綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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「人をもてあそべば、徳を喪い、物をもてあそべば志を喪う」目上の人、あるいは自分に利益をもたらす人だけに謹厳実直にし、目下の人、あるいは利益にならない人に対していい加減であれば、いつしか自分の徳が失われる。また、物を浪費したり粗雑に扱えば、自分の節操がなくなってしまうとか。考えてみれば、使い捨てというのはアメリカ式消費文化の発想であって、ヨ-ロッパはまるでそうではないらしい。靴や洋服、自動車や家電製品、家屋に至るまで、修理、再生を基本にして、それだけの年限に耐えるだけの素材を使っている。ドイツ車やスウェ-デン車はモデルチェンジが少なく堅牢な車体づくりをしているというのも、基本姿勢がそうだからだ。もったいない精神をうつたえて、県知事に当選した人があるが、しかし私たちの社会は、生産と消費によって経済が成り立っている。問題はいろんな場面において何が浪費なのかをしっかりと見定めると言うことではないか。人をもてあそぶなんては、最低であろう。しかし間違っている事、世間の常識から逸脱している行為等、人としての道を誤っていれば、批判も注意も必要なことである。しかし人は誰でも自尊心という高貴な衣装をまとっているので、自尊心を傷つけずに注意をすることが何より大事であり、注意が素直に受け入れられるかどうか、その人としての器量、度量にもよるが。
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by ayabemorinaga | 2009-01-14 09:11 | その他 | Comments(0)

誠は物の終始なり

孔子は門人の原憲の問に答えて、克、伐、怨、欲を克服する事が仁に至る道である説いているが、きわめて難しい問題であることも率直に認めている。あらためて、克(人に勝ちたがること)伐(自慢したがること)、怨(怒り恨むこと)、欲(むさぼり欲しがること)の四悪徳を日々克服していけるように自覚したい。さらに自ら実践をしていけるように日々努めなければならない。その上で、世の中のことは、誠がない限りうごかすことができない。才能と見識がなければ修めることはできないと、心得るべきである。誠に徹すると、動きも速い。才識あまねく行き渡っていると、その修めるところも広い。才識と誠が一緒になったとき、すべてのことは立派に仕上がるのだ。上に立つ人は、そのような心構えを持って何事にも徹していただきたい。
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by ayabemorinaga | 2009-01-13 08:52 | その他 | Comments(0)

木鶏会

今日は恒例の木鶏会である。かれこれ20年続いている。メンバ-は40名ほどであったが、今は30名程度になっている。メンバ-構成は元管理職、現役管理職、将来の管理職をになう人々である。そのことはさておき、木鶏会命名の由来は、私は酉年であります。現職時代は、正に闘鶏そのものでありました。そのために少しでも努力を重ねて木鶏の如くになりたいと言う思いが有りました。.木鶏とは荘子のなかに出てくるお話です。起省子という闘鶏を飼育する名人が王のために一羽のすぐれた鶏を鍛えていた。訓練が始まって十日目。王が「もうぼつぼつ蹴合わせてもよかろう」というと、起は「まだいけません。ちょうど空元気の最中です」と断った。それから十日たって「王が「どうじゃ」と聞くと、「相手をみるとすぐ興奮するのでまだいけません」とニベもない。さらに十日、じりじりしてきた王が「いくらなんでももうええじゃろう」と催促をすると「まだだめです。かなり自信はできてきたのですが、どうも、相手に対して、何がこやつ-と嵩にかかる所があります」と許可しない。それから十日、すっすかりしびれをきらした王に名人がやっと0Kを与えた。「もう、ぼつぼつよろしいでしょう。相手がいくら挑発してきても、いっこうに平気です。ちょっと看ると、木彫りの鶏のようで、その徳が完成しています。こうなつたら、いかなる敵が現れても闘う前に降参スルでしょう」蹴合わせてみせたら、その言の通りであった。という寓話でありますが、会員の中には木鶏の如くなっておられる人が多くおられますが、私は「未だ木鶏足り得ず」さりとて闘鶏にも徹し切れておりません。恥ずかしき次第です。(追記)双葉山が60連勝目前にして破れたときに、海外におられる師とも仰ぐ人に「未だ木鶏足り得ず」との電報うったそうですが、電報を受け取った師(木鶏の寓話をしておられたので)は双葉山が破れたことを知ったそうです。
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by ayabemorinaga | 2009-01-12 09:14 | その他 | Comments(0)

