綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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才か徳か

私は今までに多くの人とふれあう機会があった。信頼していて裏切られ後になってそのことに気づき、信頼した自分の人を見る眼のなさを悔やむしかなかった。所詮人生なんて、人に裏切られたり、裏切ったりの連続なのだ。いやいや人に裏切られるのは自分に人徳が備わっていない証拠なのだ。才は徳に及ばずと言われるが、私など才も徳も備わっていないわびしい男だ。と、開き直っている。トップの器でない人間が、そのポストにあることは、本人にとっても悲劇であるが、部下にとってはもっと悲劇である。どんなに仕事ができ、すばらしい才能があっても、それ故地位を与えて人を支配させてはならない人物がいる。実力のないトップは権力を使いたがる。権力を行使するトップには、部下達は表面着いたふりをしていても、心の中で舌を出している。権力で人を支配しょうとする人には、地位を与えてはいけない。そんな人には褒美を与えて、地位を与えてはならない。ところが、おうおうにして悪知慧を働かして気配り目配りをしているふりをして、権力者におもね、地位を得て権力を行使する事になる。しまった、あんな人物に地位を与えるのではなかった、と後悔しても後の祭りである。ところで、派手ではないが、その地位を与えると自ずから治まる人物がいる。徳のひとである。この才と徳との使い分けをうまくやるのが人事の根本原則である。課長級は才の人を用いるのもいいが、部長となると徳の人を登用する事だね。すなわち、才は徳に及ばずという考えを実践する事がだいじだね。
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by ayabemorinaga | 2013-04-28 12:40 | 政治・議会 | Comments(0)

隠居

いかなる時、どのような社会であっても、トップはケッダンの連続である。ところが、この決断たるや、健康なときでさえも、とんでもない間違いをやってこうかいすることがある。まして、健康が優れないときや、体力の衰えが決断を狂わせるのは、しごくとうぜんのことである。たいてい人間は壮年に成ると地位とか名誉をほしがるものだ。ところが老境に入って、なお、金も地位も名誉も持っていない人は、わりとさばさばとあきらめて何もほしがらない。故に、体力の衰えを感じたらさっさと引退するに限る。そして時には憎まれ口をあえていいながらご隠居生活をするのがよい。そして金銭は、毎日のせいかつができる程度もちあわせていればいい。そんなことわかりきっているができないのだなあ-この簡単なことが--
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by ayabemorinaga | 2013-04-27 11:38 | 政治・議会 | Comments(0)
西暦1988年4月1日赤目坂俊太郎は、府教委の辞令交付式を終えて、石巻高校の校長室の椅子にどっかりと腰をかけてようやくたどり着いた校長職の高揚感に浸っていた。思えば紆余曲折の長い道のりの果てに、たどり着いた終着駅である。これから俊太郎の身の上に予期せぬ過酷な問題が降りかかることなど、神ならぬ身ゆえ知りもせず、ひたすら言いしれぬ満足感に全身を包んでいるように見受けられた。俊太郎は最初から教職を目指したのではなかった。帝都工専大学の入試に失敗して、たまたま合格したのが教職課程のある帝都教育大学であった。それだけの理由である 帝都教育大学に合格したとき、ああ俺も教師にシカなれないのかという失望感を味わった。己の能力の程度さえ見極められず、傲慢にも思い上がっていた。俊太郎は父親が六反ばかりの田畑を耕作して細々と生計を営んでいる農家の長男として、1935年に赤目坂村に生まれた。俊太郎は幼い頃から父親から聞かされていた地元では有名企業のユニセの社員になることであった。しかし、その夢も帝都工専大学入試に失敗してもろくも破れた。そのため挫折感に打ちのめされ人知れず悩んだ暗い過去を背負っている。帝都教育大学を卒業したが、教職への就職は厳しいものであった。500人の卒業生のうち卒業時に教職つけたのは10名に満たなかった。臨時採用教員として、50人程度が採用されるという状況であった。俊太郎も卒業年次の7月から臨時採用教員として、上中小学校に勤務する事ができた。教員採用試験を受けてやっとの思いで正教員になり6年間勤務をしたが、同僚教員達の管理職志向の競争意識に嫌気がさしている頃高校生徒の急増期で教員採用だけでは間に合わず小中学校から高校教員を補充する措置が為された機会を捉えて、西山高校定時制に転出する事ができた。高校教員になれば給与も小中学校長なみにもらえるから、別段管理職にならなくてもいいと言う考えがあった。                                      追記毎月第三日日曜日に書きます気が向けば読んでください。
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by ayabemorinaga | 2013-04-21 12:36 | その他 | Comments(0)

