綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

<   2011年 02月 ( 13 )   > この月の画像一覧

相手に不快感を与えずにN0といえれば、良好な人間関係が持続出来るが、これこそなかなか言うことは簡単であるが、実行は難しい事この上もない。近頃お頼みをする場面が頻繁にあるが、とげとげしい言葉で拒否をされると、ついついこちらも生身の人間、そんな言い方はないだろう、と不快感がどっとわき起こるが、そんな感情や表情はおくびにもださず、お手数をおかけしました。と言いながら退散するが、何がなんでももう少しまろやかな言い方があるだろうが、とついつい思ってしまう。私もずいぶん相手に、不愉快な思いをさせて断ったことがあるな過ぎし日を振り返れば、人のふり見て我がふり直せ、なんてことは私には遅かりし、なんとかかもしれないが。また、なかには遠回しにやんわりと、にこにこしながら断られる人もある。うまいな。こんな時は断られてもなるほどなるほど、と自分で納得がいく。相手に不快感を与えずにノオといえる人になることが如何に大切かを体験させていただいている毎日です。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-02-21 09:53 | その他 | Comments(0)

契約

今朝のテレビで甘利議員が、自民党のマニフェストは口約束であり、民主党のマニフェストは国民との契約である。といって衆議院選挙で大勝した。と。民主党のマニフェストが国民への契約であれば、いまの民主党政権でマニフェストの完全実行が不可能となっている。であるならば、普通商取引で契約が不履行となったときは、契約金の倍返しをしなければならない。さて、政治の世界での国民との契約違反は、どのような責任の取り方があるのか。政治の王道は国民との契約が守れないときには、解散をして国民に信を問うことではないのだろうか。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-02-20 10:49 | その他 | Comments(0)

三たび因果応報論

民主党議員16人の会派離脱が、マスメデイアで報道されている。およよ--そんな事有り--と思っていると産経新聞は、菅首相が過去に党籍を残して別会派参加した事実がある。と。まさに因果応報でなくして何であろう。菅首相ほど、自分が過去に行ったことか゜自分に跳ね返っている即ち因果応報に苦しめられている人がいないのではないか。やったことは、必ず自分に跳ね返ってくる。権勢を誇るときも、逆境の時も、常に、自戒してものを言ったり、行動をしなければならない事は自明の理である。そのことに関わって思ったことは、政党所属の議員を統制、コントロ—ル出来るのは、何人だろうか。民主党も一度に300を超える議員が出来て、全議員を統制することが至難の業となったのではないか。まあ、200前後が統制出来る一つの目安かな。将の将たる人がいないのではなかろうか。将の将たる人とは、政党にはそれぞれ派閥が有る。その派閥をすへて統制出来るような人が、将の将たる人といえるのである。中国の古典に将の将たる人については語られているが。現役引退隠居の身であれば好き勝手にものも言えるし、、因果応報を余り気にする事も有りませんが、将来のある人達は、しっかりと、因果応報を肝に銘じて、言動に気をつけていただきたいと願わずにはおれない。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-02-18 09:45 | 政治・議会 | Comments(0)

国民健康保険

1961年(昭和36年)に国民すべてが公的医療保険に加入する国民皆保険体制が整えられた。私が幼少の頃はそんな制度がなくて、農家に嫁ぐのは健康な人がなにより歓迎された。なぜか、昭和初期から終戦の混乱期にかけて国民保険制度がなかった。農家で病人を出す事は即ち貧乏になることを意味していた。医療費の負担にを捻出するのに、田畑を売却して治療費としていたからである。当時は農家の財産何より田畑を多く所有することが長者即ち分限者といわれていたのである。農家で病人を多く抱えれば、即ち貧乏に転落することであった。私はそんな農家の栄枯盛衰を見て育った年代であります。そんな時代から考えて見ると今はお互いらに互助の精神に則り国民皆保険制度は誠にありがたい制度である。(勿論、保険料が安いのに越したことはないけれども、)と感謝している。国民保険制度の値上げが答申されたことを聞いて、ふとそんな思いに駆られたまで---
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-02-17 14:54 | その他 | Comments(0)

