綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

<   2009年 06月 ( 16 )   > この月の画像一覧

玄関

玄という字は、玄齢(歳をとるにしたがって薀蓄をつんだすばらしい人に)
玄関とか,玄人といったいい意味に使われることが多いイ。さて、玄関ですが、初めて訪問して玄関に入ると、なんとなく陰気くさいと感じられる玄関であつて,和気満堂、和気藹々という雰囲気が感じられない家があることがあるが、そんな家の主人はおうおうにして、人相がよろしくないとか。玄関はやはり、きれいにして、来客をいらっしゃいといった気持ちで、迎えるような心配りが、常日頃からおこなわれている事が、大切ではないでしょうか。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-06-30 07:13 | その他 | Comments(0)

文化

文化とは、英語ではカルチャ-すなわち耕すということですが、地方にいってその町の文化の程度を知るには、その町の書店に行けばわかる。というお話を聞いたことがある。その書店に並んでいる書籍の種類によって判断するということなのだろう。何を持ってどのように判断するのかは、大変難しいと考えられるが、なぜかそのようにお聞きしたとき、なるほど、思ったものである。しかし、書店に行ってこの町の文化の程度について、おおよその判断は、なんとなく出来るように思いますが、皆さんのご意見は如何でしょうか。現在は何を尺度に、地方の町の文化の程度を判断されているのでしょうか。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-06-26 06:33 | その他 | Comments(0)

職業学科改編秘話

このことが秘話になるのかはきわめて一般的でないかもしれませんが、本人が改革秘話と思っているのでお許し願いたい。学科改編のために、ある学科主任に、学科改編のプロジェクトをお願いしたいと、校長が言ったら、その学科主任は、私は校長から主任に任命してもらったのではないので、協力できないと拒否された。(当時の職場は、今と違って、すべての主任を職員会議でみんなの投票によって選任し、それを校長が追認するというやり方が普通であると考えられていた。現在は学校管理規則が制定されて、校長が任命する方法に改善されましたが)直属の上司である校長から、依頼をされて拒否をするということが果たして、世間一般に通用することなのか。職員の多くは自分たちは、校長の部下ではないという考えをもっていた。それは、当時は職員会議が最高の議決機関であるという認識からすればそのように考えるのも当然といえば当然かもしれない。現在は職員会議は校長の諮問機関と位置づけられているが。また、そのようなことが通用する組織が正常な組織であると考えられおられる方ないでしょう。そんな組織の中での学科改編がいかに困難を極めるものであったかは、現場を経験したものでなければわからないだろう。そんな組織もあったというお話です。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-06-25 08:18 | その他 | Comments(0)

先見性のある改革

平成二年十月十日に学科改編を行い、校名も石原高校から府立工業高校と改め新しいスタ-トをした。発足当初は、学科内容、施設設備も日本一といわれるほど充実したものであった。札幌で開催された全国工業高校で、発表し百聞は一見にしかず、ぜひ学校に視察に来ていただきたいと、胸を張って発表をした。石原高校の学科内容では、二十一世紀には通用しない。今後は、IT産業が発展するために、それに応えうる新しい学科の創設が緊急の課題であるという、当時の教育長西野先生の考えの下に、約五十億円の予算をつぎ込んでの改革であった。当時二十億あれば普通科高校が一校創設できるといわれていた。情報システム科は現在のパソコン技術を習得する学科として新たに創設したものである。私は十年二十年先を見越して改革をするという発想はすばらしいものである。改革を進めるならば常に十年二十年先を見通した改革が重要ではないかと考える一人です。石原高校改革にかかわる苦労話はおいおいこのブログで紹介をしていきたいと思っています。教育改革をするなら、常に十年先をしっかりと見通した改革をすべきである。小手先のちまちました改革では話にならない。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-06-23 18:07 | その他 | Comments(0)

