綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

<   2009年 09月 ( 27 )   > この月の画像一覧

因果応報

私が高等学校で、教職員たちとバトルを繰り返していた。学科改編反対、国旗掲揚反対、学校管理運営規則反対、校務分掌表反対、春季高校生討論集会不参加反対、何でも反対の教職員の皆様方、いかに説得してご理解をいただけるのか、悪戦苦闘の連日のような時期であった。教職員はことごとく、府教委、学校長方針反対、何でこんな苦労をしなければならないのか。なれど教職員にいかに理解をさせ、協力をしていただくのか。これひとえに管理職の力量の問われる日々であった。そんな時に、教職員が森永校長の中上林小学校時代はどうでしたか。と教師仲間に尋ねたそうな。尋ねられた人は、朝礼、職員会議で管理職を困らすような発言をしていましたよ。だから、今その仕返しを教職員からされているのでしょうな。因果応報ですなと宣たそうな。皆さん因果は巡りやがては自分でしたことは、善きにつけ悪しきに付けいずれは自分に跳ね返ってくることを心得て何事もなされるがよい。因果応報という目に見えぬ掟が、厳然と存在していることを知り、自分の行いにはくれぐれも注意して何事もなされるがよい。過去のことを知ろうとすれば、今の自分をみよ。未来を知ろうとすれば、今の自分を見ればわかる。といった理もありますが。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-09-30 12:09 | その他 | Comments(0)

栄光

小人からは、むしろ憎まれたほうがよい。取り入ってこられるよりもましだ.大人からは、むしろ厳しく叱責されたほうがよい。見放されて寛大に扱われるよりましだ。誰でも叱責を受ければ自分の行為が悪くとも、このぐらいのことで、何でそのように言われなければならないのか。とついつい反発をしてしまう。が,大人から、注意、叱責がないのをよいことにして、仕事を怠けているが、それはこの男は使い物にならないと見放されている、ことに気づかなければならない。叱責こそ、自分を鍛えていただいているのだと、感謝の心を抱くだけの、広い心を持つべきだ。見捨てていれば叱責など馬鹿らしくて出来はしない。叱責を受けた皆様、感謝して素直な気持ちで叱責を受けられる、心の余裕を持ち給え。されば何時の日か栄光に輝かん。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-09-29 09:04 | その他 | Comments(0)

世渡り

私が教師時代に清濁併せ呑むという気持ちで、事に当たらなければ何事もうまくいかないといったら、やくざの世界ですか。と冷やかされた。なれど世渡りが上手な人はなにごとにつけても清濁併せ呑むという心意気を持っている人といえそうだ。世渡りではあまり潔癖すぎてはならない。汚れやけがれまで、すべて腹に収めていくだけの度量を持ちたい。人間関係では好き嫌いを感情に出しすぎてならない。どんなタイプの相手でもみな受け入れていくだけの包容力を持ちたい。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-09-28 14:26 | その他 | Comments(0)

組織をまとめるには

孫子の作者孫武のエピーソトについて、王がある日孫武に、あなたの兵法書は全部読んだ.一つ練兵を見せてくれぬかと。承知しました。ならば女たちでも出来るか。出来ます。早速宮中の美女180人を集めて練兵することになった。孫武はまず隊を二つに分けて、王の寵姫二人をそれぞれの隊長に任命して、よいか、右といったら右、左といったら左を向くのだぞと再三説明を繰り返しながら練兵に取りかかった。いざ、太鼓を鳴らして、右向け右と号令をかけても女たちは、ゲラゲラ笑うばかりである。孫武は私の説明が理解しにくかったのであろうと、噛んで含めるように号令を説明してから、再び練兵に取り掛かった。ところが女たちは今度も笑うばかりで、いっこうに号令のとおり動こうとしない。号令はよく理解したはず、そのとおり動かないのは隊長の責任であるといって、孫武は王の寵姫である隊長二人をその場切り捨てた。そして、三度号令をかけると、今度は女たちは整然と動き、しわぶき一つしなかったという。このエピーソトの言わんとしているのは、組織をまとめていくには将たる者には厳しい姿勢が必要であるということ。さらには部下になめられるようでは将になる器ではないと。しかし、厳しすぎても駄目であるし、さりとてなめられるようでも、組織をまとめ切れない。組織の司は、そのさじ加減が難しい。やはり、人の感情に訴え情緒を震えさすような言葉を、投げかけて引き立てることが必要か。組織の司は,人生意気に感じ、人生の偉業なさざらんと血気にはやる有意の人を育て上げる努力をせよ。それこそ、組織の司になった責任ではないか。それを、部下がふてくされたり、腐らせるような指導では、組織の司は失格である。と断言しても過言ではないだろう。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-09-26 18:04 | その他 | Comments(0)

