綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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非情

人間とは愛すべくも哀しき存在である。私たちは高い思想や夢を持つ、努力心もおこす、信仰や惻隠の情もある。が現代に生きる人々は、この惻隠の情が極めて薄い。また、惻隠の情の何たるかも理解していない。人間は人を憎み、怨む。忠誠を尽くすと同時に裏切る。仕事をまじめにやらなければと思いながらも怠けたいと思う。人が出世をすれば祝福もするが心の中では激しい嫉妬心を燃やす。そのように哀しい性を持った人間なのだ。憎む心があるから愛する心も生まれる。親を尊敬すると同時に軽蔑する。疑う心があるから信じることも出来る。そのような哀しい心を持って存在する人間なのだ。人間の抜きがたいそのような性を知りながら、人の道は仁愛に尽きるということをいかに教えていくのか。社会教育の課題ではないか。
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by ayabemorinaga | 2009-08-31 17:37 | 物部 | Comments(0)

貫徹

人生を生きていくうえで、自分の信念に基づいて節を曲げることなくひたすら初心を貫き通すことがどんなに難しいことか。後期高齢者と言われる歳になって、しみじみと感じる。人間と言うものは、誘惑されたり、脅迫されたり、いろいろされると、すぐに心ならぬことも為してしまう。何ものを以ってしても奪うことの出来ないものが根本になければならぬ。人間信念と言う節がなくなると、だらしがなくなってしまうものである。自分の信念を曲げてまで時流におもねることは男子のすることではない。節操のない行動をして名を求めることは男子としてやるべきことではない。もしも自分の信念を曲げて時流におもねるとしたら、一番惨めなのは自分自身ではなかろうか。節を曲げずに一生を生きた明治維新の志士たちをみらなわなければと言う思いが、ひたひたとわが身に迫ってくる。力強く生きようよ。いかなる世の中が到来しても信念に基づいていきたいものだ。現場て働く人々の誇りを失わせるような政治はしてほしくない。ただ自分がしっかりと見極めて選択をしたのであれば、その結果失望するようなことが多くあっても、不満や愚痴は言わないことだ。それは自分の信念に基づいて行動されたのであるから。じっと我慢をするべきだろう。マスコミにだまされたなんて一言も言うべきではない。自分の選択の甘さがあっただけなのだ。
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by ayabemorinaga | 2009-08-30 11:25 | その他 | Comments(0)

人物鑑定眼

出世してあるポストにつく。係長でも課長でも部長でもいい。あるいはヒラであっても年次が進み、後輩がいる立場でもいい。部下がいる立場に立ったとき、部下に対してどのような態度をとり、どのような評価をするかをみる。いわばその人の人物鑑定眼を鑑定する。ゴマすりを重宝する人、仕事の結果だけを評価する人、部下はまったく評価しないで俺が俺がとでしゃばる人、部下の隠された能力を掘り起こし育てようとする人、皆様方はどの部類に入るタイプでか。人物鑑定がしっかり出来る人は、その人もまたしっかりしているということです。石原高校の時、教職員から私は校長の部下ではない。あれこれ指示をされることはない。といって批判されたことがある。そんなときが再びやってくるのだろうか。あなたに心配していただくことではないと、再び批判されそうな気配がするが。お互い批判があるところこそ進歩があり、改革も進むので、それはそれでいいことでありますが。人物評価は難しいですね。否、人を評価するということは、客観的な評価はなかなか出来ない。上司を批判をしたり、上司の言うことに反発したりするひとは、評価が芳しくない。いかに能力があろうとも。そんな人を気骨のある者として評価するといった太っ腹な人は誰一人としていない悲しむべきか、憂うべきか。一度そのような評価をされると。コンピュタに記録され未来永劫誰かが記録を消さない限り残っている。昔は紙に記録したり、記録できにくいことは話として言い伝えることが多かったから、時間がたつにつれて、悪い評価は消えていくこともあった。評価をする人を評価する。しっかりと人物評価が出来ているのか。これが一番大事なことだ。たとえば学校では校長が教職員を評価する。評価した校長は教育委員が評価することになるのだが、ここが一番肝心のところだ。しっかりと教育委員会は校長の評価が出来ているのか。そりゃ教育委員会は校長を任命する立場であるから、しっかりと評価は出来ているといわれるだろう。校長の教職員評価が的確でないとおもってもいったん校長に任命した以上降格することも出来ないから、いかんともしがたいだろうが、だが、中にはクビを傾げたくなるような-------人がといえば、あんたはひねくれていると------、天の声が聞こえそうだ。
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by ayabemorinaga | 2009-08-19 05:50 | その他 | Comments(0)