研修会講師

研修会の講師は、やはり実践を踏まえての講演であることが、聞く立場から言えば、望ましいのではないだろうか。私が管理職研修で府立高校教頭のときに、講師としてこられたのが、教頭経験のない現職校長がいろいろとお話をされるのであるが、経験に基づかない一般論でありてんでに参考にならなかった。また、受講している教頭先生たちも、教頭経験もないのによく講師を引き受けたといった態度ありありであった。どこの職場でもいえることであるが、研修の講師はすぐに役立つ話をしてもらえるのが聞きやすい。そのような講師はなかなか見つからないために、おざなりの機関にお願いして講師を選定しているのが現状ではないだろうか。されど、私は研修会の講師は、すばらしい実践をあげておられる現職の人々を探し出して、講師を選定すべきでないだろうか。何もすばらしい実践をされている方でなくても現職の人の失敗談でもいいのではないか。教育でなくあくまで研修であるのだから、おざなりに研修をしておいたといったやり方では、やらないほうがいいといえば言い過ぎか。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-06-22 19:01 | その他 | Comments(0)

教員退職は

人はいつの日か必ず退職の日を迎えます。いつの日であったか、ある教育長が先生たちの退職の日はどのような送迎式があるのですか。と尋ねられたことがあった。校長先生を含めて退職の日はちょうど春季休暇になっており、ほとんどの先生方は、登校されていない。体育系の先生か、クラブに生徒が少し来ている程度でありますが、送迎式といった行事は組まれておりません。校長で退職の日を迎えた方は、午後五時十五分になったら、事務職員に見送られて下校するのが通例ですね。(ある校長先生なんかは三月三十一日の午後十二時まで学校に残っていて何事もなかれば午後十二時に学校を去られたとか)その程度ですか。大学を出られて二十八年間勤めて、それでは少し寂しいでね。教頭先生によく言っておかなければなりませんな・せめて学校に来ている先生なり、クラブ活動に来ている生徒たちに、見送りをさせなければ。教師の世界は誰かが言わなければ、そのようなことにも気がつかない。ゆえに世間から非常識と揶揄されるのだろう。私は教頭先生がよく気をつけていただき、それなりにありがたい見送りを受けて学校を去ることが出来ましたが。退職という特別の日に人それぞれにいろいろな思いがあったであろう方たちをご苦労様でした。感謝を込めて教員が全員出席をして見送りをするのが礼儀ではないのか。そんな取り組みはなされていないだろうな。あればお聞きしたいものだ。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-06-20 15:55 | その他 | Comments(0)

日本の鐘は日本の仏教が生み出したものといわれているが、この鐘を鳴らすと、あっちへいこう、つまりあの世へいこうというようになるといわれる。英語で言えばgonegoneとなる。これは鐘の音のゴ-ーンと英語のgoneを引っ掛けたものだそうです。これに対してヨ-ロッパの鐘の音はキリスト教が生み出したもので、こっちへ来い、つまりカ-ン、カ-ン、カ‐ムcomeとなり、現世に歩み寄ってきなさいというふうに聞こえるという話です。音ということについて、フランスのロラン・バルトという思想家がこのように言っております。それは、中世は聴覚の時代であった。それに対してわれわれが生きている現代は視覚の時代である。中世の人々は神とか仏の存在を目で見ようとせずに、耳で聞き心で感じようとした。しかし、現代は見えるものだけが存在し、見えないものは存在しないという考え方が出てきた。聴覚によって神秘的なものを感じとる能力の開発のために鐘、チャペルが造られて来たのでしょう。もし皆さん方が視覚か聴覚のいずれか一方を選ばなければならないとしたら、どちらを選ばれるでしょうか。高校生にこの質問をしてみると、二割ぐらいは聴覚を選ぶ人がいるそうです。若い学生諸君の中に耳を選ぶ人間、すなわち神のそば近くありたいと思っている人が二割もいることに感動を覚え同時に勇気付けられる思いがする。私は視覚を選ぶおろかな人間です。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-06-19 16:22 | その他 | Comments(0)

