綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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涙定量、汗無限

人が一生のうちに流す涙の量は、学歴、財産、地位等に関係なく一定量だから、若いころ涙を流した人は、大人になってから泣くことはなくなります。一方、若い頃涙を流さなかった人は、壮年や老年になって難局に遭うことが多く、涙を流すことになるのです。また、汗無限とは、流した汗の量に比例して、物事を処理する能力が増大することを意味します。世間で名をなした人は、必ず青少年時代に刻苦勉励、積極的に汗を流した人なのです。という解釈もできますが、自分の人生経験の中から、涙定量、汗無限の意味を考えるのもいいのではないでしょうか。
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by ayabemorinaga | 2008-08-31 09:49 | その他 | Comments(0)

言葉

「言葉」と言うものがどれほど大切か。自分のハッする言葉が、自分の人生を創るのだ、と。言葉の根本は思考であります。人間は思考の表現のために言葉を使います。だから言葉をハッするまえの段階に思考が有ります。これを心理学ではインナ-スピ-チ(内言)と言うそうです。言葉とは音声を通じて外に現れたものです。言葉が出る前に必ず思考がある。だから思考を清めると言うことほど大切な事は有りません。   「心にもないことを言いまして」と弁解することが有りますが、あれは、真っ赤なウソであります。と断言していいかどうか。チョト迷いも致しますが。
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by ayabemorinaga | 2008-08-30 09:44 | その他 | Comments(0)

マザ-テレサ

私は仏教徒で有りクリスチャンではありませんが、マザ-テレサ
のこのメッセ-ジにはなぜか魂がふるえるような感動を覚えた。「イエスがあなたを愛したように、あなたも隣人を愛しなさい。沈黙の果実は祈りです。祈りの果実は信仰です。信仰の果実は愛です。愛の果実は奉仕です。奉仕の果実は平和です」さらに、さあ、貧しい人の中でも最も貧しい人ぴ゛とに仕えましょう。それがキリストにならう事なのです。「人の為になることに真心を尽くす」生き方をされているマザ-テレサに共感と敬意の念を抱くのみ。そして、愛と奉仕は大げさなことでなくごく日常生活における気づきと実践なのだ。ということを知らされた。
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by ayabemorinaga | 2008-08-29 08:36 | その他 | Comments(0)

隋処に主となれ

極東裁判でA級戦犯の中のただ一人文民として死刑に処せられたのが広田弘毅である。彼ははやくからやがては外務大臣と目されていた。いよいよ次期外相は広田弘毅と誰もが疑わない時期がきた。ところが突然オランダ大使に飛ばされた。左遷である。だが広田弘毅は騒がなかった。オランダの日本大使館に赴任すると、テ-マ-を立てて勉強と研究に一生懸命取り組むのである。そのころ読んだ彼の俳句がある。風車、風吹くまで、昼寝かな。与えられた場所がどこであろうと、そこで今なすべきことをキッチリこなしていく、そんな自分の姿勢と生き方を少し距離をおき、これでいいのだと余裕を持って眺めている心境が伺える。昔からの言葉に「隋処に主となれ」というのがある。その場所その場所で自分が中心になると言うことではない。どこに行っても主体性を失わず、自分を鍛えておかなければならない、と言う意味である。広田弘毅は左遷されていた時期にあっても主となっていた。そして、人生の締めくくりである極東裁判の場においても主だった。彼は随処に主となる生き方を貫いた。広田弘毅については、彼をモデルにした城山三郎さんの小説「落日燃ゆ」に詳しい。関心のある方は一読をおすすめする。
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by ayabemorinaga | 2008-08-28 05:56 | その他 | Comments(0)

無財の七施

仏教に無財の七施という教えがある。貧しくて何一つ施すものがなくても、なお七つの施すものがあるという。優しいまなざし。ほほえみ。親切な言葉。敬いの態度。おもいやり。席を譲る心。心からのもてなし。人間のすばらしさは決して逆堺に負けないことだ。様々な痛みや哀しみに潰されてしまうのでなく、その痛み、悲しみを通して、逆に人間的に深化し、成長し、ついには新しい世界をつかむ。痛みや悲しみはさけたいことであるが、その痛みや悲しみの中に、実に大きなメッセ-ジ゜が隠されている。だから、人知れぬ痛みや悲しみの中で、ひそやかな声を聞いた人は、大きく天命に目覚め、まったく違う次元に飛翔するのだ。そうなのだとおもいを新たにし人間賛歌を確信したい。
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by ayabemorinaga | 2008-08-27 06:31 | その他 | Comments(0)

