綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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お知らせ

この月一杯ブログは休みます。2月からまた始める予定です。
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by ayabemorinaga | 2015-01-20 15:27 | その他 | Comments(0)

人生で重要なこと

幕末、京都在住の儒学者で、初代奈良県知事を務めた人に、春日潜庵という人がいる。この人がこう言っている。【人生の劈頭ただ一個のことあり。立志これなり】(此の事は一度このブログ書いたと思うが)人生の門出に当たって、大事なことがだだ一つある。志を立てる。これである。人生に何をのぞみ、何を目標とするかで、その人の人生は決まってしまうと言っても過言であるまい。潜庵が云うとおり、人生に於いて大事なことはそう多くあるまい。自分はこの人生で何を作り上げるのか。ピジョンを明確に持つ。志を明確に持つ。その実現に向けて寝ても覚めても必死で努力する。すると、同じ波長のものは引き合い、共鳴し、共振し、自分でも思わなかった方向へと展開していく。だから旗印をたてることは重要だ。何事も自分一人の力では出来なかったが、みんなの協力があったからこそだとしったひとは、心から感謝がわいてくる。成功の報酬として、感謝、歓喜、謙遜を授けられていることを自覚する事だ。さすれば人生は、その人の人格に実っていく。そのような、謙虚さがあるのだろうか。皆自分の力でやり遂げてきた慢心する人がいないか。そのような姿勢で人生を歩もうとすれば、必ず手厳しい審判が下されることになる。若き青雲の志に燃える人達よ。大きな志をもって人生を闊歩せよ。君たちの未来は、バラ色に開けている。志を立てればいかなる困難に遭遇してもやり遂げる気概を失うな。人生は挑戦だ。挑め果敢に志を目指して-----今年成人したみなさんへ--
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by ayabemorinaga | 2015-01-19 12:32 | 教育・学校 | Comments(0)

美しい魂

私か養護支援施設に母と一緒に訪れたとき、指導員の目には短大生ぐらいに見えたらしい。髪にパァマをかけ、化粧をし、ツメはピンク色のマ二キュアを塗り、高級ブラウスを着てツンと済ましていましたから--当時私は中学二年生で登校拒否をしていました。そのような私に指導員は、化粧をしてはいけないなんて最初から説教調で指導しよぅとしたから、私はツイツイかっとなって化粧道具を投げつけする大騒ぎをして、よってたかって態度がでかい、だから人に嫌われるのだ--などと非難の大合唱だ。さらに、中学校の制服を着なさいと矢継ぎ早にいろいろ注文をつけてくる。中学校の制服なんぞ絶対着てやるか、と、ダダをこねてやった。       すると、指導員はこれは一筋縄ではいかぬと思ったのか、園長で有る和尚に下駄を預けやがった。和尚は私を本堂に呼んだ。ほの暗い本堂の本尊の前に座らされて私は和尚と向き合った。私は、個人の自由を束縛する権利はおまえにもない。家に帰せくってかかったが、黙って私の顔を見つめている。座ったことなど一度もないから足がしびれてくる。和尚は正座をして、私の様子を窺っている。こりや少々泣き叫んでも怒なっても通用しそうにない.。                                                     
よしゃ-一つ渾身の演技をして野郎と思った。猫なで声で-本当のことを言っていいですか。いいよみんな話しなさい。と言われたので目に涙をためながら、みんなお父さんがいけないんです。と言いながらあらん限りの声を上げて泣いてやった。すると和尚は私を抱きかかえて本堂横の応接間に連れて行った。私の姉は高校で1番で自慢の種であった。姉に負けたくないと私も頑張ったが、父はいつも私と姉を比較して、おまえはダメな子だとケチをつけるのです。
姉ばかりかわいがる父をこまらせてやろうと思って、学校をずる休みし始めました。三日間ほど部屋に閉じこもっていると、父が心配して顔をだして、どこか悪いのかい、医者に診てもらうか。私は、始めて父のいたわりのある言葉をきいてとびあがるほど嬉しかった。学校を休めば父がかまってくれるのではないか、そう思った。学校を休んでいると父は機嫌を取るように心配して聞いてきた。なにか食べたいものはないか。欲しいものはないか。作戦見事に成功した。父は私の言いなりだ。ダダをこねて高い洋服や化粧品、靴を買ってもらった
。と洗いざらい話すと和尚は、おまえも演技が上手だなあ-でも本当の話をしてくれてありがとう。といいながら-、こう諭した。あんたの間違いはお父さんの愛情を欲して、わがままを募らせたのだ。愛というものは奪うのでなく、与えるものだよ。今度家に帰ったら、明るくなるようにふるまうことだよ。--と。ほほう-和尚なかなかいいことゆうじゃん--私の心もまだ人の話が聞けるか。私もまだ人間としての魂までは失っていなかったか。私の根性悪の性格、素直さのかけらもない我がままな態度、自分で自分の性格いやになる。でも和尚の話はまじめに聞けた。なぜかは知らぬ。愛は奪うものでなく与えるものだ。どこかで聞いたような気もしたが-
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by ayabemorinaga | 2015-01-13 12:22 | 教育・学校 | Comments(0)

