綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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はかなさがなければ,美しいのはない.人は美しいものを見た瞬間、喜びとともに、哀しみと不安に,胸を締め付けられるおもいがする.それは美の天使の命のはかなさを無意識に感じとってしまうせいだろうか。中秋の名月、満点の星空の中に,まん丸い月がこうこうと輝いている.美しいと感じるのか.思えば過ぎし日の心の奥深く秘めていた傷がうずき出し、去りし人の面影がちらつき哀愁を誘うのか。それとも、やがてかけていく月を眺めながら一抹の不安を感じるのか.。人の世に生まれいでて、栄光に輝く一時期があったとしても,やがて寂しき孤独の渦中に死が忍び寄ってくる。この残酷を知らずに,人はけなげにも生き抜こうとしている。人は,苦しいこと,困難なこと,哀しいこと,痛ましいことなどから目を背けている.人とは哀しい存在である。短くも長くも感じられる人生を悪あがきなどせずに,生きようではないか.、正義を振りかざして、かりそめにも理不尽な行為をする人に鉄槌を下すだけの度胸と行動力だけは終生忘れることなく,凜として正々堂々と,人様に後ろ指など指させないだけの気迫と気力を持ってな。
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by ayabemorinaga | 2012-09-29 10:53 | 教育・学校 | Comments(0)

人生

人生は旅だ.長い、いつ果てるともわからない旅だ。長い旅の間には、つらいことやうれしいことやかなしいことや、様々なできごとにであう.人間は、よりよい旅を目指して努力し忍耐していく.時には、はてしなき倦怠になやまされ、、時には無常観にさいなまれながら---時には、人人にきらわれ、また、裏切られ、人間不信に陥りながらも、人間を信じなければ生きていけない苦しさにたえつつ--時には聞くに堪えない悪口を言われながらも、生きていかなければならぬ.よき終わりを迎えるために静かに、静かに、一歩づつ一歩づつ歩んでいく。
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by ayabemorinaga | 2012-09-24 19:12 | 教育・学校 | Comments(0)

なるほど

人が一生を生き抜くのは、並大抵のことではない.それは猛り狂う大海に乗り出した帆船のようなものだ.帆柱はたたき折られることもある.舵がきかなくなることもある.座礁することもある.様々な困難が待ち受けているのだ。しかし、苦渋を耐え、艱難を乗り切ったとき、人はそこに光明をみいだす.たとえようもなく美しい灯を--それが人生の喜びなのだ.なるほど、いやいや、そうとも言えないのではないか.いや、そうかも知れないよ.私は、挫折経験のない人は、人の哀しみ、悔しなどわかっていない、思いやりの心などさらさら持っていないと思っている.挫折は人生をたくましく生き抜くための試練である.挫折経験のない人の話はいかに立派であっても私は信じない。そんなのをひねくれ者というのだよ。ひねくれ者でも結構。なんとでもいってくれ。
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by ayabemorinaga | 2012-09-19 19:33 | 教育・学校 | Comments(0)

水に流す

すなわちミソギとは、ケガレを水に流すことである.日本人は何でも水に流す.日本人にとってケガレていることは一番の悪である.したがって、それをミソギする。つまり、水に流すことは最高の善になる。という考え方がある.日本人は今でも、何でも水に流すことが大好きな民族である。たとえば、汚職で世論の指弾を受けた代議士が選挙で当選をすると選挙民のミソギを受けた.と、いまでも言いますね。このことは罪を消す最高の手段がミソギであると考えられているからである.何でこんなことを書くのかと不思議に思っていられるだろう.理の政治と情の政治を捨て去り、政治家としてモラルなどさらさらなく、自分の栄達に狂奔して党首選挙に立候補されている方が、私は世論で理不尽なモラルなき人と指弾されようが、党首選挙で党員、国会議員のミソギを受けたと開き直ることを恐れているのですよ.今こそマスコミに翻弄されることなく自分で考え慎重な判断に基づき一票を投ぜられることを期待するや、切。過去のいきさつなどすべて水に流して、国民が迎合するだろうか.日本民族はさほど付和雷同を好む民族だろうか.日本国民の矜持は何なのか.すっかりわからなくなりかけたよ。--
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by ayabemorinaga | 2012-09-18 08:31 | 教育・学校 | Comments(0)

