綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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おもしろい話

 ある小学校の卒業式に、PTA会長が祝辞を述べて、今日めでたく卒業できるのは、あなたがたのお父さんやお母さんのおかげである。と言って、前に並んでいる四年生に、君は親の恩を知っていますか、と尋ねたら、立ち上がって、はいしっています。親のおんはお父さんです。妙な事をいうなと思っていると、親のめんはお母さんです。と言ったとか。これを聞いた教育評論家とか、教育関係の大学教授や教師までが、こういう子どもが、いわば偉い人から質問されて、すぐに立って堂々と自分の考えを言うようになったは、現代教育大きな進歩である。と、礼賛していたとか。まあ変な子どもや先生がいるものだ。そんな極端なことはないにしても、そんなことを言う人達もいるだろうな。そんな子どもが大人になったら恐ろしい、いやおぞましい限りだ。しっかりとした人格の形成を幼いときからやってくれ。道徳と言う言葉に嫌悪感を覚えている教師達よ。人格形成には、徳育をしっヵりやってくれ。やっています、やっていますは、聞き飽きた。教育は国家百年の計と言われるゆえんは、いかなる人間を育てるかと言うことである。知力などは薄っぺらな大脳皮質を鍛えているに過ぎぬ。勿論知力を否定はしない。健全な体の育成は言うまでもないことで、それより大事にのは徳育であることを教師は早く目覚めて実践してくれ。
  蛇足 変な先生について、この頃の体育教師に礼儀をわきまえない人がいるのは驚きだ。体育系は先輩後輩の上下関係と礼節がもっとも尊重されている世界であると思っていたが、そんな人ばかりではないようだ。オリンピックの金メダリストも先輩に挨拶もしない傲慢で横柄な人がいると言うことだ。若い時からよってたかってちゃほゃするから思い上がっているのだろう。体育技術は優秀でも人格は最低だと思ったのは間違いか。少し横道にずれた。この間、体育教師が先輩にくってかかり、高校の先輩にも無礼千万な態度と言辞をほざいた。。情けない限りだ。そんな教師か゜体育系にいたことに。体育教師の面汚しだと言う自覚がないのが残念だ。体育教師の名誉の為に言っておきますがそのような体育教師はごく限られた一握りにも満たないと思いますが、先輩としては何とも恥ずかしい限りである。先輩としてきっちり指導をしてやろうとしたら校門指導を放棄して逃げていった。名前を挙げよと言われればいつでも言いますよ。人間修養に努めなさいよ。これも隠居の愚痴ですよ。生来気の短いのがさらに気が短くなりいらいらすのですよ。私のことはさておき言いたいことはあえて言わしてもらった。                      皆さんよいお年をお迎えください。
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by ayabemorinaga | 2012-12-27 10:31 | 教育・学校 | Comments(0)

教育に臨む姿勢とは

教育で何が大事なのか。教育に長年携わってきた反省を踏まえて考えてみたい。先生というものは偉いものだ、せんせいというものは怖いものだと生徒が考え、その代わりちょっと先生にほめられたり先生からなでられたりしたら感激をするというものでなくては、日本の少年、青年は向上しない。先生が子どもは遊ばせておく、子どもに腫れ物に触るような態度接する。子どもの自治を尊重する。させらに子どもに阿諛迎合するような教師ではどうにもならない。子どもを殴るぐらいの気迫を持った教師はまだいい。殴られる教師が出てくるようでは教育は終わりだ。私も現職の時、先生が顔面に青あざを作っていたのでどうしたのですか。と尋ねると生徒に殴られた。生徒が激高して先生なぐったろかと言ったので、殴れるものなら殴ってみよ。と言ったら本当に殴られた。そんなときの現場は荒れに荒れ全く手がつけられないと言った惨憺たる状況であった。卒業式などまともに行える様な状況でなかった。先生が生徒に殴られる様な教育現場は教育など成立しない混乱の極みである。まさに教育終焉が具現化している。私が管理職として最初に赴任した学校も生徒があれていた。私は先生が生徒に殴られる様な事が有ればすぐに報告してください。即退学にしますこのことを生徒しっかりとHRでいっておいてください。指示したことがある。(時には先生が陰で生徒をあおっている事もあったが)ところが、先生が生徒を殴ったと言って保護者と新聞記者につけ回されたこともあった。この件は以前にブログで書いた。管理職たるものPTAに対しては毅然とした態度のぞめ。かりそめにもPTAの抗議を鵜呑みにして教師を貶めるような対応はすべきでない。ぺこぺこするな。たとえPTAから抗議があろうとも事実関係をしっかりと把握して対処せよ。平重盛のようにふらふらするな。先生は偉い人、先生は怖い人と生徒やPTAから尊敬されなければ、すばらしい人材は育成されない。先生も人間だ。四六時中聖人君子ではいられない。そのことはわかっていただきたい。教師も尊敬される教師であり時には生徒に怖い先生であることを実感させるだけの教育実践を行え。やっていますやっていますなど教師も弁解がましいことないわずに誰の目にも見える生徒指導・教科指導・進路指導の実績を積め。蛇足を一言 尊敬される教師とはいかなる教師か、先生自身が自己研鑚を積む中で把握し賜へ。
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by ayabemorinaga | 2012-12-24 10:16 | 教育・学校 | Comments(0)