さよならのあとで

ある養護施設に秀子という子がいた.知能障害があってもう小学校三年生であるのに、字も読めず自分の名前すら書けなかった。小学校一年生のクラスに入れてもらっているが、それでも授業が分からないので、独り校庭でブランコに乗って遊んでいる。長雨で施設にナメクジがたくさん出たので、秀子に塩を渡してナメクジ退治を頼んだ。ところが秀子は、ナメクジを殺さずビンに入れて飼っていた。
それが夜中に這い出して大騒ぎとなった。殺してくれと頼んだのに秀子さんダメではないか。と施設の人がとがめたら、秀子は口をとがらせて抗議した。だってナメクジだって生きているもん、殺せばかわいそうだ。飼っておけば大きくなるでしょう。その答えに思わず周囲の人が吹き出し大笑いをした。秀子は馬鹿にされたと思ってしくしく泣き出した。周りの人達も、笑って御免ね秀子さんの云っていることが正しいよ。(誰が教えたのでもない、しかし、秀子は命の大切さを知っていたのだ。)

またあるとき、施設の女子の部屋が騒がしい。秀子ちゃん汚い、もうやめて風邪をひくわよ。みると、秀子が寝小便でぬれた布団の上で寝ている。秀子ちゃんおねしょしたの--ううん私、乾かしてあげているの--秀子の布団でなく、見れば他の子の布団である。--私の身体は温かいので、寝ていればそのうち乾くの--秀子が答えていた。
秀子も18才になったので施設を出て家に帰り、母の手伝いをしていた。ところがある日、母が外で仕事をしている間、秀子は朝食の準備をしていたが、囲炉裏にころげ落ちて、全身におお火傷でのため亡くなった。しばらくたってから、秀子の母親が施設に赤いほほずきの実をたくさん持ってきた。秋になってホオズキが赤くなったら、お世話になった施設の子に持って行ってやるのだと、秀子が庭にうえていたという。
秀子の温かい心遣いが伝わってくる。赤いホオズキは秀子の温かい心遣いの結晶だ。
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by ayabemorinaga | 2015-01-11 12:03 | 教育・学校 | Comments(0)

