綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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足る

以前にブログで座禅をしていることは書いた。座禅をしていてもなかなか無心になることはできない。雑念が次々と浮かび心が動揺する。私は大徳寺塔頭聚光院に寄宿していた時、毎朝長い廊下を拭き掃除をした経験がある。勿論匍匐でやるのだ。四つ這いになって拭き掃除をしていると頭は無に成ってしまう。考え事をしていては拭き掃除はできない。無心に成るには座禅より拭き掃除をするのが私は手っ取り早いと思っている。前段はこの程度で本論に入ろう。人間の体で一番苦労しているのは足である。人間寝ても覚めても大気の圧力、地球の引力、重力の圧力をうけている。この支配から 脱出することはできない。是に順応する一番楽な姿勢は横になることである。故に匍匐する動物は一番合理的な体勢となっている。人間は立ち上がって前足を手にしたことから発達した。それにより頭が発達したので、匍匐していると頭は発達しない。故に神経衰弱や胃下垂にっている人は、四つん這いになって歩くと冶ってしまうらしい。四つん這いで歩くと、物を考えようにも考えられなくなり、非常に腹が空くから胃病が治ってしまうらしい。実に良い運動です。(デモ、四つん這いで道路を歩いていたら、人々は気の毒にとうとう気が変に成られたらしいと、哀れみのまなざしで見られることは覚悟して掛からねばなりませんよ。でもそれで健康になれるならいいじゃん。ところでみなさん何メ-トル四つん這いであるけますかな、500メ-トルできますか。そんな馬鹿なこと誰がするかってですか。もう少し立派なこと事をいい賜へ、ふざけるな、でしょうね。)文明から原始に復ると言うことでしょう。ところが立ってしまうと、脊椎という積み重ね方式のひょろ長い、あやふやな柱、それを腰で受けて、その下に二本棒をたてて倒れないようにしているので、実に不自然です。た゜から、曲がったり脱臼したり、いろいろと障害を起こすのです。しかも、腰、脊椎は非常に重要です。この中で神経血管リンパ腺が全身に分布しているから異常を起こすと体内にいろいろ変化を起こします。肝腎要の要は腰である。昔の人が腰抜けといったのは名言ですね。人間二十歳になると多少は腰抜けになり、三十、四十になると大腰抜けになります。肩がこる、胃腸が悪い、是は腰に異常があるからだそうです。さらに悪いのは足です。足は心臓から出た血液が、そこに降りてくることはできますが、それを順調に上に上げるためには、あらゆる努力払っている。足の機能が完全であれば健康です。すなわち、足る。なのです。病気をすると最初に足がだめになります。ふらふらする足腰が定まらないと精神的にも肉体的にもいけない。そこで足をできるだけ丈夫にする。是が健康の秘訣である。だから、たる、は手る、でなくて足るという足を用いたのである。ということを長々と書きました。おわかりでしょうか。だらだら文になってゴメンな。おわり--
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by ayabemorinaga | 2012-11-25 10:01 | 教育・学校 | Comments(0)

