綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

<   2011年 12月 ( 12 )   > この月の画像一覧

政談会

過日7人のメンバ-が集まった。今回で二回目である。竹林の七賢人ほどではないが、俗世間に対して達観している人が5人はいる。ご意見番といえば口幅ったい言い方になる。でも、ご意見番といった方がこのメンバ-は似合っているだろうな。その中で、出た話とは、ΤPPはさんせいである。日本は貿易立国である。東北のがれき処理に綾部市は手を挙げるべきではないか。長幼の序が軽んぜられる風潮は残念である。選挙で辻立をしなければならないような風潮は、いかがなものか。自民党の橋下氏に対する応対辞令には違和感がある。政治の世界は義理人情も大切にしなければならない。等々風刺論壇ケンケン諤諤の話しが次々と飛び出して夜の更けるのも何のその---久しぶりに何でも好きなことがいえる会合であった。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-12-30 12:58 | 政治・議会 | Comments(0)

指摘

昨日のブログで2元代表制について書いた。首長と議会は,対等平等である。首長も議員も住民の直接選挙て選ばれる。議会は納税者の立場に立って,監視、批判をしなければならない。首長と議会は緊張感のある関係でなければならない。その様な立場から考えれば、マスコミは先に執行された大阪市長選挙で、橋下氏が、地域政党維新の会の代表であり、今度、執行機関の長であることに、矛盾を感じなかったのか。私はすこぶる疑問である。首長と議会の議員を束ねる代表は2元代表制の趣旨に反するのではないか。なぜマスコミはそのような事について論評をしなかったのか。否、現在も行わないのはなぜなのか。その点の指摘全く無かったことに違和感を感じる一人である。私の認識に間違いがあるかもしれない。ご意見があれば承りたい。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-12-27 10:13 | 政治・議会 | Comments(0)

2元代表制

我が国地方自治制度はアメリカの大統領制に倣って、2元代表制を採用しましたが,国の制度は議院内閣制でありす。我が国の地方自治制度は首長にも議員提案権を認めるとともに、議員にも議案提案権を認めています。ところがほとんどの議案は市町村長が主導権を握り、議員による議案提案権は皆無といってよい、議会運営が為されている為に、2元代表制が形骸化しているといわれている。議員提案が皆無に近い状況であるために,議員自ら政策立案能力わ放棄し、議会の空洞化を招き、住民に対する政治責任を負う意識の低下等の状況は誠に遺憾である。といわれている。今、議会は何をしているのかと,市民の批判があることも事実であります。議会は住民の為に政治を論ずる場であり、市民の信託に対するお返しとして,議会が市民に報告会を行うのは当然の道議的義務である。さて、議員にも議案提案権を認めながら、中央官僚が果たして議員に条例等の立案能力があるだろうかと疑念を持って、市町村長にも議員と同じく議案提案権を認めるという経過があったようです。憲法では,地方自治権を保障しながら、首長にも議案提案権を認めて、中央官僚が地方へ介入すると言う,憲法が保障する真の地方自治をゆがんだものにする背景があった。そのため、今日の議案の主導権は首長が握り,対等であるべき議会の地位が著しく低下している最大の要因である。現行の2元代表制のもとでは、議決機関、執行機関がその運営に当たっては,議会が執行機関より上とか下とか言うことでなく対等の立場で議論をして,住民福祉の向上のために努めることは当然であります。議員は自己の信念に基づき,批判監視の目で大いに議論することを市民から期待されています。両者は意見を対立させながらも,時には車の両輪のごとく協調することを忘れてはいけません。議会と理事者は常に緊張感のある関係を維持しなければならない。批判監視を失って議会なし,といわれ、議会は批判監視の府であります。議会も住民の声を代表して,公共問題を論じ行政をよりよいものとするため、建設的な批判を加え、仕事のやり方を監視し、曲がったことがあれば,これを正し足りないものが有ればこれを補い行政の公平公正さらに、適正を確保することが議員のもっとも大切な本務であります。古来から批判、反省のないところに、政治の公正、社会の進歩はあり得ない。議会の使命は何か。端的に言うなれば、すべて納税者の立場監視をするとともに、常に納税者の立場でものごを考え、その視点から、批判と監視の目を育てなければならない。そのために議員は常に自己研鑽に務めなければならない。議会の本務は、議員自ら政策立案能力を発揮して,住民に責任を負うことである。21世紀の地方分権時代は地方自治こそ民主政治を育てる唯一の学校で,中央官僚主義思想を排除して,我が国の民主政治を下から築き上げ之を国民全体の民主化結びつけることが重要である。。ここに地方議会の使命が有り,住民参加の意義があり、議員はその使命の使徒として,まず調査無ければ発言なしという理念に基づき,政策の立案、行政の能率化予算執行等真に住民の者となっているか注意深く調査し監視能力を高めなければならない。選挙権を有する皆さんは2元代表制についてしっかりと理解していただく事が大事なことである。近頃は大学卒業生が身近な就職の手段として、議員に立候補するとか。2元代表制の趣旨を理解して,議員活動を注目していただくことが,有権者のつとめであるる。2元代表制といった観点から,諸々の矛盾を今後指摘していきたい。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-12-25 10:06 | 政治・議会 | Comments(0)

