綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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よき隣人

隣人としての付き合いで何よりも注意しなければならないのは、隣人の生活をかき乱さないことである.用もないのに隣家の縁先で話し込んで、近所となりの人の噂をいろいろと言ったり他人の家の中をじろじろとのぞき込んだり、このことはわかっていても、なぜか興味本位にやるのですね.悲しい人間の性であるなと゜といって許すべき事ではない。他人の生活の事に立ち入って根ほり葉堀り尋ねたりすることも良き隣人としての資格を著しく欠くものである.私たちは日常様々な人間との付き合いで疲れ切っている.自分の家に帰ってさらに隣人とつきあうのは重い負担である.私は良き隣人とは、隣人が存在することを相手に意識させないことではないか.。良き隣人たるには、困ったときにお互いに助けあるという連帯感はしっヵりと持っていなければならない.されど、隣人同士変な競争意識を持ってあれこれと箸のこけたような事までうわさ話をされるのではたまったものではない.お互いに良き隣人たる事を常に心がけるべきではなかろうか。
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by ayabemorinaga | 2009-10-31 17:41 | その他 | Comments(0)

議論のあり方

以前このブログで事実と真実について書いたことがある.今日は、事実と意見について考える.まず、事実と意見を分けて考える必要がある。私たちは日常の議論などで事実と意見をしばしば混同する.たとえば、あの娘は美人だね、といった場合そこには事実以外の個人の意見、判断が入り込んでいる.そのため美人であるか否かを議論しょうとすれば、しばしば意見の不一致が起きる.これに対し、その女性が、二重まぶたであるとか、あるいは身長が150センチ以上であるとか、といった事実に基づいて議論をすれば意見の不一致はおきにくい.私たちは、客観的な議論をする場合は、できるだけ事実に基づく議論をすることが必要である。意見の不一致が起こったとき、人は次のような態度をとると言われている。1,反対の立場の人を非難し、罵倒する態度。2,自分は、そのような考え方は理解できない.と、わからないことを表明する態度。3,わからないから研究してみよう、という研究的な態度。2の態度は、1の態度に比べて、大きな進歩である。しかし、議論を客観的に推し進めていくためには、3の態度をとることがベターである。
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by ayabemorinaga | 2009-10-30 16:26 | その他 | Comments(0)

虫のいどころ

人間同士の付き合いで、この虫のとりあつかいはなかなか大切なものである。なかでもムシの居所というヤツが一番やっかいである。ムシの居所が良かったり悪かったりするのは、たいした理由があるわけでもない.私などはおなかが減ってくると、ムシの居所が大変悪くなる。睡眠不足の時も同じである.そんなときはとめどなく意地悪になって、皮肉や嫌み、毒舌が口をついて出る.相手に反感や憎しみを持っているわけではないのですが、ムシの居所が悪いために、後から思い出すと身の程知らぬ言動に及んでしまうのである.全く何が気にいらなくてぷりぷりしているかわからない人間ほど軽蔑に値するものはない.いずれにしても大きな理由はないのである.わかっていればできる限りムシの居所のいいときに人に会わないと、とんでもない誤解を受けることがある.酒席でこのムシの居所が悪くなれば最悪である.そんなときはホウボウの体で逃げルノが賢明だ。おれば大きな取り返しのつかない失敗をすることになる.ムシの居所が常にいいように心がけるためにも十分睡眠をとり、空腹時には人に会うのはできる限り避けるのが賢明である。
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by ayabemorinaga | 2009-10-29 15:59 | その他 | Comments(0)