斡旋の才

斡旋の才とは、世話する。面倒みる。物事を取り運ぶ。ということではないか。にんげんが利己的であると、この斡旋ができない。不精でもできない。それに反して少々頭が悪くても、少々不細工でも、知とか才がなくても、その志・誠・愛情または、徳があれば、斡旋はできる。これはなまなかの才能人、知慧、才覚の人よりずっと世の役に立つ。人の用を為す。斡旋というものがなければ人の世は動かない。その斡旋の才能のある人、この要素を備えた人はひとかどの人物である。政治家たる人たちは、この斡旋の才を重大なる内容として備えていなければ成らぬ。と同時に徳が備わっていなければ成らぬ。なぜか、徳のない政治家は斡旋の才のみを利用して利権漁りなってしまう恐れがあるからだ。何も政治家にかぎらない、斡旋のできる人たちは、徳をそなえ斡旋の才を存分に発揮していただきたい。
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by ayabemorinaga | 2012-11-24 12:02 | 教育・学校 | Comments(0)
世の中には有為有能な人物であるにも関わらず,人に好かれぬ様な人もいます。政治の世界でも、あんなやつとは絶対にくまぬ.といっている方がおられますね。感情的なのか,本来性に合わないのか知りませんが.そのように言われる人は必ずといっていいほど,人に好かれぬ癖がある。この癖を直せばよい。言うことは易し,されど行うは難しですね。デモまあ-人に好かれるための参考になれば-その一、初対面に無心で接すること。有能な人ほど、とかく慢心や偏見がありまして,どうしても有心でせっする。是はいけない。どんな人にも初対面は無心で接すること。その二、批判癖をなおし,悪口屋にならぬ事。その三、努めて人の美点・良所を見ること。その四、良悪を問わず,人に誠を尽くすこと。私などその反対のことばかりをしてきました。それから-ついでに人物観察について--その一、通ずれば、その礼するところを見る。少し自己がうまくいきだしたときに,どのようなものを尊重するか。金か地位か,知識か,技術か,そこを見るのです。その二、貴ければ、そのあげるところを見る。地位が上がるにつれて、その登用する人間を見て、その人物がわかるのです。おべんちゃら人間か、辛口人間を登用するのか--その三、富めば、その養うところを見る。金ができると着物を買う、家を建てる。書画骨董を集める。決まりきっている。その四、習えば、その言うところをみる。習熟すれば、その人の言う所を観る。話を聞けばその人の人物・心境がよくわかる。(しっかりと学問をしているかと言うこと)その五、貧すれば、その受けざるところを観る。貧乏すると何でもほしがる人間はだめです。その六、窮すれば、その為さざるところを観る。人間窮すれば何でもやる。恥も外聞もかまっていられぬ。このような観点視点から人物評価をするのも大事な事かな。
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by ayabemorinaga | 2012-11-18 10:25 | 教育・学校 | Comments(0)

保守とは

国会が解散し選挙が執行されることになりましたね。そこで保守だ革新だ維新だだ言われていますが,保守とは何か。イギリス保守党の名相ヂスレ-リが保守の意味を維持し改造すること、時務に応じて国政をよく改造してゆくこととし、自分の使命はその保守党を国民に魅力ある政党にすることだ。といっております。本来保守党というものは、国民大多数にとって魅力あるものでなければなりません。良い保守党がなければ国が危うい。しかし、そうならないのは、何か保守党に欠陥があるからなのです。保守党の立党精神にかえり、その始めに復って末期現象に走らないことが肝要です。ところが往々にして本に反り始めに復る事を忘れるのです。そのことを忘れず絶えず新しく出直していくと行った柔軟な思考が大事です。保守とは保業守成ということであり,すなわち業を保ち,成を守るという意味であります。現在の国政は閉塞感かあり,国難とも言える様々な問題が解決されずにいたずらに先延ばしが行われている現状に国民はうんざりしているのではないか。国民の能力精神が旺盛であれば必ず勃興する。航海に例をとれば,よく規律あり訓練ある乗組員であれば荒波をくぐり抜けることもできるが,秩序の乱れた,精神こもらぬ船員どもでは,沈没の危険がある。その意味で政党政治は非常に注意をようする。国あることを知らず,ただ党あることを知り,その党よりも実は己の利ばかり図る政党員・議員では政党が堕落することでは国が滅びる。現状を見るにそのような政党があるではないか。そんな政党に国の舵取りを任せてはならぬ。故に、己よりも党、党よりも国家という精神に燃えた政党員であり議員を選出しなければ、政党政治そのものが,国民のために危うい。といったことを国民は今こそ知らなければ成らぬ。今回の選挙では,己よりも党、党よりも国家という精神に燃えた立候補者に清き一票を投じようではありませんか。
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by ayabemorinaga | 2012-11-17 10:40 | 政治・議会 | Comments(0)