三つの幸せ

三つの幸せのうち、まず最初の幸せは、人からしてもらえる幸せ。赤ん坊の時に大きな声で泣くと母親が、とんできておっぱいを飲ませてくれる幸せ。二つ目は、出来る幸せ。縄跳びが出来る。漢字が書ける。自転車に乗れる。など何かが出来るようになる幸せ。三つ目は、人に何かをしてあげる幸せ。老人に席を譲る。車椅子の人をエスコ-トする。などである。三つのうちもっとも幸せなのは、人にしてあげる幸せである。私たち大人は、出来るときにこそ、多くの人に出来る幸せをしっかりとしてあげなければならない。やがて、老人となり、人からしてもらえる幸せを、かみしめなければならないときが必ず来るのだから。(因果応報の報いが必ずくるでしょうから)
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-06-16 11:06 | その他 | Comments(0)

子育ての心構え

このブログですでに書いてきましたが、まず、我慢の出来る子供(忍耐力)さらに子供には常に愛、信頼、激励、の心で接してやることがなによりも大切なことであります。その上に、それぞれの家庭において、子供を叱る時はどのようなときであるかといった、基準ともいえる視点を親がしっかりと持っていることが望まれます。たとえば、盗み、うそ、暴力といった行為を子供がしたときには、厳しく叱る。それ以外のことはあまり干渉しない態度が、必要なのですが、時に親はその日の気分で子供をしかりつける。人のものを盗み親に見つかった時よりも、新しい服を泥んこにしたときが、たまたま機嫌の悪いときであり、厳しくしかりつけられたり、また、人も物を盗んだときに大きな声で叱りつけ、服を泥んこにして帰っても厳しいことを言わなかったりすると、子供は親の顔色ばかり伺うようになる。親によく似た気分屋の子供として育つでしょう。それぞれの家庭でこともを厳しく叱るときの目安をしっかりと持っていただくことが大切であると思っていますが、如何でしょうか。少なくともそのときの気分で子供を叱ることだけは慎んでいただきたいと思いますが。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-06-15 06:33 | その他 | Comments(0)

校長訓戒

高等学校では、学校教育法施行規則第13条第二項に基づき懲戒のうち、退学停学および訓告の処分は校長がこれを行う。と規定されている。これに基づき生徒指導上問題行動を起こした生徒に対して、校長訓戒を行わなければなりませんが、これがなかなか難しい。くどくど言っても生徒は聞いていない。早く終わってくれといった態度がありありと見える。生徒の心に深くしみこむような言葉を言わなければならない。暴力行為を起こして保護者同伴の訓戒となると、保護者にも生徒にも理解される言い方が要求される。また、同席している生徒指導の先生にも、生徒の説得とはこのようにすべきであるといった参考になる言い方が大切なのである。そのようなことを勘案しながらの訓戒は難しい。私はよく、心のブレ‐キといった言葉で訓戒をしたことが多かった。生徒にブレ‐キの利かない単車に乗るか。と聞くと、怖くて乗れない怪我をする。と答える。じゃ‐ブレ‐キの利かない生徒を持った保護者はどのように思われるだろう。不安で怖くていつもどきどきおろおろと心が休まる気がしないと思います。それではお父さん、お母さんに心配をかけない生徒になるには、、心のブレ―キの利く生徒にならなくてはいけないのではないか。わかりました。なんて神妙なことを言っておるにもかかわらず、二度三度しょうこりもなく、非行を繰り返す生徒もいる。高等学校では、非行といっても一過性のものであり、社会に出れば、そのような生徒ほどしっかりと活躍している人が多い。人間一生の間にはどこかで息抜きが必要であり、高校の時まじめすぎる生徒は、社会に出てから、不法行為をする人もある。人間は、神と動物の中間的存在であるといわれているとおり、環境によって神のような行為もすれば、また、動物に近い行為も行う。人間どこかで一度は、あまり人に言えないような非行行為をするものである。早く非行行為から、卒業するか。遅く卒業するかの違いである。遅く卒業するほど多くの人に迷惑をかけることが多いい。出来るならば高校生、大学生時代に出来るだけ軽い非行という病にかかって、卒業するのがいい。先生方は大変だろうが。なんてことを言ったらお叱りを受けるだろうか。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-06-13 16:08 | その他 | Comments(0)