綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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いかに器量人たるか

理想の管理職像とは、その一常に内ポケットに辞表を入れておいて執務すること。何事にも真剣勝負で物事に取り組む意気込みと、失敗すれば責任をとって辞職する。そのような姿勢が管理職には求められていると考えるが、今の風潮は、責任逃れ、誰も責任をとろうとしない、つまらないいいわけをして責任逃れをしょうとしている管理職が多くいないか。その二小さな妥協はちっぽけな人物でもできるが、大きな妥協は大人物でなければできない。今の管理職は小さな妥協ばかりして、俺はできる男だとうぬぼれていないか。また小さな意地にこだわり、大きな妥協をする機会を見失っていないか。大きな妥協のできる管理職たれ。大きな妥協ができてこそ人はついてくると言うことを知れ。その三上役を上手に使いこなす存在になれ。上役にごまをすれとは言わない。上役をこき使えとも言わない。上役が活動できる、そのための情報提供者になることだ。上役というのは自分では情報をしっかりとキャッチしていると思っているが、案外世間の動向に疎いのである。だからしっかりとした情報の提供者となって自己の存在感をしめすことである。上役からも彼の情報は本物である信頼されるしっかりとした情報でなければならぬ。政治の世界で偽メ-ル事件で辞任をされた方がいらっしゃるでしょう。デマ情報をつかまされて--故に、情報は的確かつ正確なものでなければならぬ。上記のことがしっかりとできてこそ、器量を持ち合わせている人であり、できた人である。目指せ器量人を---
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by ayabemorinaga | 2012-07-14 06:12 | Comments(0)

愚直

愚直などと言ってみても今時の若い人にはピンとこないかもしれない。試みに辞書を引くと、正直すぎて気の利かないこと、馬鹿正直とかかれている。そのような生き方ができるとすれば、それは、そのような生き方を認めてくれる人がいる。ということであある。地道に努力をしていれば、この世の中は捨てたものではない。ということがまだ日本にはのこっている。ひたすら愚直に生きる。気づくのが遅すぎたけれども、これから愚直に生きてみたい。と思う昨今である。いやとても無理だ。からっきしできっこない。でも愚直に生きることができたらいいなと思う。
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by ayabemorinaga | 2012-07-12 19:41 | 教育・学校 | Comments(0)

府立工業高創立50周年

いかなる縁があってか知らぬが、府立工業高校の学科改編に、自分なりに精魂を傾けることができたのは、私の教職の集大成として、誇りである。と自負している。心労の連続であったことも、過ぎ去りて顧みると、今では懐かしくさえ感じられ、生涯忘れることのできぬ想い出となった。ただ、随分昔のことだ。退職後19年の歳月が過ぎた。昭和62年に当時石原高校の校長として、東舞鶴高校の教頭から赴任することになった。当時の校長、教頭は定年退職された。退職された井出校長とは、事務引き継ぎもなく、必要な書類は机のなかにありますから、ご覧いただきたいということであった。私が校長を拝命したとき、当時府教育委員の藤田先生から電話があり、これから大変なことをお願いすることになるのでよろしくということであった。当時の石原高校の課題は何か。知るよしもない。石原高校は綾部高校の機械科を母体として昭和38年に開校した単独工業高校である。開校当時は各中学校から優秀な生徒が殺到した。それから二十数年を経て、産業界の技術は日進月歩により著しく向上発展した。そのような時代の要請に適応できる学科内容の改編と施設設備の改善は、緊急の課題となっていた。工業高校の使命は、実学を学ぶことで、確かな進路を達成することだ。当時の教育長西野先生からは、生徒の進路保障こそが、学校存続の命運を左右することになる。と、何度訓示を受けたことか。しかし、今、府立工業高校が至るところで高い評価をされている。このことが何よりも嬉しく思います。      府立工業高校が10月12日に創立50周年記念式典が執行されます.その寄稿文です。少し推敲を重ねて訂正しました。
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by ayabemorinaga | 2012-07-09 14:24 | 教育・学校 | Comments(0)

痛み

重きものは軽く扱い、軽きものはおもくあしらえ(千利休)この言葉をどのように理解するのか。私なりの考えは、人の痛みを肌で感じられることができるのか。ということにつきるのではないか。そりゃ-口では何とでも言えるが、人の痛みを感じる感覚はよほど人生の修羅場で鍛えられていなければ、実際に肌で感じることはむずかしかろう。だれでも人の痛みはよくわかる。言ったとてそれは所詮うわべをかするぐらい軽いものだろう。人の痛みがはだでかんじられ、その痛みを理解し共感するとともに実践行動ができる男こそ、本物であろう。しかし、実践行動が伴わなければ、口で酸っぱくなるほど人の痛みがわかるとほざいていても、人々の共感を得ることはない。
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by ayabemorinaga | 2012-07-07 06:10 | 教育・学校 | Comments(0)

