綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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人気と人望

人気と人望はどう違うのか。辞書によると、人気というのは、世間一般の気受けという言葉が出てきます。世間一般の人が、その人に抱く感情です。評判、広く世間に知れ渡って有名であるかないかということです。一方、人望はある人に対して多くの人が尊敬し、信頼の気持を寄せることだとあります。人望に絶対必要なのは尊敬と信頼です。人望には、人徳という問題があるけれども、人気のほうには損得という問題があります。人徳とは、真心とおもいやりで行動することでありますが、人気のほうは自己演出という行動がついて回る。自分がどのように見られているか。そのため世間にどうアピ-ルするか、そのためにどんなことを主張するか。人望とは、自分の理念に基づいて行動するだけですから、主張する必要はありません。人望とはそれなりにどんな小さいことに真剣に生きることを考えます。でも人気は計算打算で生きることを考えるでしょう。一般的には、人気よりも、人望でいきたいと人は考えるでしょう。政治家であれば、誰もが人気と人望を兼ね備えた生き方をしたいでしょうね。出来るかな、出来ないだろう。
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by ayabemorinaga | 2009-04-30 10:37 | その他 | Comments(0)

人徳

アメリカのリ-ダ-シップ論によると、リ-ダ-として欠けてはてはならない資質として状況判断能力、目標設定、目標達成のための方法の確立、行動力などが挙げられている。しかし、それだけでは人は動かない。ひとが動いてくれるためには、もうひとつ人望、人徳がなければならないのである。では人望は習得可能なのか.先賢たちは、人望人徳は学ぶことによって後天的に獲得できるといっている。これは大きい、私たちを勇気付けてくれる。高みを目指してがんばろうという気を持たしてくれる。切磋琢磨して、人を許容できる大きな器になろうと発奮することにより、人徳・人望がおのずと習得できてくるのでしょう。
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by ayabemorinaga | 2009-04-29 17:24 | その他 | Comments(0)

老子と孔子

老子が孔子に向かって,孔子よ、お前には四つの余分なものを身につけている。それは驕気と多欲と態色と淫志だ。驕気とは、俺が俺がといううぬぼれである。多欲とは、あれもこれもト手を出しすぎること、要するに才気に任せて気が多すぎること。態色とは、スタンドプレ-のこと、自分を売り込むために余分なでしゃばり方をする。淫志とは,事に執着しすぎて度が過ぎること。いかに先輩といえどもこれだけやられたらむかっ腹の一つも立ち、猛然と反発し老子をくそみそにやっつけるのが普通の場合だ。そういう拒絶反応が皆無で、謙虚に心の底から老子の言葉を受け入れたそうである。見習いたいと思えども、とてもとても及びもつかぬことだ。有権者の皆様方も一度そのような観点から議員を見られては如何でしょうか。どんな評価がいただけるでしょう。
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by ayabemorinaga | 2009-04-28 15:26 | その他 | Comments(0)

講演小噺

近畿議長会での講演から、政治家の仕事は、国民、または市民に希望を与える。そして希望を実現することであり、それ以上でもそれ以下でもない。国政地方政治にかかわる私も含めて多くの政治家の皆さん方は、国民とともに希望を語り、希望実現に最大限の努力をしているだろうか。金融危機が叫ばれているか゛、日本経済はマスコミが騒ぐほど悪くない。第一外国に対して借金はしていない、企業はアナログ、ハイテク、など技術べ‐スに強い。ただ政治が後手に回っている。2010には回復の兆しが見えるだろう。戦後不況は14回経験している。オイルショック、エネルギー効率化、公害問題、などなどそのたびに付加価値をたかめて前進している。金融危機に対する見通しの確率は素人、専門家も同じである。専門化はテレビに出て誇張して話すために、ほとんどあたらなくなるとか。現在世界の高級品が売れているのは、モスクワ、上海、ムンバイだとか、以前は二ューヨ-ク、東京、ロンドン、などであつた。経済回復はまず中国は8パ-セント成長目指しているし上海万博などがあり、アメリカも変化ガ早い。核シエールタ-の普及はスイス100パ-セント、シンガポール54パーセント、日本は0.02パ-セントであることから日本人ほどリスク感覚に乏しい人間はいないとか。
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by ayabemorinaga | 2009-04-26 10:36 | その他 | Comments(0)

無常

私なんかよく絶対という言葉を使っては反省していますが、人間が絶対という言葉を本当に言い切れるのは死についてだけである。いかなる人にも死は絶対やってくる。日ごろ口にしたり、考えたがらないだけである。死が現実となったときの心の動きは、第一は、死そのものに対する漠然とした不安感がある。第二は、家族や友人を後に残しておく気がかりや悔恨。懐かしい人々と今生の別れをしなければならない哀しさ.第三は、まだやりたいことが残っているという未練。第四は、肉体的苦痛に対する覚悟のほと゛、といわれています。人が死に直面したとき、桜の花がこんなにも美しいものか、日ごろはみすごしていたであろう道端に咲く草花の可憐さ
、山々の青葉の季節の切ないまでのみごとはさ。自然のいとなみのこよなく美しい風景に深く感動を覚えるものである。そして、このような美しいしぜんの営みを来年も見られるだろうか、と、越し方を振り返り哀しいまでの感傷が胸に突き刺さってくる。これが凡人の偽らざる感慨でありましょう。願わくば、花の下にて,われ死なむ、その如月の望月のころ、と読んだ西行法師は、如月の望月のころに死を念頭に、自らの肉体を食べて死に至ったのではないか。すなわち、望月のころに死ぬために。計算をして断食を始めたのではないだろうか.木木が燃え立つ新緑のころ、新茶を喫しての清潔なる終焉も悪くないな。なんて無常の何たるカを知ったようなことを書きましたが、名僧のような境地にはとてもとても。
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by ayabemorinaga | 2009-04-25 10:11 | その他 | Comments(0)

