綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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時事放言3

事実から真実を見いだすことが出来るか。事実は真実でない。と言った事をこのブログ随分以前に書いたことがある.事実を知ることによってこそ、しっかりとした批判ができる事がある。事実を知らなくて、ひとかどの物知りらしく評論することは、ちゃんチャラおかしい。たとえば、沖縄の普天間基地は今住宅のど真ん中に存在する。住民の騒音被害や危険にさらされている故基地移転が声高に民意として叫ばれている。もっともな民意である。そのことには全く異論がない。沖縄における基地負担の軽減には賛成である。(普天間基地は本当は基地を作る前は原野であった。市街地の真ん中に基地がある、学校やマンションが目の前にあって危険きわまりないと言うけれど、順治が逆なんだからさ。基地が出来た後思いやり予算などがあって、基地による利益を求めて周りに人家か゜たった。是が沖縄に取っては不都合な事実なんだよ。小泉内閣の時、普天間の地主に支払う基地使用料は年間66億円だった。沖縄だけは地代が年2%以上アップするからしょっちゅう売買が゜ある。交渉相手の地主が毎年変わるから防衛省も大変だぜ.沖縄県民の所得は全国で1番低いけれども、基地労働者の賃金は普通の倍である。基地が廃止されたらどこで働くのかね。)と飯島勲氏が政治の急所という本の中に書かれている。基地問題とは比較にならぬが、何も無い広っぱに学校が建設され、その周辺に人家が建ち始め住宅街となった。そこに住み始めた人達は、学校の周辺であるから、野球の球が飛んできて屋根の瓦や窓カラスを割ったり、サッカ-のボウルが飛んできて雨戸を壊したり、始業のベルの音がうるさかったり、運動会ともなれば、騒音に一日悩まされることがある。そのことを承知で家を建てられたのではなかったか。しかし、住民の皆さんから野球のボウルで瓦を割られた。窓ガラスが壊れたと学校に、しごく常識的な苦情が殺到して、そのたびに平身低頭あやまりに言った昔を思い出す。されど運動会の騒音、応援練習の騒音、ベルの音、管弦楽器の練習騒音はいかんともしがたい事で有った。何事も目の前の現象だけにとらわれず、事実をしっかりと把握をして建設的な議論があってしかるべきか。
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by ayabemorinaga | 2014-03-22 10:59 | 政治・議会 | Comments(0)

政治は人間関係

政治は最後は人間関係だから-渡辺恒雄読売新聞社主の言である.政治部記者として、政界の裏表まで知り尽くした氏の言葉には重みがある。だろうな-と思う.政治に携わる人達は人間関係に細心の注意を払わないと、とんだ墓穴を掘る羽目になる。現在の世の中は、お互いに助け合い、語り合う世の中であるとともに、お互いたたき合い、傷つけ合う世の中でもある.こんな世の中で人間関係を大切にするには、とにかく人に譲る態度が必要だ.強大な権力をもっものは、威張って上に上がろうと考えがちであるが、それはとんでもない間違いで、強大な力を持っている者程下にへりくだる態度が必要で、川のながれは下っていにしたがって大河となる。論語は、己を立たんと欲して人をたつ.自分がある地位に立ちたいと思ったら、まず人を立てるように心がける事である.さらに、己を達せんと欲して人を達す。この解説はいるまい.政治は人間関係だ.このことをしっかりと心に秘めて何時いかなる時も行動することだ。
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by ayabemorinaga | 2014-03-13 11:49 | 政治・議会 | Comments(0)

