれてきたが、今はそのような精神が崩落の危機に瀕している。原因はいずこにあるのか。知人曰く、葬祭に戦後業者が参入してきた事が一つの原因ではないのか。と?昔は、葬儀は隣組の協力なしには成り立たなかった。かって、悪しき村八分といった不合理極まる風習が存在して、村人から阻害されていたときでも、冠婚葬祭だけは例外でみんなが協力をしたと言われている。さほど、葬儀は人人の協力が無ければ無事行うことが出来なかった。故村人は葬儀を通じて連帯相互扶助の精神がたたき込まれた。今は、隣組の人に世話にならなくても葬儀は業者に任せれば簡単に行ってもらえる。からだとーーさらには、戦後教育の個人主義思想が大きく影響していないか。田舎に生活している人も組織に属していれば組織を守る為の連帯意識遵守しているが、田舎の良き風俗習慣を守る言った村落意識はからきし持っていないといえそうだ。ただ競争意識は強烈である。競争意識は昔あったことは事実だ。あらー嬉し隣の蔵が売られ行くーーと言って喜んだとか。競争意識を侮蔑はしていない。競争意識も程度というものがある。相互扶助の精神はしっヵりと堅持しながら、競争意識を持っているのは許容される。がだ-相互扶助の精神が欠落した人が競争意識を持ったら世も末だ。田舎の良き風習を如何にして継続していくのか。田舎暮らしの人達に課せられた課題だ。ところで、田舎にも村祭りがある。神は心の支えと言われるように、神社を崇めこれを守ろうとする村人の意気込みによって祭りが維持されてきた。如何に科学が発達しても、どんなに生活が向上しても心のよりどころとして神を仰ぎ神を信じ神にすがる心は揺るぎないものがある。信仰は誰の心にもある。地域住民総出で村祭りを盛大に挙行し、崩落寸前の危機に瀕している連帯・相互扶助の精神を涵養することが出来ないか。田舎暮らしで個人の一挙一足まで干渉がましく言われるのは息が詰まりそうで、逃げ出したくなる事もままあるがさりとて、隣は何をする人ぞと無関心でおられるのも寂しいものだ。これを身勝手という。--なににつけメリット、デメリットはつきものか。-
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by ayabemorinaga | 2015-12-12 10:50 | その他 | Comments(0)

ひもじい(爺)

一昨日知人にあったら、戦中戦後の話を孫に一時間程話したと言うのを聞いて、私も孫に学校の宿題て゛おじいさんに、戦中戦後の話を聞いてきなさい。と言われたので聞かせて欲しいと言われ、、戦中、戦後の話をしたことを思い出した。今年は戦後70年を経た。戦後のあの食糧難など想像も出来ないほど、平和で豊かな飽食のじだいである。あえて言う大東亜戦争が沖縄玉砕・広島長崎の原爆落下により、と尊い多くの人命を失うという犠牲により終戦(敗戦)を迎えたのは、私が国民学校6年生の時である。戦争が始まったのが、国民学校2年生の時だ。国民学校6年生のときは、食糧増産のため荒れ地の開墾。道路端を掘り起こし大豆を植えにかり出されたり避難訓練も頻繁に行われ、梅屋・銅田国民学校から集団疎開で学年が4クラスになり、勉強らしき勉強をした記憶は皆無だ。私が孫に話したのは、田舎でも食べ物が無く、大根飯・夕飯はカブラのおかゆ・麦飯など、特に、大根のずわずわべとべとした食感には閉口したが、空腹を満たすためには、食べないわけには行かぬ。ひがな、一日ひもじい思いをして、せめて腹一杯食べてみたいと何度思ったことか。そのような話をしたら、孫が私につけたあだ名がひもじい(爺)さんである。ひもじいは方言かと思ったが、共通語である。しかし、まごたちは、ひもじいと言う言葉を初めて知ったようだ。ひもじいと言う言葉さえ、忘れられようとしているいまは、幸せな時代なのか。
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by ayabemorinaga | 2015-12-11 10:10 | その他 | Comments(0)