綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

<   2011年 08月 ( 6 )   > この月の画像一覧

撥乱反正

今日、日本の国民の中の良識ある人人---真面目な人人のおそらくは共通の、語られざる声--伝えられざる声は何かというと、誰か出て何とかせぬかということです。直接的には、政府・内閣・総理等に向かって大将、しっかり頼むぜという気持だろうと思います。ところが、折角期待しても、なにやらぼそぼそと不得要領なことを言っている。この緊急事態に対しても、当たらずさわらず責任逃れに終始している。つまり、因循姑息である。いかにも歯がゆいというノが、国民の本当の気持ちではないでしょうか。こんな時こそ型破りの、個性の強い、どちらかと言えば、不羈奔放というべき人物が出ることを期待したい。今は、撥乱反正の時であると考えるのは少し大げさな表現だろうか。私はそんなときであると確信を持っている。撥乱というのは治めるという意味です。ただしこの撥めるは柔らかな治め方でなくて、いろいろな矛盾、撞着するものを厳しく処理していく意味で、この撥が治と同義語に使われます。矛盾撞着を厳しく処理することがなかなかできないと言うのか優しい人達ばかりなのか、処理すべき時にしっかりと処理せず逡巡する人の如何におおいいことか。乱を撥めて正しきに反す。このことが実践出来る人物とは型破りで独創的な資質を持ち、何事にも勇敢に失敗を畏れず立ち向かっていく特殊な見識・識見・気力持った人でなければならないと思います。そんな人にこそ国政をまかせて、この国難ともいえる時代を国民に夢を与えながら、ぐんぐんとひっぱっていく様な行動力と情熱を持った為政者よでてきてくれ。と悲痛な思いて叫びたい。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-08-15 09:26 | 政治・議会 | Comments(0)

親心と愛

この頃少し説教調のことばかりでごめんなさい。あんた自分で実践できないことばかりいっておりますね。といわれれば、弁解の余地は無い。でも、ずうずうしくだらだらと書いてみたい。天の邪鬼と、どこからか声が聞こえてきますが。私たちが日常親しんでいる言葉として、愛、愛する、という事がありますが、愛は日本語でかなしとも訓じます。愛、カナシこれば情の深い真心のこもった言葉です。愛といった言葉を使わないで、愛の本質がわかる様な表現が出来ればいいのですが、私にはとうてい出来る能力がありませんな。仏教の根本義はおそらく慈悲という言葉に尽きる。儒教では、仁、即ち恕の一字につきる。仁、慈悲は愛即ちカナシの心に一致する。人の子の母は、子供に対してはそれがいくつになりましても、幼い子供に対するのと全く渝わらない気持で、病気や怪我をしなければよいが、失敗しなければよいが、災難に遭わなければよいが、どうか無事でありますようにと、常に愛(力ナ)しむもの、心配をするものであります。これが本当の生みの心、育ての心、慈母の心であります。親心でついつい言わずものがななことを言っと、親の心子知らず、うるさい、差し出口を挟んでくれるな、とついつい反発をするものです。親身であればあるほど、他人からみればおかしいぐらいに心配をし、気遣い、思いやるのが親というものであります。親孝行をしょうと思ったときには親はすでになし。現代の若者は親孝行なんてはじめから考えていない。親孝行なんて言葉さえ知らない。目の前の我欲の為に一直線では情けないて゛はないか。今日はお盆の日であります。先祖の霊を敬い、今自分があるのは先祖お陰であると感謝の気持ちをもちつつ、親孝行について、じっくりと考えて見ては。日本人の情緒、愛カナシの心を失わないためにも。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-08-14 10:25 | その他 | Comments(0)

邪論邪思

戦後人間の道徳が著しく退廃した。日本魂を骨抜きにするための占領政策の一環として、教育の場から道徳の授業を削除した。さら教師が道徳の授業に著しく抵抗感を覚えていた結果が、道徳の授業をじっせんしたふりをして誤魔化していたともいえる。結果が、石原慎太郎氏がよく言われるとおり、我欲のある人間ばかりが世の中にあふれかえる結果となった。我欲の為には何でもあり、裏切り、欺瞞、大衆迎合、背信等の行為を何のやましさも無く平然とやる人間がウヨウヨしている。教育委員の会合で人間欲をなくさなくては世の中が好くならないと発言をして、人間から欲をとったら人間の進歩はない。人間欲があるから努力をするのですよ。と冷笑されたことがあった。でも仏教では、欲をなくせ。欲をなくせ、人間欲があるから苦しまなくてはならないのだぞ--と説いていないか。小説も時には時代背景が伺えるようなことがあるのではないかな。皆さん美徳のよろめきーーという小説をご存じだろうか。よろめくという言葉がはやりだしてそのような小説が出たのか定かではありませんが、とにかく美徳がよろめきだした。何がよろめいたのか。心がかそれとも体か。馬鹿、こころにきまっているだろう。するとまもなく、悪の愉しさ、という小説が、こんな小説ゎ今まで無かっただろう。悪というものは、少なくともわるいものだ。というのがひど人の通念であり良心であった。それが悪の愉しさ、さらに日々の背信、毎日毎日信義に背くのが日々の背信、そとて、やがて、悪徳の栄光という小説がーーー悪を好む、悪を露出する、悪を賛美する、ということは、善を軽蔑する。善を忌避する。したがってやかましい道徳とか戒律とかいうものより、享楽とか、レジャ-とか、バカンスとか、ヒッビとか、いうものが面白くてそれに興味をもつ。やがてはよこしまな人間がもてはやされる。流行する。昔の通念では、変な人がジャナリズムでもてはやされる。邪悪というべきでしょう。邪悪と不可分な関係に有るのが偽ということです。現代社会には嘘が多いい。個人生活から政治の世界まであまりにも偽が多いと言えば失言でしょうか。こういったときに、世をよくしょうとするには、「これを帥いるに正を以てする。人物が輩出するほかにはない。そんな人物を戦後の教育は育てることが出来たか。衣食たりて礼節を知る。という言葉があるが、足るのなんたるかさえわからず、我欲のために、右往左往している人人のなんと多いいことか。救国の指導者の出現をのぞむこと切なり。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-08-13 10:32 | その他 | Comments(0)

