綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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囁きか呟きか

今日も、また、知人に会うのは告別式。やすらかに、さようなら-を念じつつ、 生きる望みがうすれつつ、ひんやりとした感覚が、身体を覆う。老いが、時を刻み、身心の衰えにともなって、過ぎていく。何時の日か、我が命消えゆくのか知るすべもなく、生きていくことの、辛さ悲しさをせおいながら-老害ををさらけ出し、-ふと、ため息をつく自分がそこにいる。
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by ayabemorinaga | 2015-02-27 11:32 | 教育・学校 | Comments(0)

木鶏って何

私たちも年一回木鶏会を開催している。今年も2月22日に会合を持った年々参加者が減少していく弐拾七年も続いているのであるからしかたがないか。今年は10名参加者のうち、何人かは、木鶏になりそこなった連中が、好き勝手、言いたい放題、和気藹々、ケンケン諤々、無遠慮にきびしい他人の棚卸を始める始末 。
     安倍首相が23日の衆議院予算委員会で、ヤジを飛ばしたことについて,正確性を欠く発言があった遺憾で訂正する。と答弁し全くまだ木鶏たり得ずだ。至らなさを反省する。と語ったと産経新聞が報道している。【木鶏とは】,知ったかぶりをして少し解説をしておこう。
   中国の荘子という本の中に木鶏という有名な話があります。昔、紀省子という闘鶏を育てる名人がいました。 その名人が、王様の持っている一羽の闘鶏を鍛えあげていました。元来、王様はせっかちなものです。十日もたたないうちに、もうぼちぼち手合わせてもいいのではないか。と、せつっくと紀省子はがにべもなく断ります。【いや、王様まだです。ちょうど空元気を出している最中で、とてもとてもまだ手合わせる段階にはいっておりません。】そのように云われれば、無理にいえないので引き込みましたが、また、十日も経ないうちに、待ちきれなくなって、どうじやもうぼちぼちえいじやろ-ところが、紀省子は、【まだ、相手を見ると興奮する癖があります、まだダメです。】王様は不承不承引き下がりますが、さらに、十日も過ぎると待ちきれなくなって催促します。、もういくら何でもいいだろう-すると、紀省子は、【まだいけませんかなり自信はは出来たのですが、相手に対して、何をこやつというカサにかかるところがあります。これがとれないうちは、ちょっと、手合わせるわけにはいきません。】と許可しません。王様は、さらに十日待たされ、ようやく、紀省子は闘鶏の許可を与えます。
【王様、もうぼつぼつよろしいでございましょう。相手が挑戦してきても一向に平気で、ちょっと、見ると木彫りの鶏のごとく、その徳がかんせいしています。たぶん、これなら、いかなる敵が現れても、戦う前にしっぽを巻いて退散するでしょう。】手会わせてみると、果たしてそのとおりでした。これを望に木鶏に似たり。と言う言葉がありますが、これがその由来です。
 この寓話には、四つのむ教訓があります。その一は、競わずと言う事で、むやみによけいな競争心をかりたてないと云うことです。    二番目は、てらわずと言うことことで、自分を自分以上に見せない。  三番目は、たえずあたりを気にして、きょろきょろと見回しているようではダメと言う事です。 四番目が、木彫りの鶏のように、静かに自己を見つめると云うことです。
以前ブログに木鶏について書いたかも知れません。書いたか、書かなかったか、記憶が薄れていくようです?物忘れがひどくなっていくのも歳を重ねた結果なのでしょう。
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by ayabemorinaga | 2015-02-24 14:45 | 政治・議会 | Comments(0)
昔から、けんか両成敗と言われているが,けんかの原因については、両方の意見を聞かなければ不公平である。片方だけの意見を聞いて判断すれば誤った判断をする事がある。マスコミが,テレビなり新聞で報道するときは,公平公正な編集が求められる。ところが、視聴者や読者を対象に、あえて片方が悪いと思わせるために、意図的に編集をするようなことが有りはしないか。マスコミの力で政権を変えると豪語した編集者がかっていた。マスコミに踊らされることがないよう賢明な国民に成るためには,常に何が真実かを見抜く努力を怠らないことだ。民主党へNHKの籾井会長が,経営計画の説明に行かれたときの、階議員とのやりとりが放映されていた事については,過日のブログでかいた。一昨日も衆議院予算委員会で階議員が執拗に追求されていた。籾井参考人が答弁席へと歩かれているときに,階議員は時間がないから早く歩くように,委員長注意してください。経営委員長は籾井氏を罷免する意思はないのかと,食い下がっていられた。階議員も昨日の民主党で籾井会長に対して質問野時に,失礼の段が有ればお許しいただきたい。と言った反省は述べられていた。今日テレビを見ていると,民主党でのやりとり、口論、国会での議論の様子が放映されていたか,あえて籾井会長を貶めようとする意図があるのではないかと,慄然とした。具体的事実についてかこう。民主党での籾井氏と階議員のやりとりについて詳細に放映せず,衆議院予算委員会での階氏の発言については一切放映せず,籾井氏のみの言動を放映していた。あれを見れば,籾井氏の言動に問題があるように受け取らざるえない。編集という名の下に,不都合な部分のみ一方的に放映して,籾井氏を貶めるための意図があるのではないか。と勘ぐらざるをえない。籾井氏の言動を擁護するつもりはない。確かに問題発言はある。されど両方の言動を公平に放映すべきではないか。階氏が籾井氏を人生の先輩として尊敬すると言った謙虚な態度はみじんも見られなかった。幸い私は予算委員会と民主党での言動をテレビが放映しているのを見ていたから,マスコミが気に入らないから貶めようという意図があったのではないかと勘ぐりたくなった。此の事からすべての報道について,真実かどうか,偏向した報道が成されていないか。国民はすべての報道を鵜呑みにするのでなく,批判的な考えをもってみたり,読んだりする事の必要性を痛感した。マスコミは社会の木鐸であり、ペンは剣よりも強し,権力を批判する事は当然のことである。されど、偏向報道だけは御免だ。高校教師時代に,ある教師が新聞記者とけんかをしたことがあった。たまたま不都合な事が表面化したときに記事に取り上げて、徹底的にたたかれ、高校の評判が悪くなった事があった。奇しくも、今回放映していたテレビ局は,その当時(教師がけんかした新聞社)と同じ新聞社の系列にぞくする局であった。新聞はできだけ多くの新聞を読むことが必要だ。一部の新聞で洗脳される愚かさを避けなければならぬ。
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by ayabemorinaga | 2015-02-22 09:29 | 政治・議会 | Comments(0)

