綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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孔子は期待される人物として仁を体現している人である.と言っている.仁とは何か、については明快な回答をしていない.相手に応じ,時に応じ様々なことをいっている.巧言令色鮮なし仁。と言う有名な言葉がある。さらに、剛毅木訥、人に近し、とも言っておる。仁とは人を愛することだ.人間として正しいことは、たとえ労多くして功少なしと知っていても,あえて実践するのが仁である。また、日常生活では慎み深くすること、仕事を大切にすること,他人に対してはどこまでも誠意を尽くすこと.それが仁であると。仁を日常生活の中で実践することは,簡単であるようだが,なかなかむずかしいものだ.されど人として生涯にわたって,仁を重んずる努力はしなければならないだろう.できなくてもいい.その心意気は失わないでほしい.昨日も,ある会合の中で,政治家への感謝の会を持つことについて話し合ったのであるが,政治色を抜きにして,と言うお話があった,その論は良し,されど政治家への感謝の会で政治色を抜くことができるだろうか.そんなときに仁の実践として言うべき言葉は何なのか.考えさせられた.あんたはいっているだけ、といわれそうな日常である。このことを書くことに失礼な事か有ればお許しをいただきたい。
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by ayabemorinaga | 2010-04-20 08:40 | その他 | Comments(0)

涙腺

近頃妙に涙腺がゆるんだのか,涙もろくなってきた.今朝もゲゲの女房を見ながら、ついついほろりとさせられる場面で,涙が溢れる.それは,布美枝が、結婚を翌日に控えて,父親に感謝の言葉を述べるところである.父親が,茂の食いぷりがいいから,結婚させる気になった。布美枝がそんな事でと問えば、食べる事は生きることだ.食いぷりがいいと言うことは,生きる力が満ちあふれていてる。当面は苦労することもあろうが、40年過ごして良かったと思えるようになればいいではないか.布美枝が、今父親に感謝の気持ちを述べる絶好の機会であると、私はお嫁に行くのが遅くなって,この家に長くいましたが,お父さんと一緒に生活ができて有難う。と涙ぐむ,父親はそれを聞いて、もう,遅いから早く寝なさいと言いながら,涙を流す。シ—ンである。これは,フィクションだとわかっているが,強烈な感情移入にとらわれて涙する.私はどうだったかな、もう十数年の前であったが,あのような感動の場面は無かった.思いやりの薄い父親であったかな,と言う慚愧の想いがチクチクと我が心を痛めつける。ゲゲの女房は,私世代の心のひだをくすぐる,いな,刺激する場面が多く伺える作品であると思うのは私だけだろうか。
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by ayabemorinaga | 2010-04-17 10:20 | その他 | Comments(0)

敬遠される人

皆さんはどんな人がお嫌いですか.たとえば、こんな人はどう,空々しいお世辞、顔だけの愛想良さ、馬鹿丁寧な物腰、また、腹の底では軽蔑しながらうわべだけは友人としてつきあう人、儀礼を行うときに誠実さのかけらもない人、葬儀に参列するのに哀悼の気持ちが無くただ世間体を感じて参列するような人、こんな人が敬遠されるのではないでしょうか。謙譲の美徳なんて偉そうな口利きをしていながら、自分の態度は少しも謙譲の美徳を発揮していない.言うこと,することが全く反対の二重人格者になりつつあるな、と思いつつも,ついついしやしゃり出ている自分がある.ドゥスりゃいいの問いたくもなるが,どうにもできない自分を,惜春の冷たい雨音を聞きながら,心が氷のごとく冷えていく自虐的な自分の存在を感覚的にとらえるもう一人の自分がいる。こんな男も敬遠される一人でしょうね。
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by ayabemorinaga | 2010-04-15 15:57 | その他 | Comments(0)