創立120周年記念

綾部高校は平成25年には,創立120周年を迎える。我が母校の前身、高等養蚕伝習所は明治26年、グンゼ創設者波多野鶴吉翁によって創設された。当地の産業振興の為の、養蚕業の指導者養成の学校として発足したのである。昭和23年に城丹農業高等学校、綾部工業高等学校、女学校が合併して綾部高等学校と校名変更をして発足した。そして、創立80周年記念事業として綾部高校創立80周年記念誌を発刊した。記念誌編者として、山崎巌先生、塩尻弘先生にご依頼することになった。学校長の理解により、両先生は一年間校務分掌を離れて,記念誌の編纂に専念していただき,すばらしい記念誌ができあがった。確か、山崎先生が城丹関係、塩尻先生が工業高校関係と分担されていたと思う。80年間の資料収集など大変ご苦労をおかけした。しかし、山崎先生、塩尻先生だからこそ出来たのだと思っている。山崎先生には,時折、ご苦労かけたなんて言っておるがほんまにその様に思っておるか、と今でもひやかされている。創立90周年には、綾部高校同窓会館を建設することを、同窓会で決定した。募金1億円を目標としたが、約半分の4500万円程度であったが、何とか建設することが出来た。創立100周年には、創立100周年記念誌の発刊、記念事業としては、式典、大阪教育大学校長(綾部高校卒)の講演、イベントとして桂文珍の落語等が行われた。創立100周年記念誌の編纂は,迫田澄子先生にお世話になった。迫田先生は,府立工業高校から、転勤して記念誌の編纂をお世話になった。という過去の経過がある。創立120周年事業実行委員会では、式典、記念事業を一体化して行い,100周年以後の記録を編集してパンフレットとする。母校出身の音楽家への依頼、生徒会ボックス、自習室の整備等々の意見が出された。そうした素案を理事会、総会での承認を得て実行していくことになる。将来150周年記念には、綾部高校に地元出身の在校生は50人、30人程度では、悲しい限りだ。そして,綾部高校出身であることに誇りが持てないようでは、あまりにも寂しい。なぜ このようなことを書くかといえば,母校綾部高校の浮沈に関わる実態があると言うことだ。どうにも止まらない---なんて歌っていた歌手がいたが,市内中学生の進路先が綾部市以外の高校へと年々倍々ゲ—ムのように増加している。もうどうにも止まらない--なんてのんきなことがいっておれない状況である。今なんとしても,この流れを止めなくてはという志のある有志が、懸命の努力している。市民の,否、中学生、小学生の保護者2500名のご理解と御支援を賜りたいと思っている。勿論、綾部高校P丅にも全面的なご理解をいただきながら運動を展開していきたい。私たちが取り組んでいる綾部高校活性化推進会議の取り組みについてもご意見があれば是非お伺いをしたい。さてと、創立120周年記念事業成功への努力は惜しまない。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-12-23 10:17 | Comments(0)