大人のつきあい

君は君、我は我なり。されど仲よき--(武者小路実篤)立場もイデオロギ-も違うがそんなことは頓着しないそんな人とのつきあいこそ大人のつきあいというのであろう。されど、皆の衆はそのような見方はされていないようだ。立場、イデオロギ-が違えば犬猿の仲で口も聞かないのではないかと思われているらしい。この間もあるお祝いの席で、いろんな立場の人と同席となった。和やかに談笑するのに、私のそばの人が、お互い立場が違ってもこのような雰囲気で無ければいけませんね。いいことですね。口も聞かれないのかと思っていましたよ--と感心された。議論は議論立場は立場そこはしっかりと見失うことなく、誰とでもお互いに胸襟を開いてつきあうのが大事だ。当たり前のことであるが--否、同じ立場の連中の方が何かにつけて腹立たしい思いをする事がある。仲間だからこれでも許されると言った甘えがあるからだ。ばからしい。立場もイデオロギ—も違う人の方が気配り目配りをされている事が多い。勿論時には手厳しい批判もされるが--それでこそ人間傲慢にも成らず反省もするからいいのだ。
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by ayabemorinaga | 2013-04-20 08:38 | 教育・学校 | Comments(0)

決断の時

最近に座右の銘と題して--の五原則なんて書きましたが、座右の銘とは、人間、土壇場に直面したとき、心をささえる座右の銘を持っているのと、持っていないのとでは天地雲泥の差だ。右せんか左せんか、人生の決断を迫られたとき、心の原則を持っていないといたづらに迷うばかりで、物事は解決しない。と私は考えますが、そのような、人生の決断をしなくて過ごすことのできる人は幸いなり、右せんか左せんかとまようことなく人生を送れる人ももた、幸運な人なり-だがな--企業経営者や世の指導者たるひとは、精神的なバックボ-ンなくして一日もつとまるポストではないゆえ--座右の銘をもたれるのがよろしかろう。別段むりして持つことも無かろうが--気骨ある人達はそれぞれに、座右の銘をもって人生をすごされたことだろう--それじゃあなたの座右の銘は、向仁義無敵 これまでの人生で役に立ったことがあるの--いやいやこれから役に立つのさ--  
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by ayabemorinaga | 2013-04-19 09:19 | 教育・学校 | Comments(0)

清規

私たちが生きている社会は、清規と陋規とによって成立している。清規というのは、親に孝行せよ。とか、人に嘘をついてはいけない。と言うような一般的な道徳である。ところが陋規というのは泥棒にも泥棒のル-ルがある。義賊鼠小僧次郎吉は、金をとられてもこまらぬ中流以上の家をおそうこと。放火をせぬ事、いわゆる陋規である。けんかにもけんかのル—ルがある。賄賂の取り方にもル—ルがある。このようなダ-クサィ卜の道徳が乱れたとき中国五千年の歴史は革命に突入している。さて、日本にも陋規がある。この陋規が乱れたときには、社会が混乱をするのではないか。言い換えれば悪には悪の掟があるいな、守らなければ成らぬ一線があるのだ。さてさて、けんかのル-ルとは、相手を徹底的に打ちのめすのではなく逃げ道を作ってやること。 陋規が守られなくなったときに日本社会はどうなるのだろうか。中国は五千年の歴史に終止符を打ち革命が起きた。まだ、陋規が守られているのだろう。革命の気配はなさそうだ。いやいや陋規どころか清規さえしっかりと守られていないと、思うのは後期高齢者の僻みか。若者の礼節を守れない無礼さに、いやいや配慮気配りのなさにはあきれるばかりだ。しかし中にはしっかりと気配り配慮をされている方もおられるから一概に弾劾できないが-いつの時代゛も現代の若者は--と慨嘆するのが年寄りの癖なのさ。
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by ayabemorinaga | 2013-04-14 20:07 | 教育・学校 | Comments(0)

