綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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政治の原点

政治は最高道徳である。政治とは、富の分配である。政治とは何かと言えば先に述べたように言われることある。政治家を志す者が忘れてはならない政治の原点とは何か。 橋本龍太郎氏は、首相退任後ワシントンで行った講演で、こう言っている。【私は幼いときから障害を背負いながら仕事にとり組む父の背中を見て育ちました。父の死後、政治家になって以来今日まで、高齢者や各種の障害に苦しむ方々、社会的に弱い人々が差別されることなく、安心して能力に応じて仕事が出来る社会を実現する事が政治家としての私の原点であり、国の最も重要な責務の一つと確信しています。】橋本氏と言えば、すねる、威張る、ごねる人であるというイメ—ジがあった。また、角福戦争と言われた自由民主党総裁選の時には、恩人佐藤氏(佐藤栄作氏が例外中の例外として橋本氏の仲人をしている)の意向は福田支持であったのを知りながら、田中角栄氏を支持した事で、義理人情に薄い人であると思っていた。福田赳夫氏より田中角栄氏が義理人情を重んじるいうか老婆心が旺盛なのに感激されて田中支持に回られたのか知るよすべもないが。はたまた、橋本龍太郎氏のスキのない紳士的な気取り、ポマ-ドでビシッと決めたリ-ゼントス夕イル、自分でもキザな男だと思うと言う台詞に嫌悪感を抱いたものだが、人を外見というのか一面だけを見聞きして判断することのあやふさを痛感した。橋本龍太郎氏の政治の原点に共感し深い感銘を受けた。政治家は政治の原点は何かと言う事をしっかりと持っていなければならぬ。さて、我が町でも今年八月市会議員選挙が行われるが、立候補予定者の皆様方の政治の原点についての考えを聞きたいものだ。
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by ayabemorinaga | 2014-06-30 08:19 | 政治・議会 | Comments(0)

人間をいかに見抜くか

人間を如何に見抜くか。わたくしたちは易者ではありませんが日常的に人を見ることはしています。自分なりに人物鑑定はやっております。私たちは人物鑑定の手がかりは何かというと,その人の外見であります。外見と言ったとき,私たちは相手の面、容貌、スタイル、肩書,対応の仕方、つまり,ものの言い方あるいは会っているときの表情などで相手を鑑定します。おのれの容貌に自信が有りスタイルにこる人は,一言で言いますと血が薄いのではないか、いや,血が冷たいのではないか。                                                                                                        人間の顔は全身の神経の末端、過敏点で埋まっている。人相を見ると言うことは、その人の精神状態、健康状態を顕微鏡で覗くようなものである。顔というものはいくら表面を繕ってみても本当のことがすべて出ていてごまかしの利かぬものだ。たとえば、金は掃いて捨てるほど有るが、なんとしても、それ以上に貯めたい。ごまかしてでも金儲けがしたい、と朝から晩まで考えている人は、確かにそのことが顔つきにまであらわれてくる。目に落ち着きが無く、瞳に冷酷な光が宿り、雰囲気に穏やかさが無くなる。人間、金を稼ぐだけ稼いで握ったら離さないでいると、必ず神様が取り戻しにやってくる。この宇宙には平均の法則というものが有るらしい。うつかりすると、命まで奪われかねないから、惜福の工夫をすることですね。                                                         人相は自ら作るもの自分の心がけ一つで自らの相を整えて開運できる。まず鏡に向かって自分の相をととのえることである。鏡は無言だが人の心を赤裸々に映し出してくれる人相で何を見るかと言えば、この顔は福相であるか凶相で有るかを見るのです。、いくら過去の肩書き、経歴が優れた人間でも根性の悪いのがいるこれは凶相である。あまり近づかぬがよろしい。                                         さらに,外見の場合、まず気づくのは,威張る男です。非常に傲慢な人がいて,俺は偉いぞと反り返っている尊大で自信過剰な人がいますね。偉いというのは他人がしてくれる評価を自分自身で自分の評価をやっているひともいますな。他人がやるべき評価を、私は私でやっています。というのは、自分は馬鹿ですと言っているのだと思います。その様な人の傲慢さの背景にあるのは肩書きの場合が多いい。しかし,例外もありますよ。しかし、そのような傾向が見られると言う事です。人間を見抜くことの如何に難しきことか。私などは、人間を見抜く眼力はゼロに等しい。しかし、たまには、まぐれかも知れぬが眼力をもって人間見抜くことが出来る余力はありそうだ。。
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by ayabemorinaga | 2014-06-27 19:56 | 教育・学校 | Comments(0)