捨てる

手に入れたいからこそがんばるのだが、求めれば求めるほど縛られる.それが欲望というものだ.名声を欲し、愛欲におぼれ、過度の食欲を満たし、物欲に駆られて財をなそうとする.人の心の闇は深くいじめることで優越感を満たす快楽さえある。際限のない欲望が人を破滅に導く例は、現代でも枚挙にいとまがない.人が生きていく上で最低限必要なものはなんだろう。それ以外はきれいさっぱりと捨てたほうが、結果としては楽になる。だが、果たして捨てることが出来るだろうか。そうそう断捨離と言う事が一時期言われたことがあったな--あれもこれもの欲望を如何に上手に捨てきるか-年を取るにつれて、なかなか捨てきれないものが多くなり塵の山のようにうずたかく家の中を占拠している物品がある。持っていても使いようのないものを後生大事に抱え込み捨てようとしない.もったいない精神も大切であるが--時には思い切って捨てないと後に残った人達が迷惑をする.特に愛という名の欲望にはくれぐれもご用心を---そうそう私の祖母は名前を すて といつた。昔は妙な名前が多いいいが--すて-是も妙な名前である.そこで祖母に名前の由来を聞いたら、子どもが育ちにくいので-生まれた子どもを誰かに拾ってもらえば育つと言われて、生まれなりの嬰児を(みい)に入れて道に捨てそれを見ていてすぐに拾ってもらったそうだ。道ばたに捨てられたから--すて--そのおかげで、85才まで長生きが出来た。と言っていたことを思い出した。是も捨てる効用だったのか。年代によって捨てなければならぬ欲望がある。さらに求める欲望も存在するはずだ。それをしっかりと見極めて捨てないととんだ事にもなるよな----捨てることが出来なければ施せと仏教は言う。
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by ayabemorinaga | 2014-03-10 11:31 | 教育・学校 | Comments(0)

つき会う

疎み疎まれず人とつきあう極意はあるのだろうか。この世に生きている限り、人づき合いはついて回る。広い意味での世間は無視できても、身近な人間関係を絶つことは不可能である.大切だから寄り添い、愛しているから束縛し結果として疎み疎まれ、ちかくて遠い存在になっていく.知人友人異性、家族、隣近所など、我々の悩み事はは人間関係に起因する.なれ合いになれば距離をおき、疎遠になれば近づいてみる.親密度に反比例した距離を意図的に演出する事が、新鮮な人間関係を保つコツかも知れない.人間関係が1番だと心得ていながらも私たちはついつい惰性でつきあってしまう.親しい者には遠慮が無くなり疎遠な者には目もくけない.私が以前つとめていた教職の職場にも、ああ言えばこういう随分とつきあいにくい人がいた.ミスでもすればいつ徹底的に攻撃されるか知れない恐ろしいほど存在感のある教員がいた。その教員の周りには30人ほどの取り巻き連中がいた。なぜ三十人の取り巻き連中がいたかと言えば、当時は何事も選挙で選出するという時代であったがどのような選挙にも30票近くの票を獲得されていたからからだ。しかし、絶妙のバランス感覚が働いて、その教員は主任になれる票数は獲得出来なかった。その教員の核の傘に入っておればミスをしても徹底攻撃されることなく安全であるからだ。森永君よ。私は君と親しくしているために、何事の声かけもしてもらえぬ。とぼやいていた友人がいた。その教員の核の傘の中に入ったら--というと今更そんな見え透いたことも出来ないよ。じゃ-しようがないから-付かず離れずにつけ合け会えば1番無難だよ--と言った事を思い出す。如何に上手につきあうか。人生いきているかきばりいろんな苦から逃れることは出来ないと達観することだな--それとも一念発起して仏門に入いり一切の苦からの解脱を試みてみたら--おいおい人付き合いのコツを教えてくれるのではなかったのか--人間関係の苦から逃れるために仏門に入れとは随分人を虚仮にした話だな--そうかもな--            追記  蛇足とは思ったが-その教員退職されると誰も見向きもしない寂しい老後を過ごされていた。新聞の死亡欄に掲載されることも無く人づてになくなられたらしいと言う事を聞いた。 そんな蛇足を書いて何になるそのようなのを冒涜というだ。失礼だろう。御免な--そのような言わずものがなのような事を書くな--だから蛇足って断ったよな--理由にならぬ。屁理屈だ。けしからん--    
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by ayabemorinaga | 2014-03-07 12:07 | 教育・学校 | Comments(0)