鼻つまみ

大人と小人は,氷と炭のようにあいいれないものである。だから決して同じ器に入れてはいけない。もし両者を併用すれば,間違いなく小人のほうが,勢力を拡大する。それはあたかも、香りのいい草と悪臭を放つ草と一緒にすれば,悪臭が充満する。朱に交われば赤くなる。とか,墨に近づけば黒くなる,という言葉があるが之は視覚にうつたえている言い方である。悪臭の草については、臭覚にう伝える言い方である。周りの人に嫌われる人のことを鼻つまみというが、どうやら臭覚にう伝える言い方がひど人に強い印象を与えるようだ。私も鼻つまみといってダッカのごとく嫌われたことがある。今もあるところからは,その様にみられているだろう。しかし,之は私利私欲でやっていることとは異なる。未来を背負ってたつ青少年のためだと考えているが人様は,みんながそのようには思っていないだろう。人様々それぞれ考えが異なる。なれど、その様な様々な意見をまとめて一つの方向に向かわせることも必要だ。出来るだけ鼻つまみといわれないで,過ごしたい者であるが,時にはそんなのんきなことも、言っておられないことが世の中にはある。今更善人ぶったって,人はあんたは悪役に向いているよ。とおもっている。ならば悪役に徹して一生を終えるかーーーでもちょっぴり寂しいな--
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-12-20 09:34 | 政治・議会 | Comments(0)

強くても弱くても

国を治める、組織を統轄する、地方公共団体の長は、すべからく、寛と猛の中間をとることに限る。緩やかすぎれば,政令,条例は守られず,厳しすぎれば人人はびくびくしなければならない。物事の中間をとるということは,とかく無難なやり方と思われがちであるが、実際には相当バランス感覚に富んでいなければできない。本人は中間をとったつもりでも,端から見ればどちらかに大きく偏っていたりする。猛にすぎて活力が失われた組織、寛にすぎてまとまりのを欠いた組織、寛、猛の間を振り子の様に揺れ動く組織、寛と猛の間のバランスをしっかりととって活力ある組織として市民の期待に応えていくことこそ,トップのとるべき姿勢である。トップの自信過剰は失敗の元であることを肝に銘じるべきか。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-12-19 13:15 | 政治・議会 | Comments(0)

子供が傷つく言葉

これからブログに書くことは、教育に長く関わってきた一人として反省も含めて言いたい。子供を傷つける言葉とは、早く起きなさい、何遍言わせるの、くずくずしないで、顔洗ったの、早く来なさい、さっさと食べるんです、またこぼしている、のこさないで、といったようなことを、かなり口やかましく言っておるのではないでしょうか。母親が一番数多く言っていることは、ハヨシイ(早くしなさい)ですよね。朝起こすとき、服を着るとき、食べるとき、登校するとき、排便の時、いつも子供の顔を見るなりせかし立てています。二番目におおいい言葉、べンキョウシイです。絶えず言われると新鮮な気持ちで勉強する気にもなれませんよ。ここのところは難しいですね。ほっとく勝手なことをのんべんだらりとやりますからね。三番目によく言われる言葉、あほやね、駄目ね、辛い言葉です。子ともにすればーーできの悪い子にこの言葉は決定的なダメ−ジを与えてしまう。あほやね、駄目ね、といった言葉は急所に触れる残酷な言葉です。良く出来る子供に対しても無神経に言う言葉ではないでしょう。多くの家庭では経済面の苦しさかや、仕事の多忙さから、どの親も慢性的な過労に陥っています。いつも何かに追い立てられるような気持で過ごしている家庭が多いのではないでしょうか。ゆったりとした気分を家庭で味わうようなことがすくないのでは。ですから-終始口から出てくる言葉は、シンドイ、ウルサイ、ハヨシイといった片言言語が四六時中家庭で言われている。そのような家庭環境では、子供はじっくりと考えていく能力や態度が順調につくことは期待出来ませんよ。政治でも国民市民に希望のもてる明るい未来が展望できるような情報発信をしてほしいですね。それと同じように、子供が希望と勇気を持って頑張るような言葉を親が投げかけてやることがとても大切なのです。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-12-17 10:41 | 教育・学校 | Comments(0)