真の友人

こんな友人が本当の友人なんではなかろうか。李白の詩に、両人対酌スレバ,山花開ク,一杯一杯マタ一杯、我ハ酔ウテ眠ラント欲ス、君シバラク去レ、明朝,意アラバ,琴ヲ抱イテ来タレ。俗世間を離れた友人二人が酒を酌み交わし、一杯一杯また一杯、酒の酔いのまわりとともに眠くなってきた。おい君ボツボツ帰らんか、明日また気が向いたら琴を持ってこんか。こんなことが平気で言えるのは、よほど自由縛られない交友である。実にいいではないか。こんな友人がいる人は幸せである。こんなことが言える仲ほどではない人はいるが、私にはこのような好き勝手なことが言える友人はすでにこの世にいない。若い諸君はこのような友人を作ることを今から心がけておかれるのがいいと思う。いかがでしょうか。
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by ayabemorinaga | 2009-04-23 09:56 | その他 | Comments(0)

姿勢

子供は親の背中を見て育つというのは真理でしょう。部下は上司を見ています。しかも、一番難しい局面、大切な局面で上司はどう行動していくかを見ているのです。また、部下は上司の仕事の姿勢をみて仕事をするものなのです。だから部下にあれこれ注文する前に自分の姿勢を正すだけです。そうすれば部下は何も言わずに一所懸命やってくれるものなのです。上司は部下がそのような思いを持って上司を見ていることを肝に銘じておくべきでしょう。しかし、職場によっては、平等の思想が徹底しており、上司をコテンパァ‐に批判をし、上司を上司と思わないぶしつけな態度をとるところもありました。どこまでが受忍義務なのかずいぶん悩んだものです。が-このような職場の雰囲気は10数年前のほろ苦い私の回想です。
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by ayabemorinaga | 2009-04-22 11:07 | その他 | Comments(0)

会議

会議の理想的な形は、いろいろディスカッションしている間に、問題が煮詰まってきて、一つの案が出来る.案が出来上がったら、全員協力して、その案を成功させるためにはどうしたらいいかを協議するところにある。といわれています、しかし、ときには、案を決めるまでの討論と決まった案をものにするための協議との頭の切り替えがうまくいかず混乱することが多い。という文章に出会った。なるほど討論と協議の頭の切り替えが大切なのか。しかし、実際はどこまでが討論でどこからが協議なのかをしっかり仕切ることが大切なのだな。と思ったが間違っているだろうか。
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by ayabemorinaga | 2009-04-19 11:41 | 物部 | Comments(0)

龍には必ず雲が書き添えられている。雲がないと龍は雲烟飛動というわけにはいかない。いうなれば、雲は龍におけるべ‐ルであっり、ペースであって、これがないと龍の面目躍如というわけにはいかない。人間も龍と同じで、自分のぺ‐ス、自分の雲にかくれきって、時々雲間から、ほんのりちょっぴり角を出して見せたり,顎をのぞかせたり,胴の片鱗をちらつかせにとどめ、そこから抜け出さぬのが、一番の韜晦術だそうだ。私の言動などは、龍が褌まではずした格好で余計な事を言ったり、暴れたりしていないか気をつけたいものである。
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by ayabemorinaga | 2009-04-18 08:49 | その他 | Comments(0)

孔子は門人原憲の問いに答えて克・伐・怨・欲を克服することが仁にいたる道であると説いているが、きわめて難しい問題であることも率直に認めている。改めて、克・人に勝ちたがること。伐・自慢したがること.怨・怒り怨むこと。欲・むさぼりほしがること。の四悪徳を日々克服していけるよう自覚したい。世の中のことは、誠がない限り動かすことが出来ない。才能と見識がなければ治めることが出来ない。誠に徹すると、動きも早い。才識あまねく行き渡っていると、その治めるところも広い。才識と誠が一緒になったとき、すべてのことは立派に仕上がるものだ。と幕末熊本の家老であった長岡監物が言っておる。孔子が言っておる四悪徳を日々克服しながら、何事も誠を持って行えば必ず相手にt必ず通ずる。至誠という言葉があるか゛何事にも誠を持って行えば困難なことも解決する。誠を尽くす。こんな姿勢で物事に臨みたいものだ。私も偽善者になってはいけないという自覚は持っている。人からみすかされるような行いをしていないか。日々精進あるのみ。
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by ayabemorinaga | 2009-04-17 16:09 | その他 | Comments(0)