綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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殻破り

エビは永遠の若さを象徴しているので、めでたいものとされています。というのは、エビは生ける限り、何時までも殻を脱ぎ固まらない。ことに、すべてのものが固まる秋にエビは殻を脱ぐ生ける限り何時までも殻を脱いで固まらない。つまり何時までも若さを失わない、よく変化していくと言う意味でエビはめでたいと言われるのです。するとなかなかおもしろい真理を含んだもので、私たちはエビを食べるときに、このことを思い出してもらいたいものです。私たちが学問を修めて知識を増やしていくと、忘れがちになるのが謙虚さではないかと思います。常識だと言った態度で、謙虚に学ぶことができない。あるセミナ-で殻破りと言う実習があったとき、それは、今までにない大きなアクションで大声を出すというものでありました。「インテリ-」と言われる人は、とかく行動を軽んじる傾向があります。何かやる前から「ばかばかしい」「何の意味もない」と判断を下してしまいます。そして結局何もしない。ところがそのような人々が大声を出し切った後は非常に清々とした表情をされるそうです。殻が破れたのであります。これがこのセミナ-目的なのですが、行動する前に判断するような殻が破れますと、人は謙虚になることができ自分だけが正しいという考えから、他人からも学ぼうという姿勢に変わってきます。私たちは、思いこみはないか、謙虚さに欠けることがないかと、常に自分の殻をうち破るように心がけた生活を送るべきではないでしょうか。五月末日からブログを始めましたが、お読みいただきました皆様方どうか来るべき新しい年も幸多き年であることをご祈念申しあげます。
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by ayabemorinaga | 2008-12-31 09:14 | その他 | Comments(0)

品性

人に言われてうれしい褒め言葉では、若い世代や女性には、「顔がきれい」「スタイルがよい」「性格がよい」がおおく、年輩者や男性は「仕事ができる」「あたまがよい」がおおいい、全世代に共通スルのは「品がよい」と言う褒め言葉です。品性には他のすべての長所を包括する最大最高の価値があるようです。品のよさは「顔」「立ち居振る舞い」にも現れる。美人でないのに気品が「顔をきれい」に見せ「スタイル」をスマ-トに見せる。また、「性格のよさ」や「学識の深さ」が内からにじみ出て、「品」となる場合もある。では、品性とは何かと改めて問われると難しいが、兼好法師は、「学識が必要」と言っておりますが、現代では知性と言う言葉に置き換えたい。書物を読み先人に習って知識を得る事も必要ですが、生活の中で゜「生きた智恵」を備えていなければ知性とは言えません。その知の働きを何に使うのかも大切で有ります。「自分の名誉や手柄」のために学識を得たのでは、気品や風格は出ません。やはり、「他者を救い助ける」為に知を使ってこそ人格に深みが生まれます。また、自然の美しい営みに思いをはせる繊細な感受性も必要です。即ち品性とは、知性と感性を兼ね備えた人が発する「調和の美しさ」だということができます。人や自然を愛する感性があり、そのために知を用い才を磨き「与えられることより与えること」に努力をした人は、みな品格と風格に満ちており、その口から出る言葉は教養が深い。アウン・サン・ス-・チ-やマザ-テレサはその袖にふれたいと思うほど神々しく、彼女達は口ガズは少ないが、ソノ言葉は深くて重いと言われています。そこまでは至らないとしても、人に配慮、言動を心得て、周囲に不快感を与えない内面を作り上げるように常日頃から出きる限りの努力を日々していきたい者である。近頃品格について沢山の本が出ているが、私はこの際あえて品性を強調したい、と考えるのはやはり天の邪鬼か
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by ayabemorinaga | 2008-12-30 10:18 | その他 | Comments(0)

別れを惜しむ

中国の諺に「小人の交わりは礼の如く、君子の交わりは水の如し」とあるが、礼=甘酒のようにベタベタと濃厚な関係よりも、水のようにさらりと淡泊な関係の方が長続きをするといっているのでしょう。一人で生まれ一人で死ぬ事を考えますと、人は孤独に生きていく運命に有るのかもしれません。だからこそ、人を愛するのかもしれません。また、人の心は移ろいやすいものですから、過度の期待や要求は相手に束縛や重荷になり、結果として別れを早めることになります。別れに苦痛を感じない人は、人格に奥行きが欠落しているのでしょう。一方別れることが自分や相手の存在否定にまで及ぶ人は、人格に幅がないのでしょう。どちらが欠けても双方に不幸であります。無関心も執着心も極端すぎると人間関係に憎しみをもたらします。人と交わろうとすれば、別れに際して痛みと赦しの相反する感情に耐えなければ成りません。人の温かさを求める気持ちと自分一人で生きようとする意思の両方を備えてこそ、人に対して誠実な交わりかたが出きるのではないでしょうか。去っていった人にも心をとどめ、ソノ言葉の端端を忘れず、思い出して切ない気分にひたりながらも、自分の人生はきちんと生きている。お互いがそうであればこそ、仮に一時でも交わりのあった甲斐も有ると言うことでしょう。去りゆくには、それなりの理由があるわけで、自分は変わっていないつもりでも、相手から見れば依然と違う人に映っていたかもしれません。相手が去ったのか、相手をさらせたのか、人間関係の破綻の原因は単純には決められませんが、多くの場合その両方が複雑にもつれ合った結果でしよう。風に散る花のように、人の心は移ろいやすいものなのでしょうか。
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by ayabemorinaga | 2008-12-29 10:56 | その他 | Comments(0)