身辺茫々

過日綾部高校創立120周年記念事業推進のために、募金担当として,福知山市大江町の支部長たくへ訪問して,募金協力委員の選出と募金協力依頼に行った.快く承諾をいただくことができた。さて,福知山市の市寺に向かったのであるが,之がなかなか道がわからなくて往生した.福知山市市寺を福知山市寺と勘違いをしたために,道を尋ねてもそんなところは知らない.ということである.電話番号は知っていたので,とりあえず電話で場所を確認することにした.やっとの思いで,塩見一重支部長宅にたどり着いた.綾部高校の前身城丹の卒業生である.参世帯同居をされてる様子だ.孫がおじいさん田んぼ一町歩もよう作らんから減らしてくれといわれている.とか。城丹卒業後農業一筋の生活をされているようすである。息子は定年退職をして福知山市教委に嘱託として勤めているとのことである.玄関に連鶴が飾られていた.見事な連鶴である。30羽の連鶴は見たことがなかったと、四方先生がひとしきり感心している。息子の嫁さんの作品らしい。20年京都に通ってならったとのことである。福知山西部支部長は由利茂昭氏は城丹拓殖科卒業で塩見氏がよく知っているとのことであった。早速電話を由利氏にしていただき募金についてお互い協力してやっていこうということであった.私たちは塩見氏に今後の協力お願いして,由利氏宅へと向かった.一時過ぎに由利氏宅にたどり着くことができた.由利氏は奥様を亡くされて独り住まいのようである.私も足が悪くなって自動車に乗ることはできなくなったが,とりあえず今回の募金活動はやらせていただくことにする.募金をしなくてはならなくなったので,支部長を変わってほしいとは今更言えぬ.責任は果たしたい.涙が出るほど嬉しい言葉だ.城丹卒業生は自分の卒業した学校に誇りを持っていられる。また,責任感も強い。そういえばこの間東八田の支部長協力委員の会合でも,百周年の時は城丹の卒業生が募金活動積極的にしていただいたと。由利氏からは、いろんなお話を聞かせいただいた。上佐佐木の由利氏宅を後にして夜久野の瀬田氏宅へ。三時過ぎに四方信行氏と遅い昼食をドライブインでする。まだこれからも三和、六人部、船井、舞鶴、京丹後と支部長訪問が続く懇切丁寧な説明と真摯な姿勢で協力をお願いすることこそ,募金目標額達成への道である。
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by ayabemorinaga | 2012-09-16 22:17 | その他 | Comments(0)

礼を尽くす。

社会生活では,信義を重んじること,次に重要なことは礼をつくすことである.いかなる礼かと言えば,父母に孝行を尽くし父母をだいじにすることである.先祖を敬うこと.夫婦はお互いに尊敬しあうという礼儀、長幼の序あり,弟は兄を敬い,兄は弟をあいし,仲むつまじくするということ,親しき仲にも礼儀ありといわれるごとく、どんなに親しい友人の間でも,礼を守り礼を尽くすことはきわめてたいせなことである.自分の上司に対する礼、上司にはしかるべき敬語を用いて,常に上司を立て、上司が体面を失わないように気配りをするのも上司に対する礼儀である。(上司もいろんな人がいるからそこはそれ適当にするのもいいですよ)さらに,師に対する礼である。生涯尊敬できる師を持つことができないことは情けないことである.礼の尽くし方は,いろいろあろう。礼は,心も重要であるが,同時に,形に表れてしかるべきである.形があって心がない礼は,礼とは言えない.心と形が一致して初めて礼を尽くしたと言える.父母を敬い父母に礼を尽くすのは人倫の根本である。このことをしっかりと自覚したまえ.なんてまたできもしないことをアジッ—てるの-いや真剣に言っているつもりだ.礼を尽くすということさえ考えたこともない人があまりにも多くいないか。
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by ayabemorinaga | 2012-09-14 12:56 | 教育・学校 | Comments(0)