無能な役人

世の中で無能な役人ほど始末のわるい存在はない。民間企業なら、とっくにクビになっている様なできの悪い野に限って、とかく役人風を吹かせたがる。といわれているが、皆さんはいかがですか。こういった考えに異論はありませんか。また、こんなことも言われる。無能な役人は社会の敵ーーと。大都市圏、府県、行政範囲が大きいところでは、そんな役人も見受けられるのでしょうな--そんなことを言われないように役人は、府民、市民のために滅私奉仕をするべきでしょう。あんたにだけは言われたくないわーーーこれはどうもご無礼を。でも、人にいやがられるような、汚れ役をたれかがしなければ、みんないい人では、世の中の改革はすすまないでしょうね。そんないやがられ役を買って出るのも後期高齢者の責任か。 私は、教職時代に、副校長は泥かぶりをしなければならない。いい人なっては駄目だ。と口を酸っぱくしていった。悪役に徹底しろと。人にいやがられることなど誰かって言いたくないでしょう。いい副校長だといってほしい。難しい人のいやがることを自ら買って出てやりきる。ど根性のある副校長でないと駄目だと。逃げたら駄目だとも。そんな副校長がいらっしゃるでしょうかな----そんな副校長が今も健在でしょうか。いやいや今は先生の時とは違って、平穏無事でからそんな副校長は入らない様です。出あれば結構
    ところでクイズの答えわかりましたか。一問目は、木の穴に水を入れて浮き上がったボ—ルをとる。二問目水甕を石でたたき割って救い出す。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-12-12 09:55 | その他 | Comments(0)

管理職失格

下の者で上司の理解を得られないものはたくさんいます。一方上司もまた、下ノ者に充分理解されているとは限らないのです。管理職たるものは、部下の掌握が出来無いときには、まず自ら顧みて修養に努めるべし。いやしくも部下に怒りをぶつけるなんてナンセンスである。ところがだ、俺の方針を部下は理解していないーーーいっぱいやりながらこういって嘆く御仁をよく見かけるが、之こそ管理職失格の烙印を自らに押している様なものだ。偉そうなことを述べている私も府立石原高校の学科改変では、部下の信頼など0の状態でありました。このことに就いては、ブログで何回も書いていますが、学科改変絶対反対、府教委は職員の意向を尊重してことを進めるよ。分会新聞は、毎日私にたいして、悪口雑言の限りを尽くして誹謗する。四面楚歌とはまさにこのことを言う。粘り強く教職員を説得して協力者が少しづつ出来た。80人程度居る中で8人程度しか協力者は現れなかったが、その人達を中心に学科改変の一歩踏み出した。それでも学科長に改革への素案を作ってほしいといって頼んだらー私はあんたに学科長に推薦されたのではないから協力はできないとしやしやあ-と言う非常識きわまりない集団であった。当時は校務分掌は校長の任命でなく、職員会議で投票で選出されていたのだ。校務分掌を校長の任命にするための学校管理運営規則が制定されたのもその頃である。ところが、それを巡って分会がさんざん反対する。それの対応にも一苦労があった。当時高校生の春期討論集会についてもその廃止を巡って、丁々発止のやりとりをやらなければならなかった。次々と教職員との軋轢はますばかりであった。そんな中でノィロゼ—にもならずに何とか学科改変が出来たな--と今更ながら自分自身に感心している。そりゃ*あんたならなりませんよな。なんて簡単に言わないでくださいよ。実際に経験したものでなければわかりきっこないのだから--だから未だに愚痴が出るのよ。ばかばかしいかぎりですけどね。部下かわかってくれなくても、いいことはやりきる事だ。管理職失格なんて言われてもーー何のそのの心意気でさ-将来の産業社会で役立つ技術者の養成のためと子供達の将来とのためといった視点で物事を考えて、ーー驀進するのみーーそんな強固な意志を持った人間が少なくなりつつあることは寂しい限りだ。それってあんた自分をほめているの---いえいえー反省と懺悔をしているのです。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-12-11 10:23 | その他 | Comments(0)

能力と人格

能力と人格は必ずしも一致しない。にもかかわらず、一方がすぐれていると、もう一方も同じだと、人はつい思いがちである。能力があっても、人格に欠点があれば、人ノ上に立つことは出来ない。能力と人格が具わってこそ、人ノ上に立っことができるのである。そこの所を人事担当者は、しっかりと見極めなければならない。しかし
人事担当者は時には損な役回りを演じなければならないことがある。人に恩を着せるのはいいが、左遷の恨みを一身に受けなければならない。が、その責任を逃れるために、部長等にはかって決めたので自分一人の判断ではないといって、卑怯にも逃げる輩が居る。そんな無責任な人は人事担当者からさっさと身を引けばよい。
[PR]
by ayabemorinaga | 2011-12-10 16:52 | その他 | Comments(0)