綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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削減

一利を興すは一害を除くにしかず、という言葉があります。たとえば、日本でも、やたらと委員会をつくりたがる傾向が、どのような職場にも有ります。特に行政は委員会好きというのか、何かと言えば委員会を作ります。こんなエピソ—トあります。アメリカで当時委員会がめちゃくちゃに増えて、さすがに委員会好きであった元大統領ニクソンも音を上げてこれに大ナタを振るうことになったそうです。そこでブレーンたちにどう整理するかの具体策を練らせたところ、帰ってきた答申は、委員会を整理するための委員会を作るべきである。ということだったそうです。うそみたいなホンとの話であるとか。何か一つの事業を興すためには、既存の事業の一つを削ることが必要であるが既存の事業を削ることのいかに難しいかと言うことであります。今の国の予算編成をみていても、子供手当、高校授業無料化などのを創設するのならば、之までの既存の施策を何か削る必要が有るのですが、削ることの難しさを今政府が行っている事業仕分けをみていてもわかるでしょう。一つの事を興せば、必ず一つの事を減らすことをしなければならない。事業を増やすことはたやすいが削ることのいかに難しいか。一つ増やせば一つ削ると言うことを実行するのが行政を任されている者のつとめと心得なければならないだろう。されど、いかに削ることの難しい事か。
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by ayabemorinaga | 2009-11-30 07:40 | その他 | Comments(0)

ジャナりズムの見識

デモクラシ一とは、すべてを通して、その最良最賢なる人々の指導の下に、すべての人々の進歩をはかることである。これほど明確なデモクラシ一を規定した言葉はない。可能性のある指導者の足をひっぱる短所が、現代社会に強くあらわれはじめている。そのひとつは、個人の私生活や過去が瞬時にして暴露されることである。これは真の脅威となるもので゜す。ジャ-ナリズムは大衆の中におらねばならぬ事は言うまでもありません。しかし、そのことはジャ-ナリズムが大衆の中に埋没して良いと言うことではありません。権力に媚びざる事は勿論大切ですが、大衆に媚びざる事はもっと大切です。ジャ—ナリズムが見識を失って大衆に媚び始めますと、活字はたちまち凶器に変じます。マスコミの本質は何か。というと、良き意味おけるオポチュニズムとセンセ—シヨナリズ厶、ともするとこれが悪い意味に転化しがちなのが今のマスコミではないか。国民はマスコミを批判できるだけの識見を身につけルべきであるが、悲しいかな情報を入手するすべを持たない。否あまりにも多くの情報が流されるので、その真偽の選択すら難しくなっている。多くの情報から何が真実かを取捨選択する能力が今国民に求められている。以前どこの局のマスコミであったか忘れたが我々マスコミの力で政権交代をさせるのだとうそぶいていた局長がいた。思い上がりもここまでくればと、唖然とするとともにゾットする恐ろしさを感じた。私は政治には優秀な人材が現代社会のなかで今ほど求められている時はないと考えている。ところが、マスコミが゛可能性のある指導者の足をひっぱるような傾向になりつつあるのではないかと憂う者である。
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by ayabemorinaga | 2009-11-29 08:28 | その他 | Comments(0)

表意文字

漢字は表意文字であり、ひらがなは表音文字であることはご存じであると思います。漢字は表意文字でありますから、その意味するところをしっかりと理解した上で使わなければならない。たとえば活きる、生きるはどのような意味が含まれているのか。生きるというのは飲んで食べて、寝て、排泄するという生理的な生き方でイヌでもネコでもやっている。そうではなくて、心をつかって思考し、人間らしく生きるのが活きるということです。人間は肉体をもっていますから生もしますが、精神をつかって生きているから活もしています。重点は活きに有るのです。世間では生という肉体的、物質的な面に重点が置かれて活きのほうがお粗末に扱われています。なぜか、明治以降の人間の生き方は物質文明、機械文明に重点が置かれて発展してきました。太平洋戦争で頓挫はしましたが、再び、高度成長を歴てバブル景気に酔いしれた。人間いいときは自分の実力と思い、反省もしなければ自己啓発もし無い。自己過信に陥ります。だが、バブルがはじけて景気が悪くなったとたん、自分の力のなさ、程度の低さをしみじみと思い知らされるのです。そこで露呈するのは心の弱さです。そんなときこそ、積極を心がけることが重要です。すなわち、思考は言葉として表現され、行動によって具体化します。その行動がうまくいけばうれしいし、悪くいけばしゃくに障ります。その状態の気持ちが感情です。私たちは、思考、言葉、行動、感情で生きています。積極的な思考、積極的な言葉、積極的な行動、積極的な感情を持つことです。人間は馬のように走れない、鳥のごとく大空を飛ぶこともできない、されど、優れた大脳を持っています。この優れた大脳を積極的にかっようして、豊かな、社会を構築しなければなりません。そのためにも、何事も積極的に取り組む姿勢が必要なのでは無いかと考えている昨今です。
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by ayabemorinaga | 2009-11-28 08:51 | その他 | Comments(0)

