綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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今、何を教えるべきか。

学校教育も家庭教育も社会教育も全部ひっくるめて、教育というのは人を作ることだと想います.どんな人をつくるのかと言えば、立派な人を作る事につきる.教育基本法第一条に、教育の目的人格の完成を目指し云々と書かれているが、非常に抽象的な説明に終わっている.立派な人とは単なる知識の百科事典ではなくて、知、徳、体、情を兼ね具えた人と言えばいいのではないか.戦後の教育結果、権利と要求、というか欲望だけが突出した人を作ってしまい、なにか事件が明るみにでそうになると、まず隠そうとする、隠しきれなくなると責任逃れに終始する.最近新聞紙面を賑わしているのは、戦後教育の欠陥がもろに出ているのではないか.教育に携わったものとしては、忸怩たるおもいである。学校現場における心の教育の不徹底に由来するものだ.道徳教育と言えば、なぜか戦後教育を受けて育った人たちは、何となく抵抗が有るようだ。日本の教育は基本的なところで間違っていたのではないか.正しい心、心が正しくなかったら何をしても成果が上がらない.今こそ教育現場で、徹底した心の教育が実践されるときではないか。基礎教育と言われる小中学校に於いて。
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by ayabemorinaga | 2010-01-30 09:33 | その他 | Comments(0)

人事闘争

当時の時代背景について少し説明をしておこう.昭和53年に七期28年にわたって続いた、法螺貝革新府政から、保守系の林知事に代わった.法螺貝革新府政では、御三家と言われる選挙マシンは、医師会、自治労、京教組であった。選挙になれば、紙爆弾とも言われる膨大なビラを各戸に配りきることが出来たのも、この御三家と言われる活動によって達成することが出来た.京都府教育委員会は、西の文部省といわれる独自の教育政策を実施していた.高校三原則と言われる、地域性、総合性、男女共学である。また、15のはるは泣かせないと言ったスロ—ガンを掲げて高校全入運動を展開していた。
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by ayabemorinaga | 2010-01-27 18:16 | その他 | Comments(0)

人事闘争

昭和59年三月石谷高校では、校長、副校長が定年退職をし、その後任に任命された森本俊太郎は、府教委にて石谷高校校長辞令をうけて、真っ白な敷布に覆われた校長のいすに腰掛けていると、西山教育長から電話がかかってきた.校長としての気分はいかがですか、しっかりとお願いいたします。これは、西山教育長の緊張した気分をほぐしてやろうという親心なのだろう。しっかりと校長職を勤めます。と受話器に対しておじきをした。瞬間、扉が開いて、杉山事務員がお茶を運んできた.ご苦労様でございます.私杉山と申します.よろしくお願いいたします.と言って含み笑ったように、森本は思った.これは後からわかることであるが、大変なところに着られましたね。大丈夫ですか。と言うひにくまじりの笑いであるったようだ。午後には、石谷分会三役があいさつがてら、何の連絡もなくやってきた。分会長永原は慇懃無礼を絵に描いたような男で、無愛想に校長の顔をじろりと一瞥しながら、組合活動にご理解を賜りたい.と言って挨拶をした。書記長の山中は、はげ上がった頭をなでながら分会交渉には誠実に対応していただ゜きたい。と言ってにやりと笑った。石谷分会は府立高教組のなかでも、屈指の組合活動の盛んな分会である。
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by ayabemorinaga | 2010-01-26 09:54 | その他 | Comments(0)

言葉

現職時代に私の同僚が、高校の副校長から、小学校校長に転出したとき、何が困ったかと言えば、話の内容であった.どのような言葉を使えば、小学校一年生から、六年生が話の内容を理解してくれるのか.大変悩まれたそうだ。まあ、二年間の在職で高校長に帰ってこられたが、難しい言葉を優しく万人に伝えることが出来るのが、本当の話なのかもしれない.近頃やたらと横文字が多い.私などはさっぱりわからない言葉が氾濫している.わかりやすい日本語というものはないのかな。本来日本に無いものは、横文字の外来語でも致し方がないが.言葉はどのようにして出来たのだろうか.はじめに言葉ありき。と言われてもこまる.世界各地に異なった言葉がどのような過程を経て出来てきたのだろうか.言葉の起源について、誰か教えていただきたいものだ。
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by ayabemorinaga | 2010-01-07 15:42 | その他 | Comments(0)