世間って

世間が許さない。世間に通用しない。世間体が悪い。世間に顔向けが出来な。など子どもの頃にさんざん聞かされてきた。世間て、そんなに怖いものなの-今頃の若者に見られる自己中心主義者たちのように、世間を無視して我々は生きていくことが出来ぬ。正体不明の世間なるものに振り回されないこともストレス解消の秘訣かも知れないが-そのようなことを言っている私も世間の一人であるかな-世間の正体って何-まず始めに世間話の正体はなんだ。世間話と言われるたぐいのなかには、ほほえましい話もあるだろうが、ほとんどは悲しいかな、陰口・無駄口・差しで口である。まあ-人間不平不満を胸の中にためておくのは難しいから、思わず知らず愚痴はでるだろうよ。ところがついつい話しているうちに言葉がエスカレ—イトとて人の悪口になってしまう。さらば-人のことは言わないようにしたらいいのだが--是もなかなか口で言うように簡単にはいかぬからやっかいである.私たちは世俗の中で生きている.人と話せずに生活が出来る訳でもないし、高尚な話ばかりでは息が詰まりそうだ。無駄と思えるものも効用はある。世間話を一切否定したら人間関係がぎくしゃくする。愚痴なら許そう。されど陰口は許さない。この境目をしっかり心得ていればいいのであるが、是も言うはやすし実行は至難の業だ。陰口は慎まなければならぬ。当たり前のことであるが、話している内に人の陰口になっている。悲しいな--本当に--それこそ世間に顔向けが出来ない--いやいや私は陰口ではない人を評論しているのさ。いや-月旦かも知れぬ。--あんた-そのような、子どもだましのいいわけが通るとでも思っているの--ところで世間ってなんだっけ--渡る世間は鬼ばかり--鬼ばかりではないだろう.心優しき人達もたくさんいるわな--世間に助けられたり貶められたり--世間は魔物か--いやな-世間の評判は人の行動に抑止力をかけるという効用がある.即ち世間に顔向けが出来ないような行為・行動は決してしてはならぬ。と言う。
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by ayabemorinaga | 2014-03-05 09:21 | 教育・学校 | Comments(0)

妄言直言

竹林の七賢人というのは知っているが、政界の三賢人とは、前尾繁三郎・椎名悦三郎・灘尾弘吉氏は理想の政治追い求めた優れた政治家であった。今頃は政治屋と言われる人があまりにも多いい。そもそも賢とは何を意味するのかぎもんもあるが--灘尾氏は賢人でなく変人だろうと言いたいよ.私たちは--前尾・灘尾氏は衆議院議長・椎名氏は副総裁であり、椎名氏は三木武夫を総理大臣に指名した人である.副総裁は鬼より怖い.生んだ我が子を育てず捨てる.副総裁は鬼より怖い息のあるうち引導渡す。と戯れ唄も作られた.椎名氏は三木氏を総理大臣に指名したが、三木は総理になったとたん、大喜びをして、生みの親の言うことなど知ったことか。要するに俺は力があったから、椎名氏もおれを選んだとバルカン政治家三木は自己の力を過信した。世の中そんなひとがたくさんいるわな-椎名氏は後になって三木氏の政治感覚に疑問を覚えて是では国の存亡に関わると感じられて、三木おろしをされたから前述の戯れ唄も作られた。椎名氏は仙人・前尾氏は学者・灘尾氏は詩人であり宗教家の趣を備えてる.前置きが長くなった.何を言いたいのか。これら三賢人を見習われよ元・前総理大臣経験者達よ--老いたるは道を忘れずと言う逸話がある。経験豊富な年寄りは判断を誤らないと言う意味で使われる.ところが永田町界隈では道を忘れた老馬が放し飼いになったて、暴走というかけっこに没頭している様は、何とも興ざめがする。老馬が暴走しかけたら誰も止められないのか止められないだろうな--走り疲れて暴走を辞めるまであきらめるしかないか。三木氏同様俺が育ててやったのにこの頃わしの言うことを聞かないとお怒りで暴走を始められたのか.そろそろ賢くなって賢人である言われるような人になってくださいよ。ところで妄言直言ですが、森・村山・鳩山・小泉・細川・五賢人会を作って自己研鑽をされては如何--
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by ayabemorinaga | 2014-03-03 13:38 | 政治・議会 | Comments(0)

過ちは人の常

仙崖和尚が老人の特徴として、くどくなる.気短になる.愚痴になる.出しゃばりたがる.世話をやきたがる。ことだと言っている。私にぴったりと当てはまるのは、くどくなる.この頃のブログもくどいでしょう.もっとあっさりとまとめきれないのかと思われるでしょう。さらにブログも愚痴っぽいでしょう。気短な性格は生まれたときからですが.人様に頼まれもしないのに、出しゃばりいやがられている.自分でできっこないのに、世話をやこうとしゃしゃりでて人様に毛嫌いされている。そして、この頃やることなすことミスの連続である.ミスをするから人間だ。すると自分はあまりにも人間過ぎる。と苦笑している。過ちは人の常、これを許すのは神
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by ayabemorinaga | 2014-03-01 11:52 | 教育・学校 | Comments(0)