義理

義理人情についてはこのブログで折に触れて述べてきたことである。義理人情を大切にしたい。と言えば、あなたは任侠の世界の人ですか。なんて--侮蔑をこめていわれたことがある。それも国語の教師にいわれたのには参った。義理が廃ればこの世は闇よ。という演歌歌詞があるではないか。義理とはなんぞや--がわかっていられないのか。義理人情と志が大切であると言う持論を持っておられるのが、前市長四方氏である。私もその持論は賛成である。そこでまず義理とはなんぞやと言うことを解明しておきたい。指導者、教養のある人、地位名誉のある人、このような方々は利害得失などは説かないと誤解しているひとがいる。人間には利害というものが当然あるので、当然利害を説く。しかし、これらの人達が説く利害というものは、義理が根本である。つまり、道理や道筋にかなっている事が条件である。義とはいかに為すべきかという実践の法則であり、理とはその理由であります。義理がたたんとか、義理が悪いとかいいますが、これは厳しい道徳用語であります。選挙に際して、先代からの義理があるから、いや世話になった義理があるから今回は投票します。なんてよく聞く言葉だ。すなわち義理とは、人間としていかにあるべきかという道徳なのだ。大変世話にしてやった義理を忘れて出合っても挨拶もしない。恩義もわすれ平気で裏切りをやる。(時たまそれぞれ事情があって反目することがあるから一概には言えないことですが)こんな不義理を平気でやってのける人がいないか。人間が当然、実践するに当たって従わなければ成らぬ理法、法則、これが義理というものなのだ。本当の利益は義理にかなうものでなければ成らぬ。ところが世の中の利害はたいてい義理に反して打算にはしる。これが問題なのだ。言葉の意味をしっかりと吟味せよ。いや、理解せよ。と言いたい。義理とは、実践規範行動規範なのだ。厳しい道徳律に縛られた。義理の実践は道徳の実践につながる。故に義理人情を大切に世間を渡る姿勢態度は正しいと私はかんがえる。義理人情は任侠の世界しか通用しないことばで一般的でないという人は、自分の不勉強を反省したまえ。---反論があるならどうぞ--と一度ぐらいいわせてよ。傲慢・高慢ちきと言われることは覚悟の上で
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by ayabemorinaga | 2012-12-23 09:37 | 教育・学校 | Comments(0)

素心

素心と言えば、つまり浮き世のいろいろな汚れ、いろいろな巧みそういったもの始まらない純真、自然な心である。人間の交わりも、いろいろ利害打算で交わるようなのは利交という。そうでなく、地位だ名誉だ利益だ、そんなものを抜きにして、人間の素地素心で交わる。これを素交という。人間何年たっても何者になっても、いかなる境地に臨んでも失ってはいけないものは、素心である。利害や利権や、地位名誉、そういった様々な世間の着色に染まらない、生地のままな純真な心--素心、これこそ誠である。と -素心を養い賜え世俗の幻影に惑わされることなく--素心をお大事に--できないことを本から孫引きしいっていることが恥ずかしいと思わないのか---ええまあ--思っているような思っていない様な優柔不断を地でいくような---疲れちゃツタ-
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by ayabemorinaga | 2012-12-22 12:26 | 政治・議会 | Comments(0)

