綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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政治資金規正法

毎国会ごとに、政治と金問題が議論されている。政治資金規正法は法の目が粗すぎるのか。補助金受給企業からの献金など、不適切な政治資金問題が指摘されて、閣僚辞任の辞退を招いている。早急に確実な防止策取られるべきではないか。まず、補助金企業の献金を厳しく制限すべきではないか。そもそも国から補助金を受けている企業が、特定の政治家に向けて献金すること事態が非常識きわまりない。政治の世界ではこれらの事も常識の範疇なのか。補助金を受けたいが為に企業は政治家に献金をする。現行法では、補助金交付を知らなかったと言えば違法にならない。とんでもない悪法だ。とゆうより、ザル法である。政治に金が要る事は承知している?そのために、政党交付金制度が創設された。それでもまだ政治活動をする為には金が必要なのか。清潔な政治・身を切る改革が叫ばれているが、それらはすべて空疎な言挙げに過ぎないのか。政治家に都合の悪いことは素知らぬ顔をする事は許されぬ。政治は最高道徳といわれるような状況は皆無である?政治は最高道徳と言われるように、政治家はすべからく襟を正せ。与野党を超えて政治献金規正法の改正にとり組まれたい。と言っても、所詮ごまの歯ぎしりか。
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by ayabemorinaga | 2015-04-28 11:18 | 政治・議会 | Comments(0)

生き方

今日は羽目を外して、柄にもないことを書いてみたい。何か。男の生き方は如何にあるべきか。どのような生き方が男として理想なのか。【格好をつけて、やせ我慢ができ、一面では、いさぎよさというか物事にこだわらずさっぱりとしている。その上で確固たる信念を持っている。その信念も頑固ではなくじゅうなんせいがある。さてさて、男の価値は、その男にどのような心友がいるか。】で判断するに限る。反面・嫌みな男とは、地位や名誉に嫉妬をもやし、自分が大事で人間としての誇りと矜持を失った人達。
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by ayabemorinaga | 2015-04-27 13:01 | 教育・学校 | Comments(0)

リスク

現代社会では、リスクは厳然と存在する。出来うる限りリスクが少ないのが良い。当たり前のことだ。しかし、私たちが生きている社会はリスクが限り無く存在している?飛行機に乗れば墜落の危険はつきまとう。電車に乗れば脱線事故が起きるかも知れぬ。自動車に乗れば交通事故に遭わないとは断言できない。歩道を歩いていても、いつ何時自動車にはねられるか分かったものでない。リスクのない生活が出来るに越したことはないが、完璧なまでにリスクを排除する事は不可能である。リスクから身の安全を守るための努力はしなければならぬ。平和ボケ日本では、核の脅威から身を守る為の対策を講じていない。欧米諸国では、核の脅威から身を゜まもる為にシェルタ—が整備されている。被爆国日本が核の脅威を1番よく体験している。核廃絶を世界に訴えている割には、国民は核の脅威から身を守る為の安全対策お粗末すぎる。何が言いたいのか。原発問題だ。原発にしてもリスクゼロは当然考えられない事だ。故に原発立地については、地域住民に十分な説明がなされ、理解の上で立地されたと考えているがこの考えは間違いか。原発立地について万が一の時のリスクの説明があったのかなかったのかは私は知らぬ。地域住民も限り無くリスクゼロを求めていたであろうが、リスクがあることは承知されていなかったのか。原発立地自治体に対して原発交付金はその対価ではないのか。東京電力福島第一原発の大事故以来、国内には、原子力発電に否定的な評価が常識のような風潮がある。しかし原発に背を向け続けるだけで良いのだろうか。日本はエネルギ-貧国である。原発再稼働については、裁判所の判断が分かれた。鹿児島地方裁判所の判断と福井地方裁判所の判断にいては、今後の司法の判断に任すべきであるが、今後関西電力が再稼働運転差し止めによる損害賠償を請求する事になったとき、住民団体はそのリスクも負わなければならなくなる。そのようなリスクは承知のうえでの訴訟であるだろうな--
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by ayabemorinaga | 2015-04-25 13:34 | 政治・議会 | Comments(0)

内部告発(密告)


