綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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距離学

学問の分野にプロクセミックスという分野があるとか。距離学と訳すのが妥当だ。距離によるいろいろな問題を考えていく学問である。貴方が同窓会、講演会、記念式典、宴会などで自由に座るとすれば、どこの席に座りますか。好んで座る席と、仕方なく座る席、敬遠する席、があるでしょう。そんなとき、何を基準にして席を選んでいますか。内向的な性格の人、無口な人は、後方の席か、片隅の席にこっそりと座る。人間関係で考えれば、好きな人のそばにはかけるが、嫌いな人からは遠い席をとることになる、居心地がわるいからだ。物理的な距離と、好悪の感情とは関連している。私たちが人間関係をつくり維持するためには、あまり距離をとりすぎてはいけない。もし、物理的に距離のある人がいたら電話するとか手紙を出すとか心理的距離を縮める為に努力すべきである。だからといって、あまりべたべたしすぎるのも問題である。つかず離れずといった距離感覚を持って付き合うことが、なが続きの秘訣かな。講演会などで、人の座っている席を観察するのも面白いではないか。時には、交友関係を知るためにも---
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by ayabemorinaga | 2011-10-31 08:51 | その他 | Comments(0)

自負心

自負心とは、自分の才能や仕事に自信を持ち、誇りに思うこころである。自惚れとは違う。うぬぼれとは、実力以上に自分はすぐれていると思い込んで得意になっていることである。でも悲しいかな、人は誰でも自惚れはもっていますね。それを口に出すか出さないかの違いだけである。人の実力は他人が評価するのであるという事を忘れないことですね。人は決して評価をしていないのに自分はじっ力がある途勘違いして口に出してしまうことで失敗をする。しかし、世の中自惚れ人間がウヨウヨしていますね。おまえも自惚れていないか、しかと反省せよ。いわれているかもしれませんが。自惚れで゛無く自負心をしかと持って世の中を歩みましょう。自負心とはいったんことにあたって、強い意欲や行動への炎をもやすことになる。自分を大事にしない、自分が揺らいでどうして他人の心をつかむことが出来ようか。何事かをなさんとする者は、決して自信を失ってはいけない。自負心を持って事に当たることである。しかし、独りよがりの自負心であったり、自己の為にする自負心では人ついてこない。また、真の自負心、自分を実力以上にすぐれているとぃった幻影からは決して生まれてこないことも知っているべきである。
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by ayabemorinaga | 2011-10-30 11:01 | その他 | Comments(0)

人との接し方

対人関係においては、自分自身で私はこんな人間だという事よりも、他人がみている自分のはうが重要である。みられている自分を意識しない限り、嫌われていることを見逃してしまうことがある。わかっていれば改善の余地はあるがーーこれとて、植木等のス-ダラ節みたいに、わかっているけど止められない。ということもある。また、相手が悪いのだという過信家もいる。そうなれば、人間関係を好くしょうと言うことは、断念することですね。自分自身の嫌われている面を知って、それを改善しょうとするひたむきな姿が、他人の共感をよぶのである。まあ、人間関係で、嫌われる要因というか、障害になる点をれっきしておこう。                     自慢話ばかりする。一人でしゃべりまくる。肩書きをひけらかす。攻撃的な話し方をする。開き直ったり皮肉を言う。人ノ話しを茶化す。気取った話し方をする。相手の顔色を見て話す。嘘を平気でつく。調子良くて軽い。愚痴、こぼし話をよくする。人ノ悪口を言う。なれなれしくふるまう。等、私などは全部当てはまる故に人様に嫌われ、いやがられて随分迷惑をかけている。知らなきゃ大目にみることも出来るが、知っていてなおそうとしないのた゛から始末におえない悪党である。と、ほぞをかんでいる人達が目に浮かぶ。
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by ayabemorinaga | 2011-10-29 10:07 | その他 | Comments(0)

