綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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政治は最高道徳か

政治は最高道徳である。と聞いたことがある.古来政治家や政界を描く際に使う形容詞は、海千山千、寝業師、権力亡者、傀儡政権、魑魅魍魎、妖怪、などおどろおどろしい言葉が浮かぶ。とても最高道徳などと言えないような表現がメディアに踊る。メディアは政治をどのように見ているのか。勿論ときの権力を批判する事は社会の木鐸であるメディアには必要欠くべからざるものだ。政界という権力闘争の場に最高道徳が存在するとはあり得ないのだろうか。そのようなおどろおどろしい権利闘争の場であるから、最高道徳が求められるのかも知れぬ。政治は最高道徳を実践することこそ、政治家の矜持でなければならぬという自覚が、議員には必要だ。ところがだ、今回の衆議院選挙では、解散の大義という言葉がやたらと目に付く.それぞれのメディアでは、解散に大義があるか。民意を問う大義たるか.大義を示せる選挙に--などなど大義の大合唱だ。なぜ今回は大義が無ければいけないのか.是まで大義のある選挙が挙行された事があるのか。大義とは、人がふみおこなう最高の道議。特に、国家、君主に対して尽くす道と意味づけられているからだ。メディアよ.今回の衆議院選挙が大義芽必要だというならば、我々の考える今回の衆議院議員選挙の大義は、かくかくしかじかのものだ。と明示されたい。そのようなこともなくただ単なる抽象的な言葉での批判なら誰でも出来る。
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by ayabemorinaga | 2014-11-24 13:14 | 政治・議会 | Comments(0)

時事総論

大義なき解散の大合唱だ。解散に大義が必要か。選挙の争点は各政党ともしっかりと明示していただきたい。国民の投票判断にたりるマニフェストを示す事が必要か。日本では何故二大政党制が生まれないのか.あまりにも政党が多すぎる。勢力の拮抗する与党対野党が育たない事は不幸なことだ。政党が少ないと選択肢が狭まると言うがその考えは姑息だ。二大政党によって政権交代が可能であれば、常に緊張感があり、国民に対してよりよい施策を提示して審判を仰ぐことが出来る.政治と金問題が起これば野党がここぞばかりに重要法案の審議はそっちのけで時間を空費する事もなくなるだろう.議員も常に緊張感があり何事も慎重に丁寧に対処するだろう.そのような理想論を言っても虚しさばかりが漂う。総理の専権事項である解散権の行使は、誰が総理になっても、自分の政権基盤を盤石にする為の解散時期を総理に就任したときから考えるのは当然のことだ。そのような事を野党があげつらっても所詮詮無いことだ。政治は結果だ。結果を示して国民の審判を仰ぐ清い事だ。
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by ayabemorinaga | 2014-11-16 11:25 | 政治・議会 | Comments(0)

時事問題

衆議院議員立候補のススメ  橋下市長大阪都構想はしばらく凍結して、衆議院議員選挙に是非立候補されたい。勿論松井一郎知事も打って出られることを歓迎する。大阪都構想実現の道は、トップがそろって立候補し当選されれば、自ずと開けてくる。マスコミが最も注目される選挙区とはやし立てるでしょう。また、市長職・知事職を抛って出るとは、職場放棄・税金の無駄遣い・府・市の住民を欺く行為・とありとあらゆる非難中傷をかき立てるでしょう.だから、それを逆手に取って、維新支持者を増やせばよい。大阪全選挙区に維新の候補を擁立しなさいよ。全選挙区が無理なればせめて過半数は擁立することですね。市長・知事の後任は腹心の部下を擁立することとです。(そんなことはあなたにいちいち云われたくないわ、でしょうね、分かっていますて)都構想の膠着状態を選挙で一気にシャッフルする事ですよ。その絶好の機会がやってきたと判断し決断する事です。ここで妥協なんてことは絶対辞めておきなさい。相手陣営もあのてこのてで妥協案を提示してくることでしょう。まさか、選挙がこんなにはやく あるとは思ってもいなかったからね。だからチャンスなんですよ。橋下氏が維新の党首になって、野党再編勢力中心になり活躍されることを期待しますよ。橋下市長の強烈な個性に近親感を覚えます。橋下市長には会ったことはないがテレビや新聞報道での私の感じです。石原氏が橋下市長の演説はぴかいちであるとほめられていた.来る衆議院選挙て゜゛大阪で橋下旋風を巻き起こして、選挙を大いに盛り上げてください。外野席で好き勝手な事を申しておりますが---教育施策については賛同する事が多くある。
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by ayabemorinaga | 2014-11-14 13:39 | 政治・議会 | Comments(0)

