綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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赤目坂は、どうぞと石坪教頭にソファ-をすすめ自分も腰を下ろして相対した。そこへ、遅くなりましたと言って菅井事務員がお茶を運んできた。とたんに周囲に甘づっぱい香水の香りが漂い校長室の空気を和ませるようだ。赤目坂は、運ばれてきたお茶をすすりながら、ところで教頭さん要件は何でしたか。はい申し遅れましたが、石巻分会が校長さんに挨拶がしたいと行ってきておりますが、如何取りはからいましょうか。単なるあいさつ程度ならいつでもいいですよ。但し交渉となるなら事前に予備交渉によって所要事項を取り決めておく必要がありますな。分会交渉行う場合は必ず予備交渉をすることをしっかり分会にも理解してもらっておきましょう。今校長さんがおっしゃられたことは、分会にしっかりと伝えておきます。ところで教頭さん今後の学校運営について、何かお考えはありますか。いやまだ何も考えていません。辞令交付の時に府教委から何か聞かれましたか。校長さんをしっかりと支えて学校運営をお願いしたいと言われました。私も藤中教育委員さんから電話が有り、これから大変なことをお願いすることになりますが宜しくお願いします。と言うことは聞いているのですが、府教委からはまだ何も聞いておりませんが、普通科の学科改編が終わったので、これからは職業学科の改編改革が進められると思います。これからは、学科改編改革を衷心になって協力していただく教員を7/8人選ぶ必要がありますね。この人選は石坪教頭に一任しますから、宜しくお願いしますよ。わかりましたしかし、自信が有りませんな。この学校へはなにぶん初めてなので。しかしやるしか有りませんな。宜しくお願いします。と言うと、石坪教頭はわかりましたと言って出て行った。赤目坂は、前任の石橋校長からの引き継ぎ事項は皆無である。校長室の机の上にメモ書きで、必要な文書は机の引き出しの中にすべて有りますがら適時ご覧ください。と言った程度の引き継ぎしか受けていない。校長内示を受けたときにすぐさま石橋校長に引き継ぎの時間を取っていただきたいと申し入れをすべきであったとほぞをかんだ。石橋校長はこれまで学校再編計画について、校内討議の継続性を維持するためにも、今年度に校長・教頭が退職するので、教頭は校内から推薦した人が登用されると思っていたが、結果は校長・教頭二人とも他校からの転入であったことが不本意であったのか。知るよしもない。今更前任者の石橋校長に聞くことも無かろう。自分なりにやるしかないと腹をくくった。府教委は校務分掌は主任も含めてすべて校長が任命すべきであると言う方針は持っていたが、貝殻革新府政28年間にわたり継承されてきた、校務分掌はすべて選挙で言う方針を変更するにはなかなか思うとおりにいかないために、暫定措置として校務分掌の決定は従来通り選挙の方法は認めるが、開票は校長が行い、開票立会人を教員から選任すると言う方法で、奥丹8校は実施されたが、石巻高校は、職員会議で議場閉鎖をして、選挙管理委員の選挙を行い、選挙管理委員が一切の選挙を管理すると言うことで校務分掌主任を選挙で選任した唯一の高校である。
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by ayabemorinaga | 2013-05-14 13:43 | その他 | Comments(0)
高校へ転出するときに、校長面接があった。謹厳実直が風貌に現れている笹田校長は渋いグレイのス—ツに身をつつみ穏やかな表情で、私の顔をみるなり、あなたには定時制勤務をお願いすることになります。と言われた。私はとっさに昼間勤務ですね。と言うとあなたの場合は教科の関係で夜間勤務になります。赤目坂は自分の出身校である西山高校定時制に農業科・家政科があり昼間に生徒が学んでいることは知っていたが、夜間があることはしらなかった。昼間勤務を希望していた赤目坂は、ちょっと考えさせてください。と言うと、笹田校長は、今日はすこし風変わりな教員ばかり来る。さっき面接した家庭科の教員も即答せずに考えさせてくれと言った。勤労学生を教えることに情熱を持たないような教師にこちらからお断りだ。と口をへの字に曲げて押し黙られたので、私は、ほうぼうの態でその場から立ち去った。その足ですぐさま市教育長村山先生を訪ねた。教育長室に入るなり、定時制夜間勤務なんです。即答せずに帰ってきました。と報告すると、村山教育長は、赤目坂君誰かが勤労学徒を教育しなければならないんだよ。昼間働きながらも勉学の志を立てて夜間に学ぶ生徒の身にって考えてくれないか。君が行かなければ、たれかが行かなければならないんだよ。君の今後の事については、私からも笹田校長にお願いしておくから、頼む行ってくれないかと懇請された。わかりました私の身柄は先生一任します。と言うことで西山高校定時制勤務する事になった。西山高校には、全日制・定時制を合わせて20年間勤務した。その間卒業学年の担任は3回進路担当は3年、人権教育担当は5年、人権教育推進のために1年間大都府教育研究所て゛研修を経て、再び教育現場で研修結果を生かすために自ら希望して定時制に変わった。定時制では、生徒指導担当が主な分掌であった。それから、東山浮島分校定時制教頭を2年、東山高校全日制に変わって1年勤務して、石巻高校校長として転任する。これが赤目坂俊太郎の略歴である。赤目坂は、教師の出世街道と言われる、教務部長、生徒師導部長、進路部長の経験は無い。常に経済的・社会的弱者の立場の生徒を支援することに情熱を傾けた。西山高校20年間については、ああ西山高校、と題して書くよていである。当時西山高校を勤務した人はどこでも勤まると言われるほど教師に取っては厳しい教育環境であった。それを一言で表せば、修羅場といことになる。教職苦節27年にしてたどり着いた校長職だ。そんな思いに浸っていると、ドアがノックされて、市坪教頭が、校長さんちょっとよろしいか。といいなから入ってきた。
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by ayabemorinaga | 2013-05-03 13:13 | その他 | Comments(0)