綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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人物評定

家族を含めて自分の身の回りこともちゃんと出来ない人に、中間管理職として10人の部下をひっぱっていくことは出来ない。中間管理職としてちゃんとやれなかった人がもっと上の百人の部下を率いて行くことなど出来ない。だから人を評価するときは、その家がちゃんと治まっているか、品行は立派であるかという原点を見る事はだいじなことである。このことは人物評価として、90%まちがいないでしょう。しかし、世の中には、自分の身の回りなどしっちゃかめっちゃか、無茶苦茶なのに、大きな集団をまかせると非常にリ-ダ—シップを発揮して、見事に組織を卒居ていく人が現実にいる。10人の部署の長としてはつとまらないが、百人の長としてなら立派にやっていく人がいる。こんなのがまさに長の中の長言われる人なのだよ。だから人物評定は難しいのだ。時には感情で評価する馬鹿な上司に出会ったら人こそまさに災難である。とかく人物評価はむずかしいということなの---上司に反論すれば、そのことが正しくても、まず人物評定は最悪の評価を下すだろうな。そんな事ばかりしている上司は人生のどこかで、手ひどい目に遭うことになるだろうな。これも浮世の掟といえよう。所詮人間のすることだ感情入っていないなんてあり得ないた゛ろうが。まあーいい上司だと部下にいわれる人はどこかに寛容な処があり、人物評定に甘さがある。いい上司には、恭と言うものが具わっているのだな、恭、わかるかな---
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by ayabemorinaga | 2011-09-23 19:59 | その他 | Comments(0)

嫉妬

人間は感情の動物である。その感情のうちもっとも強く万人にもれなく共通するのは、嫉妬である。嫉妬しないという人は嘘つきである。自分は嫉妬しないと思っている人は自己欺瞞のかたまりである。人の世は嫉妬がうごめいておる。困ったことに嫉妬は必ずといっていいほど紛争を生む。誠にめいわくなことである。しかし、世の中よくしたもので、嫉妬の感情は、嫉妬している当の本人の内面をむしばむ。嫉妬心の強い人は性格がくらくなる。トゲトゲイガイガ、扱いにくい性格となる。そうなれば当然人からきらわれる。世に処する心得は、人に好かれることである。人に嫌われたくなかったら、嫉妬心を押さえ込む以外には方策は考えられない。ということ。わかる。
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by ayabemorinaga | 2011-09-22 15:35 | その他 | Comments(0)

芸術

智に働けば角が立つ。情にさおさせば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。夏目漱石の草枕の冒頭のことばである。このことはブログに以前も書いたが、夏目漱石は何を言いたかったのかと言えば、とにかくこの世は住みにくいどこに行っても同じである。どんなにあがいてもこの世から離れることは出来ない。そんな境遇に悶々とせずに、それならば、詩とか俳句とか、音楽、書などの芸術を自分なりに見いだして親しみ、安らぎや喜びといった精神的な安定を得ることであるという、夏目漱石の芸術論である。私も、時には詩、音楽、繪、書、等芸術作品に親しみ、息苦しい浮世から逃避をしょう。なんて言いながら、皮肉を言って喜んでいるのと違うかね。そんなのを根性が悪いという。そんな根性をたたき直すには、座禅を組むこともいいだろうな。座禅を組みながら、いろいろと心に浮かぶ雑念と葛藤しながら、澄み切った心へと到達する二は何年かかることか。いないな、不良老年の生き方もまたいいではないか。私が実践してみたい究極の課題は----人人に侮蔑と哀れみの眼差しで見られながら、物乞いをする為に橋の袂にたたずむことである。出来るかな、出来ないだろう。出来もしないことを書くな。そうなんだけれど、願望なのだ。そんな出来もしない願望なんてありゃしないよ。
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by ayabemorinaga | 2011-09-21 10:37 | その他 | Comments(0)