無常

筑前枇杷を弾き語りする上原まりさんは、オリジナルの曲をつけた平家物語を、よく語られます。それはまさに滅び行くものへの晩歌といってもいいもので、日本人の細かい感情のヒダまで食い入ってくるような哀感をたたえたメロディ-とリズムです。必ずしもこれが現代の日本人の無常の感覚をすべて代表するものではないと思いますが、そこで謡われている無常の調べは、仏陀が説いた無常の考え方とは、ずいぶん欠け離れていると思います。仏陀は無常について形あるものはすべて毀れる滅するということを客観的に説きました。人生とは、世界とは、人間は移ろいやすいものだ。という冷徹な認識を示したのです。ところがこの言葉の意味は、日本に伝えられて、大きく変わってしまいました。その代表例が他ならぬ平家物語の冒頭に出てくる祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありの句のなかに出てくる無常です。この無常という言葉に込められた日本人の精神は、単に形あるものは滅する。というものではありません。滅び行く者への無限の同情、共感の涙を流してやまない悲哀の感情、あるいは人生のはかなさに対する繊細な感覚といったものです。去りゆく者への限りなき哀感、悲哀、共感をつれづれに感じさせる昨今であります。
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by ayabemorinaga | 2009-01-09 13:32 | その他 | Comments(0)

人相パ-ト2

金は掃いて捨てるほど持っているが、何とかしてそれ以上にためたい。誤魔化してでも金儲けをしたい。と朝から晩まで考えている人間は、確かにそのことが顔つきにまで現れてくるといわれます。(私はそんな人には未だに出会ったことはありませんが)第一に眼に落ち着きがなく瞳に冷酷な光が宿り、雰囲気に和やかさがなく、誰もそこに寄りつかなくなる。そんな主人を持つ家庭はひんやりと冷たいそうです。初めて訪問した家の玄関に立った途端にく嫌な家だな>と感じることがあるときには、「和気藹々」とか「和気満堂」という雰囲気が全くない場合が多い。そういうところの主人はおおかた人相がよろしくないそうです。(私はそんな体験はありませんが)ジャア-どうすれば良いのかと言えば、まず本を読むことでしょう。どんな本かはみなさんが考えていただきたい。妙なほんを読んだばっかりに人相がさらに悪くなったなんて言われないように気をつけたいものですね。
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by ayabemorinaga | 2009-01-08 16:13 | その他 | Comments(0)

処世訓

処世訓として「人のことを悪く言ってはいけない」といわれる。これは様々な人生経験をした人が、人生の智恵としてたどり着くものであります。しかし、潔癖性の強い若い人には受け入れがたいものかもしれない。悪い人を悪いと言って何が悪いと反論が来そうである。人間誰でも神の分身であると思えば、そのときの状態がどのようであれ人を罵るのは良くない。私たちは人を見る場合、成長の一過程としてながい目で見るべきであって、断定的に看てしまってはならない。人にレッテルを張ってはいけないし、人をけなしてもいけない。(未だに人前で人をけなして得々としている輩がいるが悲しきことだ)人を近視眼的に看てはいけない。「天に棄物なし」うれしい言葉ではないか。
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by ayabemorinaga | 2009-01-07 18:45 | その他 | Comments(0)

執着心

我々はどうしても執着してしまう(現実)が、如何にはかないものであるかと、いうことに目覚めさせてくれるのは死である。死は一切からの断絶である。富貴のひとも貧賤の人も関係ない。仕事の途上であろうと、一段落ついていようと容赦はない。死は一切の執着を剥奪し無に帰る。「人生ははかない----」と思わずため息をつかせる冷厳さがある。しかし、この現実に直面すると、逆に、一回限りの生、二度とない人生というものが、かけがえのない貴重さをもって迫ってくる。人生ははかないとうなだれるのではなく、私にも自己を表現するチャンスを与えていただいたという感謝をもって、一回限りの人生を取りこぼすことなく、充実して作り上げていこうという決意を持つべきであります。その上で、虚無感、無常観に目覚めていると金や名誉に恬淡とすることが出きる。人のうえに立つ者はこの自覚をしっかりともっていなければ、どうしてもいぎたなくなると言われています。(世の中をなんのヘチマと思えどもぶらりとして暮らされもセズ)いかに執着心をなくしたうえで、一回限りの人生を私は幸せに暮らせたといえる努力をしていかなければならない。
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by ayabemorinaga | 2009-01-06 19:59 | その他 | Comments(0)