ぼやきか愚痴か

ぼやいてみても、愚痴ってみても、所詮詮無いことであるが、自分の非力無力をぼやくことでしかごまかすことのできない、自分が情けない。自分の出身校に誇りが持てないほど哀れというか情けないことはない。皆さん方はどのように考えていられるか知らないが--世間であほ学校・馬鹿学校などと言われるような非常識な人はおられないと思うが、何となく侮蔑の視線が感じられるようになれば情けないではないか--人からお宅はどこの高校を出られたのですか-と尋ねられてすぐに返答ができないような高校であってほしくないよな--   さてと、京都は革新府政が28年続き高校三原則がその期間遵守されてきた。しかし、府民の間では、府民の信託に応えた公教育特に、高校教育の改善が熱望されていた。昭和53年に28年間続いた革新府政は終焉し保守系が政治を奪還して林田知事が誕生した。林田知事二期目の頃から府民の要望に応えるべく、教育委員会は高校教育制度改革へ着手した。昭和60年頃にはすべての高校に(職業学科単独高校を除く)一類・二類を設置して大学進学率の向上を目指して各高校が切磋琢磨競争をした。その結果これまで私学に遅れを取っていた大学進学率が飛躍的に伸びた。当時の制度改善に携わった先生に聞くと一類・二類・三類はいずれも並列であると言う考えの基に制度設計をしたと言うことであった。普通科高校の学科改編が終了した機会に、今度は職業学科の学科改編に府教委は着手した。それは時代の要求を先取りした立派な学科改革が実現した。当時の府教委先見の明と英断に感服をしている。当時の職業学科単独校は石原高校と水産高校の二校である。さらに併設している宮津・峰山、田辺についても並行して行われることとなった。2カ年近くの議論を重ねて、今の府立工業高校・海洋高校が誕生した。それから二十数年の年月が過ぎ一類・二類の制度は制度疲労をしたという理由か、二類が募集定員を割るようになった理由か知らないが廃止されることになった。制度疲労というならば、府立工業・海洋高校もぼちぼち制度疲労をする頃であるか、いやいやますます隆盛を極めているではないか。その理由はどこにあるのか。当たり前のことであるが、進路保障の完璧充実が地域信頼を勝ち得ているからだ。聞くところによると南丹高校に工業コ‐ス制が設置されることになる。これは地域工業界と官民一体となった要望があってこその実現である。意見・要望が統一されていない地域の要望など最初から官僚は小馬鹿にしているだろう。一類・二類廃止については私は未だにすっきりとした理解ができない。一類・二類を存続させることによって、制度上は各校は平等のス夕-卜ラィンで高校の進学率競争をなぜ゜させなかったのか。さらに不可思議なのは、一塁二塁廃止前に(中丹通学圏では旧制中学校に)特定高校に特別学科を設置した。なぜ綾部高校にも特別学科が設置されなかったのか。中丹には綾部市・福知山市・舞鶴市の3市がある。平等均衡を考えれば、綾部高校に特別学科設置されて当然ではないか。なぜ西舞鶴高校・福知山高校にのみ特別学科が設置されたのか府教委の意図をお伺いしたいものだ。府教委から言わせれば校長会の意見充分斟酌して一類二類の廃止を決めたと言われるかも知れないが、府教委の一類・二類廃止の意向に意を唱える校長などおられないだろう。いやおられたかも知れぬから断定はいたしませんがね。福知山・舞鶴に特別学科が設置されるやいなや、綾部市内中学生が地元高校を顧みることなく脱兎のごとく希望進路実現を目指して市外市外へと流失をしていく現況を座視しなければならぬ非力に歯をくいしばりぼやく哀れさは人一倍惨めなり。山に良材--里に人材 その里の人材をなぜ綾部市で育てられぬのか そんなことでいいのでしょうか綾部市民の皆様方
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by ayabemorinaga | 2013-04-13 12:13 | 教育・学校 | Comments(0)

四悪追放

四悪とは、いわざる罪 きかざる罪  決めざる罪  実行せざる罪をいう。組織に属している人はこれらの4悪に染まられぬように常に注意をする事がひつようでしょう.組織の会議が、ことなかれ会議を制す春日かなとなったら、これは末期的症状の会議である.ご無理ごもっともと言わざる罪を自覚せよ.そりぁ―言い過ぎるのも困るが――言わなければならない事は誰に向かってであろうとしっかり言うべきである.聞く聞かないは、言われた人の人格の問題である。ところがトツプに成ると耳に逆らうような情報はまず入ってこない。トツプは常に諫言をしてくれる部下か友人をもっべきである。聞かざる罪  人の言うこと事が聞けなくなったら、人間としても、病、膏肓に入った証拠で恍惚からポンコツへ入ったと言うことだろう。しかし、聞かざる罪を犯す人はわんさといるよな――自分の言うことが一番正しいと思っている輩が、世の中にあふれかえっているわな--決めざる罪と実行せざる罪については言うに及ぶまい.この四つの罪を日常生活から追放したまえ――人間ができますよ.この罪を追放すれば--人格など完成しなくてもいきていけるってか--そりやそうだな-  そのような考えの輩にはつける薬さえ無いよ--言うことさえばかばかしい--
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by ayabemorinaga | 2013-04-09 19:13 | 教育・学校 | Comments(0)