直情径行

私は,皆さん方から,直情径行のきらいがある。と言って冷やかされている。そのとおり,しばしば人の挑発に乗り,云わなくてもよい一言を言って人様を不愉快にさせている。自覚はしているが、改めると云ったことがついついなおざりになっている。思ったことがすぐ口に出るこまった性分である。                                                                 昨日テレビを見ていると、NHK会長籾井氏が民主党の総務内閣部門会議に出席して、NHK中期経営計画の説明をする為であったが,階猛議員が,籾井氏がNHKの会長に就任したとき,理事全員に日付のない辞表の提出を求めた件で一般社会ではよくあることと発言したことに対して,間違った事実を発進した。と追求され、言葉尻をとらえないで,私は間違っていない。怒鳴ってプレッシャをかけないで--政治的プレッシャだ。あわやつかみ合い無寸前の口論になっている様子が放映されていた。籾井氏も就任以来いろいろと言質を取られて追求されている。その様子を見て,籾井氏も直情径行型のお人かなとおもってしまう。もっとおうように構えて、じっくり話を聞きながら答弁されるといいのにと思う。が、ついつい若い者が何を抜かすか。と言う思いがこみ上げてくるのであろうか--答弁に気合いが入って、力んでおられるようだ。                                              質問者、階議員の態度も幾分高圧的な物の言い様が気になった。(俺は国民の負託をうけて国政に携わっているのだという思いがあるのだろうが、そこは,大人の対応が求められるな)階議員も籾井氏は人生の先輩なのだから,もう少し謙虚に低姿勢で質問されるべきではないかと思った。近頃は,長幼の序をわざと否定する様な態度を取る人人が多くなってきている。
  このようなことを書けば,長幼の序って何 古い道徳観のおしつけなんてまっぴら御免と一刀両断か。
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by ayabemorinaga | 2015-02-19 11:53 | 教育・学校 | Comments(0)

