綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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論壇

格差とは、不公平のことである。公平とは比較の問題であり、絶対公平というものはこの世にはない。と定義をして、今私たちが取り組んでいる問題について論じることにする。
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by ayabemorinaga | 2011-07-31 11:30 | その他 | Comments(0)

悪役ょいでよ。

悪役なる者は、おおむね度胸がいい。決断力もある。ここ一番というときに勝負にでる。勝負するときには、ちゃんと損得を考えて勝負する。負け戦にあえて打って出るような馬鹿みたいな度胸は持ち合わせていない。プラスになる、勝てると読まない限り悪役はけっだんしない。じっと耐えて機をうかがう。そのとき人に虚仮にされても、それに耐えうる度胸を持つのが悪役である。善人善玉なるものは、自分の信念信条が先行するから、損得、勝ち負けの計算が出来ない。果敢に打って出て玉砕をする。度胸のない善人はひたすら敵を作らない。怒らせない、恨まれないようにする。故にいい人物といわれるだけで何も実績のある業績は残すことが出来ない。人から憎まれる悪人こと大きなことが出来るのだ。悪人よ出てこい、そしてこの政治の現状を救ってくれと叫びたい。
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by ayabemorinaga | 2011-07-27 17:04 | その他 | Comments(0)

人に好かれる。

人は何人といえどもひとかどの出世成功をなし能うように生まれながらにして出来ているという絶対真理がある。とか。しかし、誰でもが成功者になれるわけでもない。いつまでたってもうだつのあがらない人も多くいる。その違いは何か。その原因の一つに、人に好かれる要素があること、といわれている。つまり、いくら才能があっても人から嫌われるようなところがある人は成功はおぼつかないというノである。秀吉がいい見本である。まあ、人から嫌われ者でも、よき人との出会いによって、大きな成功に結びつける糸口になる。あんな嫌われ者が、何で成功しているのだろうと首をかしげたくなるようなことが時々あるだろう。それは人との出会いでうまく取り入って成功している輩である。と考えて留飲を下げることだな。まあ基本は人に好かれるにんげんになることを心がけて世の中を渡ることだ。人に憎まれるのは簡単であるがすかれるとなると是はなかなか至難の業ともいえような。時には人をたぶらかして成功する人も時には見かけるけどな。人生不如意と覚るのもいいが、それを 如意にする努力を心がければ、成功への道は開けてくる?何事も諦めない心が肝心である。人に嫌われず、すかれるようにるには、細心の心配りが必要だな。人の心なんてまさにころころと変わるものだ。人に好かれていると自惚れていると、とんだところで足元をすくわれ転落の悲哀をあじわうことになるからね。常に気配り心配りをこころがけることでしょうな。
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by ayabemorinaga | 2011-07-24 21:21 | その他 | Comments(0)

つぶやき

一怒一老一笑一少という言葉がある。一つ怒れると一つ年をとり、一つ笑うと一つ若返る。ということである。怒を巡る人間的状況は、どこから見ても好ましいものではない。ドナル ノノシル怒っている方は、目がつり上がり顔面蒼白、ドナなって本人も相手もカラットしていればいいのだが、お互い憎しみをあらわにしている。 だから始末が悪い。どんなときに怒なるのか。ムシの居所が悪いとき、クサクサしているとき、相手が約束を破ったとき、無礼不作法な時、しかし怒って何一つ得をしたことはない。腹を立てて怒なったり言い過ぎたために、人間関係が断絶したり、ねじれを起こしたことの如何に多かりしことか。まあ腹が立っても、一怒一損、一笑一得という言葉をかみしめて実践することだろうな。
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by ayabemorinaga | 2011-07-19 09:33 | その他 | Comments(0)