近頃は恥ずかしいという感覚がなくなった人々が、多くなってきたのではないだろうか。それは幼児期から、親に恥ずかしい行為について教えてもらったことがないからだろう。子供の時に、そんなことをして恥ずかしいと思わないのか。といったことさえ親から言われずに成人になったからだ。親たちは、幼児期にこそ、いろんな場面で、恥ずかしい行為をしたときにしっかり、教えなければならない。親自身が恥ずかしい行為の何たるかさえ知らずに大きくなったので、どんな行為が恥ずかしい行為なのかも知らないのではないか。平気で女性のスカ-トの中を盗み取りする男たち、何のためにそんな恥ずかしい行為をするのか理解に苦しむ。家族が世間に顔向けが出来ない。家族がどんなに恥ずかしい思いをしているか。家族どんな迷惑をかけているかということさえ理解できない男たちが増えている。自分の本能のままに後先考えずに行動する心理を理解できない。自己の行為が世間で容認されるのか、されないのかさえもわからない大人が増えている。顔から火の出るような恥ずかしい思いなど、てんでにわかっていないだろう。昔の人は恥を極端に恐れ、恥ずかしい行為をして、家族や世間に迷惑をかけることがないように慎み深く心得ていた。なぜ恥について書き記したかというと、人を教える立場の人が恥も外聞もなく本能の赴くままに行動する浅ましい行為を知ったからである。恥を知れ。と大声で叫びたい。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-09-25 12:24 | その他 | Comments(0)

反省

昼飯屋に行く。遅いではないか。と、飯屋を責める心が起こってくる。こちらがざるだから後回しにして、千五百円の高いてんぷらそばのお客を先に出すのか。悪心が次々と顔を出してくる。凡夫の悲しさは挙げていけば数限りない。実にどうでもいいこと、つまらぬことにこだわって、自分の心を汚している。曽子は、論語の中で吾日に三たび吾が身を省みる。といっている。吾は一日に朝昼夕の三たび自分の言動について反省するという。いずれにしても日に二三度、自分の行為、身の処し方を反省すれば、それだけで大過のない人生を送れるに違いない。ゆえに、日常のいろんなつまらないこ執着し、そのことに振り回されて、心を悩ます私たちは、常に反省をする心がけをしっかりと身に着けていたいものだ。吾心は常に外界の現象にとらわれてつまらぬことに、いらぬ苦労をしている。心を鍛える為の実践として、日に二、三回自分行為、言動、内心の醜いささやきを反省することである。反省は猿でもする、といわれているが、本当の反省は心から沸きいずる清澄な気持ちからでなければ意味がない。うわべっらの反省では反省したことにはならない。さらには反省をした結果、自分の行いがよりよい方向に向かってこそ,真の反省といえるのではないか。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-09-24 14:51 | その他 | Comments(0)

処世の知恵

老子という古典がある。その中にはしたたかな処世の知恵がとかれている。上善水の如し、これは福田赳夫元内閣総理大臣の座右の銘であったと思う。上善とは理想的な生き方、それは水のようなものだ。水は四角い器に入れると四角形になり、丸い器に入れると丸い形になる。相手の出方次第で、いかようにもこちらの態勢を変える柔軟性を持っている。さらには、よく敵に勝つ者は与わずと、このことは出来るだけ、自己主張を抑制し人と事を構えないことだ。世の中には、聡明で洞察力に富んでいながら、死の危険にさらされている人がいる。それは他人を批判しすぎるからである。雄弁で博識がありながら、その身を危うくする人がいるが、それは他人の悪を暴くからである。そなたも保身を考えるならば、くれぐれも自己主張を控えるがよいぞ等。即ち、人と付き合うには、あまり自己主張をして自分の意見をかたくなに主張したりせずに、柔軟に対応するのがよい。また、批判なければ進歩なしなどと強がって、他人を徹底的に批判しないことだ。聖人君子といわれる人でも、たたけば埃が出るものである、無闇に人の触れられたくない過去の恥ずかしい事や、悪事を暴くのもほどほどするがよい。と説く。歳をとれば老子を読んで、人様にあまり嫌がられたり、憎まれたりしないための、処世の知恵をしっかりと学びたい。わかっているわかっている、そんなことより、本を読んで学習したことを、まず日常生活でしっかりと実践しなさいよ、と言う声が、どこからともなく聞こえるようだ。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-09-23 10:40 | その他 | Comments(0)