聞き下手

聞き下手とは、話しを聞くのがへたくそのひとのことである。油ぞうきんに火がついたみたいにしゃべりまくる人がいる。こんな人は、相当自己中心の人である。自分を語ることに精一杯で、相手の話に耳を傾ける余裕を失っている人が、多すぎる。よほどプライドの高い人か、他人を思いやる配慮に欠けたひとである。人間は本来おしゃべりである。自分を表現したい。自分を主張したいという強い欲求をもっている。相手に認めてほしいという基本的な欲求を持っている。それを満たしてやる必要がある。聞き下手はそれに逆らうことになるので嫌われる。人の話しを聞くときに目をつむって聴く人がいる。好い聴き方ではない。話は、耳で聞くことはもちろんであるが、目で聞くものであることも知っていただきたい。表情に変化が無く、ポ‐力-フェイスで聞くのも話し手に協力的でない。言っていることは知っています。とか、そんな事は別にどぅっていうことでもない。それは幼稚だ。その程度のことか、といったわざと無視するような態度で聴く人もいる。相手の話に負けたという風に考えてしまうのだろう。だから何かいい話をされるとこっそりメモすることも忘れない。こんな自信過剰方も嫌われる。このような悪い聴き方をしている本人は、聞き下手なのであるが気づいていないから困るのだ。私たちは聞き上手にならなければいけない。特に講演を聴くときは、聞き下手であってはいけない。でも世の中には自分中心にしゃべりまくり、相手に話しをさせず一方的にしゃべりつづける。そんな人もいるからそんな人の話は無視するに限る。聞き耳を持たないといった態度も必要なことがある。皆さん講演会に行って聴衆の聴き方を観察してみてはいかが。
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by ayabemorinaga | 2011-10-28 11:27 | Comments(0)

ほどほど

自分と他人との心理的な距離を正しくはかることが出来る人を教養人というらしい?是は人間関係を維持する上で大事な意味を持ってくる。その隔たり倶合いによって、人との接し方が多様な変化をとげるからである?長い間付き合っていながら、妙によそよそしい態度をとる人がいるかと思うと、それほどでもないのに馴れ馴れ敷く話しかけてくる人もいる?多くの人と親しくなるのはいいことであるが、限度を超えた馴れ馴れしい態度に出ることは、かえって人間関係作りの障害になる。節度ある態度、けじめをつける心こそ、他人の好意をつかむ大事な要件である。ものごとは、何につけてもほどほどという事を忘れてはいけない。ほどほどは、時には塩梅、とも言うが、このほどほどが、しっかりとわかる人になることだ。よく、人との付き合いを、つかず離れずね態度が望ましいとも言われるが、これとて、どの程度がつかず離れずなのかしっかりとわかっていなければならない。何事もほどほどにーーこんなことを言いながら、自分のやろうとしていることは、中途半端にはしたくないと強引にやろうとしていることがある。しかし、是は自分の為ではない、将来を託する青少年の幸せを願ってーーー是も自分一人の思い込みで、ほどほどにしておいたらーーーと陰口をたたかれていることだろう。
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by ayabemorinaga | 2011-10-27 08:24 | その他 | Comments(0)

あいさつ

あいさつは、好意を示すサインである。人間関係を初めて作るときも、それを保ち維持するときも、また、人間関係を改善するときも、重要な意味を持ってくる。あいさつのしかたには、一般的に、だいたい決まっている
。挨拶言葉は、中国人は、今日めしくったか。韓国人は、安寧いかがですか。大阪弁では、儲かりまっか。東北では、もうおきたか。鹿児島では、正月特別良い天気でなくても、よい正月ですね。芸能界では、夜でもおはようございます。あいさつ言葉やしかたは、時とともに変わり、場所とともに変わる。人にで合ったとき、不安感を除く最初は、素直に相手の存在を認める歓迎の微笑であり相手と近づき親しくなるきっかけは、出会いの声かけ、つまり挨拶である。挨拶とは、心を開いて相手に迫ることであり、あいさつは、相手を察する相察である。挨拶は、人間関係をさわやかにする。私に最初に出会われた、ある議員がずいぶんと無愛想な人であったと言われた。相手に好感を持たせるような挨拶が出来ない。最初の出会いの印象は、何時までもつきまとうものである。誰にでも好意を持って挨拶をしなければならない。反省をしても遅かりしーーーーではまずいな。
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by ayabemorinaga | 2011-10-26 09:21 | その他 | Comments(0)