イヤなやつ

イヤなやつとは一般的にどのような人間を指すのでしょうか。イヤなやつと悪いやつはどう違うのかな。イヤなやつは、私たちの周りを見まわすだけで十分である。私などは、人から見ればずいぶん無愛想な男である。結構人見知りもするし、人の好き嫌いが激しい。他人の幸福よりも不幸を喜ぶ根性の悪さがある。自分はできるだけ怠けて、人を働かせ、その功を独り占めしたいというズルさと、欲の深さがある。権力者にはなるべく逆らわないで、ときとして進んで権力に媚びようとする卑しさがある。絶えず世の中の動きを眺めていて、できるだバスに乗り遅れまいとする、こすっからいところがある。他人には厳しくて、自分には寛大な、エゴイストの部分が非常に多い、けちで、勘定たかくて、他人の不幸には素知らぬ顔し、自分の不幸は十倍ぐらいに誇張して、いつも不平不満でいる.よくよく考えてみるとイヤやつの条件をことごとく備えている。でも、人間誰でもイヤな部分を具えているのではないか.イヤなやつといわれる条件をことごとく備えているといわれそうな、私から言えば、どこからみても非の打ち所のない人間などというものは魅力を感じないし、そういう人間はある意味でイヤなやつといえるのではないだろうか.私みたいなイヤなやつがいるために、他の人がみないい人にみえてくるという存在意義があるとおもって開き直っている。などと強がりを言っておりますが、わかっているからこそ、そのような欠点をなおすために痛ましい努力はしているのですよ。おしらせ.研修に28日までいきますのでブログはその間お休みをいたします。
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by ayabemorinaga | 2009-10-25 07:34 | その他 | Comments(0)

悪口と友情

人は皆悪口を言いながらいきていますね。人の悪口は言ってはいけないなんて常識ですね。人の悪口を言う人を軽蔑している人がいますね。そんな人こそもっとも意地の悪い悪口を言っている人ではないかと思います。このような人こそ偽善者の見本ですね。ところで私たちは、悪意からのみ人の悪口を言うとは限らないと思います。それどころか悪口が友情の表現である場合がしばしばあります。人間は親しくなればなるほど、相手に対して注文が多くなるのがふつうであり、また当然であります。そして、その注文はときとして悪口の形で表現される。自分にとってどうでもいい人間の悪口などいう興味は全くない。従って友人の悪口には常に耳を傾けるべきであって、あいつは俺の悪口ばかりいってやがるから、もう絶交だなんて早まってはいけない。勿論友情のひとかけらもない、悪意のみに貫かれた悪口も存在しています。世評というのはこの種の悪口である。私は、評判がいい人よりも悪評を一身に背負っている人間に興味があります。ちょっとも、やっとも私はひねくれていますから。あれだけ悪口を言われるのは相当の人物なんだなとおもいこんでしまうから。いつも相手の顔色を見てものをいわなければならないような付き合いはごめんです。悪口が誤解されないで相手に通じる交友こそ、すばらしい付き合いではないか。悪口を言うのも一つの才能である。友情のこもった悪口は、お世辞より難しい。お互いに悪口をいいながらさらに友情が深まるような、そんな交友関係を構築したいものですね。でも至難の業かも。人間ときどき、早とちりして、誤解をすることが多いから。そんな自分勝手な自分がいやになることはありませんか。
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by ayabemorinaga | 2009-10-24 09:56 | その他 | Comments(0)

読書尚友

読書随処浄土という言葉があるそうです。ある禅僧の言葉といわれている。その意味は本を読んでいると、何時どこにおっても極楽浄土にいるような気持ちになるということで、読書楽しみを語った言葉であります。極楽浄土といわれても未だいったことがないので、どのような楽園なんかは知りませんが、なんの悩みも心配もいらない楽しい毎日が過ごせるところなのでしょう。想像でしか実感はできませんが。日ごとに秋が深まっていきます。まさに読書の秋であります。私は読書をすることによって、すばらしい未知の知識が多く得ることができる。さらには、読書することによって、いろんな人生経験を追体験することができます。これはすばらしいことであります。忙しい人ほど暇を作って読書に浸る、この姿勢が豊富な知識を得ることになり、困難な場面で的確な判断を下すことができます。私は、乱読をおすすめします。積ん読でなく、乱読です。乱読のなかから、何回も何回も読みたくなるような一冊の本の出会いがあると思います。読書の中から得られる知識は先人のすばらしい知恵がたくさんあります。読書三昧の日々が過ごせる人は幸せな人だと思います。読書によって人生いかに生きるかの知識を授かってください。
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by ayabemorinaga | 2009-10-23 07:50 | その他 | Comments(0)

生き方

我々は皆それぞれに功利的な存在なのだ。みな自分が一番大切、自分の利益は何よりも他人の利益に優先する。正義感も道徳もすべて人間の功利性を肯定した上で、なお余裕があるならば、そこで何が正義か、何が道徳的かということを考えるべきで、自分の功利性も他人の功利性も否定しておいて、さあ、これが正義でございますといっても何も始まらぬ。不満と憤りがのこるだけ。我々はだれも一番自分かかわいいのだ。だから自分の功利性を満たすためには、他人の功利性を認めながらでなければ、誰も人がついてこない。このことを理解しなければ、人は成功しない。私たちは、人間通にならなければいけない。虚栄心もあれば嫉妬心もある愛しい人間を、どこまで理解できるかしっかりと見極めながら、ぼちぼちと世間を渡らなければいけないのではなかろうか。
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by ayabemorinaga | 2009-10-22 16:54 | その他 | Comments(0)