時事評論

衆議院の解散が有りそうだ。時事暴言で解散のススメを強調していたがその通りになりそうな雲行きだ。政治と金問題については、徹底解明をする事は必要だ。政治家自ら襟を正さなくては国民の信頼は得られぬ。されど、国会で野党がここぞとばかりに金と政治の問題ばかりに熱中して、重要法案の審議をなおざりにすることは許されぬ。そのような傾向が見られるときは、間髪を入れずに解散をする。さすれば野党も少しは反省し法案審議を重んじる様になるだろう。そのような先例を作ることも必要だ。大阪の橋下市長が、衆議院選挙に立候補する事も視野に入れていると言った報道がされている。おもしろい。是非立候補をおすすめする。そして、維新の党首に就任されるがよい.。共同代表の江田氏の物言いには、俺のいっていることは間違っていない。と言った傲慢さが垣間見られるようであまりいい印象を私は持たない。松井知事も衆議院選挙に挑戦され丁は如何です。大阪選挙区が活性化する。全国注目の選挙区になる事間違いなし、ここはもう一度小泉流に劇場型選挙区の再来を思わせる事になる。選挙は神聖な国民の審判である。おもしろがっている場合でないことは分かっている。ところで野党第一党の民主党海江田代表が、解散を受けて立つと大見得を切っておられたが、ここは、野党ならば、大義無き解散であるというべきではなかったか。国民は賢明である。しかし、中には、あまのじゃくがいて、マスコミが右と言えば左を向く人も居る。解散が現実のものになったとき、国民は現政権の施策をどのように評価をして、どのような審判を下すのか.マスコミに踊らされることなく、自らの考え(安全安心・福祉の向上)に基づき清き一票を投じる事を信じたい。
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by ayabemorinaga | 2014-11-13 13:31 | 政治・議会 | Comments(0)

世の中にたくさん人はいるが、いないのは立派な人だ。しかし、またいないようでいるのも立派な人である。いかなる人が、敬服せざるをえない立派な人物になり、いかなる人が凡庸な人物になるのか。それは、その人の志のある、ないが大きな分かれ目になっている。世の中で、頭角を現す人は、必ず人目の付かないところで励んでいる。人生は努力の積み重ねである。その努力の源泉になるのは、常に進歩を求める心である。努力は充実感へとつながってくる。日々平穏でなく、日々充実感のある人生こそ、本物ではないか。日々努力する心、常に進歩を求める心こそ、志ではないだろうか。私などは、志などとうの昔にどこかにすっ飛んでいき、過去の回想ばかりの充実感の無い人生を送ろうとしている。しかし、幸せな人生であった.といえるためには、志だけは、しっかりともって最後まで生きることによってこそ、達成するものだ。
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by ayabemorinaga | 2014-11-10 11:38 | 教育・学校 | Comments(0)

自分を拝む

皆さん自分を拝んだことがありますか.神の前に、仏の前に手を合わせることはありますね.仏とは、自分なんですよ。だから自分を拝めば仏を拝んだと言えるのです。法事とか、座禅の時に、白隠禅師の座禅和讃を読経する事がありますね.衆生本来仏なり  水と氷のごとくして 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし 衆生近きを知らずして 遠くを求むはかなさよ (人間本来みな仏なんだ。水と氷は本来同じものであって、現れ方が違うだけなのだ.水を離れて氷はないように、人間の他に仏などありえない.求道の道は近くにあることをしらずして、ただ遠いところばかりを追いかけているはかなさよ。)人間本来みな仏なのだ。仏と人間は水と氷のようなもので、位相が違うだけなのだ.自分を拝むとは、自分の中の神性を礼拝することなのだ.人間だれひとり例外なく、素晴らしいものを授かっている。それに気付くどうかは、その人に任されている.それに気づかず人生を空費してしまった人の如何に多きことか。自分な授けられている無限の可能性に気づけば、ありがたさに神仏を礼拝せざるをえない。そして、同じ手を自分合わせざるをえない.自分を礼拝できる人物こそが、人をも礼拝できる.神仏を礼拝すると同時に自分を礼拝する人になれ。なにより自分に無限の可能性に気付く事だ。無限の可能性を信じて、しっかりとした志を抱け さすれば素晴らしき人生が待っている。説教くさい話は御免だ.さもありなん。
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by ayabemorinaga | 2014-11-09 11:33 | 教育・学校 | Comments(0)

船旅

船旅をしてみたいと思う。どこに--ソロモン海へ--私は、船旅と言えば、天竜下り--一度大阪港から土佐へ船で行ったことがあった.ひどい船酔いで朝食が食べれなかった事が思い出される。その程度である。なぜ、ソロモン海かと云えば、船がソロモン海に入り、赤道を通過するころになると、赤道無風帯に遭遇する。海面は油を流したように静かになり、まるで鏡面のように反射する。夜になると、地球に1番近い恒星・ケンタウルスが輝きだす.アルファケンタウルとベ-タケンタゥルが仲良く並び、この二つの星の延長線上に南十字星が傾いている。このサザン・クロスとケンタウルスの間から、天空を二分して、北の十字星である白鳥座に向かって、銀河がとうとうと流れている。こんな時、船べりから海面を覗くと、銀河を始め満天のにきらめく星が海面に映り、船が作り出す波でゆらゆら揺れている。まるで船は、天空に飛翔し、銀河の中を航海している様になる。頭上に大宇宙が広がり、足元の海にも大宇宙がきらめき、壮大なドラマが現出する。と言う事だそうだ。---みやげに一度そのような船旅をという気持ちがあるが、身体がついて行かないだろう。と、あきらめるしか私の選択はない。老いとは、かくも非情なものである。
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by ayabemorinaga | 2014-11-08 15:44 | 教育・学校 | Comments(0)