あこや貝は、自分の体内に入った異物の痛みを和らげるために、それを包む成分を出している内に真珠ができるという。人間はそのことを偶然発見して、あこや貝の体内に核を入れて真珠を作らせることを考えた。私たちも、辛い事困っていることなどがあるとそれから逃れようとして努力することによって知恵がつく。あるいは解決能力を身につけることが有る。人間誰しも幸せそうに見えるが、話してみると、それなりにみんなが何か悩み事を持っているものだ。大切なことは、それから逃げないで、それを乗り越えるための努力をしたり、解決を導くことによって、知恵という真珠ができるのではないか。ただ痛い、痛い、とこぼしていると、何時までも心の中に入った砂つぶは元のままで、痛みを作り続ける。痛みから逃れるための知恵をしっかりと身につけるこだ。困難に立ち向かうことによって、勇気と自信が培われるのではないか。私などは、山中鹿之助のように、三日月に向かって、願わくば、我に七難八苦を与えたまえ。なんて祈るような勇気も元気も有りませんが。
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by ayabemorinaga | 2009-11-27 07:13 | その他 | Comments(0)

人間である私たちは,いつの間にか自分を中心に物事を考え、組み立てる習性ができてしまった。仏教経典にも六つの貪りが有ると言っている。さらに四苦八苦の苦しみが有るとも言っている。そのために,苦しまなければならない。私たちは自分で原因をつくり自分で苦しんでいる。そのような自分から逃れるためには,不怒無我、不欲無我、不恨無我、不悲無我、不妬無我、不因無我、我無ければ怒らず、我無ければ欲張らず、我無ければ恨まず、我無ければ悲しまず、我無ければ妬まず、我無ければ囚われず、ではなかろうか。世の中で一番身近で、一番大切なのは自分である。だが、自分中心に、自分本位に物事を考えると、結果的に苦しまなければならないのは自分である。常に相手の立場になって考えることが大切であるといいながらも、本当の事は何もわかっていない。自分が悲しい。私なんか日常できもしないことを安請け合いして苦しんでいます。即天去私の境地にはいつの日にか達せん。なんて。
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by ayabemorinaga | 2009-11-26 07:19 | その他 | Comments(0)

聖という字は良くできている。耳が大きく口が小さい。確かに聖人といわれる人は,余りしゃべらない人が多いそうだ。人の話をよく聞いて自分は必要以上に話さない。どうも私たちは,日頃耳をもっと使って,口は少し休ませるのが良いのではないか。このように申し上げている私などは人の話の半分も聞かずにしゃべろうとする。ひどいときは人の話を遮ってしゃべり出す。全く言うこととすることが正反対な男である。口は禍の門,舌は禍の根、口と財布はしめるが得、口とふんどしは固く締めよ。とも言われている。私たちはしゃべらなくてもいいことを話して損をしている。いくら格好いいことや,実行もしないことをペラペラ話しても,だも信じてくれない。口は一つだが,耳は二つある。人の話をしっかりと聞く姿勢が肝心である。自然の摂理から考えても聞き上手になることが何より大切だ。実行、実行。私などは一言余分なことをい言っては人に嫌われている。やっかいな人間です。言葉は心なり、ことばはこころの足音、心清ければ,声また香し
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by ayabemorinaga | 2009-11-25 07:08 | その他 | Comments(0)