日本語を何よりも

私たちは、日本人であります。だから、いろんな文章を書くときでも、しっかりと日本語で書くべきではないでしょうか。近頃、研修会に行っても、やたらと横文字の文章や言語を使われる方が多いのですが。学者といわれる人がやたら横文字をつかわれることが多いような気がする。外国で論文を発表されるのなら当然であるが。日本語に翻訳できない言葉は外来語のカタカナ表示も仕方がないと思います。今日も企業の報告会に参加していたのですが、やたらと外来語の横文字を使って話されるのには、少々うんざりとしました。母国語を大切にする。できうる限り日本語に翻訳して話したり書いたりしていただきたいと思っているのは私ぐらいでしょうか。このようなことを言いながらも私も横文字を並べていることがありますから、反省もしなければならないと思っています。日本人だからこそ、日本語を使って書いたり話したりしすることが必要であります。こんな状況では、やがてどこの国の言葉かわからない、言語が氾濫するのではないかと思うとぞっとします。皆さんはいかがお考えですか。私は21世紀に生きる人々は日本語以外に一ヵ国語を習得することは、21世紀に生きる人々の教養の一つであり、常識となることでしょう。
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by ayabemorinaga | 2009-10-21 19:55 | その他 | Comments(0)

平均的読者像

故阿部真之助氏に、学生が、東京日日新聞は、読者のどの辺のところを腰だめにして新聞を作っていられるのですか.と聞いたところ、すると、阿部さんは、義務教育の小学校六年卒プラス人生経験十年の読解力。とでは、朝日新聞は、うん、まあ、中学校一年中退ブラス人生経験十年。当時は、中学校への進学率が十パァセントであったころである。現代では、それぞれの新聞社が、読者のどの程度の読解力を中心にすえて新聞づくりを行っているのであろうか。以前は、どんな、新聞を購読しているかで、読者の知的レベルがおよそ判断できたのではないだろうか。それでは現代は、それぞれの新聞社が読者の読解力レベルをどのように把握して新聞づくりを行っているのだろうか。じゃ-あなたは、どのような読解力を持った人がブログを見ていられるか、考えて書いているのですか。なんて、おっしゃられても、そんな高尚なことが書いてあるのではありませんから、ただただ漫然と、だらだらと書いているだけです。ところで人生経験十年の読解力とは、何かといわれてもチョット即答が出来ません。皆さんで判断してください。
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by ayabemorinaga | 2009-10-19 09:19 | その他 | Comments(0)

ホメ言葉は何か

新聞記者には、ホメ戦術というものがあるらしい。インタビュ-のコツらしい。それは,一に盆栽、二に掛け軸、三に子供、この三つだという。たとえば、ある家に新聞記者が訪問して、名詞を出すと、その家の主は、何事ならんと、いささか警戒気味に構えるという。そのときに、ふと、横を見て盆栽があると、結構な盆栽ですな。応接間に通されれば、結構な軸ですな。誰の作ですかなんて野暮なことは聴かない。間違えればこちらの無知をさらけ出すことになるから、主からいろいろとせっめいをしていただき、今日は眼福を得ました。なんていっているところへ子供が母親についてやってくる。かわいい坊ちゃんですね.将をいんとすればまず馬をいよ。といわれているように、間接話法でお世辞を言うことが何ことでもうまくことが運べるということです。ほめるということはお世辞を言うことである。お世辞を聴いて気を悪くするものは誰もいない。今の新聞記者はどんなホメ戦術を使っていられるのかな。そんな回りくどいことはせずズバリと本題に入いられるのだろうか。私たちも、知らない御うちに訪問したときは、家の人に怪訝な眼差しで見られることがある。そのときには、何かホメ言葉を見つけて、お話をすればたちまち意思疎通が出来るのではなかろうか。はてさて、何をホメ言葉にすればいいのだろうか。宿題ですな。
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by ayabemorinaga | 2009-10-18 07:14 | その他 | Comments(0)