学問

学問とは、真理の探究である。などと大上段に振りかざして議論しようとは思わぬが、学問には、予測のきく学問、即ち、予知の出来る学問と予測が全く出来ない学問がある。予測の出来る学問に天文学がある。天文学では、どの遊星がいつ、どこでどうなる。と予測がたちます。計算どおりに天体が動くと言う事で、楽しい学問である。余知、予測の全くきかない学問に経済学、地震学、宗教学も入るのではないか。経済学者の予測が当たったためしはあまり聞かない.株価など経済学者の予測通りになれば、経済学者大もうけをされるが、そんなことにはなっていない。地震学も地震が起こるメカニズムは解明されているが、いつ、どこで、どの程度の地震が発生するかは未知である。気象学も格段の進歩によって、天候の予測の精度が高まってきた。地震学も将来的には予測が可能になる学問であって欲しい.地震学者の研究成果に期待する。南海トラフと地震の発生の可能性は云われているが、いつ、どこで、どの程度地震が起こるかは未知数である.日本は地震国であり災害列島とも云われている。学問の発達で余知予測の不可能と云われている学問が、すべて予知予測が出来る学問になる事を期待する。人類の英知に期待したい。人類の英知は不可能を可能にする事が出来る。
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by ayabemorinaga | 2014-11-07 10:42 | 教育・学校 | Comments(0)

風の行方

4日から5日にかけて、兄弟会を琵琶湖湖畔のホテルで開催した。近年7・8年は両親の墓参をかねて、上林温泉で行ってきたが、今年は場所を変えての開催した。兄弟会は家内の兄弟が中心である。家内兄弟は、男2人女3人である。年齢構成は、86才から69才である。兄弟会は今から25年ほど前から、毎年一回夫婦づれ゛参加している。話の話題は、それぞれ健康維持に何をしているかという話で盛り上がっている。毎日梅干しを欠かさずだ食べる。断然多いのが、散歩派である。以前は酒もたくさん呑んだが、今ではそれぞれ酒量を心得ているために、酒の量も少なくなった.武道館の周年記念式典に参加された義兄が、安倍晋三総理に出会ったので、あなたのお父さん安倍晋太郎外務大臣がアメリカに行かれたとき、安倍外相から、新聞記者の経験を生かし随行記書いて欲しいからと頼まれ、アメリカに行ったことがある。あなたお父さんとは、そのような関係があった。ところで、安倍総理、教育問題であるが、週休二日制をやめて、第一月曜日は、午後からは、保護者と担任が話し合う場を設け忌憚のない話し合いをすること、第三月曜日は午後は、児童生徒・教師、保護者が地域にあったボランティア-活動することが必要ではないか。と提案したら、下村文科大臣にしっかりと、伝えておくと言う返事をいただいた。さて、どうなるかなと興味津々である。私は、お互い忌憚のない話が出来る酒の場は楽しいが、気遣いをしながら飲む酒の場は苦手である。兄弟会もお互い好き勝手な事をいいながら酒が飲める場である.5日は10時過ぎにホテルを出て佐川美術館にいった.昼食は鮎屋でとり、来年の幹事を決めて散会した。
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by ayabemorinaga | 2014-11-06 11:32 | 教育・学校 | Comments(0)

有終に向かう

昨今自分の生き方について、思い煩うことがある。残躯楽しまざるべけんや--伊達正宗の言葉である。具体的に云えば、今朝酒あらば  今朝酒を楽しみ 明日憂い来たらば 明日憂えん という生き方である。雑事を減らし楽しもうと言うわけであるが、何を楽しむのか。好きな本を読む 旨い肴で酒を飲む。ゴルフを楽しむ。いや 旅行を楽しむ。人それぞれの楽しみ方がある。世間の煩わしさから逃避して、百姓三昧 百姓をしながら無心を楽しむ。世間との関わりを持つて生きていくためには、余分なことをしない。肩を張って生きない。争いをかってでない.気を遣わない。今できることは、余分な事はしない.気を遣わない.此の事を徹底すれば、気持ちが楽になる。しかし、生きている限りいくら年を取っても煩悩というやっかいな欲にさいなまされる。人生は苦である。四苦八苦の苦から解脱する為には、欲を如何に制御出来るかと考えた.考えただけで実践をする事が出来ぬ.そのような思考の繰り返しで、残りわずかな人生を生きていこうと思っている。わびしいな。悲しいな。哀れだな。と眺めているもう一人の自分がいる。
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by ayabemorinaga | 2014-11-04 09:40 | 教育・学校 | Comments(0)