独り言

デ-ルカ-ネギ-は人を動かすのなかで次のようにいっておる。およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動することをよく心得ておかなければならない。と。人は皆自分は理性的に行動していると思っているがとんでもない見間違いである。どろどろとした情念の塊だ。人間を理性的な存在と考えていたら、人間を理解することも上手につけあっていくこともできぬ。人間は平気で人を裏切りもするし、受けた恩など知るものか-それより今自分は誰について行けば得をするのか。自分の利害得失で右往左往する者なのだ。人を信用する馬鹿がいるか。背信行為など朝飯前だ。そんな人が少しづつ少しづつ増えてきた。人を信じて約束はしっかりと守ってもらえるとおもっていたらものの見事に裏切られた。そんなことなど日常茶飯事になりつつある。しかし、悲しいかな人を信用しなくては生きていけない人もいる。裏切り者を信じた自分が馬鹿だった。と後味の悪いをされた人もいるだろう。人を信じることは罪なのか--とも思いたくなることがあるだろう。しかし、信じる人がいないのではあまりにも寂しい人生だ。信じるに値する人を見抜く眼力を養おう。でないと、後で悔し涙を流すことになるから--独り言、隠居の--ご隠居あんたもそんなことばかりしていませんか。いやまだ少しは義理人情を大事にしているつもりなのだが--そうは見えませんかな。
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by ayabemorinaga | 2012-12-20 10:58 | 政治・議会 | Comments(0)

傲慢

国会答弁をみていて傲慢な態度がみられた人達が次々と今回の選挙で落選していった。祇園精舎の鐘の音に盛者必衰の---を地で行くような結果である。と思ったのは私だけだろうか。否有権者の皆様方がそのように思われた結果である。民主政治は愚衆政治と言われるが、有権者を侮ってはいけない。やはり観るべき所はしっかりと観られている。傲慢を有権者は極端に嫌うようだ。自由民主党が有権者の審判を受けて政権に復り咲くことになったが、謙虚な姿勢で有権者に約束したことはしっかりと実行していただきたい。政治は結果責任だ。できることしかいわないと言う言葉をしっかりと国民は聞いた。今後の政権運営に期待しよう。決して傲慢な態度などとるべきではない。国会答弁でも謙虚な姿勢で懇切丁寧な態度が肝腎だ。無礼な態度などとるべきではない。民主党の某閣僚が国会答弁で質問者に敵意を示す態度をあらわにされていたが、見事に落選された。また、傲慢な態度がかい間みられるような発言をされたい人、閣僚席でふんぞり返って事務方のせっめいを聞いていた方もあえなく落選の憂き目に遭われた。傲慢を有権者は極端に嫌うように思えてならない。因果応報がつぶさにみられる選挙であったかな。選挙上手な人にと思ってついて行った人達もあえなく沈没哀れなことこの上ない結果である。政党に所属しているときに随分いじめられたのかあの人とはぜ゜ったいくまないと公言されて、第三局結集もままならずあわてて過去の人や政界はぐれ鳥がよりあって未来の何とかとは恐れ入る。因果応報も厳然と生きている。政界は恐ろしい世界だ。人生には、まさかの坂がある。落選された人達は、まさかの坂など無いと思っていただろう。それが傲慢というものなのだ。私なども意地ぱりとぞんざいな言葉遣いで一言二言人に不快な思いをさせる様な事をいってしまうその結果、人々には傲慢と思われている。傲慢はいけないよ。ひとかどの事をいわれるのならまず自ら実践にお励みください。てですか。
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by ayabemorinaga | 2012-12-18 08:34 | 政治・議会 | Comments(0)

薩婆訶

薩婆訶というのは、いろんなお経の最後にある。ある日仏前でお経を唱えていると、いつしか孫がきて座っていた。孫が何を思ったのかトッゼン私にソワ力って一体何なの?と聞いてきた。いやあ-参った。即答ができない。思わず知らないよ。と言うと、じゃ-おばあちゃんに聞いてくる。と言って仏壇のまえから離れ-しばらくして復ってきた。おばあさんは、なんと言ったかな-ときくと、お経だょって--言っていた。それじゃ-わかったときくと、わかんない--と。皆さんお気づき通りこれでは教育になっていませんよね。てもねトッゼン聞かれてすんなりと答えられる人はあまりいませんよね。(自己弁護ではありませんよ)知らなければ知らないでいいのだと思いますよ。子どもに答えなければ成らんと言うのが間違いだとおもいます。どのように答えてやるかと言うことが大事なのだと思います。知らない、おじいさんは知らないが、後でよく勉強しょうね。いいこと覚えたね。と言ってやればよかったのではないかと反省しています。そうそう-薩婆訶というのは、どの真言の終わりにも付いている言葉で、平たく言えば、(そうでございましょう) (如何です。そうでございましょう)と言う意味だと理解しています。---教育者失格-あなたはじめからですよ。気づきが遅かっただけでしょう。厳しいご批判甘んじてお受けしましょう。
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by ayabemorinaga | 2012-12-16 10:46 | 教育・学校 | Comments(0)