切れ者

ゾ‐リンゲンの刃物は切れすぎないように作ってある。といったのは、開高健氏であるらしい。なるほどと妙に感心させられた。なぜなら人間も切れすぎると駄目なことがあるからな。知識が勝って、物事を分析しすぎたり、解説しすぎるのはその人にとっては、いい気分であるかもしれないが、他人にとっては鼻持ちにならないし、気色が悪いと思われるのだよ。だから真の知恵者は会議では自己主張を抑えて、参加者に考えさせるなり、発言をさせながら、自分の考えた正しい結論を全員参加の結論として導き出すように智慧を出すのが、是こそ真の切れ者である。人間も刃物も切れすぎては、本当の役には立たないと言うことか。でもさ、人間も刃物もなまくらと言われるようでは-つかいものにならないしね。偉そうな事はいくらでもいえるが----ね。でしょうね。
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by ayabemorinaga | 2011-09-20 09:42 | その他 | Comments(0)

落ち葉

人は、何かに取り組み失敗したときや、取り組みがうまくいかずに、疲れ果てたときこそ、人は慰められたいという欲求抱く。誰か他人になぐさめられることで、救われることもあるが、どこか人間関係の煩わしさがある。そんなときに、文句なくなぐさめられるのが、ヴェルレ-ヌの落ち葉という詩である。 それはあなたの独断でしょうーーーといわれればーーー向かって言うことなし。                                         秋の日の   ヸオロンの   ためいきの   身にしみて  ひたぶるに  うら悲し。               鐘のおとに  胸ふさぎ    色かへて     涙ぐむ    過ぎし日の  おもひでや。             げにわれは うらぶれて   ここかしこ    さだめなく   とび散らふ  落葉かな。  
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by ayabemorinaga | 2011-09-19 13:13 | その他 | Comments(0)

人間集団

人間の集団は面白いもので、仮に十人の集団がいたとすると、そのうちの七、八人はしっかりと仕事ができるが残りの二、三人は必ずどこかで足をひっぱるという図式ができあがるらしい。そこで足をひっぱる無能の数名を切り離して、他から有能な人間をひっぱってきても、じゃ-全員がばりばり仕事ができるかと言えば、やはり落ちこぼれが出てくる。職場の中でえりすぐりのプロジュクトチ-ムを作るときも同じで、有能な者十人ひっぱってきても必ず落ちこぼれが出てくるものらしい。ならば、どうするのか、要は切り捨てるのではなくて、有能無能をうまく使い分けることが大事である。とか、まあ、部下が無能でと嘆いている御仁は人ノ使い方がわかっていないと言うことになる。勿論どうしようもない無能な人のいることも事実であるが。人間誰しもすばらしい潜在能力を持っている。その能力を発揮させる方法を熟知することである。適材適所でとよく言われるが、そんなにしっかりと人間の能力を見分けることが出来るか。要は、やる気を起こさせて如何にその人のもてる能力を発揮させるかである。人間の情緒を強烈に刺激するような研修なり、職場の組織づくりに尽きる。言い過ぎかな。一番手っ取り早い方法は、褒めてやることだな。人の欠点はすぐに目につくが、長所はなかなか目につかぬ。その人が能力をしっかりと発揮していると思ったときは、どんなささいなことてせもいい、しっかりと褒める事だ。あなたはいかがでしたか。そりゃー皆さんご存じでしょう。よいことをたまには言ぅが実践しているのをみたことがない。てさ-さらに人を褒めたのはみたことがない。こりゃー参ったな。
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by ayabemorinaga | 2011-09-16 08:31 | その他 | Comments(0)

服装

今日衆議院の国会中継をみていたら、野田総理大臣をはじめほとんどの方が、ネクタイをされて大臣席に座っておられたが、枝野大臣はノウネクタイであった。テレビが意図的かどうかはわかりませんが、何回となく、枝野大臣を映し出している。すぐ横の席の小宮山大臣も感づかれたのか、服装を直す仕草が映し出されていた。ク—ズヒルの実行と考えられて枝野大臣はノウネクタイなのか。されど、総理大臣をはじめほとんどの大臣がネクタイを締めておられる。昔教師の中にも組合の活動家とおぼしき人は、ポロシャツ姿で教壇に立っている人がいた。さらに驚いたことに、某中学校に道徳の授業参観に行ったときに、教室の裏の掲示板には、服装はきちっとしましよう。と板書されていた。なんと教室に現れた教師は、ノウネクタイでポロシャツ姿には、たまげた。体育の時には、それにふさわしい服装をするのは当然である。農業をするのに背広を着て作業する人は皆無であろう。葬儀に芸人が着るようなきんきらきんの服装で参列する人はおられぬだろう。そのときその場に合った社会通念として通用する服装をすることが求められることは当然である。教師社会の常識は、世間の非常識などといって言っていられまい。教師も大臣も市民国民から違和感を感じさせるような服装は慎むべきでは無かろうか。どのような服装をしようが個人の自由なのだろうか。
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by ayabemorinaga | 2011-09-15 16:18 | 政治・議会 | Comments(0)

