綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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議会事務局体制

二元代表制のもとでは、議員にも政策提案権・即ち条例提案権がある。ともすれば、議員は、首長が提案した議案審議をすればよいと言った風潮が有り、議員の条例提案権がなおざりにされている。それは、現行の市町村議会の事務局体制は執行部に比較して著しく弱体で、議会の政策立案機能の発揮が不可能に近い。その原因の一つに、議会事務局長の地位は不安定で弱い立場にあって、議長は職員の任免権を有していても、その人事権の多くは首長の裁量権で左右され、しかも、事務局長は二三年で交代を余儀なくされているため、議会の機能向上にどれほど専念できるか疑問である。そこで、議会事務局長の地位安定をはかり、職務に専念できるように、設置条例を定めて任期4年の特別職とし、議長が議会の同意を得て任命する制度を創設すべきではないか。執行部にも特別職があり、これと対等の議会に特別職をおくことは法理論上矛盾はしない。さらに、議会事務局に専任の担当職員を置き、情報収集、議員に情勢分析の資料提供し議員の政策立案に協力をし、、政策研修の機会を充実し、情報交換に努めること.そのためには、事務局職員の研修参加のための旅費の増額は当然である。今日、議会改革、議会活性化が言われているが、議員の入手する情報は、執行部に比較して著しく不足している。是が行政を批判し分析する能力の足かせになっていないか。二元代表制を理解し議員の政策提案を活発にするためには、議会事務局体制の改革こそ喫緊の課題である。市町村議会で、事務局長特別職昇格の真摯な議論が行われることを願う。
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by ayabemorinaga | 2014-09-30 12:49 | 政治・議会 | Comments(0)

嗜好

毎日毎日知ったかぶりのお堅い話では読み飽きますね。今日は、高校時代に講義したことを、ちょっと、書いてみたい。男性は年齢によって嗜好が変わることはない。酒・タバコが好きな人が、40代になれば嫌いになることはない。近頃は、健康のために、タバコをやめる人はいますが、嫌いになったわけではない。ところが、女性は年齢によって、好みが変わります.結婚前の20代では、化粧品、衣服に関心があります.結婚後は、結婚前に買わなかったものを買う傾向ある。30代は子育てのために、子ども用品や、装飾品を、40代では、住まい、即ち家に、50代は、家具調度品に、60代は、孫に、と言う風に年齢によって関心というか、嗜好が変わってきます。しかし、今頃は60代になって、孫のものより、自分の衣服に関心を持っておられる人もいますから、当てにはなりませんな。いやさ、お孫さんのおられない人もおられるから、あまりぶしつけな事は言わぬのがよろしいかも。世の中変化が激しいからね。たわいのないお話でお茶を濁す.と言う事。
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by ayabemorinaga | 2014-09-28 11:40 | 教育・学校 | Comments(0)

世相救済

この頃の世相は、まさに殺伐たるものがある。何度か、このようなことが言われてきた。殺伐とは、それを象徴するのが犯罪である。騙す、奪う、殺す、どうしてこのような事をしなければならぬのか。中でも人が殺されると言う事件ほどいやなものはない。そして遺体を切り刻むなんて人間のする事か。精神に異常を来しているのではないか。普通の人間のすることではなかろう。憤りと、悲しさで言葉もない。毎日テレビドラマで殺しを主題にした刑事ものが放映されている。日本中の人間が、毎日茶の間で殺しを眺めている。何とも奇妙な平和国家である。悪者は最後は殺されるという設定になっているので、なにがしかの正義が主張されているが、それにしても、残忍な殺しを入念に見せている。ただのドラマでないか、空想の世界ではないか、楽しければいいとい考えもある。勿論ドラマは創作空想の世界である。現実の世界とは異なる。この至極当たり前のことが、当たり前として通るには、見る人の心が、まっとうな心でなければならぬ。しかし、すべての人がまっとうな人ばかりだろうか。現代人の心というものは、飽くなき金銭追求や、出世主義などによって大きな歪みがきている。金が欲しい、地位が欲しいという本能的欲望も、人間らしい調和された心の中にあるときは、発憤材料となり生きていくための原動力になるので否定はしない。しかし、現代では、この欲望が異常に高いため、人間の枠をはみ出した異常性を発揮する者が現れるのだ。さらに言えば、今日のようにストレスの激しい世の中では、心を病んでいる人が非常に多くいないか。今こそ、宗教家たちが立ち上がり、心の病に冒されている人や、ゆがんだ世相を救済してほしい。それこそ宗教家の使命であると言えば、暴論でしょうか。                                                                    追記 人殺しと言われる人でも、生まれたときは、心に汚れのない、可愛い赤ん坊だったはずだ。人を殺めるということなど縁がなかったはずである。どこで歪んでしまったのでしょうか。
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by ayabemorinaga | 2014-09-27 10:20 | 教育・学校 | Comments(0)