魂を育む

私はこれまで教師面をして、本物でない自分に対して言わなければならないことを、他人に対して言い続けていたようだ。なぜなら、私は道徳教育に本腰で取り組むことの必要性を折に触れ、時には議会の中でも発言をしてきました。声高に道徳教育の実践を叫ぶ資格が本当に私にあるのか。日常のこれまでの行動を通じても自分にはその資格はないのではないか。しかし、現実には、これまでの立場上道徳教育の実践を訴え続けなければならない。本来の教育のあり方は、第一義的には求道の問題ではないか、これまで私は、教育は子供たちにどのように教えるかという、教育技術の問題であると捉とらまえていました。そのところは全面的に否定は出来ない。小学校ではやはり、いかにわかり易く教えるかという、教育技術の面が多くある。しかしながら本来の教育とは、教えている児童、生徒、学生が自分(教師)の求道姿勢に共鳴してくれることだ。たとえば、読書についても同じで、自分が日々読書に親しんで、あの本は良い本だった、多くのことを教えられたなどと話していたら、子供は読んでみようかなと動機づけられるものだ。動機づけつまり火を点けることが大切だ。教師は常に向上心を忘れないことだ。そして自己の確立に真剣に取り組む姿勢が、何より教師に求められる。太陽は夜が明けてから、昇るのではない。太陽が昇るから,日が明けるのだ。と東井先生はいっておられる。なんとすばらしい自覚ではなかろうか。すさまじいまでの自己求道である。人に対してモノをいうときは、これほどの真剣さが必要なのでは。私などは物知り顔にいろんなことを言ってありますが、そのような厳しい求道の道を究めたのでもなく、多くのことに文章の孫引きをして、したり顔にいっておるさもしい人間なのです。自ら求道を極めてこそ、教え子たちも、そのような教師からは、人間としてのホンモノの魂をはくぐむことが出来るのであろう。教育はなんと言っても教師の姿勢であり、魂が震えるような感動を与える教師でなければならない。教師は、休日にこそ、己の人格を磨くことに精魂を傾ける必要があるのではないか。自己研鑽を重ねてすばらしい教育の実践者になられよ。魂を育む教師となるために。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-09-22 10:08 | 教育・学校 | Comments(0)

管理職登用

私が赴任した当時の高校は、学力、生徒指導等で多くの課題を抱えていた。ゆえに、私の赴任した高校への転勤希望は皆無という状況が続いていた。この状況を打開するには、いろんな課題がある学校であらゆる面で、ごせ苦労をいただいた先生方を管理職に登用するという、誰の目にも見える人事が必要である。(先生方は口では大変立派な意見や見解を講釈されますが、いざ自ら実践、実行されるかというと、皆無であるとは申しませんが、言行不一致の先生方が多い。たとえば、昼働いて、夜学校に来る生徒のためにこそ、自分の持てる指導力を発揮して学力をつけてやろう、といった先生方は、今は知りませんが、以前にはあまり見当たりませんでしたね。物心両面で弱い立場の人のために、といった考えは立派に持っていられるが、実践実行をされたのはあまり見かけなかった。私は悪口を言って言っているつもりは毛頭ありません。批判をしているのです。批判のないところに進歩はないという信念に基づいて、しかし、上記の件は、私の一方的な見解ですから、皆様方から見られますと、誤解があると思いますので、その点容赦ご寛容ひとえにをお願いしたい。)                                        そのために、府教委の教職員課長に、私の赴任した高校で努力をされている先生方をぜひ管理職に登用していただきたい。とお願いをした。その件については、教職員課長、管理部長もよくご理解いただき、ご尽力をしていただいた。私は五年間在職し、その間管理職、指導主事等へ五人の先生方を登用していただくことが出来た。現場で苦労している校長の立場を本当によく理解していただいたと思っている。これも管理職としての人材育成の一つの手立てではなかろうか。と思っているが、皆様方からみれば、それはあなたの慢心ですよ。自慢話はほどほどにしなさいよ。わかりました。以後気をつけます。簡単にわかりましたでは、チョット信用できませんがね。なんておっしゃらないでくださいよ--
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-09-21 07:44 | Comments(0)

管理職の役割

私が市教育委員をしているとき,小中の先生方が、管理職に推薦し府教委に具申するための、口頭試問が毎年夏に教育委員全員と市教委幹部が出席して実施されていた。私の質問はいつも難しいことを尋ねるということで評判になっていたらしい。私は何も先生方を困らせようなんては考えていませんでしたが、先生方の意表をついた質問にも、即答できる先生が頭の回転が速いし、ことにあたっては迅速な判断ができる人であるという考えからである。そのとき、私が質問しようと考えていることを他の教育委員が質問された。あなたは、なぜ、しんどい大変苦労の多い管理職になりたいと考えましたか。という内容であったが、どのような答えが返ってくるか興味津々というところであった。私は、自分で考えているすばらしい学校経営をしてみたい。という返答であった。私はただそれだけですか、それ以外には何もないのですか。と口にでかかったがやめた。また、意地の悪い質問といって嫌われるだけだ。学校経営も大切であるが、管理職の役割に人材を育てるという大切なことがあるのではないか。という思いがあるからである。自分を育ててくれた先輩に感謝し、それに報いるためには、今度は後輩を育てるという考えをしっかりと持ってほしい。管理職になったら、部下をしっかりとすばらしい教育者に育てるという心構えが大事だ。これは何も教育だけの問題ではない。すべての管理職にいえることだ。管理職になったら、後輩をいかに育てていくのかということに日夜腐心すべきである。人材育成に精魂を傾ける。なんとすばらしいことではないか。そんな管理職であることを期待する。
[PR]
by ayabemorinaga | 2009-09-20 09:19 | 教育・学校 | Comments(0)