色道三則

人物評価をする場合に、真正面から取り組むよりも、裏側の色から見た方が、正確に把握できる。というのは、色には人格が反映するからだ。特に別れ際にね。だいたい男と女とはほっといてもくっつくものだ。しかし、男の本性がはっきりするのは、女との別れ際である。ところで、色道大学ほど卒業の難しい学校はない。一単位修得することさえ、われわれ凡人には至難の業である。ところが色道大学にも原理原則がある。いわく、色道三則。色の道に連れは禁物 男は自分と慣れ親しんだ女のことを他人に喋らず  自分の下半身の始末に他人の知慧を借りるべからず。 さらに、浮気五原則 一回きりである事。 金銭のやりとりなしであること  人目を忍ぶ中であること お互い恋愛感情があること 両方とも新品でないこと  たいそれた事など言えないが、四十過ぎてなお、女房以外の女に惚れられないような男は我々同姓から見ても魅力がないぜ--外へ出たら惚れられしゃんせ  そして惚れずに帰りゃんせ----という都々逸があるけれど、こんな思いを女性から託される男でなくちゃな--ちょっと書き換えました。なんでなの  いろいろあるがな--わかってくれよ-
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by ayabemorinaga | 2013-04-07 11:33 | 教育・学校 | Comments(0)

進路保障こそ我が命

私のブログには、記事ランキングがあり,私も関心を持ってみているのであるが,私たちが取り組んでいる高校活性化に関するブログとして、教育困難校・帰去来の辞がランキング入りしているし,このところ教育問題について書いているのがよく読まれているようだ。誰が読者なのか判明しないのが残念である。綾部市内の中学生小学生をお持ちの親が読まれていてる事を祈るばかりだ。私は3年前から志ある有志達と綾部高校活性化について取り組んできた。少しは理解者が増えてきつつあるが,綾部市全体の問題とはなっていない。今日も産経新聞に舞鶴市の私学日星高校に特進コ-スを開設し国公立大学や有名私学への進路保障を市内での完成を目指す。それを舞鶴市が2370万円を予算計上して支援するという。舞鶴市の英断にだだ敬意を表したい。なぜ舞鶴市が私学に補助金を支給して支援するのかと言えば,舞鶴市の優秀な人材流失を防ぐ狙いである。と言うタイトルを産経新聞は掲ている。舞鶴市の支援目的は,地域の高等教育機関による教育の質や学力向上を図り地域活性化につなげるための支援としているが、優秀な人材が市外へ流失という問題を危惧しての支援である。賢明な判断であり、タイミングも絶妙と言わざるを得ない。なぜなら、舞鶴市内の中学生が市外(福知山の公立校と私学)への進学する割合が,平成20年度が22%だったのが,平成23年には、26%に増加しさらに増える事への危機感があった。さらに、市の担当者は、舞鶴の官公庁や大手企業に単身者が多いのは、市内にいい学校が無いからだと聞く、と、コメントしている。私学は、学科改編が迅速大胆にやれるという利点がある。舞鶴市が私学に目をつけられたのも賢明である。舞鶴の人材は舞鶴゛育てる――日星高校の高邁なる理念に賛辞を惜しまない。さて、我が綾部市内の中学生の市外への進学状況であるが、平成20年度以降卒業生半数(50%)近くが市外へ進路保障を求めて流失している。その傾向は今後さらに増加の傾向が顕著に表れてくることは火を見るより明らかである。綾部の人材は綾部で育てると言った世論がなぜ゜おきぬ。我々のビィア—ル不足もあるが、もう一つ何何緊張感に欠けルのが最大の原因なり
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by ayabemorinaga | 2013-04-05 12:46 | 教育・学校 | Comments(0)