綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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狭量な器

君主にはまず誠心誠意仕えなさい。しかし、どうしても君主が間違っている場合には面とむかつて直諫しなさい。と孔子は弟子の子路におしえている。自分の立場をわきまえながらも上司に誤った考え方、方針があれば誠意を持ってただすべきである。と言っている。しかし、現在所属している組織の成員として考えてみても、そう簡単に諫言などできることではない上司の考え方が間違っていることが明らかであっても、言われたとおり行動している方が部下としては一番楽なつかえかたである。言いたくても言えない雰囲気の組織、進言することによって上司の反感をかい将来の地位に関わるかも知れないなど考えては口を開かぬのがぶなんである。このような人間があまりも多すぎないか気骨ある人間がなぜいない。これも教育の成果??とは恥ずかしい。人間社会は人と人との結びつきであから組織では上に立つ者の大きな責任と役割は風通しをよくし、信頼関係を築いて意思疎通がはかれるようにしておかなければなければならない。そういう上司の下では立場をわきまえながらも部下は諫言すること可能になる。部下の意見、諫言をくみ取ることができない上司を狭量の器という。組織の上司は狭量の器な人部下からそんな陰口やそしりを言われないように 気配りをする事が大事ですよね。あんたからは言われたくないわ---そう-デモいいことだと思えば実行してみては如何         追記 人は誰でも責任ある立場になれば、最初は部下の意見を謙虚に聞きますが、在職期間が長くなるにつれて、傲慢になり、部下もおべんちゃらばかり並べ立てるから、それをいいことに諫言をする者をダッカのごとく嫌い敬遠する悪弊がでで来る。これはいかんともしがたい人間の業なのかも知れない。そのような人間の救いがたい業から解脱するには、風通しのよい、意思疎通のはかれる組織づくり誠心誠意つとめることが人間を大きく成長させるでしょうな。そのような上司の下で仕える部下は幸せでしよう。--挫折経験のある人は人の心や痛みがよくわかる人が多い。挫折経験のある上司はしかりと気配り目配りをして部下の諫言にも耳を傾けるでしょうな。たまには気配りなどせぬ人もいますけれどもね。
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by ayabemorinaga | 2013-02-24 11:21 | 政治・議会 | Comments(0)

真実に基づく行動

もし、私が刑場に送られるような立場に立たされれば、声はかすれ、足は震え、小便まで漏らしてしまうだろう。皆さんはお笑いかも知れないが、一皮むけば人間なんてみんなこんな弱さを持っている。             やれ、国のためだ、会社のためだ、社会の人々の為だと考えもし、行動していることが、どれだけの真実なのか、誠心誠意なのか、私たちは冷静に反省してみるひつようがある。「----のために〕している事が、あるいはとんだ間違いかも知れない。だからこそ私たちは自分の信念、行動が真実かどうか、己を修め、己を律し、己を省みる、ことを心がけなければ成らぬ故に私は常に何事を行うにも、同僚と共通認識のもとで切磋琢磨し確かめあえながら、事を進めてきた。と確信していた。また、このブログでも克終、晩節を汚すな、有終の美の大切さを強調してきた。晩節を汚すことを恐れて、何事についても、真実に基づく行動かどうかを常に自問自答しながら推進してきた。と自負している。私はこの事に関わっては、事実をたしかめ真実に基づく行動をしてきた。人に後ろ指を指されることは決してないと思っている。皆様方も何事を行われるにせよ、真実に基づく行動を実践されたし----そしていかなる誹謗中傷にも敢然と事実を持って証明できる人で有られたい。そのためには、真実に基づく行動をする事が必要不可欠であることをお忘れ無きように      (でないと、汚名という恐ろしき罠が、ぽっかりと口を空けて待っていますよ)---釈迦に説法であることは心得ていますが、あえて強調しておきたい。
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by ayabemorinaga | 2013-02-23 10:19 | 教育・学校 | Comments(0)