自分を知る

人間にとって一番わからないものは何かというと、それは人間であります。これは東西共に古の哲人が言明喝破しています。実におもしろい結論で有ります。本当の「知る」ということは、まず自分を知ることであります。人を知ることを「智」と言います。自分を知ることを「明」と言います。自分がわからなければ人も分かりません。この人間ぐらい分かったようで分からぬものはないと思いますが如何でしょう。偉人と言われる人は、決して自分の知識をひけらかそうとしません。むしろ、より一層謙虚に学ぶ姿勢を持っています。なぜなら、学べばは学ぶほど、自分は何も知らないかと言うことが分かってくるからであります。しかもあらゆる分野のことをすべて知る事ができないのと同じく、自分自身を完全に知る事は不可能に近いと言うことに気づいたなら、それは、「明」の入り口に立ったことになります。私たちは、今現在、日常の事ばかりに追われることなく、自分は本当に何者なのか。どんな存在なのか。どのような力を持ているのか、と言うように自分の内面を探り、極めていく努力をしているでしょうか。周囲や環境、他人に目を向けていくことも大切ですが、さらに加えて自分自身を深く見つめて掘り下げていく努力をすることが必要ではないでしょうか。自分は正直でやる気があると思っていても、他人から見れば不正直でやる気のない人と思われていることが有ります。自分の思っている「自画像」と他人が考えている「他画像」二は大きな差があります。大切なのは、他人の意見、批判、アドバイスに耳を傾け自分で気が付かない「本当の自分」を知ることであり、人は必ず滅び行く者であると言う無常観に立脚したとき、生きている間に、自分は人のために何をすべきなのか、自分に何が出きるのか謙虚に考えて、世のため人のために尽くしきる志と覚悟を持ちたいものである。
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by ayabemorinaga | 2008-12-28 09:23 | その他 | Comments(1)

学習

学習とは、「行動の進歩的変容である。」と学習心理の講座で四方実一教授に教わった。現在生涯学習として、社会教育の中でいろいろな講座が実施されている。そうした学習講座を受けた人々が、社会の中で実践として自らの行動並びに言動を良い方向へと変えていけば、世の中はスバラシイ社会として発展して行くであろう。ところが、いろんな学習講座は受けるだけで、自らの行動を変えようしていないではないか。そんな姿勢ではいくら学習に積極的に参加をしても意味がないと言えば言い過ぎだろうか。ではなせ゜学習で学んだ事が実践できないのか。意思が弱いのか。ただ漠然と学習を受けているだけなのか。それとも学習講座の内容がつまらないのか。人々の行動にまで結びつくような内容でないのか。学習で学んだいいことはまず実践するという姿勢態度で学習を受けることが求められよう。そして、態度で示そうではないか。そのように言っている自分も含めて、人間の性善を信じて
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by ayabemorinaga | 2008-12-27 09:41 | その他 | Comments(0)

批判力

小学校で教鞭を執っていたときに、マンガばかり読んで勉強しない。漫画本を読むのを禁止してほしい。と言われたことがあった。しかし漫画は巷に溢れているのだ。読むなというほうが、どだい無理な話である。漫画本を批判できる力を養う(良い漫画か、悪い漫画本か)指導が大事であると考えて実践したことがあるが、現在の世の中は情報があふれかえり、何が真実なのかを多くの情報の中から選択できる能力が求められる。でなければ国民はマスコミに踊らされて、とんでもない判断をスル可能性がアリはしないか。報道されている事柄は真実なのか。何か意図を持ってなされているのか、ごまかしなのか、的確なる判断力を国民は養うべきである。そのためには、情報と選択能力なる講座が社会教育で開講されるべきではないだろうか。たとえば、こんな例をみなさんはどのように判断されますか。テモ隊と警察官が衝突している現場をTⅤカメラでとる場合に、デモ隊側から警察官にむけてカメラを構えれば、警察官が警棒でデモ隊に襲いかかっているし、警察官の側からデモ隊に向けてカメラを構えればデモ隊が警官めがけて投石を雨霰の如く投げつけている。警察官の横暴を強調しようと考えたならば、デモ隊側からカメラを警察官に向けることで、そのねらいが達成できる。故に、この映像はどちらの視点からとろうとしているのか、ねらっているのは何なのかということをしっかりと見抜き批判できる事が大事なことである。そのような真実を見抜く力と批判力を国民はしっかりと身につけなければならないと、考えるのは私だけだろうか。
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by ayabemorinaga | 2008-12-25 08:30 | その他 | Comments(0)