内部告発については、過去に何回か書いている。内部告発は、多くの場合人間関係の破滅から、おきる。と考えてまず間違っていない。情け無いことであるが、内部告発によってしか不正が暴けないのは、現代社会の組織に問題が無いか。どうすれば愚かな人間の不正行為を防ぐことが出来るのか。内部監査を徹底しても不正を見抜くことはまず出来ないことが多いい。たとえば、裏金作りの一つの方法として、空出張がある。しかし、監査で此の不正を見抜くことは不可能だ。書類がしっかりと整備されていれば、いかに有能な監査員でも見抜くことは出来ぬ。監査における書類審査の限界だ。土地の賃貸料が異常に高い。なぜこのような常識はずれの賃貸料を払う契約をしたのか。このぐらいは書類審査でも分かる。大阪桐蔭高校の裏金問題、保育園園長の4900万円横領などすべて内部告発によって判明している。内部告発即ち密告と言った行為は、人間としての裏切りでありるが、このような行為も不正をあばく為には許される行為なのか。此の世に信義は存在するのか。こんなことが続けば、信義誠実の原則を維持出来るのか。、人間不信に陥ってしまう。ところでこんな事例はどうだろう。。ある自閉症の生徒が先生方の真摯な取り組み教委の支援によって、参学年に進級した。3年の学年主任、担任、は何とか卒業をさせようと懸命の努力を重ねた。ところが、学科の先生達が卒業に反対をして、卒業をする事は出来なかった。卒業認定は校長の権限である。校長を補佐する副校長が、どのように校長に報告していたのか。さいわい、保護者が苦情を申し出なかったので、事なきを得たのであるが。この件について学年主任は、内部告発をしたいぐらいだと言って憤慨をされていた。このような相談を受けた場合、告発をすすめるべきか。思いととどまらせるべきか。
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by ayabemorinaga | 2015-04-23 12:05 | 教育・学校 | Comments(0)

百姓三昧

冨士には、月見草がよく似合う。太宰治の富岳百景に出てくる言葉だ。それに習って、今の私には、百姓がよく似合う。百姓と言えば、草花の名前を百知っていなければならぬらしい。であるならば、私などは三十姓ぐらいだ。百姓三昧なんて云っているが、五ア-ルの田畑で野菜作りをしている。時には猪・鹿のえさ作りに励んでいるとも云える。猪・鹿との知恵比べだ。去年も収穫間際にあらわれて、スイカ・マクワウリ・トウモロコシ・サツマイモをごっそりとやられてしまった。少々の囲いでは、弱いところから進入する。また、百姓は、雑草との戦いである。草むしりをしてもしても、次々と草がおごってくる。根気よく草むしりに励まなければならぬ。草むしりをしていると無心の境地になれる。軽度のうつ病などは、草引きをすれば、治るだろう。くよくよと思わなくてもいいからな-草引きは、鬱病の治療対策にはもってこいだ。-そして結構疲れるから、ぐっすりと安眠出来るよ。いいことだらけだぞ--野菜は、世話をすればするほど、その努力に応えてくれるものだ。品質のよい野菜が収穫できる。人間のような裏切りは皆無だ。これから百姓三昧の境地iをさまようには、ひたすら草むしりにとり組む事であると自覚している。
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by ayabemorinaga | 2015-04-15 13:11 | その他 | Comments(0)

ぼやき(国旗国歌)