利口

馬鹿では困るが、利口なのが利口ぶっているのはたいしたことはない。馬鹿が利口ぶるのは始末が悪い。何より怖いのは、利口なのに馬鹿ぶっている----こういう手合いだよ。(小林一三)それで、このようなとを思い出した。かしこかしこ、かしこ阿呆、阿呆かしこ、かしこ阿呆。さて皆さんはどのタイプですかな。自分のことはあんがいしっているようでしらないものですよ。誰かさんに俺はどのタイプかなと尋ねてみるといいで゜しょうな。あんたはどのタイプと自覚されていますかって。勿論文句なしに馬鹿が利口ぶっている見本みたいな者ですよ。
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by ayabemorinaga | 2012-07-06 10:52 | 教育・学校 | Comments(0)

善人

十人が十人とも悪く言うやつ、之は善人であろうはずがない。だからといって十人が十人ともよく言うやつ、これも善人とは違う。真の善人とは、十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物である。(孔子)さて、さて、皆さんが善人であると思う人は、十人の内六人がよく言い、四人が悪く言う。四分六か七、三でしょうか。悪人であろうが善人であろうがそれに徹することによって、それなりの評価与えられるのではないか。中途半端が一番だめなやっだ。または風見鶏といわれて常に人の風聞を恐れて右往左往する人物もいる。世の中権力者にうまく取り入るためにかんじなときに、直言をせず追従しておもねる人のいかにおおいい世の中かな。それは権力者にも度量というものがない証拠である。そんな人に限って裸の王様になっていることも知らずに威張り散らしているひとである。違うか、この考えは---善人って難しいね。デモ、みんな心の中では善人って言ってほしいのと違うか
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by ayabemorinaga | 2012-07-05 08:02 | その他 | Comments(0)

晩節を汚す

むかしむかしのその昔、ある高校の教頭さんの奇行に困り果てた校長が、何とか指導を願えないだろうかということであったので、できもしない注文を引き受けたことがあったとさ。どんな奇行かと言えば、教育委員会の管理部長が教育委員会までおいで願いたいと言えば、何を偉そうなことを言っているのだ教え子が、用事があるならそちらから出てきて会えばよい。常識は考えられもしないことを平然として言い放ち--出頭要請に応じない。そのような教頭さんに、私は、あなた晩節を汚すことになりますよといえば、直ちに国語辞典を引用して、晩節なんてことばは載っていない。と宣わく。これは一筋縄ではいかないわと--早々と説得をあきらめて退散した。さてさて、その晩節を汚すとは、人生で高い評価を得てきたにもかかわらず、後にそれまでの評価を覆すような振る舞いをして名誉を失うことである。と国語辞典では記載されている。まあ-人生での高い評価とは何かということを定義しなければならないかもしれぬが、まあ-常識の範囲内で考えればいいだろうな。まあ-簡単に考えれば名誉が傷つくことということであろう。これもそりぞれ個人の価値観の違いがあるから一概に定義づけることでもあるまい。まあ-人の上に立つリ-ダ-あった人が晩年にその評価を覆すような行為をすれば、晩節を汚すことになるだろうな。私の父親が私に言ったことがある。私の祖父は養子に来た人であったが、頑固一徹黒いカラスも白いといえば、決して他人様の意見を聞いて、そうですよねカラスは黒いですねとは言わずにカラスは白いといって、自分の考えを改めることはなかったらしい。年をとるにつれてその頑固さは徹底していたとか。だから、あんたも親父そっくりの頑固者と言われないように心得て世間づきあいをしたそうな。私はその祖父の頑固さが隔世遺伝をしたのかもしれない。そのことは自覚はしているつもりであるが、人様は口には出されないが、いな陰ではもう少し静かにお暮らしいただきたいと思っておられる。とは思っている。おまえの親父はと、世間のひとびとから、息子が言われないように心すべきであることは十分身にしみて知っている。晩節の世渡りは難しい。
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by ayabemorinaga | 2012-07-04 11:19 | 教育・学校 | Comments(0)

言葉

人人とのコミュニケ‐ション、他人との充実感ある関係を築くのは、言葉の力だ。人間と人間の関わり合いは、難しいと言えば難しいが、簡単と言えば簡単だ。言葉は、時には他人との関係を築く架け橋になり、また相手との距離を測るものさしになる。相手にどういう言葉を投げかけるかで、その人とと平和で幸せな関係も生まれるし、非常に険悪な関係にもなる。人間を怒らせるとついつい本心をさらけ出して言わずものがななことを口走る。こうなれば長年にわたって築いてきた良好な人間関係がもろくも崩れてしまう。しまった。と後悔しても後の祭りだ。わっしょいわっしょいそれそれお祭りだ。なんてことにはならない。リ-ダ‐たる人たちよ。心してほしい。言葉怖さを肝に銘じていたずらに、怒りにまかせて暴言をはかないことですよ。慎重な言葉遣いに徹していただきたい。之も隠居の愚痴か。いやいや私の懺悔かな。
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by ayabemorinaga | 2012-07-03 17:54 | その他 | Comments(0)