自分勝手

老いがそのような考えにならせるのか,それとも自分の生まれ持っている性なのか。近頃とみに、自分の考えを他人に押しつけようとする.自分がその人の立場であれば、どうだろうかといった、相手の立場に立って考えることが,できずに,一方的に,自分の考えを押し通そうとする。そして返事が遅いといらいらする.まさに、いら管と言われている政治家なみである.たとえるのが尊大かもしれないが。そして、まあ,どうなってもいいか,いった投げやりな態度をとってしまう.相手を納得させるようにな言辞なども行わずに,情けないぞ,そんな態度では,誰かがどこかで揶揄されている.そんな事も充分わかっていながら,感情処理がままならぬ。もっと、柔らかな心でないといけないぞ,と言う想いはかすかに有る.こんな状態は,まさに自分勝手と言う言葉にぴったりだ。もっとおおらかな,相手をおもんぱかる心情がないと,人としての人格はゼロだぞ,と言われることはわかっている.されど、なぜか無性にいらいらとするのである。愚痴です。そんな愚痴をブログに書いて自分の気持ちを紛らわせているのです。なんと哀れな,なんと大人げない,なんと度量のない、なんと品格のない、いな,品性のない、お方なのですね、と笑われている事でしょう。書くことも感情処理の一つの方便かもしれない.。お酒を飲んで憂さ晴らしができればどんなにいいだろうな,と考えることもある。されど近頃はさっぱり酒が体質にあわなくなった。でもさ,ブログに憂さ晴らしを書くことでもないだろう.その通りですね。
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by ayabemorinaga | 2010-04-15 08:30 | その他 | Comments(0)

国難

人間はひたすら自分の欲望を追求する本能心と物の善し悪しを弁別する理性心がある。しかしこの二つの心は,いつも相争い衝突して,煩悩や失望、悲観を生み出すのだ.ところでこの二つの心を統御するのが意志の力である.この意志の力をどのようにして磨くのか。そのような講座もなければ、機会も無い.それぞれが自分で努力せよと言うことなのか.そのことはさておき,今国民は,自分の欲望の追求にのみ囚われているのではないか.政治家はこのような国民の心を満足させるために,国の財政が破綻になることも考えず,次々とばらまきと言われる施策を実施している.受益は限りなく,負担は少なくという国民の声に圧倒されて,財政健全化はなされない,国民の要望に翻弄され,甘いささやきをしていれば,やがて年金破綻、国家財政破綻、国民健康保険破綻、滅び行く国を見ながら国民は何を頼りに生きようとするのか.自覚せよ.目覚めよ.淡き夢の世界から脱却して,現実に国民生活が破綻する怖さに目覚めよ.と言いたい。特に若者たちに希望が,夢が語れるような国づくりを願いたいものだ。今国政はそんな夢や希望がもてるような状況だろうか。今こそしっかりとした意志の力を行使するときである。民主主義の国であるから,国民に与えられた権利を来るべき国政選挙でしっかりと行使されたい。結果がどうなろうとも国民の権利行使ならば、国敗れて、国民生活が破綻してもそれは致し方のないことであろう.そんな哀れな国になることは望みたくないが。若者よケッゼン立って,しっかりとした国づくりへ決起せよ。
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by ayabemorinaga | 2010-04-13 11:52 | その他 | Comments(0)

林住期

人生80年と言われるようになってきた。否、90年かもしれない。定年退職後20年ないし30年の人生をいかに生きるのか。この期間を林住期という言い方がある.以前にもブログで不良老年の生き方がいいのではないかと言ったことを書いたことがある.非僧非俗の生き方、何者にもとらわれない生き方をそのように表現している.芭蕉、も親鸞もこの考え方である。仏教の人生観は,是までどちらかというと,生老病死観によって代表される面があった.人間は生きて老いて病気にかかって、死んでいくのでは,あまりにも暗くて素っ気無い.ならば、高齢者社会では、どのような生き方がいいのだろうか。このテ—マをしっかりと考えてみたいと思う昨今である.ご意見を是非いただきたい。
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by ayabemorinaga | 2010-04-12 19:39 | その他 | Comments(0)

農業を楽しもう

趣味として,農業をやればこんな楽しいものはない。生計を立てるための農業は,こんな苦しいものはない。趣味の農業は,作物を作る喜びを存分に味わうことができる。作物は,世話をすれば,するほど,その期待に応えてくれる。決して裏切らない。作物の生育を見る喜びは,是は経験をしなければ決してわからない。畑仕事は無心にできる。雑念なって入る隙もない。そして,作業をした後は心地よい疲労感におそわれ,一風呂浴びて飲む酒のなんとおいしいことか。生計を立てる為の農業は,米価が採算がとれるような価額ではない事に加えて,生産資材の購入費用がかかりすぎる。故に大規模農業でなければ生計維持はできない。国の農業政策も場当たりとしか考えられないような施策ばかりである。農家を自立させるのではなく,補助金政策ばかりで、この国の農業が成り立つだろうか。昭和20年敗戦から数年間は,農業ほど儲かる職業は無かった。食糧難に国民は泥炭の苦しみを味わったものだ。時に,旅先の車窓から眺めると,必ず谷間の田畑は荒れ果てて耕作放棄地となっている。我が国農業の衰退は,国民の食料生産の衰退につながるのである。敗戦後のあの食料難の再来だけは生じないように,しっかりとした農業政策の確立をお願いしたいものである。
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by ayabemorinaga | 2010-04-10 13:39 | その他 | Comments(1)