克終

克終とは、簡単に言えば、最初は誰でもがんばるが終わりまでがんばり通すことは、なかなか難しい。ということではないかな。何事につけても最初は生き生きとした活動を行うが、中頃になると惰性になり、最後に音を上げてやめてしまうのが人にありがちな情である。物事の終わりまで慎重に気を配る事が、有終の美につながるのである。こんな当たり前のことは誰でもしっかりと理解はしているが、実践となるとなかなかできないものである。老子も終わりを慎むこと始めごとくすれば敗事なし--と諭している。克終すなわち終わりをよくする。誰もが有終の美を心がけているが、それが時には、有醜の媚に成る事が多い。人生終わりに近づけば克終を意識して慎重に遊歩する事であろう。
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by ayabemorinaga | 2013-02-17 10:09 | 政治・議会 | Comments(0)

学校の教化

学校は生徒を教育・教化する事が本来の使命、にもかかわらず多くの心ない政治家は学校教育がいかに大事であるかを忘れ、自分の仕事に関係ないと他人事のようにゆるがせにしていないか。否、学校教育の中立を理由に、関心を示そうとしていないではないか。学校は天秩、すなわち、天が定め、さとした秩序、民彜、民に人として守るべき道理を教えるところであって、一切の冶道、すべての冶政はここから出発をしていることを知っていないからではないのか。教育は国家百年の計などと言われているがほとんど形骸化している。国の繁栄未来もすべて教育如何にあることを知るべきではないのか。この意味から橋本大阪市長が教育に関心を持って指導されようとしていることに共感を覚える。これまでの例を見ていると問題が起きたときには、何とか無難に収めようとして首長が関心を示した例はある。しかし、さらに踏み込んで根本的に解決を図ろうとした事は無かった。教育の中立の侵犯という批判を恐れて--安倍内閣も教育改革に積極的であることに期待している。国家の存亡が否民族の将来が教育如何に関わっていることに、多くの政治家の覚醒を促したい。教育こそ一切の冶道、すべての冶政はここから出発している事をしっかりと認識いただきたい。いまこそ、国民市民も教育に関心を示さない政治家を見定めて厳しい判断を下すことができる賢明な人にならなければならないことを一人一人の市民が自覚することが強く求められいている。--- 蛇足 以前に厚労省の工リィ-ト官僚が収賄罪で逮捕されたが、これなど民として守るべき道理を学校教育で受けてこなかったからではないか。また、地方の教委委員会の教育長が道徳教育と言われると抵抗がある。と言っていた。また、嘘をほんとらしく人に言っているひともいる。そんな考え方の人が教育長とは失望した。人として歩むべき道理が学校現場でおざなりにされた結果かくのごとき偉大なる??人物を育てたのだ。かくのごとき事例を挙げよと言われれば枚挙をいとわない無残な現実がある。今こそ、終戦後連綿と続いた教育の全面法改正に取り組むべき時ではないのか。
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by ayabemorinaga | 2013-02-16 11:32 | 教育・学校 | Comments(0)

欠点

私などは欠点を背負って一生の大半を過ごしてきた人間なんで、今更気負って偉そうなことなど言えるわけ無いとは、心得ているのですが、でもさ、言わせてよ。人の性格は十人十色で強弱、長所短所などいろいろな特質を持っている。その特質を知って短所を直すための努力を積めば、どのような役職に付いてもつとめられる。遅鈍ならば鋭敏さを、軽薄ならば厳しさを、軽率ならば緻密さを、繁雑ならば大要をと言うように、それぞれの短所を努力して克服すればよい。任命された職責の内容を充分に検討もしないで、己に偏に循うて、独断的な性格で無理に仕事を進めようとすれば失敗するであろう。今の人は本を読んでも深い読み方をしない。役職についてもその職責を充分果たしていない理由は、自分自身の短所に気がつかないでいっこうに欠点を克服しょうとする努力を怠っているからである。人も三十を過ぎればそれなりに、自分の欠点なんて知っているが直そうと努力しないだけなのだ。人に指摘されれば意地にってなおさら欠点をさらけ出すみっともない人がいるよな。そんなの強情というのではないかな。デモそんな人に限って筋を通していると錯覚しているよな。そんなのをなんとかにつける薬なしというのだろうか。自分の欠点を直す努力を日々研鑚されよ。さすればいかなるセクションでも大成されると思うがな。                                                今後隠居のつぶやきは、土・日にのみ書くことにしますので----時たまそれ以外の日に書くことがあるかも知れませんが、原則土曜・日曜のみに書くことにしました。
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by ayabemorinaga | 2013-02-10 12:26 | 教育・学校 | Comments(0)