長所、短所

私の長所はと考えてみるが、さっぱりわからない。ところが短所はといえば気が短い、無愛想、とっつきにくい無遠慮、横柄、ブッキラボウ、などがすぐに思い出される。これは議員としては致命的な欠点である。だが、完全無欠な人間はいない。誰でも長所があると同時に短所がある。大体短所と長所は表裏いったいである。長所は視点を変えれば短所だといえる場合が多い。たとえば、のんびりしておおらかな人柄の人がいる。大人の風格があるという見方をすれば、長所である。だが、それはのろまで歯切れが悪いとも言える。スピードが要求される場面では、長所どころか短所になってしまう。逆にスピ-ドが必要な場面ではきびきびしているということで長所になる。だが、別の場面になると、せかせかしていて余裕がない、ということになる。何が長所で何が短所かはにわかには決めがたいと言われているので、少しはホットしている。どうも長所と短所は、その状況に適合するか否かで云々されることが多い。と考えては如何だろう。しかし、私などは、自分の短所はよくわかっておりながら、わかっちゃいるけど、どうにもならない、いまさら努力を重ねても、すぐに馬脚を現すだけだ開き直っている。何につけても、えらそうに言いながら自分のことになると、言い訳がましいことをいってごまかそうとする、卑劣な人間に成り下がったと卑下しながら生きている。とは寂しいがぎりだ。そのように簡単にあきらめるな命あるがぎり、がんばれと叱られそうな。
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by ayabemorinaga | 2009-08-17 06:18 | その他 | Comments(0)

潔い

潔とはどういうことだろうか。それは、区切り目がきたら、あるいは一区切りついたら、一切自己主張をしないということだ、といえるのではないでしょうか。なかなか凡人には出来ることではない。しかし、日本人には自己主張しないことが魅力となる感性があるようだ。いうべきことをいい、やるべきことはやる。だが、区切り目がきたらパットとのいて何も言わない。弁明も主張もしない。このような姿勢が潔いということであろう。私のやっていることなどは、潔いどころが、どろどろとした魑魅魍魎のような行いばかである。と反省している割には何も変わっていない。そんなことでどうするのだと先祖様に叱られそうである.潔い生き方をもとめて、日常の行動を反省しながらさわやかに生きていこうと思う。でも駄目だろうな。すぐにこのブログで愚痴っている自分をみすかされてしまいそうだ。でもそのような志を持っているということを表明しておきたい。
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by ayabemorinaga | 2009-08-16 07:13 | その他 | Comments(0)

褒める

褒めるということは認めることである。人に認められるということほと゛うれしいことはないそうだ。認められれば誰だって感動し発奮する。しかし褒めるというにもタイミングがある。さほどでないことでも、やたら褒めても相手はしらけるばかりである。しかし、褒めるということほど難しいものはないと、私は考える。子供の長所を認めてやることはわかっていても、なかなか長所をみつけにくい。むしろ欠点ばかりがやたらと目に付くものである。通信簿に長所を褒めて書いてやることの重要さはわかっていたが、どうにもおもいつかづ悪戦苦闘をしたことが思い出される.悪いところばかりが、四六時中めについて褒めるよりも、叱ることばかりが多かった。私の幼少時にほめられるといった経験はほとんどなかった、むしろ叱られてばかり、その幼児体験が身にしみこみ、人の欠点ばかりしか目に付かない悲しい習性となっているのかも。教師失格かもしれない。凡と非凡の別れるところは能力の如何ではない、精神であり感激の問題だ。といわれている。褒められて感激も発奮もしない人間なら、それははじめからのばすに値する長所がないので、その時見捨ててもいいと言われる。さもありなんと、妙に感心している自分がそこにいる。
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by ayabemorinaga | 2009-08-14 08:48 | 教育・学校 | Comments(0)