謝恩忘施

自分が恩を人に施したときは,さっと忘れて思い出さないことである。これに反して,人から恵みを受けたときは,いつまでも忘れず,必ず恩返しをすべきである.しかるに、人は人に恩を施すと,いつまでもそのことを覚えていて,相手が恩返しをしなければ非難をする.それにもかかわらず,人から受けた恩は直ちに忘れてしまって,恩返しをしようとしない.菜根譚では,恩を施すときは,元々恩返しなどつゆほども考えていない人にするに限る。と実にうまいことをいっている.最近は人間が報恩を忘れ、仇でかえすものがいるのは残念である.人としての道もすっかりと廃れてしまったようだ。政治の世界にも,自分の政治的権力を高めるために,先輩を裏切り、勿論受けた恩義など捨て去り,さらに、恩を受けた同士まで欺いて自己中心的な行動をする人を、世間も当然のごとく認めようとしているが,人一生は棺をおおうて初めて明確になると言われているように,後生の人々にどのような評価を受けるかは疑問である.恩を忘れ、施しを受けたことを忘れ、先輩を裏切ってまで栄達をしても,後生の史家は評価しない。最初は認めていた世間もそんなことなどすっかりと忘れ、おもしろおかしく揶揄をして後世の人たちへとかたりつがれていくだろうな。あなたはどうなの-といったぶしつけな質問はしないでくださいよ.
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by ayabemorinaga | 2012-09-12 19:51 | 教育・学校 | Comments(0)

人に譲る

謙譲の徳は,菜根譚が終始一貫してのべている.人間の根本である。とな.論語は、己立たんと欲して人を立つ.自分がある地位に立ちたいと思ったら,まず人を立てるように心がけるのがもっともよく,それが人間としてとるべき態度である。さらに,論語では,己をたっせんと欲して人達す。と,自分が達したいことがあれはぜ、まず人に達せさせるべきであり,自分が手に入れたいものがあれば、まず、人の手に入れてやるがよい。さらに,慮りて以て人に下る。と,人間は思慮深く,慎重周到でなければならないが,他人に対して謙虚でなければならぬ.老子は,大いなる者は宜しく下ることを為すべし。と,強大な者は威張って上に上がろうと考えがちであるが,それはとんでもない間違いであって,強大な者ほど下にへりくだる態度が必要で,川の流れは下っていくにつれて、大きくなることを考えてみよ。哀しいかな。現在の世の中はお互いに助け合い,語り合う世の中であるとともに,お互いにたたき合い,傷つけあう世の中でもある。情けは人のためならずといい,人に情けを施しておけばやがて自分に返ってくる.ところが、人に譲ったら自分が損をすると考えて,人を押しのけてでも,自分が先頭に立とうとしていないか.長い目でみれば,所詮人を押しのけて自分が先頭に立ったとても、それは一時的なことで,いずれは人に押しのけられて,人の後ろにおちてしまう.人の上に立とうとすれば,まず人に譲り,人にへりくだって,人を立てるがよい.人を立てれば今度は人が自分をたててくれる.それが人生である.長き人生の中では人にまず譲っておけばよい。ここで、人に譲ると言うことは,自分が先に出ることによって,相手が不愉快になったり,迷惑したり,不快感を持つ場合に,一歩退いて人に譲ると言うことである.何もかも譲れとは言っていない。理屈抜きに人に譲る。謙譲の精神を尊重するといった観点から今、自民党、民主党、それぞれの党首選挙に皆さん方が一票を投じるとすれば誰に入れられますかな。
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by ayabemorinaga | 2012-09-11 20:50 | 政治・議会 | Comments(0)