義命

道理、義命を求める生き方こそ尊い生き方である.私などはとても及びも付かぬ生き方である.釈迦やキリスト・孔子のような聖人でない私たちは人間本来の生き方がなかなか悟りきれず、怨念の世界のなかで私心を捨てきれず我執の思いにさいなまされて、あくせく生きている悲しきそんざいである。                  さて、人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし--と遺訓した徳川家康。棺を蓋いて事定まる。と詠じた杜甫の詩ではないが、結局のところ自分自身の日常生活における行動一つひとつについて事の善悪を考え、道理とは何か、義命とは何か、常に自己診断しながら自我の上に立った不断の努力と忍耐を積み重ねてその評価を他の人に待つことになるだろう。世間の人が棺を蓋いて評価してくれるには、晩年の生き方如何に関わっている、いかほど生前の名誉・地位・功績があったとしても、晩年の生き方次第では汚名を永遠に残すことになる。晩年になっても我執から解脱できない人のいかに多きことか。晩年になって、義命・と道理を探求して已まぬためにも不断の努力と気力を維持しながら生きていければ、人生有終の美を飾ることができるだろう。私などは、怨念渦巻く世間の恨みを一切ひっかぶり悠然と生きるだけの気迫はまだ持っている。恐ろしいことであるが---だから思わぬところで失敗を重ねている。昨日松本清張の霧の旗をTⅤで見た。怨念の塊となって復讐するすさまじさに--さもありなんと思った。羽振りよい自称人権弁護士が怨念を抱かせたばかりに徹底した復讐にあい没落する哀れさは当然の報いである。人に恨みをかい怨念を抱かせるような愚かな行為は慎まなければ墓穴を掘ると言うことを改めて考えさせられた。
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by ayabemorinaga | 2013-02-09 20:51 | 教育・学校 | Comments(0)

責任

指導的立場にある人の責任の取り方はどのような取り方が最善なのか。教育行政などは責任逃れなのかどうかは知らないが通達を連発して現場に責任を押しつける。問題が発生すれば通達をしっかりと守っていない現場の責任と言わんばかりの姿勢が見られないか。人は誰でも指導的立場になったときから、責任の取り方についてしっかりとした考えを持ち、問題が発生したときには、出所進退をはっきりとすべきではないか.問題が公になり、世論の批判をあびてしぶしぶ責任を取って辞任するなんて最低の行為だ。問題が起きたときに、てきぱきと規則に基づき処理をせずに、できうる限り隠蔽をして、事を荒立てないようにして責任逃れをしょうとする.そのような体質が組織にも指導的立場の人達にあるのではないか.昨今マスコミで騒がれている問題を見聞きするに従って、責任逃れのいいわけがましい言葉や、自分の責任を指摘されて逆上して相手にかみついているそんな人達がいる.情けないというのか恥を知らないというのか、なんと言ったらいいのか言いようがない.恥を知りなさいと諭すことさえばからしいような人達が--(管理職・指導的立場の人達は辞表を懐に持って仕事をしたまえ)-清くさっぱりと自分の非を感じて責任を取ることがいかに大事な事かを考えさせてくれる。私も責任を取って辞任することに何のちゅちょも感じないし、そのような事態になれば、責任を取る事にやぶさかでない.こんな事を言っているが人様から見れば当然責任を感じ無ければならないのに、無視して居座っていたではないかと思われていることがあるかも知れないな---恥をしれ--と言ったそしりを受けないためにも細心の注意が必要か---
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by ayabemorinaga | 2013-02-02 10:06 | 教育・学校 | Comments(0)