養心

人として心がけなければ成らぬものに養心がある。養心とは、心を養うことである。養心の工夫は無欲である。人間欲が無くなれば、終わりだ。欲が有るからこそがんばるのだとも言われている。欲にもいろんな欲がある。まず、いかなる欲から離れるかを考えねば成らぬだろう。では、無欲になるためには、まず、自分はどのような才能を賦与されているか、それを自覚するのが知命で、自分に与えられた使命成就に向かって自分を尽くすのが立命である。自己執着を断ち切るためには、知命を自覚し立命することが必要だ。精神修養をするには、欲望を少なくすることがまず第一歩だ。欲望に振り回されていては、精神修養など臨むべきもない。心を養い、精神を練るには、誠を尽くす以上のことはない。自分に誠があれば、何者にも恐れることはないし、不安おもうこともなく、内心恥ることもない。誠を心刻む姿勢は必ず風貌に現れる。風貌好ましからざる人は、至誠の心がない。先賢を訪ねて志を養う--志を養うことは人生を有意義に過ごす秘訣である。そのためには人物と言われ人に出会い、古典古書を読んで、自分をつちかい、志を養うことだ。世の中には優れた人がいる。そのような人に出会うと、自分はまだまだと反省させられる。よ-しおれも負けずに頑張るぞという気持ちになる。(ときには、こりゃとてもダメだと最初からあきらめて努力せぬ怠け者もいる。)それこそ、養心であり、養志である。優れた人との出会いは、人生を豊にしてくれる。優れた人との出会いは自分の人生を変える。成功の蔭には、必ず優れた人との出会いがあり、養志、養心を心がけている人達だ。
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by ayabemorinaga | 2014-09-24 09:24 | 教育・学校 | Comments(0)

人生の終焉を自覚

私ぐらいの年齢になると、常に死を意識せざるをえない。死を忌み嫌う事もなくなってきた。さて、死とは突然の中断である。志半ばにして--よく聞く言葉だ。死はいかなる場面で問答無用だ。一片の燐憫すら見せない。忌み嫌われ、遠ざけられる(死)だが積極的な意味もある。死だけは容赦なく、突然の中断をもたらすと自覚したとき、悔いのない人生とするために、自分の使命の成就に向けてがんばろう、と決意する。そして、刹那的な生き方、時流に流される生き方を排除して意味のある人生を作り出そうと、心魂を傾ける。それはちょうど、寒風に身をさらしたとき、思わず身が引き締まるのに似ている。[死]を自覚したとき、逆に[生]を充実させようという自覚が生まれる。その場しのぎの人生は送らない。時間あまりにも貴重だ。その意味で、誰にも容赦なく死は訪れるからこそ、私たちの人生は充実するのだと言う事を知るべきである。死は万人に訪れ生きとし生きるものは、いかなる人であろうと避けることは出来ない。常に死を意識し、如何に充実した人生を送るべきかを命ある限り、片時も忘れることなく、問い続けることが人生を豊にしてくれる。死を自覚してこそ、野に咲く一輪の花にも美しさを見いだすことが出来、真実一路の生き方が出来る。死を意識しない人生なんて、ぐうたら人生そのものだ。
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by ayabemorinaga | 2014-09-23 10:36 | 教育・学校 | Comments(0)

里に人材

荀子に冶人ありて冶法なし、と言う名言があるが、世の中をよくするには、理論や政策よりも、事に当たる人物の徳性と力量が先決問題である。昨今地方創生ひと、まち、こようが言われている.地方創生に必要欠くべからざるものは、人材である。理論や政策に精通していても、人が付いてこなければ意味はない。人を付いてこさせるには、それなりの徳性力量が無ければならぬ。そのような人材が今地方に求められているのではないか。かって、綾部にはグンゼを創業された波多野鶴吉翁という勝れた指導者が存在した.さらには、山室富三郎、梅原和平、梅原和助、西村均平、田中啓造、新庄倉之助、高倉平兵衛、石井半蔵、と言った逸材が波多野翁のグンゼ創立に関わったと言われている.グンゼの創立によって、雇用の確立、養蚕業の隆盛により地域経済は活性化し、約半世紀にわたって綾部の地域経済が繁栄する礎が築かれたのである。此の事を鑑みるに、起業家として徳性・力量を併せ持った人材の存在こそ、地域発展の礎になる。口を開けば人材育成、言うことは易いがさて、どのようにして、そのような人材を育成するのか。そのノウハウが今求められている。地域発展には、人材無くして地域の発展はない。地域の行政に携わる人達よ、今一度人材育成のあり方を徹底して議論されれ、里に人材あり、と言われるようなふさとを--偉大な起業家波多野鶴吉翁を生み出した綾部ではないか。
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by ayabemorinaga | 2014-09-22 14:13 | 教育・学校 | Comments(0)