心のブレ-キ

巷に人としての生き方を忘れ、何事も自分中心考え、気に入らなければ、後先の考えもなく暴走をスル人があまりにも多くなってきたことは、嘆かわしいことである。教職を生業としてきた者としては、誠に慚愧の限りだ。いまさらそんな反省は聴きたくないと思われていることは承知している。だカラこそ今私に出きることは、人の道(道徳教育)を教えていただきたいと、声高にあらゆる機会を通じて言えることでしかない。世の中捨てたもの出はない、少しづつではあるが道徳教育の実践を理解して協賛を示されることが増えつつあることは喜ばしいことである。之も一昔前のお話ですが、生徒が単車(当時ほとんどの学校で単車に乗ることは禁止していた。)に乗って校長訓戒をするときに、どうだね。ブレキ-の利かない単車に乗れますか、ときくと、そんなブレキ-利かない単車には怖くて乗れないと答える。そうだろう-ブレキ-利かない単車は怖いだろう-、しかしブレイキ-は利くように修繕出きるのだよ単車は、ところで心のブレイキ-の利かない子供を持ったお母さんお父さんはどんな思いされているかな-毎日ヒヤヒヤしておられると思う。そうだろう、そう思ったら心のブレイキ-が利く人なることだな-単車を修繕してブレイキ-利くようになるが如くにな〃と言って説教したものですが、忍耐力。我慢の出きる子育てが今望まれる。
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by ayabemorinaga | 2008-12-23 10:39 | その他 | Comments(0)

私の願い

一隅を照らす者で私はありたい。私の受け持つ一隅が、どんなに小さい惨めなはかないものであっても、悪びれず怯まず、いつもほのかに照らして生きたい。朝起きて何事かを始める前に朗読し、一日の終わりに再び朗読をする。そんな人に私はなりたい。いつまでも
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by ayabemorinaga | 2008-12-22 13:22 | その他 | Comments(0)

校則

昨日と同じくイェ-リングの言葉を敷衍して、学校の校則をなぜ守らなければならないかを生徒に説明するために、交差点の信号が赤であろうが黄色であろうが一切お構いなしに、信号無視して交差点に進入したらどうなるか。車同士の衝突事故が起きてお互いに言い争いになるだろう交通ル-ルである信号を守ることで言い争いのない平和な社会が維持できるのである。世間にでれば多くの決まり(規範)を守らなければならないのだ。社会にでても規範をしっかりと守る習慣を学校教育の現場で身につけさせることが重要です。学校の校則も(世間の常識から見ればこのことはどうもと考えられるものがないとは言えませんが)ひとつのル-ルである。そのようなル-ルをしっかりと守れる習慣を身につけるための訓練でもあるのだ。チョト話がそれますが、校長訓戒で、不純異性交遊(この表現が適切かどうかはわかりませんが)について訓戒指導するとき、生徒は誰にも迷惑はかけていないと開き直ることがままあります。こんな時は変な理屈をつけて指導しても何もなりません。ダメなものはダメなのだ確信を持って指導すべきです。だれが女性の高名な政治家がダメなものはダメと言ったのを思い出しますが。
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by ayabemorinaga | 2008-12-21 09:17 | その他 | Comments(0)
ドイツの法学者イェ-リングの著書に「権利の為の闘争」がある。「法の目的は平和であり、それに達する手段は闘争である」と言う有名な言葉で始まるのである。私は生徒を訓戒(学校教育法施行規則第13条に高等学校では懲戒処分の規定があり、それに基づき生徒を懲戒処分にすることができる)するときにこのことを敷衍してつぎのような話をよくしたものである。たとえばハズ停で多くの人が待っているしかしバス来たら我先に途争って乗車口に殺到したどうなるか。そこではお互いに争いが起こるであろう。争いをなくするためには人は知恵を働かして順番に並ぼうという暗黙のル-ルが出きる。(平和)みんなが並んでいるところに後から来た人(見るからに怖そうな人)が先頭に割っていったら、注意が出きるかときくと、怖そうだから注意はできないと言う答えが返ってくる。そうだ、一人では注意ができなくても、並んでいる人みんなが一斉に抗議をすればどうかな、(闘争)と言えばみんなでスルならば出きる。という。学校の中でも決まりを破っている人を見れば、そこにいるみんなが注意をすることは出きるだろう。そのような学校であり、また、そのようなクラスでなければならないのだ。悪いことをしている人を見ればそこにいるみんなが注意をスル事で平和な学園を築くことが出きるのだ。と。学級崩壊が叫ばれている学校で一度徹底的に討議をして勇気のある学級集団に鍛え上げることか゛必要だろう。授業妨害をする者が有れば、権利としての学習権が奪われていると言ってクラス全体で授業妨害者に徹底抗議できる学習集団を作り上げることが急務ではないか。この際屁理屈は一切捨て去って実践あるのみ〃と思いますが暴論でしょうか
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by ayabemorinaga | 2008-12-20 10:34 | その他 | Comments(0)