自省

事業を成功させ、功績をたてるのは、たいてい素直で機転の利く人物だ.事業を失敗させ、みすみすチャンスを逸するのは、決まって強情で融通の利かぬ人間だ.年をとるに従って強情で融通が利かなくなる.どうしても自説にこだわって、人の意見を聞こうとしない.その傾向が現れたら早々と引退する二限る.人にいやがられていることを知らずに大口をたたいて愚図愚図していると大恥をかくことになる.と我がこととして反省していますが、そのように言っておるわりには、反省らしきものが見えてこないとおもわれているでしょうな。
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by ayabemorinaga | 2010-01-06 17:23 | その他 | Comments(0)

議員は政策を語れ

施策と政策は同じように考えられがちであるが、大きな違いがある.施策とは一方的に、恵みを施すための策であって、明らかに昔に使われた言葉である。しかし、現在でも、実施すべき対策、事務処理の手法として用いられ、行政指導もこの一種に数えられ、しゅとして執行過程のもんだいとしてとらえられている.政策とは自らの選択と想像力をを発揮して、将来の地方自治のあり方、産業振興等の展望を掲げ、是が為に何を行うべきかを具体的に選択し、自らの希望、夢に結びつける、いわばこれからの地方分権の具体的な理想図と言って良いでしょう。是までの市町村の行政は国の指導(補助金制度等)による施策のみに熱中し、自らの自治体の政策を論ずることは少なく形骸化の傾向を強めてきた.政策論の無い地方自治体にどんな夢があり希望があるのだろうか.議員は積極的に政策提案を行い、住民に夢と希望を与えるための努力すべきであると言う思いが胸をよぎる。
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by ayabemorinaga | 2010-01-05 12:24 | その他 | Comments(0)

年頭あいさつ

新年あけましておめでとうございます。さて、あいつはいいやつだけれど人望がない。みんながついて行かないんじゃないかな.彼が長だったら、俺は降りるよ.彼は人望が無いからね.縄のれんをくぐるとそんな声が必ずきこえてきますね。人望、人徳、誠に曰く言いがたく、説明にまります。組織の中で自分の提案が了承され、生かされていくためには、アイデアだけでなく、円満な人格、や、万人を引き込む心の大きさが要求される.日本の社会で生きていく限り、この要素は無視出来ないと思います.人を指導する場合には、いろいろな価値観を持っている個々人をまとめグル-プとして共通目的の下、行動をすることが出来なければ、リ—ダ—失格である.だから人々の上に立って仕事をするためには、どうしても人望を得、人徳を備えなければならないと思います。     ところで、世の中にはこんな声も有ります.なるほどいい人だね.申し分ない。でもねえーちょっと頼りない気がするよ.あの人は神棚にマッツテおくのはいいが、修羅場で指揮を執るのは役不足だよ。とか、私たちの知らないところで、評価されているのです.人間は自分を理解してくれる人のためならば、しゃかりき力を発揮して、超過労働だとか勤務時間等は問題にしない.人間は仕事がしたい、自分の能力を発揮して存在感を示したい。だから、それを理解してくれないリ-ダ—には不満を爆発させる。陰で非難をする.能力がないので力で押さえつける上司には、部下は面従腹背ということがおこるのです.表面ではごもっともです.としおらしく聞いているが、心の中では、少しも現場がわかっていないくせに、ご託を並べやがって、ならばじぶんでやってみろ、と反発されていることを忘れないでいただきたい.部下は、上司に能力が有るかどうかしっかりと見極めている.このことから能力と人望をかね具えていなければ、人は使いこなせないのだという事を自覚していただきたい.是非、能力と人望を兼ね具えるための自己研鑽をしっかりと胸におさめて、今年もそれぞれの部署にて、幹部の皆様方を中心に職員一体となって、市民の皆様方の信頼に応えるためにご尽力を賜りますようお願い申し上げ、年頭のご挨拶といたします.本日の仕事始めに当たり、市の職員のみなさま方への挨拶の全文でございます.是非ブログに書いていただきたいと言うご要望が有りましたので書きました.
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by ayabemorinaga | 2010-01-04 17:02 | Comments(0)

