綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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変な教師

今日はびっくりするようなお話を聞いた。なににそんなにびっくりされたのでするか。そんな教師が存在することにびっくりした。高校生を持っておられるお母さんから聞いた。三者懇といって、保護者と生徒と担任教師が話し合いをすることを三者懇といいます。主に将来の進路等について話し合うことが多いと思います。その三者懇の席で、保護者が進学をさせたいと思っていますと言われたら、そうですか、それなら塾に通うことですね。と言われたそうだ。皆さん普通そんなことを言いますか。言っておる担任は親切に言っている考えているのでしょう。そんな教師に担任をされている生徒も保護者も哀れですね。自分たちの無能ぶりをさらけ出していることに気がつかないのでしょうか。担任を選ぶことができない生徒・保護者こそいい迷惑だ。迷惑だなんて済まされることではないだろう。大阪市長であればなんとコメントされるかな。私のコメントはまた後ほど。今日
二・三の人に出会ってこんな教師がおりますが、どのようにお考えですが。と尋ねたところ、厳しい方は教師失格、そのような教師に指導されているいる生徒がかわいそう、なぜ学校でしっかりと学力をつけますといえないのか。ふしぎですね。お話をした人は皆あきれかえっておられた。塾にいくかいかないかは保護者が判断されること。教師は自信を持ってしっかりと学力つけますといえなければならないと思うが、どうなんでしょうね。そんな教師ばかりではないと思うが--そんな人がたくさんいらっしゃるのでしぅかね。
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by ayabemorinaga | 2012-05-28 21:14 | 教育・学校 | Comments(0)

変化自在

世の中には、いろんな人がおわす。厳しいぎゃくふうにもかかわらず信念を曲げない立派な人がおられるかと思えば、川の流れのように時流に逆らわず・右や左旦那様のたとえのように、右顧左眄、時の権力者にうまく取り入る器用な方もいらっしゃる。私には決してまねのできないことである。今日もきょうとて、おいで遊ばし、しめいをされれば臆面もなく発声されたのには驚きであった。そんな人故、革新知事の時にも管理職として過ごされ、体制が変われば、ころりと変節というか、変化自在に理念も信念もなく追従される度胸の良さにはさらに驚きである。さんざんある人のことを罵詈雑言されていながら、そんなことはおくびにも出さずにしゃしゃ-とされているその態度は私にはとうていできない処世術である。こんな態度を変化自在というのではないかな。立派な方だと改めて寒心する。節操なき変化自在は驚きだ。まあ-人それぞれの生き方があるからあれこれ言うべきことではないかもしれないが、すこしは度が超えていないかと思っただけ-これが世の中を渡るより確かな安全な道ですよ。なんて-言われたくはない。聞きたくもない。あんたは、自分ができないからひがんでいるの--とその人だけには言われたくないわ。
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by ayabemorinaga | 2012-05-27 16:45 | その他 | Comments(0)

応対

中丹のある学校を訪問した。少し驚いたことがある。アポをとってあうことになっていた。午前九時半の約束であったから、時間きっちりにいった。応接間でまっていたが、時間になっても来る気配がない。どうやら電話中のようである。飛び込みで言ったのなら、致し方がないが、事前にアポがとってあるので、電話中であっても、ちょっと来客があるので、また後ほど、と電話を切ってあうべきではないのか。お茶も管理職が頼みに言って出てくるといったおそまつさである。何も飲みたいこともないが、すぐにお茶を持ってくるのが常識ではないのかな。いやはや-気配り、目配りのできない管理職がいたことに驚きだ。決して上えから目線で言っているのではない。常識が通じないことを嘆いているのだ。こんな管理職は誰がきっちりと応対について指導すべきなのだろうか。本人が気がつくまでそっとしておくのがよいのか。言われなければわからない人が多くなってきた。そんなことを指摘されたらつむじを曲げるような度量のない人間がたくさんいる世の中になってきたよな。
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by ayabemorinaga | 2012-05-25 14:49 | Comments(0)

未来

政治家は次の時代を考えるが、政治屋は次の選挙を考える。19世紀の牧師J・クラ-クの名言である。と今日の産経新聞に竹中平蔵氏が書いておられる。なるほど、今の日本に政治家は果たして何人おられるのだろうか。大衆受けばかり考えて、自分の考えは言わずに、迎合する人のいかに多いことか。そりゃ-選挙で敗北すればす浪人に成り下がるからわからぬこともないけれど、その程度の信念ならば、最初から政治に関わることなど考えるべきではない。国の繁栄と国民生活の安定のため未来により確かな明るい展望が見いだせるような政策提言を打ち出すべきではないのか。今の政治の現況を見ておれば、未来展望が見つからずに日本沈没が遠からず訪れてくるような悪い予感をひしひしと感じているのではないか。敗戦当時の泥炭の苦しみを知っている人がほとんどいなくなり、贅沢三昧の生活をしてきた人たちが自分の欲望の追求の果てに、奈落の底に落ち込んでいく日が迫っていると考えざるを得ない。次の時代を考えて政策提言ができる政治家が現れること祈らざるを得ない。いや-すばらしい政治家がすでにいおられるかもしれない。大衆迎合・自分選挙のことばかり考えて行動する理念なき政治家を国民は見極めて一票を投じる賢い国民でありたい。そして、マスコミの情報に振り回されることなく、情報を的確に判断できる国民にならなければ、日本の国は滅亡の道を歩み始めることになる。
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by ayabemorinaga | 2012-05-23 20:43 | 政治・議会 | Comments(0)

仇敵

たとえ人が自分に背くとも、自分は人に背くことはしまい。--というのは、誠に確かな言葉である。誰もがわかっていることであるが、現実に人に背かれたとき、そのような態度ができるか疑問である。人間ができていないからと言えばそれまでのことであるが--これに付け加えて-人が自分に背くときは、自分が背かれるに至った理由を反省し、それをもって自分を磨こう。いい言葉だ。デモ八十路を迎えようとしていても、実践することの難しさを改めて実感する。まあ-仇敵感謝せよ。ということであるが---仇敵が多すぎて感謝どころか常に恨み節が止めどとなくでで来る。哀れにも悲しすぎる末路かな。
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by ayabemorinaga | 2012-05-02 10:05 | 教育・学校 | Comments(0)

心理学

教育現場で、不登校、発達障害等私たちが教育現場に携わっていたときとは格段に生徒個々と向き合って指導すべき事柄が多くなっている。個々人の生徒を指導する場合に気をつけなければならないことが多くなっていないか。教師の何気ない一言に傷つく子供多くいることを教師はしっかりと自覚しなければならないだろう。自覚すればそれで好いという物でもない。教職課程を選択する場合に、青年心理、児童心理を少なくとも4単位にして必修にすべきである。現在そのようになっているかもしれない確認はしていない。私も教師養成学校を卒業した者であるが、在学中に児童心理、青年心理各2単位しか取得していない。さらに、初等教育心理、中等教育心理これも各2単位であった。とにかく、これらの心理学の単位を大幅に増やすべきではないか。何でこんなことを言うのかと言えば、教師の一言で生徒が立ち直ることもできるし、また、たたきのめされることもあるという現実に当面したからである。各大学簡単に教職課程が取得できるのはよいが、心理学の単位を大幅に増やし今日の教育現場ではしっかりと対応できる教師を養成してほしいものだ。
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by ayabemorinaga | 2012-05-01 18:09 | 教育・学校 | Comments(0)