回想(失敗)

気の遠くなるような昔のことですが、私は学生時大徳寺塔頭聚光院に下宿をしていました。毎朝ぞうきんで長い廊下を拭き掃除をしました。寒い冬の朝など拭いたあとにうっすら氷ができた事も何度かありました。四年間毎朝続けましたから、今でも拭き掃除にはさほど抵抗なくやることが出来ます。三年間は本堂の隅におりましたが、最後の一年間は、玄関脇の部屋に住むことになりました。結構観光客があり、もっぱら案内役を買って出てやりました。見所と言えば、利休切腹の茶室があり、庭には沙羅双樹の木があり、本堂のふすま絵は、狩野永徳の琴棋書画の図といわれるふすまと、元信が書いたと言われる三匹の猿のふすま繪がありました。そして、三千家の墓があります。あるとき、大学生が数十名拝観にやってきました。茶室、ふすま繪、等の案内を終えて、利休の墓に案内しました。そこには、表千家、裏千家、菅休庵の先祖代々の墓があります。利休の墓は石碑が真ん中あたりで四角にくりぬいてあり、その中に頭を入れてみると、松風の音、即ち湯がシュンシュンと沸く音がすると言われていますといいますと、見るからにおっっちよこちょいの学生の一人が私が確かめてみるといって、四角い穴に頭を入れるまでは、よかったのですがいざ頭を抜こうとすると抜けなくなりました。学生は慌てるわ、私はびっくりするわ、こりゃーどうしても抜けなければ、石碑をわらないとしかたがないな。そんなことになれば、とんでもない損害になるな-そんなときにも学生は必至なって抜こうとするが、耳が邪魔になって抜けない。周りの生徒はおもしろがって、わあわあ冷やかすわ、まあー最後は何とかやっとの事で抜けたのですが、そんな大失敗をしたことがありました。物事は何につけても慎重に言ったり行ったりしなければならないという経験をしました。しかし、その様な経験も私の長い人生の中では生かし切れませんでしたね。
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by ayabemorinaga | 2011-09-14 14:09 | その他 | Comments(0)

愚痴

愚痴というのは、努力しても報われないときにだけ許されるものらしい。しかし、私などは日常茶飯事努力もせずに愚痴っている事がおおいい。目標を立てて、その願いが叶うかどうか。叶わないときは愚痴らな心が安まらない。困った性分である。この悪しき習性も最後まで直ることはないだろう。愚痴ることに生き甲斐を感じるなんてかなしいことであるが。目標を立てて叶わないときは、目標を実現するのが肝心なのではない。目標に向かって一歩一歩進むことが大切である。到達が出来れば満足をするけれども、到達が問題ではないその過程こそが重要なのだと悟ることにしている。そんな事を言わなければ成らないのは人生の敗北者の考えることか。愚痴ことで叶わぬ願いを求めて歩む心をいやしているのか。
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by ayabemorinaga | 2011-09-12 09:07 | その他 | Comments(0)

文学作品

すばらしい文学作品とは、つまるところ読む人の人生を研ぐ砥石である。といわれている。読み終えたとに、読む人の気持を和ませたり、豊にしたり、清らかにしたり、その人自身に内在する精神の自浄力を磨く砥石である。さて、皆さんはこの詩を読んで心のいな、精神の何を研がれますかな。                                             酒を勧む
   君に励む金屈巵  満酌 辞するを須いず  花発いて風雨多し  人生別離足る                    于武陵作     井伏鱒二訳                                              コノサカヅキヲ受ケテクレ  ドウゾナミナミツガシテオクレ  ハナ二アラシノタトエモアルゾ            サヨナラダケガ人生ダ 
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by ayabemorinaga | 2011-09-11 08:32 | その他 | Comments(0)