人格が磨かれる条件

電力の鬼と言われた松永安左ェ門氏は男が磨かれる条件の中に,闘病生活をあげているのは、自分が病人になって始めて,弱者、病弱者の気持ちがわかるからだという。人の上に立って仕事をする立場の者は、ただ強い心だけでは人心をまとめることは出来ない。ひとが付いてく様な人望のある人になるには、弱者の心のひだ読めるようにならなければ成らぬ。と,松永翁はいう。さらに男を玉にするには、投獄・浪人生活をあげている。浪人生活をすると、自分の非力を否応なしに自覚させられるから、人間も謙虚にになり,肩で風きり都大路をのし歩いたことが何となく恥ずかしくなる。そして酒の飲み方までしょぼくれるが、そのような状況の中でやせ我慢でもいいから、プライドを維持出来ればひとかどの人間である。投獄生活は、銭湯に入ると,他人様の前に裸をさらさねば成らない。同様に監獄に入ると,人は遅かれ早かれ,心の衣装を脱がされる。だから、監獄に入ったときこそ人間の真実の心を知る最上の機会となる。闘病生活についてはすでに述べた。そのような経験がなければ人格は磨かれないのか。いや,その手段として読書をする事によって,追体験できる。故に、人格を磨くには読書をすることも必修条件である。問題はいかなる本をよむかである。以前このブログで鮎川氏が読書するなら、十八史略を読むに限ると言われていることは書いた。四書五経を読み通すことが出来るか。とにかく人間学が学べる本を読に限る。本を読んで日常行動に実践しなければ無意味であるが--まずは,弱者の心が分かる人になることが,人格を磨く第一歩である。人格を磨き品格・風韻・胆識を兼ね備え、懐の深い泰然自若とした人望のある人になれ。何でも自分が知っていなければ気が済まぬうえに、こせこせと重箱の隅までほじくり探すようなみっともないリ-ダ-にはなるな。リ—ダ-たらんと心がけている人は男女をとわず自己研鑽・自己革新をおこたらぬことである。
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by ayabemorinaga | 2014-06-25 09:04 | 教育・学校 | Comments(0)

風韻のある人柄

鍵山氏は人間の魅力について、このように語っている。にんげんの寿命は有限です。て゜も,人間の幅を増やすことは無限に可能です。有限の人生を無限に生きるためには,人間の幅を広げることです。では人間の幅を広げるとはどういうことかと言えば,人間的魅力を持つことです。人間的魅力は何によってふえるかというと、人に対して,特に弱い立場の人を思いやることです。そのとおりだらうが現実は、口を開けばもっともらしく弱い立場の人を思いやるような言辞は聞くがよくよく見ているとうわべだけでもっぱら強い立場の人にすり寄っている輩がやけに多いい。人間的魅力はゼロの人が掃いて捨てるほどいる。さて、風韻とは人間に趣があり,さらに魅力の備わった人のことをいう。私は,人間は功利的であることは否定しない。しかし,人間功利を求めて行動していると風韻なんかはぐくむことはとてもではないが出来ない。難局や逆境に直面しても愚痴を言わずにあえて受けて立つとき,風韻が自然とはぐくまれるとも言われている。風韻のある人たらんと欲せども--その誓いはすぐに足下から崩れていく--所詮そのような願望をもっことが無理なことが、いまだに分からないのか--といわれそうですな。否、願望を潜在意識に浸透させれば達成しますよ。という声が聞こえてきた。
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by ayabemorinaga | 2014-06-24 12:32 | 教育・学校 | Comments(0)

無雑感

昨日の産経新聞に,宗教の衰微は進む。なぜか,高度成長により,ふるさとを出て都会に住む若者は増えるばかり,地方の門信徒は高齢化し都市の若者は宗教とのつながりを失いつつある。若者の宗教離れをどうするのか。厳しい表現になるが宗教は現代にあって,存在意義を失いつつあるのではないか。その例として,葬儀のあり方が激変しつつる。身内だけの密葬を行い宗教儀礼の意味を認めない喪主が僧侶を呼ぶこともなく直葬することが増えつつある。是非は別として葬儀は江戸時代以来,寺院経営の基本だった。寺と檀家、門信徒のつながりが希薄になれば,寺の維持が難しくなる。
寺院が消えゆく時代が間違いなく近づいている。しかし、現代に宗教は意味がある。現代の日本人は物質の豊かさを謳歌し,情報も思いのまま入手出来る。しかし、便利さと反比例するように精神は不安定になっている。宗教にはこうした状況を救う知慧がある。と渡辺裕明氏が執筆されている。確かに田舎の寺では無住の寺が増えている。葬儀の時の坊さんの数も昔は7人か5人呼ぶのが田舎では常識であると私は思っていた。現代は、葬儀に呼ぶ坊さんの数も激変している。そのためか、寺院の経営が苦しくなり,無住の寺がふえつつある。私が寺総代をしているときに,都会に出て行った次男、三男の墓地を寺に作ってほしいと言われたことがあったが,実現させることも出来ずに総代を退任した。住職から聞いた話だが,檀家が300軒有れば寺院の経営も安定している。と。檀家も田舎では高齢化がすすみ急激に減少しつつある。若者の宗教離れを食い止め寺院が消えていく事をふせくためにも、宗教改革が今喫緊の課題ではないかと,新聞を読みながら感じた。私たちは,この世界には人間の力が及ばない存在がある。それは何かといところから宗教が生まれたと考えるのか。人間は弱いから(精神的に)こそ宗教を信じるのか。信じることで救われる。いいではないか。
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by ayabemorinaga | 2014-06-23 10:28 | その他 | Comments(0)