糠味噌女房

糠味噌女房といえばどんなことをイメィジされますか.この言葉は一般的には古くなり所帯じみた女房といった意味で軽蔑的に理解されていますが,是は誤りであります。女房の至れるもの,というのが本来の意味である.少しお酒をたしなむ人はおわかりかと思いますが,他所でどんなご馳走になっても,家に帰り女房の出してくれた新鮮な香の物でいただくお茶漬けに勝るものはありませんね。それがご馳走の極め手であります。そのような香の物(漬け物)を用意するには,始終気を遣って糠味噌の管理をせねばなりません.寒中にくさくて冷たい糠味噌に手を突っ込み,こねまわすことは,実に大変な苦労で,これは,女房の至れるもの出なくてはとうていできないことなのです。糠味噌女房に徹すること,これが家庭生活のもっともデリケ-トな秘訣であります。それを端的に表現した言葉が糠味噌女房なのです。こんな事を言っても,今の若い人たちには何の事やら--年寄りが独りよがりにぼやいていると思われることでしょうな.だいたい漬け物なんて、スパ-で買ってくるぐらいで,家庭で漬け物などしていませんからね。言葉の意味することをしっかりと理解することが大事であると言うことを言いたかっただけ----あっ-そうそう思い出した馬鹿殿様ということばがありますね。これも悪い意味に解釈してつかわれていますね.本来是はできた殿様のことであります.なぜかと言えば,殿様となると家来がたくさんいます.ずる賢いのもいるし,油断のならないノもいる,いがみあいもする、やきもちもやく,そんな家来をまとめて冶めていかなければならない。上には幕府があって少しでも落ち度があれば,取りつぶそうと狙っている.小利口な殿様ではとてもつとまりません.馬鹿殿様になるには,愚の修行が大事なのです.馬鹿殿様は本当の馬鹿ではつとまりませんな。言葉の意味を吟味せず自分勝手な思い違いで理解していることがかなり多くありますね。
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by ayabemorinaga | 2012-11-11 09:00 | 教育・学校 | Comments(0)

頼みまっせ

民衆というか,大衆は,あの人は確かだ.あの人は尊敬に値する.あの人なら大丈夫だという鋭い直感力をもつている。だから政治家たるもの理屈抜きに,尊敬・信頼に値する人間になってくれ。これは真理だ。俗な言葉に,頼みまっせ、とか、たよりにしてまっせ、とかいいますね。大衆はくどくどうるさいこと,ずるがしこい宣伝、そんなものは聞きたくない。それより,頼むぜ,頼りにしているぜ,当てにしているぜ,といいたいような指導者がほしい.それが人間の本能だ。熊さん・八っあんまでが,何してるんだ・しっかりやれ,言わなければならぬような,政治家がうずまいている国は危険きわまりない。亡国の兆しだ。政治家たる人は,なによりも偉くならなければいけない。日夜自己研鑽に励み国民に信頼される政治をめざして。では,偉くなるとはどうゆうことかと申せば,正しくなることです。正しいこととは理屈抜きに正しいことだ。地位・名誉とかの問題ではない。今の国政の状況は,大衆から信頼されているか。ちかいうち解散といいながら,約束事を反故にしょうと画策をされている偉い人や,自分の利害得失ばかり考えて,国家天下を論じない人があまりにも多くいないか.頼りにしてまっせ,と国民から信頼される政治が,一日も早く行われることを祈るや切。
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by ayabemorinaga | 2012-11-10 10:10 | 政治・議会 | Comments(0)

行百里者九十

百里を行く者九十を半ばとす(戦国策)という額が、市会議員控え室の民政会の部屋に掲げられていた。その意味するところは,百里の行程を旅する者は,九十里を過ぎたところで半分終わったと心得なさいというもの。物理的に言えば五十里で半分のはずであるが,それはまだ旅の苦しさから言えば序の口に過ぎない.無事百里の旅を終えるには,九十里をもって半分とするぐらいの心構えでちょうどよいという.言うまでもなく物事を成し遂げるうえで,最終段階のツメの大切な事を指摘した言葉だ.議員も最終段階のツメが大事ですよ。という戒めを後輩に言うために,、先輩議員がわざわざこのような額が掲げられたのだろう。私も議員時代にそのような最終的なツメをしただろうか。顧みると忸怩たる思いに駆られることが多い.ところで、何か一つの事を成し遂げるためには,持続的な努力がひつようである.頭では理解してるが,いざ実行となると,きわめて難しいものだ。私もこんな事ではだめになるという思いに駆られ志のある皆様方と取り組んでいる事があるが、いろいろな障害にぶつかり,最初の志がめげていくようなおもいにかられる。途中でやめてしまっては,何にもならない事はよくわかっている.百里の道を行こうとするからには,途中でリタイヤなどせずに,あくまで走破する心構えが望まれるのである。がんばれそんなことでくじけてなんとするか。と激励してくれているのか.行百里者九十は,しっかりと詰めろ.中途半端で投げ出すな--といって-さ。読者の皆様には何に取り組んでいるかおわかりにはならないうでしょう。近年綾部市内の中学生が綾部高校では希望する進路の実現が困難であるという評判をしって、近隣の高校へ60数名が進学希望をするという現実があります。母校綾部高校で進路実現が達成する為の具体的な施策の実現のために、市民合意を目指して努力をしているのです。ところが、皆さん方よく相手の身になって考えよと言われますが、進学を志す中学生の親の立場になって考えられているとはとても思われない言葉を無責任に言われていますのには驚きだ。しかし、自分なりによかれと思ってやっていますが、中学生の親からはほっといてくれと思われているかも知れませんよな。-そんなことお構いなしにやろうとがんばっているのですよ。馬鹿じゃ-ないかと思われながらも---
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by ayabemorinaga | 2012-11-07 10:10 | 教育・学校 | Comments(0)