入学式

今日は地元の小学校の入学式である。私も、70年前に祖母に連れられて入学式に行ったことを思い出していた。南側の木造校舎は、昔のままであるが、玄関なり、北校舎は建て替えられて昔の面影もない。玄関の栴檀の木はそのままであるが、校庭の桜も二世になっている。どのように、入学式の進行がなされたかは記憶にない。校庭の桜がきれいに咲いていたなという記憶はかすかに残っている。ところで入学式で国歌斉唱が行われたが、さすがに座る教職員はおられないが、国歌を歌っていない人がいたようだ。そんなところが気になるのも身に染みついた情けない性である。思想信条の自由は承知している。されど、指導要領で定められているのであるから、公務員である限り、国歌を歌う義務がありはしないか。身分上特別権力関係にある。ことは、自覚することが必要ではないか。校長が職務命令を出すのではなく、自らが自覚することだ。な、と言う想いがある。おじいさん昔を思い出しているのかい、そんな事はわかっているよ。と言われそうであるが、今になっても、こんなブログを書くことが情けない事である。
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by ayabemorinaga | 2010-04-08 11:42 | その他 | Comments(0)

送別会

一昨日に引き続き昨日も綾部市自治会連合会の歓送迎会である。地区自治会長、連合会長等38年にわたっておつとめになった方が今回御退任になった。私の知り合いである連長さんに、∪連長を充分にもてなし,落ち度のないように,最後はおうちまでお送りしてくださいよ。といらぬお節介とは,思ったがお願いをした。簡単に38年というか゛他人のために尽くすという強固な心構えでもって望んだとしても,とうてい私などは足下にもおよばない。偉業という言葉があるが,まさに偉業ではなかろうか。38年もやっておれば甘いも辛いも,熟知されている。金銭問題には,まさにクリーン、清廉潔白そのものであった。そんな事は当たり前のことではないか。と言われれば、その通りです。さて、酒席はまさに人物鑑定には、ふさわしいなと言う想いが改めてした。自分の思いばかりをしつこく、ぐたぐたという方が一人おられた。この人ちょっと変わっているなと思ったら、周囲の皆さんもそのように捉まえておられた。私が知っている方で地域のためにご尽力をいただきたいと思っている方がいたが、その方がおられなかったので、不思議思って、おたずねしたら、その地域では手をあげられた方なられたそうだ。お話を聞いていて、なるほどと感心すると言うより意気投合する人など、様々である。酒席はまさに意志疎通の場である。この場で一献傾けながら、お互いが理解を深めることができる場でもある。じっくりと人のお話を聞きながら人物評定をされてはいかがでしぅか。おもしろいですよ。最後にお互いみんな親しく争いなどは望まないよ、という話しに発展しょうとするとき、中締めの挨拶になり、終わった。
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by ayabemorinaga | 2010-04-07 10:33 | Comments(0)

会者定離

四月は新たなる出会いと,別れの季節でもある。議会事務局も今年は,例年にない異動となった。昨日は歓送迎会が行われた。私が大切にしているのは,退職者をどのようにおもてなしをしてお送りするのか。三十数年勤めて退職を迎えれば,職場を去るには,一抹の寂しさが有るだろう。その人に対していかにねぎらいお送りするか。このことは退職をしたものにしかわからない心境である。本当に有難うと心からおもえるのか。ぎりかやっかな,儀式のような感じしか感じられない送別なのか。退職者をそんな想いにさせてはならない。送る方もほんとにご苦労さんと言った真心のこもった送別でなければならない。お送りする車の中でいろんな想いを聞かせていただいた。家まで送り,奥さんにも挨拶をして帰ったが,再び奥さんらでんわがあった。十分でなかったかもしれないが,少しは誠意が通じたと思っているのは,私の欲目だろうか。
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by ayabemorinaga | 2010-04-06 09:04 | その他 | Comments(0)