二元代表制

我が国の地方自治制度はアメリカの大統領制に倣って二元代表制を採用しています。アメリカの大統領には、議会に対して議案提案権は有りません。すべて議員が立法活動を行っています。ところが我が国の地方自治法は首長にも議案提案権を認める一方、広く議員にも議案提案権を認めていますが、ほとんどといっていいくらい、首長(市町村長)主導権を握り、議員が議案を提案することはなく、首長が提案する議案を審議することのみに終始しているために、折角の二元代表制が形骸化しているといわれるのであります。即ち議員提案が少ないと言うことは、議員自ら政策立案能力を放棄しているといわれても反論の余地はないと言うのが現実であります。勿論批判監視も議員としての本務であります。ところで、大阪知事の発言、名古屋市長の発言を見ていますと、本来の二元代表制の趣旨をしっかりと認識されているのだろうか。極端な事を申し上げると首長と議会を対等平等であるといった認識をお忘れではないですか、といいたいような言動が有るように思えます。議会軽視、二元代表制の否定とも考えられるような言動が目立ちます。議員も首長に負けないように、政策立案能力を発揮して、住民の願いにも基づく議案の提案をしなければ、住民から支持も理解も得ることも出来ないでしょう。議会が首長の思うようにならないといって、自らを支持する議員候補を擁立するそれもいいでしょうが、それも度が過ぎると独裁になる恐れが有る。市民住民から、2元代表制の趣旨を理解していただくためには、議員自らも、しっかりとした政策立案能力を発揮して議会に対する信頼をいただかなければならないでしょう。首長のワンマンショウ-にならないためにも。また、マスコミも2元代表制を否定するような人の発言を取り上げるのでなく、黙殺することも必要なのでは無かろうか。なんかマスコミがことさら2元代表制の否定の肩を持っているのかと思うのは私のひがみ根性か。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-02-15 11:02 | 政治・議会 | Comments(0)

人付き合い

人間関係の悩みの一つに人に認められないという事がある。以前このブログにも書いたが、人は、みな人に認めてくれ認めてくれと叫びながら生きているのだ。と。人は、自分の価値なり業績なりを人に認められたいという基本的な欲求を持っている。是が果たされないと、面白くないどころがひどくうちひしがれてしまう。そんなときには、相手の気持ちや周囲の状況を頼りにしているものには、絶えず不安がつきまとう。自らの力に依存し、自らの意志に基づいているかぎり、不安や不信におののいたり、相手に引きずり回されることはない。つまり、いつも自分の人生の主役てあれといいたいのである。我が道を行く心意気が肝要である。なかなか出来ない事であるが---未練たらしく人に認めてくれ、みとめてくれなんてこととキッパリと決別をして、威風堂々我が道をゆけ、たとえそんな態度か゛人に認められなくとも、毅然として生きる事だ。自分か゛人生の主人公として、人の為世のために何ら恥じることなく尽くしているのだ。そのことが人人に認められなくともいいではないか。私のやっていることは誰にも恥じることのない立派なことなのだ。と。
自分に言い聞かせて人の世をあゆむ。立派なことではないか。人の歴史を言祝げば、時代に認められなかった人が、後の世に見いだされ業績が高く評価されることが有る。是は少しどでかい話しになったかな。自分の上司や世の中で認められないといって恋々とするなといいたいだけ。こんなことを言えば上から目線で見ているだけではないかと叱責がくるかも。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-02-09 09:54 | その他 | Comments(0)