国立大学の卒業式や入学式で国旗掲揚と国家斉唱を適切に行うよう求めることに反発がある国旗と国歌に敬意を払う教育がなぜいけないのか。いまから30年前ちょうど現職の頃だ。国旗掲揚国歌斉唱を巡って教職員と随分議論をしたものだ。日の丸の旗は国旗か、戦争の旗ではないか。君が代は国歌か皇室を敬い繁栄を言祝ぐ唄ではないか。当時は国旗国歌について規定した法律がなかったから、教職員の説得に苦労をしたものだ。国歌斉唱について強制することは、憲法が保障する精神的自由の思想・良心・学問の自由のうちの内心の自由を犯すものだ。と主張する人達との議論にはくたびれた。あなた、教員になる時に、宣誓しただろう、法令条例を遵守し----と誓ったことをお忘れですかと、いいたくなることが再三あった。丁寧な説明をいくらしても分からない人には分かってもらえなかったよ。残念だけれどさ--国旗掲揚と国歌斉唱をめぐっては反対する教職員との板挟みで平成11年に広島県の高校長が自殺をする痛ましい事件が起きた。これをきっかけに国旗国歌法が制定された。ところが、驚いたことに、今年三月の卒業式で国立大八拾六校のうち国旗を掲揚したのは、74校国歌を斉唱したのは、壱拾四校にとどまったという。教育関係の大学の状況が、今一つはっきりしないから、断言することは避けるが、教育系の大学でも、国旗掲揚・国歌斉唱かぜされていないようであれば、教育現場で実践しなければならぬ教員は戸惑うことがあるのではないか。だからとは云わぬが、教員の常識は世間の非常識と言われるような教員が多数存在することになる。此の事について下村文科大臣は、記者会見で、適切な対応がとられるよう学長会議で養成する事を検討する。とかたり、お願いであり、するしないは 各大学の判断と述べている。かって、大学紛争はなやかなりしころ、田中内閣が大学紛争を終焉させるために、大学二法?(紛争が終焉出来ない大学つぶす)を成立させたトタンに紛争は収まった。そりゃそうだ大学の教授達が校内で学生をあおっていたのだから--大学がつぶれたらさあ大変--と。大学の教授と言われる人でさえ、その程度の人間しか育っていない戦後の教育ではと言えば、言葉が過激か。大学の卒業式で国旗掲揚・国歌斉唱が実施出来ないのは、一部大学教職員らの反発が根強いからだろう。曲論かも知れぬが、法律で規制するしか解決の道は見当たらないだろう。個人の内心の自由を尊重することにやぶさかではないが、国旗国歌はいずれの国でもその国の象徴として大切にされ、互いに尊敬しあうのが常識である事を教育機関でしっかりと教えるべきである。国旗掲揚・国歌斉唱さえ出来ないような教育機関からは、国家のために私たちは何を成すべきかと言った考えの若者など育つ訳がない。国家は私に何をすべきかと言った自己中心の若者ばかりが育つだろう。情けなさを通り越してあきれてものもいえない。とぼやいて憂さ晴らしをすることしか出来ないよ--
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by ayabemorinaga | 2015-04-14 09:42 | 教育・学校 | Comments(0)

傍若無人な言辞

今年も異動の時期が過ぎた。官公庁では退任式がおこなわれ、多くの方が参加して退職者を見送る儀式がおこなわれる。ところが教職員の場合は、退任式という改まった儀式は行われることはない。ほとんどが、37年の長きにわたって勤務し定年退職を迎える人がほとんどである。新離任式というのが、新学期が始まってからおこなわれ、そこで児童生徒に挨拶をするくらいである。各学校では、退職者だけを中心に据えた退任式は存在しない。私が退職間際な時に、武田管理部長から、校長さんや、先生が退職されるとき、退任式など有るのですかと尋ねられたことがある。退任式などありません。む管理職であればたかだか、事務職員に挨拶をして学校を去るのが通例です。と言ったとき大変驚いておられたことがあった。出来うるならば、中・高校ではクラブ活動に来ている生徒達に校門前で見送らせるとかかんがえられないものでしょうかな。退職教職員がある学校では、副校長、教頭のしごとである。と断言することは酷なことか。そのような目配り・気配りので゜きる教頭さん達はいるだろうか。退職と言えば、長き人生のなかでも、おおきなおおきな節目である。長きにわたりご苦労さまでした。とねぎらいをこめた儀礼があってもいいのではないか。今年も多くの教職員が長年勤めた学校を退任された。どのような思いで学校をさられたであろうか?私が、管理職として赴任したとき、退任したときは、新任あいさつ、退任挨拶に地域で学校に直接間接に世話になっている人達の所に回った者である。現在はどのようになっているのであろうか。そのような儀礼格式張った事は必要がなくなったのか。とかく教職に携わる者は、人に礼節を教えなくとも、自らは実践するように努めるべき立場にあることは事実である。いや-*児童生徒に礼儀の大切さを指導すべきである。いや-そのような自覚も自信も無い人達が教職に就いているとしたら残念だ。
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by ayabemorinaga | 2015-04-13 07:07 | 教育・学校 | Comments(0)