節操

今日は科学技術の力が強大でそれが有力な武器になり容易なことでは反乱は成功しませんし、強力な国権の力にこうしがたいのです。こう言ったわけで徒党を組んだ者の力は強く、人間はそうした強大なものに阿諛迎合するという卑屈に陥りがちになりますから、マスコミも政治家もそして学者までもがみんなこれに阿る。学者などもっとも正論を吐いてしかるべきでありますが、ところが曲学阿世の者がおおいいのは、学者は元来善人であり弱い者ですから、曲学阿世でなければ孤立して世に受け入れられないからであります。韓非子は始皇帝の犠牲となり殺されましたが、これはやばいぞと感じ取り一目散に始皇帝に見切りをつけて逃げ出した尉繚子と言う人がいます。この尉繚子が、亡びるは守る所無きにあり、危うきは号令無きにあり。と、国家の支配者、国政に衝に当たる者が、これだけはどうしても守らねば成らぬ、確保しなければ成らぬという節操を持たぬ時に国家は滅びる。また、国民に向かって断乎として命令をする勇気や賢明さを持たないと国が危ない。と言う意味の事を言っている。国民に耳障りのいいことばかりいって、国民に迎合している指導者がいないか。国民に向かって真実を訴える胆力と節操を重んじる人をしっかりと見極めよう。
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by ayabemorinaga | 2012-12-15 10:47 | 政治・議会 | Comments(0)

私感

才能と実力のある部下を重用しすぎると、後で大けがをする。有能な部下ほど寵愛を受けると自信過剰になり、謙虚さを失って暴走するものだ。才子、才によって倒れる。と言われるごとく。上司は部下を買いかぶって好きなようにやらせた。部下はのぼせて若気のいたりで暴走した。暴走老人もいますが、暴走壮年もいる。いつの世も暴走する人はいる者だ。暴走する部下も悪いが暴走する事を予見できなかった上司も責任がある。お互い様と言うべきである。暴走列車という映画があったが、暴走老人、暴走壮年を誰がどのように止めるのか。誰か止めてくれと叫びながら今日も暴走老人は西に東に暴走を続ける。今日はまた何のお話なの--わからない。書いている本人が---読む人の判断におまかせ--
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by ayabemorinaga | 2012-12-14 11:31 | 教育・学校 | Comments(0)

自己修養はまず姿勢から

人相というものは大切ないぎがある。どの面堤げて とは痛切な言葉である。どの面さげて臆面もなくよく来るなって言われるような人もいますね。どの面さげてきやがったんだなんて言われないように気をつけたいものですね。できうる限り。然し相にも形相あり、色相あり、神相あり、なかなか凡眼ではわかるものではない。デモ、形相は憤怒の形相なんて不動明王の様子をさすこともある。色相 人間誰もがもっている色恋いが一目でわかるような人はあまりみないだろう。しかし、人相見がみれば、色相がからだ全体に色濃くにじみ出ているひともあるのだろうな。相をといた書はいくらでもあるだろう。その中には痛切な誤りのない名言もあって自己修養に役立つものが多い。まあ、自己修養を励むには、すわっている姿はどっしりしておらねばならぬ。つっかい棒のいるような体勢はよくない。身体が揺るぎ、足は乱れ頭をたれるのもよくない。歩く姿はまっすぐで、ゆがんでは成らぬ。つまり頭はまっすぐ、腰はきまり、胸はあがってをるべきで、身体がまがり、頭をゆさぶり蛇の様に曲がって歩き、雀のやうにぴょんぴよんし、腰がおれて、頸がゆがんでいるのはいけない。自己修養の第一歩は日常の姿勢をしゃんとすべきである。また、人とは争わない。どんな苦難にも恨み言を言わない。節食をする。よいことを聞いても大げさにびっくりしたり喜んだりしない。能くそんけいする。全く言うことなしのいいことだらけだ。できないことばかり羅列するなって--ええ-でもさこれと反対な利口馬鹿がいないか。目はぎらぎらめすみ視、よたよた歩き、独り言、などみなよくないことばかりをやる人もありますね。ええ-何をいいたいだったけ--忘れた。隠居のつぶやきもこの頃わからなくなってきたってですか。そう-書いている自分さえわからないのだから 読む人などなんのことかわかるはずがないですね。
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by ayabemorinaga | 2012-12-09 09:23 | 教育・学校 | Comments(0)