おつきあい

人を見たら泥棒と思え、ではあまりにも味気ない。といって、人はみな本来、美しい心を持っている。では甘すぎる。そのジレンマから、人は人間関係にうんざりさせられる。人間関係でもっともショクなのは、人に裏切られたときである。人を信じていればいるほど裏切られた時に痛手が大きいのは当然である。また、偉くなれば人はよってくるし、落ちぶれると人は去っていく。是はごく当たり前のことである。人間関係は、本心は利が目的であるのに、顔つきや建前はそでないようなふりをしている手合いは実に多いい。それをそのまま信じてつきあっていると、後で、ひどい目にあったり失望したりすることになる。孫子は人間関係はすべて利で結びついていると、喝破している。人間はすべて利を求めてつきあっていると思っておれば、裏切られたり、だまされたり、おちぶれてひとが遠ざかっていっても、ああ俺も利用価値がなくなくなったのだ、理解すれば、なるほど、自分なりに納得がいくのではなかろうか。そんな人間関係もわびしい限りであるが、是も浮世の掟と思わなければ生きていけない。哀愁の念が全身からわき起ころうとも。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-02-08 14:08 | その他 | Comments(0)

ここだけの話

ここだけの話しだが-という話しが、ここだけに終わったためしはない。これをぐっとこらえて口を慎みここだけの話しにすることが必要だ。人の信頼度を試すために、ことさら、ここだけの話を聞かせて、漏れるかどうか試されることが有るから心得たにこしたことはない。口が軽いと言うことは、人の心を失う大きな理由になる。我々が集団生活の中で身を守るには、口を慎む事である。口が堅いと信頼されれば、情報は自然とその人の所に集まってくる。それがまた身を守る武器となることもお忘れなく。それとついでに、自惚れ鏡を見ない冷静さをもつことも大事なことだ。人誰にもうぬぼれはあるものだ。おべんちゃらを真に受けて、いいきぶんなにりだまされる。おべんちゃらを言われて怒るものはだれもいないがな。人情にほだされついつい流されることがないように。そんな事誰もわかっているが、ついついおべんちゃらを言われて自惚れてるのが人間の悲しい性だ。自分を見失わないことが肝要だ。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-02-07 13:34 | その他 | Comments(0)

誹謗中傷

人間関係に中傷はつきものだ。この細菌にやられると、かなり健康な体でもすっかり参ってしまう。やっかいなことに、人間の群がっているところは必ずこの細菌がウヨウヨしているものだ。人中傷する場合には自分一人だけ言っておっても信用されない。故に、自分の意見でなく、誰々がこういっていたという形で人を中傷するのはよく使われるやり方である。また、中傷を事実として裏付けるような証言をしてもらえば、中傷の効果はぜっだいである。人は反復して何度も同じことを聞かされると信じてしまう。人間の心は不思議なものである。人と話していて、相手がはじめにウソを言うと、その後の話もすべてウソであると考えてしまう。逆に相手がはじめに本当の事を言いその後ウソを言われても本当であると信じてしまう。現代心理学ではこの効果を初頭効果と言うらしい。嫌らしい原則であるが、私たちの身の回りを見渡せば、思い当たることが多いではないか。私たちのすむ世界には、そのような中傷誹謗が渦巻いている。故に誹謗中傷は必ずあると心得て世の中を渡るのがいいかも。誹謗中傷は黙殺これも対処の一つかもしれぬが、黙っておれば、みんなは、それが事実だと思われてしまう。反論すべき所はしっかりと反論する事も一つの手段である。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-02-06 11:02 | その他 | Comments(0)

寿命

人の命の終わるときは誰も知らない。そんな事がわかれば 味気ない人生かもしれない。象は自分の死期を知っており、群れを離れて死ぬとか。この頃は毎朝新聞に目を通すのであるが、必ずお悔やみ欄に目がいってしまう。一昨日も私の知っている人が亡くなった。彼とは思想信条はまるっきり正反対であったが、なぜか憎めない性格の持ち主であった。親しみが有り、人情にもろいところがあった。と自分では思っているが、彼がどのように感じていたか 知るよしもない。是までにも多くの人と関わってきたが、その信じるところは、反対であっても、相手を気遣い人間味あふるる心配りの出来る人に巡り会うことが出来たことに感謝。私もそんな心配りが出来るようになりたい。人とのふれあいは、お互いに心と心が通じるような、否、気心が通じ合うような付き合いでありたい。。訃報欄をみてそんな思いに浸るひとときであった。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-02-05 16:34 | その他 | Comments(0)