楽しみを

私は以前結婚式の寄せ書きや,色紙に何か書くことを求められたり,卒業生へのメッセ-ジなどに,楽しみのある人生を,と書くことが多かった。楽しみなくして何の人生ぞや、せっかく生まれてきたこの人生楽しむことに限る。現代社会は,楽しみが多くありすぎて、せんたくにこまるぐらいである。楽しむというのは心が楽しむのでなければ意味はない。いくら何でも人生を楽しむと言って,楽しみにおぼれてはいけない。楽シミテ憂イォ忘レルことも大切なことであるが,楽シミハ極ムべ力ラズである。たとえば麻雀だ。たまに気のあった友人やら家族で卓を囲むから楽しいのであったて,毎晩していたらくるしみになる。ゴルフもしかり月に一度ぐらいであるから楽しいのであって毎日続けるとなったら苦しみだ。楽しみは何事にせよほどほどということが肝腎である。そんな心のブレ-キのきく人ばかりではない。楽しみを追い求めて極めようとする暴走青年・壮年・老人もいる。さすれば歓楽極まって哀情多し,ということになり索漠たる思いが募る事が多い。楽しみのある人生であることは何にもまして大切なことであるが,求めすぎて酔生夢死・哀情多しと後悔せぬためには,意味のある人生とは何かということを反芻しながら,楽しみを求めることが肝要だ.これからは遅まきながら,楽しみのある人生.意味のある人生。と寄せ書きをするように心がけよう。
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by ayabemorinaga | 2012-11-04 13:24 | 教育・学校 | Comments(0)

人生大病只是一傲字

傲とは、どういうことなのか.辞書を引いてみると、おごる・あなどる・しのぐとでている。つまり,自分の才能や地位を鼻にかけて人を見下すような態度とること,俺が,俺がと人を押しのけたり人を踏みつけたりすること,是が傲にほかならない。この傲が人生を生きていく上で最大の障害になると,王陽明がいっている.人にはプライドや自尊心がひつようである.是のない人は社会人として失格である.だが、それを表に出しすぎると,たちまち傲にってしまう。傲がなぜいけないのか.必ずといっていいほどまわりの反発をまねくからである.勢いのあるときはそのような反発も抑え込むことができよう.勢いのいいときばかりでなくじんせいには,必ず落ち目になるときがある.そのときこそとばかりによってたかって足をひっぱられるはめになる.助けてくれる人など誰もいない.一般的に言って,傲になりがちなのは,自分の能力に自信を持っている人、または、現に権力を握っているひとである.自信を持つのは悪くない.ブライドもいい,だが、それが過ぎて傲になったのではマイナスである.どの組織にも,できる人間はいる.やり手だと,自他ともに認めている人物もいる.だがこんなタイプは往々にして大成しない.途中でおかしくなってしまう.なぜかと言えば,俺が俺がと自分の功績や能力をひけらかすからである.自分は傲慢であると自覚したときはどうすればいいのか.温おだやかさ,良すなおさ,恭うやうやしさ,倹つつましやかさ,譲ひかえめ、この五つの徳目を実践すればよろしかろう.私などはとてもできはしないことばかりであるが,人に説教ぐらいはできる.これも傲慢か.つける薬がない。
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by ayabemorinaga | 2012-11-03 13:58 | 教育・学校 | Comments(0)