合掌

親は子供に小言を言う。反抗するなよ。って、高校生にいっくれ。小言を言ってもらえると言う事は嬉しいことだよ.誰も小言を言ってくれる人がないと云うことは寂しいものだ。それに対して文句を云うなんて贅沢だ。おれなんぞ、幼少の頃から、両親など知らぬ。賽銭泥棒をして生活をしていた。だから、親のありがたみも、小言も聞いたことが無い。寂しいよ。これだけは経験しなければわからないだろうよ。
なぜ俺だけがこんな目に遭わなければならぬのかと天を仰いで嘆いたよ。このような俺を世の中の人は見捨ててつらく当たってくるのさ。だからさ。世の中をななめに構えて人など信用できるか、馬鹿らしいと思って好き放題に、悪の限りを尽くしてきた。
だから罰が当たって、結核に冒され命がわずかしかないと宣告された。結核病棟では厄介者と、忌み嫌われて、みんなが俺につらく当たるのさ.だから俺はよけいに嫌われ者になろうとして悪態の限りを尽くした。だけどよ、一人だけ変わったやっが居て、俺に親切にも説教するのさ。是も口先ばかりだろうと思って、俺の食いかけの飯を食べてみろ--と言ったらくってしまった。是には俺も驚いたよ。結核患者の食いかけの飯誰だって、結核がうつるのではないかと身を案じるがな--
それから、その人の話は少しばかりはまじめに聞いてやろうと思った。。その人がな云うんだよ。それにやなおまえにつらく当たった大人達をゆるしてやってくれ。わしもお詫びするさかいな-みんな弱いんだ-同情こそすれ責めるなよ-そうだ--誰も人を責めることは出来ないのだ--責めるどころかお詫びしなければいけないのだ。--いさかいあい-いがみあう世の中を作ってしまっていることに対して、こちらから先にお詫びしなければいけないのだ。
-無情の世の中を作っている我々がまず最初にわびねばならぬのだ。天涯孤独の少年少女達に--(世の中をすね悪の道にのめり込み自らも病み人間不信に落ち込んだ少年も永遠の眠りについたとき、合掌をしていたそうな--それがせめてもお世話になった、人人に対する感謝のきもちであったのかも知れぬ。)
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by ayabemorinaga | 2015-01-09 12:09 | 教育・学校 | Comments(0)

人生の到達点へ

イギリスの思想家で経済学者のジョンスチュワ-トミルは臨終に際にもらしたという。                  私のすることは終わった。    人間燃え尽きて死にのぞんでこんな事が言えたら最高だ。いやさ、死に臨まなくとも、80才を過ぎて、私のする事は終わった.といえたら波瀾万丈とも言える人生を生きてきた甲斐があったという者だ。80才を過ぎても、まだまだ自分成すべき事があると考えている人も居るだろう。人間いつまでも欲望の虜になり、強欲に振り回されて日々を過ごすのもまた、人生か。人それぞれのいきかたがある。私など、私のすることは終わった.。などと諦それたことは言えない。そもそも私がこの世に生を受けてから、自分の成すべき事が何であったかも定かでない。人様に役に立つことを一つでもなしえたのか。自分の名誉欲のために人様を引きずり回しただけではないか。人から受けた恩義をきっちりとお返しできたのか。此の事一つ取ってみても、私のすることは終わった。などとても言えた様ではない。かくなるみっともない人生であったとしても、生きている限り、私のする事は終わった.といえる人生究極の目的をめざして、そろり、そろり、と歩み出したい。
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by ayabemorinaga | 2015-01-08 12:08 | 教育・学校 | Comments(0)

立脚

世の中には、自分と考えの違う人もいれば、虫のすかないひともいる.だからといってそういうひどびとを軽蔑し、排斥し、敵と見なすことがいいのかどうか。そうではなく、寛大な心をもって、自分と異なる思想の人ともつきあっていくのが和ではないか。平和は寛容の心が無ければ成立しない。
しかし、平和を唱える人が、どれだけ寛容な心を持っているだろうか。自分と異なる意見の人侮蔑し、排斥し徹底して敵とみなして、おりあらば、誹謗中傷、捏造、偏見を持って感情をまるだしにして、攻撃してはいないか。
そのような時などは、人の心の深淵な闇をのぞき見た心地で思わず身ぶるをする。至誠一貫、恕、寛容な心を持つ事が大切よ、と人の云うことに左右されて、ああでもない、こうでもない考えるのも間違っている。
自分はここに立脚している--と毅然とした態度を失わないこだ。当たり前のことであるがこれを実践するの心の修養が出来ていなければ難しい。
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by ayabemorinaga | 2015-01-07 12:12 | 教育・学校 | Comments(0)

年頭所感

 あけましておめでとうございます。                                               最上の善は水のようなものである.水はあらゆるものに恵みを与えながら、どんな器にも地形にも自在に従う.人人が見下しがちな低いところにも流れていき、そこに居る.態度は低いのがいい.心は深いのがいい.人との交わりは仁あることを善しとし、言葉は信があるのを善しとする.こうすれば自然と争い事から遠ざかり、誤りもなくなるから道に叶う。すなおになる。甘んじて受ける。こちらから-頭をさげ、声かけをし、あいさつをする。そのような老人になりたい。と出来もしない事を考えた。
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by ayabemorinaga | 2015-01-06 11:55 | 教育・学校 | Comments(0)