ケインズかマルクスか

ケインズかマルクスかと言われた昭和20年代の終わりに,私はケインズ経済学を学んだ。人間は未来を予測することが出来ない。人間は未来を設計することは出来ないという考えがあった。,いや今でも未来を設計することは出来ぬと思っている。--マルクスは資本主義の法則を読み解くことで、資本主義は最終的には崩壊するという予言というか、断定的な言い方が気に入らぬ。-資本主義のもとでは,好況と不況を繰り返します。なぜ不景気に成るかと言えば需要と供給があわなくなるからである。不景気になったとき,ケインズ以前政府は財政均衡政策をとるのが常識であった。財政均衡とは,国の予算と税収の釣り合いがとれていると言うことです。景気が悪くなれば,税収が減れますから,その分予算も減らすことになる。国の予算が減っていくとお金が回らなくてますます景気が悪くなる。戦後日本でもドッジラインによって、インフレ抑制のために、財政均衡予算実施されていた時期があった。ケインズが画期的だったのは財政で赤字を出してもかまわないと考えたことです。ケインズ経済学理論はアメリカで雇用拡大の為に,電源開発への投資を政府が行い経済不況から脱出したじれいがある。供給が多くて需要が不足しているから景気が悪くなる。つまり、国が借金をしてでも新しい仕事を作ったらよい。国が国債を発行して,公共事業をすればいいと考えたのです。投資を100億すれば200億の国民所得を得ることが出来る。乗数効果という。企業投資は何によって決まるかと言えば利子率による。利子率が高いと投資が減少し利子率が低いと投資が増える。利子率は何によって動くのか利子を決定するのは貨幣の数量である。現金に対する需要と供給によって利子率は決まる。ケインズ理論は,不況の時借金をして景気を良くして,景気が上向いて税収が増えたら借金を返すと言う考えです。この理論を実行するのは政治家です。公共投資を行い景気が良くなって税金が増えたら財政赤字解消のためにつとめる。ところが、政治家は税金が増えたから公共事業を増やそうとする。財政赤字を削減する努力を政治家は怠っていないか。公共投資による好景気で税収が増えても政治家の思惑によって財政赤字を削減することなく大判振る舞いをしていないか。ケインズ経済学は政治家の思惑によって生かされなかった。と言えば語弊があるか。
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by ayabemorinaga | 2014-06-19 21:37 | 教育・学校 | Comments(0)

人間性の研究

人は誰でも,最も根本のところに,優越感を求める衝動を持っている。あらゆる人間が,何らかの形で他人に対して優越性を確認したいという衝動を持たなければ,人間界には何ら紛争も起こらないはずだ。人間誰でもどんなに小さくてもいいから優越感をもちたいという気持ちを持っている。優越感のつぎは,影響力を求める。自分がこの世の誰かに対して影響力を持っているという自覚をほしがる。その影響力を求める自覚が行動に出ると,支配力の行使となる。支配力は当然権力欲になる。誰しも権力を握るからには出来るだけ大きい方がよいとかんがえる。それがさらにエスカレイとすれば絶対的な権力者を目指すようになる。やがては独裁者に成ろうとする。人間の権力本能というもの恐ろしさに慄然とせざるを得ない。人間の権力衝動をどでチェックするのか,人間の持っている独裁意欲を制御するメカニズムが働かなくなると,独裁者として君臨する事になる。ひとみなおしなべて権力者にへつらい,苦言を呈して権力衝動をチェックする程の勇気ある発言をするものなど出てこなくなる恐れがある。故にトップは常に、側近には諫言をしてくれる人をもて、古人はいいことを言っている。しかし、実際はなかなか実行出来ていないのが現状ではないか。誰も苦言・諫言を言われていい気はしないものだから--いかなる組織団体も人間の権力欲をチェックして制御出来るメカニズムの構築が必要不可欠だ。諫言・苦言をぬけぬけという人が存在する組織団体であれば独裁者も出現しまいと思うがこの考えは甘いか。人間の権力欲そんなアマチョロイものではないか。世の中には政治権力に対してマスコミは社会の木鐸として庶民を意見を忖度して徹底批判する。地方自治の執行機関には、議会が監視し執行状況を公平公正に為されているかをチェックする権能を与えられている。ひとたび独裁者が現れればマスコミはひとたまりもなく一蹴され独裁者の思うがままに操られる。世にも、おぞましいのは人間の心に潜む権力欲か
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by ayabemorinaga | 2014-06-17 14:51 | 教育・学校 | Comments(0)