風の行くへ(0月0日)

  四方源太郎後援会長鹿子木氏に同道して、綾部市内一円を一日がかりで回った。綾部市も結構広いなと実感した。私自身も選挙で幾度となく綾部市内を回ったが,今回改めて実感する。市長選の時にも安藤現議長と回ったので、道順や家はおよそ知っているつもりであったが,時々分からなくなって,道行く人に尋ねることもしばしばである。耄碌とはかくのごとき状態を言うのかと思えば,思わず心が凍る。                                                ある地域を回っているとき、畑のど真ん中に立っておられる老人に声かけをして,尋ねる家を聞こうとしたが,老人から返事がない,こちらが、大きな声をだしてきいているのを聞きつけてけて、近所の人が出てこられ,老人を見つけ、どうしたのといっておられる,どうやら老人は,膝が倒れて動けなかったようだ。その様子を見て,鹿子木会長はとっさに,老人のそばに行き,近所の人と一緒に,老人を抱えて家まで送られた。一人暮らしの老人らしい。自分の行く末を暗示されているようで,心が湿る。                                                                いつも感心する事なのだが,鹿子木会長は,老人には、ことさら気配りをして優しく接しられる。自民党綾部支部には、お歳を召した高齢のご婦人がおられる。いつでも宴会や,集会には必ず参加される。ある宴会の時、ご婦人が,帰られようと階段のそばにいかれるのを,鹿子木会長が見届けられると素早く,そばに駆け寄り,手を引いてご婦人を階下まで送られる。その様子をいつも感心して見ている。尊敬する宗教家である。                                                                     市内の会社の会長さんを訪れて、帰ろうとすると、会長自ら玄関先まで見送りに出てこられ,私たちの姿が見えなくなるまで,立ち尽くしておられる謙虚な振る舞いに,思わず頭が下がる。お見送りとはかくのごときことかと改めて自分に言い聞かせる。そのような一日であった。(人の振り見て我が振り直せ、いくつになっても学習か)
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by ayabemorinaga | 2015-02-18 09:42 | 教育・学校 | Comments(0)

人間力か人間学か

人間感謝は忘れるが恨みは忘れない。インテリ-に限って嫌みは云うが,云われた方は、いやみはづっと残るから云わないに限る。権力者には、自分に都合のいい情報しか入ってこない。お追従を云う輩ばかりが,権力者の周りにうろついている。そこが分かれば、反対、批判も謙虚に耳を傾け、自己反省をする事によりひとかどの人物になれるのだ。云うことはたやすいが,実際に実行するとなる出来ない者だ。ついつい安易な都合のいい意見ばかりを取り入れようとして,将来を見通した壮大な都市計画…地域発展策などの計画などがたてられなくなる。人間保身に徹していては,何事も出来ない。【政治家に必要なのは偏差値秀才ではない。人の心を読む頭の良さである。有権者はどんな思いで投票用紙に名前を書くのか。それを誤解しないことだ。我々はいま少し心が貧しくなっていないか。たりないのは,ちょっとした優しさや慈しみだ。政治も強い者が善であり弱い者が悪てあってはならぬ。失敗しても立ち直れる社会であることも必要だ。俺は政治家だと言った気概を忘れぬ事も必要だ。】と産経新聞が単刀直言で報じている。偏差値秀才で,人の心を読む事が出来れば,完璧であるがそんな人は見かけない。が、努力をされている人は知っている。人間学は人間を変えてこそ人間学である所以である。人間を変えることが出来なれば人間学ではない。人間力は人間的な魅力のあるひとである。魅力ある人間とは,自ら学習されることを---支離滅裂のブログか--こんなのもいいか。
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by ayabemorinaga | 2015-02-16 10:24 | 政治・議会 | Comments(0)