ぬるま湯

蛙を使ってこんな実験をした人がいる。蛙を最初は水の中に入れてじょじょに暖めていれば,蛙はぬるま湯に浸って逃げたす機会を失い死んでしまうが、いきなり熱湯の中にほぅりこむと,熱さに耐えかねて飛び上がって逃げた゛し助かるそうな。これを人間に当てはめればどうなるのか。ぬるま湯に浸っていい湯だなぁ~なんてのんきなことを言っておると,チャンスを失いとんでもない結果になる。恐ろしいのはぬるま湯に浸かっているという感覚さえないことである。人間悲しいかな。どれがぬるま湯なのかさえもわからない環境に置かれることがある。いつも熱湯のなかに入るのだといった感覚を持って事に当たらなければならないだろう。常在戦場とは選挙の洗礼を受けなければならない議員に言われる言葉であるが,此の言葉の意味は奥深いものがある。政治家は常に今私はぬるま湯に浸かっていないだろうかと厳しく自己を点検しながら日々精進をしなければ,ぬるま湯の蛙になってしまうだろう。
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by ayabemorinaga | 2009-11-24 08:01 | その他 | Comments(0)

悲しき性

人間というものは,おかしな習性を持っていると言えば,お叱りを受けるかな。それは,何事につけても人と比較することである。それによって幸せになるのならいいのであるが,それが全く逆な場合が多いのではないか。隣の家が車を買った、くやしい-隣の車のほうが大きいわ、ぜいたくな~隣のご主人課長なのに、うちの主人はまだ係長だヮ隣とは仲が悪くなりにけり,隣が家をたてしころから-とか,やれ嬉し隣の倉が売られ行く。ついつい気にしないつもりでも、秋深し隣は何をする人ぞと芭蕉が俳句に詠んでいる。とかく近所隣はお互いに競争意識が有りすぎて、それをついつい口にして,家の中でも口論となる。隣は隣、我が家は我が家と思いつつも,常に隣が気になって仕方がない。むこう三軒両隣なんて言われながらも,心の中では競争意識をむき出しにして,にらみ合っているノではあまりにも哀れではなかろうか。人と比較して不幸になるなんてわびしき限りだ。もっともっと、広い心でお互いが助け合う精神を涵養したいものですね。
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by ayabemorinaga | 2009-11-23 08:46 | その他 | Comments(0)

法則

エントロビ一法則によると広い宇宙を含めて、すべてのものはできあがった瞬間から、崩壊へと向かっていく。時計は工場で完成した瞬間から、故障、そして消滅へと、背広は、仕上がったとたんではなく、繊維がおられた瞬間から、色はあせる方向へと向かう。人間も同じである。生まれた瞬間から消滅すなわち死に向かって歩み始める。私たちも此の法則から逃れることはできないが、多少抵抗することは可能である。ようやく築いた人間関係も、維持する努力をしなければ、あうは別れのはじめなり、のことばがそばで出番を待っている。恋人も、手に入れた瞬間らありがたみが薄れていく。あばたもえくぼから、えくぼもあばたに変わっていく。エントロビ-の法則から逃れる事はできないが、少しでも消滅をしないための手入れというか、努力をすることが必要ではないか。平家物語の冒頭の言葉が思い出される。祇園精舎の鐘の音に、おごるなかれ人々よ。と誰が大声で叫んでいる。人の命が永遠でないことを自覚すれば,人皆社会のために何かを奉仕することの大切さを自覚して,それぞれの場で努力をしながら生きようではないか。
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by ayabemorinaga | 2009-11-22 16:56 | 物部 | Comments(0)

忍耐

有難うという字はおもしろい。難が有ってどうしてありがたいのか。困難を与えられて、それを乗り切ることによって,大きな勇気と力がつくからなのだろうか。困難に関することば、考え方はたくさんある。順境は人を殺し,逆境は人を生かす。もその一つ、鮎は,大きい鮎になるためには激流にはいらなければならないそうだ。湖で大鮎になれない。激流に入ってもまれてこそ,大鮎になることができる。若い頃の苦労は買ってでもしろ,といわれる。若いときの苦労は耐えられるが、----とってからの苦労は耐え難い。しかし人間だれしも,なるだけ苦労はしたくないと考える甘さがある。苦労した人が必ずしも、立派に育つとは考えられない。苦労をしているときの考え方によって、人としての一生が左右されるのだ。困難に耐えながら,今に見ていろ、という気迫と気概が有るかどうかが分かれ道だ。そのためにも幼いときから忍耐力をしっかりと身につけさせることである。世の中は,忍耐、忍耐、じっと耐えれるだけの気力体力を。なんて、あんた、そんなこといえる資格があるの-と誰かがこころの中で笑っている姿が目に見えるようだ。ないと思うな,運と災難、人の行く裏に道あり、花の山
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by ayabemorinaga | 2009-11-21 08:35 | その他 | Comments(0)