耳障りなこと

耳障りな事を聞いて、自分の行いを反省する人はあまりいない。むしろ、何を偉そうな事をほざいているのだ。人のことをあれこれいうまえに、自分の行っている行為を反省せんかいな。と感情的に反発するのがオチだろう。人間だれもが自分が1番可愛い。だから自分の欠点を指摘されると、反射的に反発する者だ。なるほど自分の行いについてそのように視られていたのか、これからは充分注意しなければならぬ。と、反省する人は人物が出来ている。そんな人は限られている。耳障りな事を云われて素直に反省する人は少ない。むしろ反発を食うだけだと思って人は何も言わなくなる。すると人は天狗になって傍若無人な振る舞いをするようになる。さすれば、人達は、陰では悪口雑言をいって居るがその人の前では、何事もご無理ごもっともと押し黙っている。耳障りな事をいわれて、素直に自分のこれまでノ行いを反省する事が出来なければ人でない。このように偉そうな事を行っておる私なと゛は、この歳になっても、耳障りな事を聞けばこんちくしょう-と感情が爆発寸前まで高まるのであるから情け無い。そこは、冷静にかまえて、耳障りな事を云ってくれる人が居ることに感謝しなければならない。と、思うことは再三ある。か実行が出来ていない。晩節を汚さないなど言えた義理ではない。清く正しく美しく--そんなことを口にするのも恥ずかしいぐらい、あちらこちらに失言妄言を繰り返しながら醜態をさらけ出して生きている。でも耳障りなことが聞ける姿勢だけは堅持していきたい。たとえききながすことがあったとしても-- ぐうたらぐうたらとつまらぬ事を書き綴りましたが、 【耳障りなこと】で皆さんに訴えたかったことは、議員は理事者に対して、住民福祉のためには、ときには、理事者に対して、あえて、耳障りな事がどうどう議場で発言できる議員が誕生することを期待したい。
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by ayabemorinaga | 2015-04-11 11:08 | 教育・学校 | Comments(0)

風の行くへ(4月8日)

四方源太郎事務所によってから、府北部総合教育センタ-に立ち寄った。応対に出てこられたのは、西山という職員であった。その応対に驚いた。さわやかな態度で懇切丁寧である。総合教育センタ-の電話の応対も迅速丁寧である事は、以前此のブログでも書いた。総合教育センタ-勤務職員は応接態度が素晴らしい。それに比べて、教職員中には礼儀を知らぬ人がいる。新学期は異動の季節お世話になった方へ挨拶をするのが礼儀だろう。そんな礼儀もわきまえぬ人達が、自分の実力で成り上がったなんて考えているとしたら、ちゃんチャラおかしいよ。たとえ、自分の実力で、成り上がったとしてもだ、人の道として世話になった人がいたことは充分承知しているだろう。そんな礼儀を知らぬ人が教員を指導しても効果は皆無だろうな。教員は道徳教育を実践する前に己の道徳心をしっかりと身に付けることが先決だ。教育センタ-で教職員として身につける最低のマナ-を徹底してご指導願いたいとおもう。いや-人の道としての礼節をしっかりと体得し教職に携わるものとして、児童生徒保護者に尊敬される教師であることを期待する。そのような思いに駆られる日であった。
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by ayabemorinaga | 2015-04-08 18:01 | 教育・学校 | Comments(0)

なるほど

NHKTVのきわめびとを視た。よく使う言葉で、やる気があれば--できる。できないのはやる気がないからだ。と言う事がある。とくに親が子供に向かって使う言葉だ。ところが、出来るからやる気が起こるのである?出来なければやる気は起こらない。まさに至言である。その通りだ--勉強特に数学なんて出来なければ、やる気などゼロだ。分からないのにやる気などおきるはずがない。ダメな子供など一人もいない。ダメな子供にしているのは、指導者(教師)がダメな人間なのだ。そうだろうんな--私も高校生時代に数学が苦手であった。高校二年生になって数学の教師が田中先生から小原先生に代わったとたん数学が分かるようになり数学が好きになった経験がある。子供をダメにしているのは教師に指導力がないからだ。そのような教師に限って、自分の指導力のなさを棚に上げ子供の理解力の不足と能力を問題にしている。子供にやる気を起こさせるには、まず出来るという教科指導技術を教師は研鑚すべきであろう。子供に分かる教材研究をそっちのけにして、管理職試験に血道を上げている教師はいないだろうな---教師の本分をわすれちゃ-この世はなんと言えばいいかな--
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by ayabemorinaga | 2015-04-05 16:53 | 綾部 | Comments(0)