白鯨

1980年代のアメリカの思想界では原子力のことを現代のモ-ビィ・ディックといったらしい。モ-ビ亻ディクというのは、アメリカの作家ハ-ママン メルヴルの小説の題名である。主人公は、モ—ビィ・ディックと呼ばれる巨大な白鯨で太平洋の主といわれていた?船長が是を追い、片足をかみ切られる?彼は執念を燃やし、何年間となく巨鯨を追い続け、是を発見、モリを射つ。そして、是がアメリカ魂途叫んだ瞬間、彼は巨鯨の尾に打たれて海中で落命する。モ-ビィ・ディックは、かって船乗り達の間では神とされていた。現代のモ-ビィ・デックは原子力である。とすれば問題は、人間がそれにどう対応すべきかという事である。賢く謙虚慎重に取り扱わないと、人類の破滅を招きかねない。原子爆弾を開発したアインシュタインは、晩年ひどく後悔したそうな。その破壊力の大きさを悲しんだと言われる。そして、人間が踏み込むべきでない神の領域へ足を踏み入れたという反省とおののきともいわれている。原子力=モ-ビィ・ディック論は、神と人間との間、科学と宗教とについて、もう一度、立ち止まって考えてみよ、という啓示である。福島原発事故により、脱原発、卒原発など議論が展開されている。ここで考えなければ成らないのは、原発に対する電力会社側の思想ーーー考え方である。原子力は神のごとものである。そのお陰で、我々はエネルギィ―を入手させてもらっているという態度であれば、その安全性の確保という点で考え方も姿勢も変わってくる。このような考え方が徹底していたのか。電力会社は。動燃が建設した原子炉に普賢・菩薩・文殊という名がつけられた精神は、仏様のご加護により巨大な工ネルギィ—を人類の平和のために使わせていただくーーーそれこそモ-ビィ・デックの思想である。このような視点に立って原発問題の議論を深めていただきたいものである。
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by ayabemorinaga | 2011-07-18 13:25 | 政治・議会 | Comments(0)

人間理解とは

人として付き合っていく上で忘れてはならない視点として、デ—ル・カ-ネギ-はこのように言っている。およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するという事を心得ておかなければならない。人間は理性的に行動すると思いたいものです。人間はすばらしく理性的な、知的なものだと思いたいという衝動に駆られがちですが、本当はドロドロとして情念の塊であります。しかし、このことを認めようとはしなくて、我こそは、もっとも理性的である自負しているのであります。だげど人間を理性的な存在と考えていたら、人間を理解することも、上手に付き合っていくこともできない、と言うことを知るべきであります。私などはこのような人間洞察の視点がなかったために、何度も失敗を繰り返してきたことか。人間は理性的であると思って付き合いたいですよ。円滑な人間関係を構築していく上でも。しかし、あくまで、感情、情念を刺激する様な言葉は慎み自尊心、虚栄心をぶちこわすような言動は、さらに慎重にすることに限る。そんな反省はしておりますが、すぐに売り言葉に買い言葉といわれているような感情的な、挑発に乗って、人様にご迷惑を何度おかけしたことか。
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by ayabemorinaga | 2011-07-16 12:28 | 教育・学校 | Comments(0)

EQ

相手の立場になって考える。これが日常生活の中で抵抗感なく実践ができる人たいしたものである。人間関係を円滑にするためには常にそのような心配りが大切である。相手の立場になって考えることを、ΕQという。ΕQとは、心の知能指数のことをいう。心の知能指数とは、どれだけ自分が相手の立場に立ってものを考える事が出来るか。相手の立場を理解した場合、自分の行動は相手の気持ちにピッタリ適合しているかどうか。自分の不足している部分を補い、相手の気持ちを尊重する様なことが出来るには、どう努力すればよいか。そのためには翻って自分というものをもう一度見つめ直さなければならない。
特に、組織に身を置いた場合は、自分が協調性を持ち、組織の一員として行動しているかどうか。好き勝手なことをして、、それがまかり通らないからといって不平不満を持っていないか。などなど自分自身がQ&Aとしてその指数を出して点検することだ。知能指数も大切でありますが、心の知能指数はもっと大切にしましょう。相手の立場に立つことによって、どこまで自分を変えることが出来るのかという、自己変革を実践したいものですね。相手の立場になって考えるという、心の知能指数を高める努力を命有る限り実践したいものだ。
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by ayabemorinaga | 2011-07-15 08:37 | 教育・学校 | Comments(0)