もう一つの世界

夫が脳溢血で倒れ植物人間となってしまわれた。毎日看護をされている奥さんが、しみじみと「私は夫の看病を通じておおくのことを知りました。この境遇に立ってみて、初めて身にしみることがありました。世の中には悲しみを通さなければ見えてこない世界があるのだということがわかりました」こういう辛い経験を通して、もうひとつ奥の世界があることがわかり、「自分が代わってやれないことの辛さ」「死ぬに死ねない」と思う世界があることがみえたのでしよう。悲しみを通してしか見えてこない世界が世の中には存在する。辛いことだが、その経験を通してどのように生きるべきか。
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by ayabemorinaga | 2008-08-20 06:31 | その他 | Comments(0)

しゃぼん玉

しゃぼん玉飛んだ、屋根まで飛んだ、屋根まで飛んで,こわれて消えた、しゃぼん玉消えた、飛ばずに消えた、生まれてすぐに、こわれて消えた、風、風、吹くな、しゃぼん玉飛ばそ----私はこの歌はごく平凡なシャボン玉をとばしている情景かと思っていてたが、そうでなかった。この歌は、童謡作家野口雨情がお嬢さんへの思いを託した歌だったのだ。雨情はなかなか子宝が授からなかった。僕たち夫婦にはもう授からないのかな、半ば諦めかけていたときに、女の子を授かった。八年目の事であった。だからその子を目に入れても痛くないほど可愛がった。ところが雨情が地方公演出かけているとき、二歳になる女の子が伝染病にかかってなくなってしまった。「なんでこんなことななったのか、まだ二歳にもならないというのに---私や家内が何か悪いことをしたというのか」雨情は悲しさを紛らす為に浴びるように酒を飲んだ.酒に酔って哀しみを忘れようとした。酒によって前後不覚になる日が続いた。ところがある日、その子が夢の中に現れて泣いていた。涙の目を見たとき、雨情はっとした。「ああ、このままでは天国にいって娘に会わせる顔がない。お父さんガンバッタよ。哀しみにつぶされなかったよ。おまえの分まで一所懸命生きたといえるようになろう」それが雨情の転機となった。七つの子、青い目の人形、十五夜お月さんなど後世に残る童謡を書き残したとか。
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by ayabemorinaga | 2008-08-19 06:46 | その他 | Comments(0)

憤の一字

今はどうか知らないが、東舞鶴高校の校長室に憤と書いた大きな額があった。記憶に間違いがなければ松尾寺の住職の書ではなかったかと思う。墨跡鮮やかに大きな字で憤の一字が書かれていた。言志録、第五条に「憤の一字、これ進学の機関なり。舜何人ぞや、余何人ぞやとは方にこれ憤なり」と佐藤一斎が書いている。その意味は(何をと思う心、つまり発奮する事こそが学問に伸長していく原動力である。孔子の第一の弟子顔淵は、「聖人といわれる舜王も自分と同じ人間ではないか。だったら、やってできないことはない」と自分を励まし、歴史に残るほどの人物になった。これこそ発奮ということである)何事にも発奮をして取り組めばできないことはない。人間なにくそと発奮する事が偉大な事を成し遂げていく原動力になるのだ。
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by ayabemorinaga | 2008-08-18 06:56 | その他 | Comments(0)

立志

森信三先生は、人間が志しを立てると言うことは、いわばロ-ソクに火を点ずるようなものだといわれる。「ロ-ソクは火をつけられて初めて光りを放つ。同様に人間もまた志を立てて初めて真価が現れる。志が立っていない人間は如何に才能があろうとも、結局酔生夢死の人生を送ってしまうのだ」と手厳しいが、けれどもこれは、沈思黙考してみる価値のある含蓄の深い言葉である。
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by ayabemorinaga | 2008-08-17 08:00 | その他 | Comments(0)

源泉混混

東舞鶴高校の校門の右側に川井尚校長が寄贈された、「源泉混混として、昼夜を舎かず。科に盈ちて而る後進み,四海に放る」の石碑が有ります。ソノ意味は(水はその源からコンコンと湧き出て、昼も夜も休むときがない。しかも流は、窪みが有れば、まずその穴を満たして後、溢れ出て四海まで進む。その様はあたかも根本を内に養って、しかる後活動する人の姿に似ている。)私たちはどうしても効率を求めがちだし、すぐに結果を見たがるものだ。結果を求めて焦っては成らない。内が充実すれば、自ずから外に広がっていく。基礎基本をしっかりと身につけさせる事が教育の重要課題。東舞鶴高校では、古典教育をしっかり取り組めという先輩のメッセ-ジ-なのでしょう。教育の復興には、古典漢文の素読はかかせないと思う。
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by ayabemorinaga | 2008-08-16 08:43 | その他 | Comments(0)