言葉遣い

言葉は、時とともに変わり、場所とともに変わる。また、恣意的なものである。言葉は絶対の意味を持たないと言ったらいいのか。言葉が人ノ口を通じて出てくるとき、暖かみを感じさせたり、冷たさをかんじさせたりするということである。人はよく、あの人の言葉には刺があるという。言葉自体にとげがあるのではない。言葉はむけいのものである。とげがあるとすれば、心にとげをかんじさせるのだ。しみじみとした味を持った言葉、ほのぼのとしたソフトなことば、とどめを刺すようなきつい言葉、奥歯に物が挟まったようなひっかかることば、すべてその人の心と伝導している。言葉はその時々の心の状態を表しているようだ。言葉遣い、は、心遣いと心得て優しさが溢れるような言葉遣いを心がけたい。されど、私などは、ずいぶん乱暴な言葉遣いで人様に迷惑をかけ続けている。心すべきことだ。
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by ayabemorinaga | 2011-10-25 10:06 | その他 | Comments(0)

言うべき事

この野郎ーといえば、こん畜生と帰ってくる。では黙っていたらよいのか。といえば必ずしもそうとばかりはいえない。確かに沈黙の弊害よりも饒舌の弊害が大きい。でも、黙っていたら自分を表現するチャンスを失うことになる言うべき時には言わなければならない。考えなければならないのは、言いたいことを言うのではなく、言うべき事を言うと言うことである。したいことをするのではなく、しなければならない事をするということである。ところが、自分では言うべき時であると考えて、声を大にして言っても、他人にはなかなか理解してもらえないことがおおいいことも現実にはある。人間関係をよくするためには、話すことや言葉に充分気をつけなければならない。言葉で言うほど簡単なことではないが、必要なときに、必要な事を必要なだけ、相手に理解していただくような、言葉遣いで話すことがだ゜いじなことである。私たちも、今言うべき事を言わなくては、存亡の危機がやってくると考えて、いっておる事がある。何ですか。しばらくお待ちを、具体的な取り組みを書き込み、多くの皆様方の理解を得たいと考えている。勿論ご批判も
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by ayabemorinaga | 2011-10-23 11:13 | その他 | Comments(0)

変わる

人間はまことに誇り高きどうぶつである。人は行動したあとで理由をかんがえるあの人があんなことを言わなければ、私だって人を傷つけることはなかった。などと自分の不始末を他人のせいにする。時には人間関係のまずさにおいても、いえる。あの人がもっと親切にしてくれれば、私だってそうするのにーーあの人がひねくれているから、いつも私の言った事をひねくれてとる。これでは他人が変わらない限り、問題は永遠に解決しない。他人を変えるのは大変難しい。それより自分が先に変わることだ。自分が変われば相手も変わる。民主党の元代表小沢氏が言っていましたね。私が変わる。とーー私にはどのように変わられたのか見えてきませんが--人間関係を深めていく為には、まず、自分の我が儘な気持をキッパリと棄てることである。人の欠点でなくその人の持っているいい面をみれるひとでありたい。出なければ、人間関係は改善されない 話しは香りみたいなものだ。色も形も生理的な味もない。話しを聞くにつれて、すばらしい心の香りが漂うような、そんな話が出来る人になりたい。自分自身が変わることによって---
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by ayabemorinaga | 2011-10-21 13:07 | その他 | Comments(0)

上を向いて

人は心でそう思えば必ずそれが外へ出るものだ。思えば出るのだ。自分の心が顔になるということは多くの人が体験していることである。相手を歓迎したいと心から思えば、顔も又、そのような歓迎の微笑iにかわる。そのことに関して、こんな話しを聞いた事がある。会社の上司が面会にきた人に会うときは、その直前まで部下と口論をしていたために、鏡をみて自分の顔を整えてからに会った。人間社会は、何事も起こらないという無風状態ではない。起こっている波風を人間的次元で解決するには、表面的でなく一歩突っ込んだ人間尊重の精神までたかめる必要がある。そしてその様な心が強ければ、やがて行動となって表面にでてくる。かって、坂本九が歌ったうえを向いて歩こうはいい言葉だ。上を向いて歩けば、心も晴れ晴れとなって、表情も明るくなる。心が変われば必ず行動も変わる。私たちは、より良い人間関係を求め、しあわせを強く願えば、それにふさわしい行動が生まれてくる。人の真意は何か。それは行動でしか知ることは出来ない。行動そのものが、人の真意なのだ。心が変われば行動も変わる。上を向いて歩こうと常に心に念じていれば、幸せを運ぶ青い鳥が好運をもたらしてくれるだろう。
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by ayabemorinaga | 2011-10-19 19:45 | その他 | Comments(0)