礼節

昨日は綾部ロ-タリ-クラブ創立60周年記念例会・祝賀会に出席した。その席にA君も出席していた。彼とは教育委員・市議としてつきあいは15年になる。ちょこちょこ宴席で出合うことがあるのだが,彼は必ず私を見つければ,昵懇な挨拶をしてくれる。さらに宴席でもお酒を勧めにいの一番にきてくれる。彼れは、教育委員の時から,私の性格のすべてを知り尽くしている。けっして,いい印象を与えたとは私は思っていないし、彼も扱いにくい人とおもっていたとおもう。しかし、そのような態度はおくびにも出さずに、人生の先輩(年齢が〉に対して礼節を尽くした応対に彼の凜とした気品を感じる。教育委員時代からよく知っているMS君とは違う。人もいろいろだけどさ。礼節を尽くした応対に接すると,気分はさわやかだ。あなたいい気分に浸っておられますが,巧言令色、鮮なし仁と言う言葉を知っている。充分に承知しているよ。その上で言っているのさ。
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by ayabemorinaga | 2014-06-15 10:31 | 教育・学校 | Comments(0)

座禅のススメ

座禅・内観の効用とは、人間としての肝を作ることが出来る。明治維新を成就した志士たちは,その多くが三十代四十代であった。現代では三十・四十は洟垂れ小僧にすぎないと言われる。その差は何なのか。明治維新に活躍した志士たちは,死に直面して国事に奔走するなかで人間が練れて肝が据わったのだ。現代人は死を忌み嫌う。老人は病院に隔離されて死にいたり誰も死に直面することがない。戦前は,病に冒された親族を家で看病し死を看取った。ながい看病に家族も疲れ果て、親族の死に直面したとき愛別離苦への心構えが醸成されていったものである。親族の死を通して人間の命は有限なのだ。と言う単純にして冷厳なる事実に目覚める。つまり死は人間の甘さをそぎ落としてくれるさようがある。古来大きな仕事を成し遂げるに至った人は甘え心を去った人である。ではどうしたら自分の中にある甘え心をそぎ落とし信頼されるにたる人になれるのか。一皮も二皮も剝けて,甘え心がそぎ落とされるためには,死に目に遭うとか,倒産するとか,あるいは投獄生活を送ることが必要だと言われる。絶対絶命の立場に立たされないと,人間甘え心をそぎ落とすことができぬ。しかし,自分から進んで闘病・倒産・投獄を経験することは出来ぬ。では,他にどんな方法があるのか。座禅・内観では無いか。私も誘われて,座禅を体験しているが,まだまだ奥義を極めることが出来ぬ。文藝春秋7月号に安倍首相を甦らせた禅の効用が掲載されている。その中で,禅とは不安と孤独とともに生きる覚悟をする。さらには、心の復元力を高めることである。とか。あれこれ理屈など考えずにまず座禅を実践すること。これに尽きる。
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by ayabemorinaga | 2014-06-12 09:38 | 教育・学校 | Comments(0)

包容力

リ-ダ—シツプに欠かせないのが包容力があり、人を理解する心だとおもう。この心は痛みを経験しないと育たない。挫折経験がなければ只の鼻持ちにならないエリ-トなってしまう。挫折経験が無ければ常に自己反省をこころみ、人様から鼻持ちにならない傲慢な態度であると、非難されないように細心の気配りが必要か。リ-ダ—たる者は多くの人々からいっしんいっとうそくに至るまで行動を見られ批判にさらされている。と心得られたい。故に気配り目配りを人に接するときは忘れてはなるまい。いや,包容力のあるリ-ダ-たらんと切磋琢磨さられたい。多くの人は包容力のあるリ—ダ-に魅力を感じはひかれるものだ。                                                                                      相田みつおの詩につぎのようなものがある。つまずいたり,転んだりしたおかげで  物事を深く考える様になりました  あやまちや失敗をくりかえしたおかげで  少しずつだが  人のことを温かい目で  みられるようになりました  何回もおいつめられたおかげで  人間としての自分の  弱さとだらしなさを  いやというほど知りました  騙されたり裏切られたおかげで 馬鹿正直で親切な人間の温かさも  知りました。  この人はわかってくださっている と言う思いほど,人を励ますものはない。
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by ayabemorinaga | 2014-06-10 13:26 | 教育・学校 | Comments(0)