追遠

人間というものは、終始を全うする、とくに終わりを全うすると言う事は容易ではない。この終わりを慎むと言う事が如何に大切な事か.終わりを慎むことを如何に会得するか。終活なんて言葉もあるが、追遠と言う言葉には足下にも及ばない.いや比べる方が間違っている。晩節を如何に慎み深く過ごすことが出来るか.田舎暮らしをしていると、常に行動が批判の的になっている.あなたは、老人会の会合になぜ参加されないのか.老人会の会合なんて馬鹿らしいと思われているのか。そんなにあなたは偉い人なの--敬老会になぜ参加されないの--みんな喜んで参加されていますよ.あなたも参加しなさいよ。と言わんばかりのまなざしで見られる。こんな現象を田舎では、同調圧力と言うらしい。みんなと同じように行動しなさい.と言う事らしいが--そのような田舎の雰囲気に嫌気がさすことがある。(情にさおさせばながされるとかくこの世は住みにくい)。いろんな批判にさらされない生き方こそが、終わりを慎むことなのかも知れぬ。時には会合に出ることがあっても、発言は控えて、意見を求められれば発言するくらいがちょうど、いいのかも知れぬがついつい一言多くて、いやがられるこがある。自分意見に反対されれば、我を忘れて激昂する。そのようなことの繰り返しで晩節を汚していくのもなさけないことだ。では終始を全うするためには追遠つまり、遠きを追うと言うことは、過去にさかのぼる、自分の親、祖父母とさかのぼる事により、自分の存在の如何にとおとい事で有るかと言う事が分かる.それが分かれば、始めて子孫のことを思うのである.自分の先祖に感謝し、はたまた、子孫の繁栄を願うならば、自分の言動を慎み、終始を全うする生き方をすることである。ちょうど彼岸だ、墓参りにいこう。
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by ayabemorinaga | 2014-09-21 11:06 | 教育・学校 | Comments(0)

ある教師の反省

教職を目指す諸君よ。あなたは教育者としていかなる人間を育てようとされるのか。その心構えは如何に。教育は真の人間を作ることにある。真の人間とは仁・徳を備えた人間である。将来いかなる地位に就いても人から信用され、いかなる仕事に対しても習熟をするという心構えのある人間を育てることだ。。どのような場所であれいかなる地位に就いても、誰からもあれなら大丈夫だと信用される。また、どのような仕事を与えられても、出来る出来ないは別問題として、何事によらず、それをものにしよう、習熟しょうという情熱を持った人間をそだてることである。知識・技術というものは、突き詰めれば何も学校で教わらなくても、それぞれ銀行・会社・官庁で再教育をする事が出来るしその方が的確である。此の事はよく理解しておくことだ。偉大なる人物の伝記を徹底して読ませることである。そのことを追体験することにより人生経験が豊かになり困難に際して対応すべき決断・事柄を会得する。教師が人の子を教えるのだという思い上がりはしないことである。教えると言うことは学ぶことである。学ぶと言うことを知り、始めて教えると言うことになる。教と学とは別ではない。先生が教えると言うことは、先生がまなぶことなのであると言う自覚が求められる。この姿勢を貫き通すことこそが教師の本分である。教師は常に公平・無私でなければならぬ。公平言うことは簡単であるが此の実行はなかなか出来ない。ともすれば教え子をえこひいきしている場合がある。教師は教壇をなおざりにして政治的、社会的活動は慎むべきである。当たり前のことであるが実践は厳しい。このように教師としての基本的な概念を理解して教壇に立つことこそが、教師としての誇りを保てる道である。さらに付け加えれば、この概念に基づき実践することにより、人材が育つ事を確信せよ。そのような自覚も有るべき本分もわきまえず、唯唯惰性で30数年教職を無為に過ごした、ある教師の反省を反面教師として学ばれよ。
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by ayabemorinaga | 2014-09-19 19:23 | 教育・学校 | Comments(0)