舟歌

小説には必ずテ-マ(主題)がある。それは作者が小説という作品を通じて言いたいこと、読者に読み取ってほしいことがある。それが主題である。さて、お酒は温めの燗がいい   肴はあぶったいかでいい  女は無口な人がいい  灯りはぼんやり灯りゃいい  しみじみ飲めばしみじみと  思い出だけが行き過ぎる 涙がポロリとこぼれたら  歌い出すのさ舟歌を-----店には飾りがないがいい  窓から港が見えりゃいい  はやりの歌などなくていい  ときどき霧笛が鳴ればいい  ほろほろ飲めばほろほろと  こころがすすり泣いている  あの頃あの娘を思ったら 歌い出すのさ舟歌を 八代亜紀が歌う舟歌の歌詞である。さて
この舟歌の作詞者は、この歌詞で何を言いたかったのだろうか、歌詞の主題は何かな。とかんがえた。消費社会の雰囲気を拒否する。自己実現の財・サ—ビス。そうした財・サ-ビスをひたすら拒否して自分の時間をかみしめる。否自分の時間を取り戻したい。といっているのではなかろうか。演歌を聴きながら作者の歌詞の主題は何かと考えることも時には面白いのではないかな。勿論最初からはっきりとしている場合は意味がない。そんな余裕のある生活の時間があってもいいではないか。時間追いまくられる生活から離れて----
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by ayabemorinaga | 2011-07-14 13:53 | その他 | Comments(0)

背広の着方

背広の正しい着方というのは、背広を脱いで持ち歩くのは論外である、私はその論外をよくやっている一人です。背広を脱いで肩にかけたりして--歩くときボタンをかけ、座ればボタンを外すのが紳士のたしなみである。本来ワイシャツは下着の一部であるから見せないようにするのが常識。但しダブルの背広はボタンを外して着るようには出来ていません。必ずボタンをかける。二つボタンのときは、上のホタンを、三つボタンのときは真ん中のボタンをかける。三つ揃いの背広のベストの場合は、一番下のボタンを外す。ネクタイは男の連隊旗だと言った人がいますが、大柄模様やけばけばしい色は論外で質のいい絹物が一番である。ポケットチィフはビジネスマンには必要がない。白いソックスは、夏の白いス—ツのときにはくこと。ビジネスス-ツには、黒かネイビ-ブ-ル、または、ダ-クグレ—それも柄物でないこと。ボタンダウンワイシャツは一概に若者ののものとはいえません。カジュアルなもので年齢を超えたフアッションです。誰も私は背広の着方について教えてくれる人がいませんでしたから我流で着ていましたが。やはり是は親が教えてやるものなのでしょうな。
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by ayabemorinaga | 2011-07-12 16:07 | その他 | Comments(0)

老境

私も齢八十に手が届きそうになりました。これは人生の老境ということでしょうね。老境を一番うまく書いているのは、森鴎外の「なかじき」のはじめの3行。老いは漸く身に迫ってくる?前途に希望の光が薄らぐとともに、自らの背後の影を顧みるは人の常情である。人は老いてレトロスペクチフの境界に入る。老境ということをもっとも正確に書いている。レトロスぺクチフというのは、懐古的という事ですが、白居易の詩に、往事渺茫として、都べて夢に似たり 旧遊零落して半ば泉に帰す  昔の友達はもう半分死んでしまってあの世に言ってしまった。というのです。これを書いたのが白居易が48歳の時。それに比べると今は長生きをするようになりました。人は老境に入ると懐古的になるのですよ。思い出すのは昔のことばかり、人とする会話も昔話ばかり、 考えること昔のことになってしまう。人生の頂点というか、心身ともに充実するのは50代でしょうね。私も振り返ってみればやはり50代がやりがいのある充実した時であったかな。と思う。体力もあるし男が一番熟したとき、一番充実したときです。老境に入り懐古的に昔を振り返り、充実した人生であったと感慨にふけることが出来ればいいですね。そのためにも50代にしっかりと仕事に打ち込むことでしょうな。老境に入り昔を振り返れば、思い出したくないような不如意な人生で終わらないためにも、与えられた日々の仕事に全身全霊で打ち込むことですね。たとえ人間関係が不遇でつまらない感情的な上司にばかり仕えなければならない人生であっても、老境に入り自分はしっかりとやったと自負出来る人生でありたいですね。
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by ayabemorinaga | 2011-07-11 08:59 | その他 | Comments(0)