人間性

人間性とは、なんだろうかという問いかけを生徒にしたことがある。そのとき、喜怒哀楽をはっきりと表すことではないでしょうか。という答えが返ってきた。日本の伝統的な考え方としては、慎ましやかさが大切といったことから、あまり感情表現を露骨にすることは、みっともないともいわれてきた。しかし、喜怒哀楽があってこそ人間なのではないだろうか。うれしいときは喜び、腹が立つときは思い切り怒る。哀しいときは人目もはばからず号泣する。楽しいときは思い切りはしゃぐ、そして何事にもいつまでも、こだわらずにサラリとしていることだ。魅力的な人は例外なしに喜怒哀楽の感情が豊かなものだ。といわれている。さて、たとえ美しい容姿を持って生まれようとも、それに伴うだけの心の美しさがないと幸福な人生は送れないらしい。はきものをきちんとそろえることが大切なのと同じように、毎日心のはきものをしっかり、そろえて生活をすることが求められるのではなかろうか。心のなかには、いろんな思いがごちゃ混ぜになってひしめき合っているでしょう。それをどのようにきっちりと整理するかが大事なのです。常に心のはきものを整理してすっきりとした気持ちで生活をすることです。出来ますか。心のはきものの整理とは喜怒哀楽を折に触れてはっきりと表現することではないでしょうか。とは言うものの私としては,怒り、悲しみはほどほどにしてほしいですね。わかるでしょう。そんな人こそ魅力的な人間性豊かな人であると思いますが。
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by ayabemorinaga | 2009-08-13 07:59 | その他 | Comments(0)

饅頭屋の話

府立工業創立二十周年が来年の十月十日である。府立工業になってはや二十年が過ぎようとしている。現在は進路保障が充実し毎年推薦枠で公立大学に数十名が入学しているらしい。誠に喜ばしいことだ。学科改編の大きな特徴として、無人工場の設立がある。この工場は、製品としては、電気スタンドを製作するのであるが、倉庫に材料が保管されており、倉庫から材料を引き出して、スタンド型取り、研磨等等の工程を経てスタンドの作成、さらに、ハンダ付けをして完成する。これらの工程をすべてコンピュゥタ-システムを操作して、人の手を借りずに製作する工場である。この建設には約二億円が投入された。このシステムの中で、ハンだ付けのところに、不具合か゛発生してなかなかうまくハンだ付けが、出来ないということがあったので、契約会社に点検改善をお願いした。このことを教員が問題視をして騒ぎ始めた。私は、職員会議で、たとえ話として、饅頭屋の親父が、これまでの使っていた機械が古くなったので、最新の機械を導入して饅頭つくりを始めたら、家の者たちが、今回導入した機械は不良品であまりよい饅頭は作れないといっておるのと同じでないか、先生方はすばらしい機械が入りましたこれまでより格段においしい饅頭が作れます。といつた宣伝する立場ではないのか。と言ったらしい。その話が今でも忘れられないと、元教職員が話される。まさに当時としては、どこの工業高校にも設置されていない工場であり日本一の設備であった。この工場をシステム操作出来るための教員の研修派遣にかかわる問題、さらには、不具合のことが広がり、府文教委員会が視察にこられるという事態に発展する。そのことはまた後ほど。
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by ayabemorinaga | 2009-08-12 07:05 | 教育・学校 | Comments(0)

大丈夫

よく孫がこちらが問いかけていることに対して、大丈夫ということをしばしば言う。たとえば、ここで降りても駅までいけるか、といえば、答えとして大丈夫ということがある。果たして孫は大丈夫の意味を理解して言っているのだろうか、と、考えさせられる。大丈夫とは、いかに富貴の快楽をもってしても、その精神を堕落させることは出来ない。いかに貧賤の苦しみをもってしても、その志を変えることは出来ない。いかなる権威や武力を持ってしても屈服させることが出来ない。このような不屈の人を大丈夫という。つまり人に対する尊称なのだ。といわれているが、おそらく孫の使っている大丈夫は、はい、といった感じの返答であり、大丈夫の意味を理解して言葉を使っているとは思えない。若者の言葉遣いについて考えさせられることが多い。
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by ayabemorinaga | 2009-08-10 08:07 | その他 | Comments(0)

自然体験

教訓を垂れて感化しようとしても、容易に感化することは出来ない。しかし、感化しておいて教えると、容易に教え込むことが出来る。といわれておりますが、私のブログなんかまさに、教訓を垂れているばかりで、感化はゼロに等しいと思います。また、友人から、説教は宗教家に任せておけばよい。と、痛烈に批判をされています。でも、性懲りもなく、相変わらずの、説教調が目立ちます。ご寛容のほどを。ドイツの教育哲学者ボルノ-は、教育は人とよい本と自然との出合いーーといっております。都会に住む人は、人とよい本にはめぐり合うことが出来ますが、自然との出会いはなかなか難しいでしょう。都会の子供を田舎に民宿で受け入れ自然とのふれあいを促す制度あると安藤議員より聴きました。田舎のゆったりとした、緑豊かな自然との出会いの中で、子供たちが感化されればすばらしい体験になる。そのような制度を積極的に応援し受け入れることが、私たち田舎に住むものの勤めだという思いが致します。
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by ayabemorinaga | 2009-08-09 08:58 | 教育・学校 | Comments(0)