政治は最高道徳

政治は最高道徳である。と前綾部市長四方八洲男氏はよく口にされていた.これはアリストテレスの言葉で,政治は理想を持っていなければならぬ.理想と現実は常に乖離する.現実は常に理想をくじく形で立ちはだかる.過酷な現実と格闘する人間の行動が政治でありその行動の軌跡こそ最高の道徳が立ち現れる。政治が最高道徳(善)であるならば、今民主党、自民党で行われている党首選挙について,理想的な党首選挙とはいかなる方法が最善なのか。自分の保身を考えて党の顔を誰にすれば,自分もっとも有利な選挙が行われるのか。と議員が右往左往していないか.党としての統治機構が崩れ去って,何でもありの選挙になりつつあるのではないか.今日もテレビを見ていたら,中田宏氏が総裁と幹事長が相争うなんてことは,統治機構の消滅ではないのか指摘されていたが,同席されたいた某議員も反論せずにうなずいておられた.総裁と幹事長が相争う総裁選挙が理想的な選挙などと誰も思っていないだろう.前代未聞のことではないのか(私の認識に錯誤があり、一度福田赳夫総裁兼内閣総理大臣と大平幹事長が争ったことがある。これには理由があり,福田氏より大平氏への禅譲の約束が破られたという経過があった。信なくば立たずという政治家としての理念を遵守しなかった福田氏の裏切り行為に、大平氏が敢然と反旗を翻した聞いている).本来ならば幹事長が一歩譲って総裁を支えるのが人間としていな政治家として最高道徳の実践へと道筋をつけていくあり方ではないかと、私は考えるが間違っているか。人に譲るという精神も人として生きる道ではないのか.政治家は人にゆずつていれば一生うだつが上がらないのか。そんな理不尽なことはないだろう。恩義も忘れ、謙譲の精神ももたず、義理もすてさり,受けた情けを仇で返し,長幼の序もわきまえない,そんな姿勢が政治家として本当に許される生き方なのだろうか.かりそめにも、そのような総裁のもとで選挙に臨んだときに、国民の信頼を果たして得られるのだろうか。他方民主党では,細野大臣が、野田総理に弓を引くようなことは最後に思いとどまられた選択は賢明であり常道であろう。産経新聞によれば決断力に欠けると批判し,野田総理が解散風を吹かせたために若い連中が腰砕けになったとか。政治屋でなく政治家をめざすならば、政治は最高道徳の実践であることを忘れずに、政治家として国民に模範となるべき行動を示していただきたいと切に願う。
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by ayabemorinaga | 2012-09-08 16:16 | 政治・議会 | Comments(0)

仕事も碁と同じで,相手を押し切っちゃいかん。押したらのいて,相手の反動で前に倒して勝つのや。恨みをのこさんがために。柔道は,相手の力を利用して倒すのかな。議論をしても相手を木っ端みじんに論破するのでなく,それとなく逃げ道をつくつてやれ。一寸の虫にも五分の魂。本当に強いとは,優しいことなんだとか。何事も言い過ぎやり過ぎて相手に無理なんだいを言わないようにすることもだいじなんだよな。そんなことは百も承知さ。わかっていてもできないという人間の性みたいなものがあるのさ。まあ-人とのつきあいには,碁の精神もたいせつか。でもさ。これも年のせいにはしたくないが,年をとるにつれて気の短かった性格がだんだん加速していくようで困っているのさ。気はながく、心は丸く、口慎めば、命がながけれ。とか言われるけれど,長生きする人は,長生きするものだよな。世の中ににくまれながらもな。
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by ayabemorinaga | 2012-09-07 08:15 | 教育・学校 | Comments(0)