人相

人をみる明の第一は何かというと人相だそうです。ある医大の皮膚科の先生は「うちの大学では日本や中国の人相の研究が盛んで、人相に関する文献を集めています。」それは、人間の顔は全身の神経の末端過敏点で埋まっています。この過敏点を結ぶと過敏点になるから、人相を看ると言うことは、その人の精神状態、健康状態を顕微鏡で覗くようなものです。私たちも「おまえの顔にちゃんと書いてある」とよく言いますが、顔というものはイクラ表面を繕ってみても、本当の事がすべてでているわけで、ごまかしの利かぬものです。人間には精神というものがあり、この精神を磨いて、ある心境に達すると、その精神の輝きが自ずと顔に表れます。精神の鍛錬を行っている人の顔はどこか違っているものであります。アメリカ大統領のリンカ-ンに友人が、ある人物を推薦したところ、いっこうに取り上げてくれない。無視されたと思った友人が「あれほどの人材を何故、君のブレ-ンとしないのですか」となじると、リンカ-ンは「あの男の面が気に入らない」と答えたそうです。頭に来た友人が「大統領ともあろうものが、面構え位でとやかく言うのですか」と詰め寄るとリンカ-ンは「Man over forty is responsibli for his face」と言ったそうです。顔は肉体と精神の顕微鏡であります。故に顔を看ればすべてのことが分かるわけで、人相の研究なり人相見が現れることになるのです。みなさんも40才をすぎたら、親からいただいた顔を改造して、しっかりとした自分の顔を持ちましょう。
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by ayabemorinaga | 2009-01-05 15:01 | その他 | Comments(0)

晩節

人生と言うものは、老後にある。たとえば60才になって、過去を振り返ったとき、過去の60才は一瞬にして過ぎ去ったと感じられるのではないだろうか。その間、贅沢をしたとか、苦しんだかは大した問題ではない。ところが、老後の一時間、一日というのは実に大事であります。この大事な一日を「ああ、いいことをしたな」と思って暮らすかどうかが、人生の幸・不幸の決まるところであります。文学には,余情、音楽には余韻、絵画には余白があってこそ、文学、音楽、も絵画も美しいのであります。となると、人生も余生をどのように生きるかによって、人生が生きたり、また、ダメになったりもします。「人生ヲ看ル、ソノ晩年ヲ看ヨ」とは、菜根譯にでてくる人物評価の名言であります。青年客気は人生の行動力や事業の起爆剤になりますが、やがて、年とともに円熟し、人生を達観していかなければなりません。伊藤仁斎は、これを「老去、佳境ニ入ル」と表現しました。人生の妙味、仕事の妙味、学問の妙味、そういったものは歳をとればとるほどよく分かって来るという意味であります。しかし、その反面老年とは文字通り「人生の黄昏」であって、生命に対する煩悩と金銭や名誉への執着心が強くなってくるのも事実であります。フランスの哲学者アランは「青年ハ恋愛ヲ欲しガリ壮年ハ地位ヲ欲シガリ、老年ハ貪欲ニナッテ地位モ名誉モ金銭スヘテノモノヲ欲シガル」地位、名誉、金銭これらは塩水の如く飲めば飲むほど、喉が乾いてきます。これらをどのように断ち切り晩年を生きるのか。晩節を汚すことなく生きる努力を日日積み重ねていきたいと真剣に考えている昨今です。
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by ayabemorinaga | 2009-01-04 10:30 | その他 | Comments(0)

酒席での人物評

今はどうか知らないが、三菱が重役に抜擢しようと眼をつけた人物には、酒席にお供をさせて酒席をとりまわし、態度、飲みっぷりを見て重役にするかどうかを決めたそうです。酒乱は落第。宴席の隅々まで気を配っていながら、ソノ気配を感じさせない、その人がいるだけで部屋がパット陽気で華やかになるような人を重役に登用したそうです。人の上に立つ者は陽性でなければならない.陰陰滅滅型が重役になると会社全体が暗くなる。酒席の人物鑑定と言えば朱子の先輩に当たる程明道と程伊川兄弟の人物の差を論評している唐代の花柳界の遊び事細かく書いた唐土名妓伝という珍本の中に、いわく「兄明道ハ眼前伎アリ心中妓ナシ。弟伊川は
眼前妓ナシ心中妓アリ」兄弟そろって、甲乙のつけがたいほどの大学者だったが、酒席で芸者のやりとりを観察していると,兄貴明道は、洒脱な会話を芸者達と大いに戯れ、楽しそうに酒を飲んでいるが、如何に美しい妓が侍ってもいっこうに意に介していなかった。之と比べると弟伊川は、美妓の存在など、とんと眼中にないような顔をしていて澄まして盃を傾けているが、実際はもてたくてしょうがない気持ちが態度にありありと表れていました。当然兄明道人物としては数等上と言うことになります。ところでみなさんは如何ですか、私なんか、「眼前妓アリ、心中妓アリ」と言ったところで、まだまだ修養ができていなくて恥ずかしい限りであります。将来出世スルかどうかを見極めるのは、老舗の女将は鋭い感覚をもっておられるそうです。なぜならこの人は出世するかどうかは旅館の経営にも大きく影響をしますから、しっかりと見極めていたに違いない。何時だったか、老舗の料理旅館に行ったとき市の幹部になられた人たちの、昔昔、の酒席のお話をされていましたが、ソノ仲居さんもしっかりと人物鑑定をされていたのでしょう。
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by ayabemorinaga | 2009-01-03 15:41 | その他 | Comments(0)