今昔物語学校編

古い資料を引っ張り出してあらためて読んでいる。ほのかにレモンの味がする。そのような懐かしい資料など出てくるはずがない。古傷に触られるような思いだ。読みながら忸怩たる感慨がむなもとに迫ってくる。その当時は,自分の行っていることが,【石原高校の学科改編】将来の子供達のためである。少々強引かも知れぬが,やり抜かなければ,教職員に馬鹿にされると,気負っていたのだろう。今にして思えば,もう少しやり方があったのかな-と考えぬ事もないが,教職員との意識のずれは取り繕いようもないほど,離れていた。たとえば、我々は管理職の部下ではない。一人の教育者です。管理職の方へ間違えないように--法令条例を遵守する事は大事ですが,法令条例を遵守しているだけで,素晴らしい教育者になれるでしょうか。校門指導など教育に携わる教職員が自ら考え行動すべきで,校長がお願いすることではない。全教職員の一致した考え、行動が生徒指導をする事が出来るのである。(ここのところだけを読まれると,まっとうな意見である考えられる方がおられると思うが,云わんとしているところは,職員会議を最高議決機関と位置づけて,そこで多数決で決めることが大事であると主張している。現在は,学校管理運営規則に基づき,職員会議は,校長の諮問機関となっている。)善し悪しは別として、現在も学校改革学科改編は教職員全員のベクトルが必要であると言う考えもあるようだ。大人の力関係は,その役職で大部分支配されている。しかし,大人の役職はいずれなくなる。そのとき、肩書きが無くなった者に誰がさんどうしてくれるでしょう。肩書きで人生を送っている者は,肩書きがなくなったときがおわりでる。人間肩書きの力でいきたくはありませんね。人間味あふれたパアソナリテイ-でいきたいものですね。(組合機関誌に掲載)--等等言いたい放題書きたい放題--言論の自由が保障されている日本は幸せですね。
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by ayabemorinaga | 2015-02-14 13:54 | 教育・学校 | Comments(0)

和気

我が家に、和気致祥と書いた掛け軸がある。縁起物と思って正月には床の間にかけている。その掛け軸を見ながら、しばし,和気とはなんぞや、和気と言われる人間のタイプはどのようなものか。穏やかな風貌をしているか聞いてみると、けっこう人生の辛酸をなめ尽くしてこられた、だが,苦労の跡をどこにもとどめていない。けっして暗くはいが,かといって陽気にはしゃぐわけでもない。自分の人生をぐちることもないし,自慢することもない。格別肩肘を張っているわけでもないが,かといって、卑屈になっているわけでもない。ひょうひょうとして社会人としての責任わしっかりと果たしている。こういう人達のかもしだす雰囲気が和気に近いのかな。できることなら、わたしもそんな人間になりたいと思ったりするが、いまさら、とあきらめている。すると表情もとげとげしくなり,陰険きわまりない顔ができあがってくる。鏡を覗いて思わずぞっとする。それでは,いかんなと考えてにこにこ笑っていると,人様はぼけたのかなと言った表情をして眺められる。老害やら,老醜をさらしながらしばらく生きていかなければならないか。ほんのすことでも和気を目ざ゛して--
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by ayabemorinaga | 2015-02-13 13:56 | 教育・学校 | Comments(0)