人格の完成とは、

教育基本法第一条に教育の目的は人格の完成をめざし,と記されている。さて,人格には,いろいろな要素があるが,人間全体を最もよく反映するのは理知かというと理知ではないようだ。理知はことわりだから、枝葉末梢的なものだ。意思というものもあるが,是は意欲ともいわれて流動的である。何が人の心、人の徳というものを1番よく反映するかというと、それは情である。勿論、情にも単なる感情、情緒などから情操というものまである。だからいかなる知を、持っているかと言うより、いかなる情を持っているか。此の事こそが大事なのさ。知を重んじる人は、情を軽蔑するような言動が見受けられる。それは、元来、知を重んじてきた教育の弊害である。私は、知識教育を否定はしない。勿論、必要不可欠なものである。しかし、大事な事は情操を磨くと言う事ではなかろうか。人格完成のためには、情操というものをどのように精練するかと言うことではないか。情操教育こそ、知識教育、技術教育より根本的に必要なものである。ところが、是が難しくて、とかく知識教育や技術教育になってしまう。人格の完成とは、究極は情操教育でなければならぬ、と考えいる。知識教育に毒された人は、とかく人を侮蔑する傾向が見られる。俺は賢いのだと言う態度がありありと見て取れて、噴飯者だ。このような人に限って情のかけらも持ち合わせていない。とかく、人をすぐに区別したり、比較してしか見られない悲しい性がある。冷たい心じやないんだがと言いつつ氷壁のような心を持っている。私から見れば哀れとしか言いようがない。技術教育に毒された人達は、とかく偏屈者がおおいい。自分の腕前を自慢したがる。職人気質というのか、みょうに肩肘張った生き方をする人がおおいい。人の意見には最初から聞く耳を持たない。さらに人と協調したり妥協する事がえてして苦手のようだ。そのような人が多いのではないか。情操教育で精練された人は、すべからく万人に等しく分け隔て無く接して愛に満ちあふれている。このような人こそ人格の完成された人と言えないか。では、何によって情操教育を精練するのか。その教材は、中国の古典にある。教育現場でも、情操教育を如何に確立するのか。行政に携わられている人達および教育関係者達は、情操教育の実践こそが、勝れた人材を養成する事になると認識し情操教育に傾注されることを希う。
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by ayabemorinaga | 2014-09-17 08:32 | 教育・学校 | Comments(0)

読書

私を通りすぎた政治家たち 佐佐敦行著を興味深く読んでいる.政治に携わる人には、二つタイプがある。政治家と政治屋である。国益を損なう政治家として、小沢一郎、田中角栄、三木武夫,菅直人、加藤紘一、河野洋平、村山富市、氏がやり玉に挙げられている。特に加藤紘一氏は一見きれいに見えるけど実態は異なる政治家として,三木武夫氏と双璧らしい。加藤氏が防衛庁長官に就任したのは間違いである。安保反対でしかも親中派はなのに防衛長官を引き受けるのは非常識、大臣という肩書きのため思想信条は忘れておこうという打算が働いたのか。参事官会議の時、加藤氏は,若い頃マルクス・レ-ニンにかぶれないのは頭が悪い人です.それから60を超えてもまだマルクス・レ-ニンと言う人はもっと頭の悪い人です。と発言した。会議の後参事官達は,私たちは若い頃頭が悪かったんですな、と顔を見合わせたとか。私用をいさめると怒り出す.アサヒ新聞へスク-グはする。好き嫌いによる恣意的な人事はするわ。政治家失格であると容赦なく徹底的批判がされている。外交官出身でハト派で政策通然とした物言いはいかにもスマ-ト政治改革の旗手、清廉潔白ニユ-リ-ダ—で二十一世紀の総理総裁候補と期待されていた。加藤紘一氏も佐佐氏から、そこまで言うのかと言うほど辛辣に徹底的に批判されている。人には虚像と実像があると言う事を改めて確認した。谷垣禎一幹事長に出合う機会があったら,是非加藤氏の人物論をお聞きしたいものである。いや,義兄にも確認したいと思っている。皆さん気が向けば,是非一読をお勧めする。さてと、私をかすめていった教育者・政治家たちを書いて見ようと思っている。おもしろいよ。本にして自費出版しようか。誰も買わないよ。分かっているさ。そのぐらいのことは。辛辣さは佐佐氏に負けないぐらいのことが書ける資料がある教育関係者が一人いる。君の(その人の)名はと尋ねし人あり--その人の名は       ごきげんよう。
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by ayabemorinaga | 2014-09-15 10:26 | 政治・議会 | Comments(0)