悪に対する態度とは

悪に対して処する方法が五ッあります。まず第一が泣き寝入り型とでも言いますか、強い者には負け、長いものには巻かれて泣き寝入りする。第二が、かなわないと思っても必ず一矢を報いる。殴られたら殴り返す蹴られたら蹴り返すという報復的態度。これは、元気があるのはいいですが粗野で低級でありますね。第三は、偉大な聖人か達人が到達したような、一切を超越し、勝負恩讐という立場を超えて、すべて慈愛の目でみる?是は私ども凡人の及ぶ処ではありませんから、まあ、論外でしょうね。第四は、意気地のない、蹴られても蹴り返すことも出来ず殴り返すことも出来ない様な人間が、それでも負け惜しみと、人前があるために、自分のふがいない態度をごまかすために、俺が弱いのではない相手を哀れんでいるのだ。目には目、歯には歯を持ってやり返すことは卑しい。おれは神のごとく弱いのだ。といって誤魔化す。是は偽善的態度でもっとも卑しむべきタイプです。さて、第五は、道を重んじる為には暴虐の横行を許さない。腕にかけてもそれを禁止し、人間を侵略、暴虐から解放する。さて、さて、悪に対処する五ッの方法を言いましたが皆さんは、悪にたいしてどのような姿勢で臨まれますか。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-08-12 17:09 | その他 | Comments(0)

ぽける

老衰は一番先に足に来る。足がよたよたしてくる頃には、必ず頭がぼけてくる。足と頭は一対のものです。あたまはいくらつかっても悪くならない。頭が悪くなるのは体がどこか悪いために、そのえいきょうで悪くなる。とか?頭は使えば使うほどよくなる 普通、一般の人は、13%ぐらいしか自分の頭を使っていない?一番もったいない遊休施設であると、生理学者がいっっている。頭は使わないからぼけるのです。頭は難しい問題に取り組む程好くなる。安易な問題だけ扱っていたら、頭は馬鹿になる。だから苦労して学ばなければ駄目なんです。困難な、難しい問題に取り組む事が頭をよくして、ぼけることがない。とにかく難しい問題に立ち向かい頭をしっかりと鍛えてください。ぼけ無いためにも困難なことにあえて、挑戦して、ひとびとのために好かれと思われるように、努力を積み重ねることもだいしなことである。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-08-11 14:52 | その他 | Comments(0)

悪役か悪党か

現代では、善人が弱く悪党が強い。なぜか、とかく悪党は悪なるがゆえに積極的であり攻撃的である。そうでなくては悪は排除されて持ちませんから、自然とそのような行動に出ます。その上いけないことを積極的にやる。悪人は一人でも悪党と言います。善人に善党という言葉はありませんよ。善人は善なるが故におとなしい。だから善という字には羊という字か入っています。この羊が善の象徴です。善人は至ってのんきで、一人でおれますし、平気で孤立に甘んじることができる。そして、安んずるところがあるからつい傍観的になります。善人と悪党が戦いますとまず悪党が勝ちます。よほど力があり行動力のある善人でないと悪党には勝てません。昔の物語の多くが、悪党にやられた善人が千辛万辛の末にやっと勢いを盛り返し、悪党を征伐するという勧善懲悪の物語になっていますね。以前私は、悪役がいることによって、善人が引き立つといいました。故に悪役もひっようであると。人間社会では、弱き者は徒党を組みたがります。なぜなら徒党を組んだ者の力は強く、人間はそのような強大なものに阿諛迎合するという卑屈に陥りますから、マスコミも政治家も学者まで皆これに阿る。学者などもっと正論を吐くべきですが、いま、原子力専門学者みていると、時の権力者の意向をくんだ発言が多いのではないかと、勘ぐるのは常識違反か。さて、さて、昨日は立秋というのに、昼前には気温がどんどんあがり、家の中にいても、息をするのが苦しく感じられました、残暑厳しき昨今です健康にはご留意をしてください。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-08-09 09:03 | その他 | Comments(0)