感情移入

私は、今、葉室麟の小説にはまっていると書いた。昨日は,散り椿を一気に読んだ。小説は,登場人物が事件を起こしそれを解決する。勿論時代背景社会背景ヵ゛書き込まれながら--そして,作者が小説をとおして,主題(テ-マ)を提起している読者はそれをしっかりと理解する事が主眼である。作者が提起する主題を読者はしっかりと読み取る読解力が必要である。分かっていますよ。あなたに言われなくても--さよか--わかっていりやいいよ。--散り椿は,新兵衛と藤吾の間に生まれる絆、新兵衛と篠の夫婦愛、藤吾と美鈴の初々しい恋,一刀流平山道場の四天王と呼ばれた仲間達の友情、それらの人人が政争を含めた人間模様を描いていくのだが,登場人物は,誠実であろうとするが,誠実さ故に生き辛さをかかえこむ。誠実でありたいと思って世の中を渡ろうとするが,誠実が時にはジ゜ャマになる。愚直に生きようとしても,愚直を通そうとすれば,かえって息苦しくなったり,人様の反発を食らうことがある。世渡りは難しい。新兵衛と篠の夫婦愛、藤吾と美鈴の恋、べとべと感や,いやらしさは,みじんも感じさせないさわやかな文体でこれでもかこれでもかと読者に迫ってくる。哀愁漂う場面に,いくたびか感情移入して共感を覚える。読書冥利に尽きるとは此の事か。ときずかされる。そんな作品が散り椿だ。読者の心をふるわせる作品を次々と書いていく葉室麟の才能に敬服する。皆さんも閑があれば,是非、蜩の記、銀漢の賦、、散り椿,峠しぐれを手にとってください。感動と感情移入が体験できますよ。
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by ayabemorinaga | 2015-02-11 10:08 | 教育・学校 | Comments(0)

任命責任

任命責任。国会で,閣僚の不祥事で辞任することがあると,任命責任を追及する報道がなされることがある。閣僚に任命されるときは、事前に身体検査と称して,閣僚になるには不適切な問題を抱えているかどうか調べることがなされていると聞く。最近は,政務調査費に関わる不備を指摘されることが多いようだ。任命責任の追及は国会で問題にされる事が多い意が--何も国会に限らず,地方自治体でも問題にされてしかるべきとは思うが,そのような事例はあまり聞かない。地方でも人事案件が数多くある。その非任命権者が不適切行為を行ったときに、任命責任をとわれて当然であると考えているが,そのような事例というか案件はあまり聞いたことがない。非任命権者に不適切行為が見られないからか。それとも、府県民が関心がないために,さらには、議会でもチチェック機能が働かないためなのか知るすべもないが。地方議会でも多くの人事案件を承認している。首長が提案した人事案件は,問題なく議会で議決しているか゛もう少し慎重に吟味すべきであると考えるがいかがか。私が知る限りに於いて、過去に首長が提案され議会が承認された人事案件で,驚くべき非常識な人がいた。具体的な事例一つ一つ例示してブログで,書かせていただきます。(間違っていれば反論していただきたい。)また,過去に任命した管理職が,はずかしくいかがわしい行為を行いその責任を取って,推薦した任命権者が遅まきながら辞任された事もあった。しかし、任命権者も人間、人なりをしっかりと見抜くことも出来ない事もある事は充分知っている。人を勤務評定するには,評定者の主観や偏見、さらには,曲解、風聞、また、悪意ある記録によって判断され、将来をつぶすような事になりかねない事もある。慎重にも慎重な検討がなされればならぬ。評定者の感情によって人の将来がつぶされるなんて最悪である。故に、評定者、並びに選任権限者は,具体的事例をもって糾弾されれば,任命責任を負わなければならぬ事は理の当然なことである。されど任命責任の取り方はケ-スバイケ-スであり、ワンパ-夕—ンではあり得ぬ。任命権者が被任命者に責任を取って辞任させる事かってあり得る。この頃少し傲慢な姿勢でブログを書かれていませんか。さて、いかがなものでょうか。読まれた方のご判断にまかせます。
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by ayabemorinaga | 2015-02-07 10:23 | 政治・議会 | Comments(0)