信仰とは

瀬島が極限状態を意識したのは、七ヶ月の独房生活であった。ある日何の理由もなく、引っ張り出されて独房に投げ込まれた.ガチャリと鉄の扉の閉まる音。それは、人間の心を押しひしぎ、地獄のそこに蹴落とされるような音だった。周囲の房からは物音ひとつ聞こえない.骨をかむような孤独に耐えかねた瀬島は両拳で灰色の壁をたたいてみた.勿論、何の反応もない.瀬島は散歩に出されたときに、看守の目を盗んで拾った石かけらを使い、灰色の壁に観音像を刻みつけ、一心不乱に観音経を唱えた.そうするよりほかに孤独な魂を支えてくれるものは何も無かった。瀬島は、人に説明してもわかってもらえないだろうが、発狂しないで、こうして帰ってこられたのも、観音経のおかげです。と告白している.信仰とは我々の目に見えないものを信ずることである.信ずる者は救われる.精神的な苦痛から救われたいと思うなら、まず信仰からはじめよ.日本人に何を信仰されていますか、と、尋ねると何も信仰していない.無信仰論者が多いと言われている.それほど、せっぱっまった生活をしている人が少ないという事なのか.精神的なゆとりが有るのか.神の存在を否定しているのか.信仰の対象が見つからないのか.一神教ではなく、神を拝めば、仏も拝む.融通無碍の人間なのか、日本人は.それぞれか若いときから信仰心をもっことはいいことではないのか.いつかは信仰によって救われることも有るであろう。
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by ayabemorinaga | 2010-01-03 12:01 | Comments(0)

いかなる修行をすべきか

広大な黄河から洪水を防ぐために一カ所に堤防を築くとそこは収まっても大雨が降れば必ず下流の反対側の堤防が決壊する.いくら人力を尽くして堤防を築いてもいたちごっこだと,わかったとき漢民族は,水に抵抗しないで,水を自然に流す,と言う方法を思いついた。つまり,黄河が氾濫して出来た水路に沿って堤防をきずいていった.そうすると水はゆっくり適くことになり,その姿がいかにも快適である.と言うのでそれを悠々自適と表現した.そこから、水に逆らわず,水を遊ばせる。という東洋民族独特の思想が形成された。その水がゆったりと遊ぶように,学問にゆったりと遊ぶ,遊学という言葉がうまれた。座禅することが一番安楽な生き方だ。座禅が楽しくてしようがない。と言う意味で遊戯三昧とも言う。要するに内に養うところが有れば,どことなく潤いがあって,面に現れ、背に溢れる、このふくみ、落ち着き、うまみを薀藉という.我未だ悠々自適足らず薀藉に至らず、いずれの日にか、そこまで到達せんがために、日々修養のみか。
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by ayabemorinaga | 2010-01-02 11:43 | Comments(0)

最高道徳

新年あけましておめでとうございます.皆様方には、それぞれのご家庭で輝かしき新春をお迎えのこととお慶び申し上げます.本年も皆様方に健康で健やかな日々を、そして何より幸多き年であることをご祈念申し上げます。シベリアへいくまでは私は軍の世界しか知りませんでした.人間はイコール階級であり,階級が上の人は,それだけ人格も上だとかんがえて、一度も疑問を持ったことがありませんでした.それがロシアの捕虜となって、階級を剥奪され,全員同じように扱われたとき,人間の本当の価値がわかりました.一番最高の道徳とは何か、それは無私に徹して,世のため、人のために尽くすことだと思いました.自分自身が腹ぺこでも,病人の人が出たら,食べ物をわけてやる.課せられた仕事のノルマも手伝う.そんなことは今のような恵まれた環境ならさほど難しい事はないが,あのシベリヤでのどん底の時代では、やはり,価値ある人物でないと出来ない事なのです.私自身も幾度となく助けられたし,逆に助けたことも有ります。と、瀬島氏は告白されている。シベリアでは、人間としてみてはならぬもの、してはならぬ事もやらねば生きていけない地獄の生活であったと言われている.人間も生命の極限状態の中では,生きるために,どんな汚いこと,悪いこともやる.人間を信じろと言われても,とうてい信じることが出来ぬ行為を何の自己嫌悪を感じることもなく平気でやる。それが極限の状態に置かれた人間の情けない行為なのだろうが、そんな中で無私に徹して人のため世のために尽くすという精神こそ、本当の人間の値打ちなのだろう。無私に徹して人のため世のために尽くす。そんな生き方を真剣に考えながら少しでも実践できるよう肝に銘じ、新年の抱負として歩んでいきたい。
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by ayabemorinaga | 2010-01-01 11:21 | 物部 | Comments(0)