綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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リ-ダ-の器量とは

安全保障法案の国会審議が始まった。国会審議のテレビを見ていて、時折安倍総理がむきになって長々と答弁したり、ヤジを飛ばされて審議中断の場面を見かける。政治評論家の田崎史郎氏は、不安なのは、安倍総理の気性の激しさである。普段は温厚であるが、敵が攻撃を仕掛けてくると、牙をむく。国会答弁で野党から攻撃されると、安倍総理は時折むきになって反駁してしまう。それは、たいてい失言につながると指摘している。安倍総理の育ての親小泉氏はいかなる挑発にも乗らず、のらりくらりと答弁を繰り返したと云われる。
 さて、私が言いたいのは、易経の中に、【君子は安けれども危うきを忘れず。存すれど亡ぶるを忘れず?治まれど、乱れるを忘れず。ここを以て身安くして、国家保つべきなり】と言う一節がある?順風満帆であっても危機の到来を忘れず、佳い環境にあってもそれがいつ滅亡の道につながるかを心し、平穏な日々もいつ混乱状況に入るかも知れないことを知れ。そのことを知り備えを怠らなければ、国も安泰を保つことが出来る。要するに、優れたリ—ダ‐はいつ、どんな事態に直面するかを、常に念頭に置いた緊張感を忘れてはならないと教えている。不測の事態への備えを忘れずと言う事は、国の安全保障、に関わる立法府の国会議員の議員しとての基本的認識でなければならぬ。安全保障法案の審議に当たっては、与野党を問わず、不測の事態に対する備えを整備する法案を成立させることは、国会議員の責務ではないのか。法案の問題点は国会審議の中で明らかにして、ふそくの事態に直ちに対応できるよりよき法案の成立を諮られたい。為にする反対やレッテル貼りを声高に叫んで、アジったり、ヤジ応酬が飛び交う審議姿勢は見苦しいの一言に尽きる。不測の事態への備えは忘れずは、古今東西のあらゆる帝王学の第一条であり、同時にリ-ダ-として最も問われる器量である。安倍総理には、その器量が備わっている。と私は確信している。
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by ayabemorinaga | 2015-05-31 13:36 | 政治・議会 | Comments(0)

人間の本性

変化自在は、日本人の習性か。はたまた、大上段に振りかぶって何をおっしゃりたいのですか?変わり身の早いのは、人間の本性なのか。と、ツイツイ考えてしまうことがあるのですよ。たとえば、戦時中軍国主義の最先端を担いで教育していた教師が、終戦になったトタンに態度を180度変えて、左翼思想を信奉する姿に、唖然とした事がある。ご都合主義典型的な見本を見る思いがした。また、喫緊の事例としては、翁長沖縄知事は本来保守主義者であったのが、知事になるには、革新陣営の支持を得なければ、当選がおぼつかないと考えて革新陣営に乗り換えて、基地反対を訴えて知事に当選された。さらに、そこまで言って委員会のテレビ番組で、某政党の幹部は常日頃は、少数意見の尊重を声高に言っていられるのであるが、沖縄の基地問題については、沖縄の民意は基地反対である、と、これまでの少数意見尊重など素知らぬ顔で発言されていたのには驚いた。基地賛成の少数意見はどうなるの--(沖縄知事選で基地反対、35万・賛成25万票) 尊重するのしないの-
 直近の身近の例では、潮目が変わった。と云って、私たちが慰留するのを振り切って、議員会派から離脱して市長選に立候補されて自滅された方もいる。潮目が変わった。と判断された、その潮目は幻想でしかなかった。変わったと思った潮目は、夢幻のごとくついえた。
 このような例を見ていると、変化自在に世間を渡るのが賢明なのか。また、そのような、処世術は唾棄すべき愚かな行為なのか--変化自在は世の習と割り切る事に限る。しょせん人間なんてその程度の者とあきらめるのさ。されど、変化自在の生き方が、人間として許される行為なのか。と反問をしたくなる。なぜかは知らねど。(人それぞれのいきかたがあるのよ。あなたが、人様の生き方をあれこれ批判する事ではない。それは分かっている。私は、公人の立場にある人の行為を批判しているだけよ。分かってくれる。それより自分の是までの生き方を自問されよ。勿論そのことも大事だな。)
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by ayabemorinaga | 2015-05-28 11:42 | 教育・学校 | Comments(0)

橋下市長私論考

大阪都構想は、橋下市長の天性とも言えるコミニケイション力をもってしても、反対側の市民サ-ビスが低下すると言う説得を覆すことが出来なかった。今回の市民投票はあくまでも制度の枠組みの変更であるが、賛否は別にして、ここまで住民を巻き込んで、真剣に住民の支持取り付けに奔走した政治運動はかって、なかったではないか。大阪市民感情を二分したまま引退するのかという批判があるが、それはあえて為にする批判であると考えたい。このような、大きな問題提起をした橋下氏が政治家として期待され、はたまた憎まれてきたことに言いしれぬ共感を覚える。大阪都構想の実現が住民によって否定されたことは、何事によらず現状変更をきらう市民感情が厳然として存在していると言う事である。大阪はこの結果、是までどおりの衰退の傾向にもとるのか。注視をしていきたい。保守・革新を問わず既得権益等現状からの改革改編には、ものずごい゛エネルギ‐-が必要だ。事を興すにと必ずと言って良いほど批判がおきるものである。これは、地方自治会組織でも言えることだ。故に自治会役員に成れば、現状維持を任期中貫けば、平穏無事に任期満了となる。何か事を興すには、批判覚悟でとり組まねばならぬ。
さて、本論に戻ろう。独裁者等、憎まれ口をたたかれて7年間反対する者は敵とみなして攻撃するマスメデイア-学者、時には政治家に対しても、厳しい反論批判を展開する。そのエネルギッシユ-な行動には恐れ入る。
 抜群の行動力をいや、活動範囲を全国に広げる絶好の機会が出来たのではないか。引退などせずに野党再編キ-マンに成られては如何。いやいや、それは劇薬だ。恐れを成す人いるかも知れぬが。私は、大阪の学校改革は彼でなければなしえなかったと、今を思っている。なあ-なあ-主義では、学校改革など出来はしない。されど教育委員の人選は必ずしも適格であったとは言い切れない。人を見る眼を養うことの難しさほをまざまざと見る思いがした。是は、提案ですが、第参次安倍内閣に総務大臣として入閣されて、地方分権の本質とは、東京から、より多くの分け前を引っ張ってくることを目指す分配重視の地方分権論が主流なかで、大阪都構想は自助自立を重視されていたと思うから、その視点に立って、地方分権に大なたを振るわれては--
 以上の私論は、マスメディアから得た情報に基づいたもので、橋下氏の実像ではなく虚像かも知れぬ。故に事実誤認が多くあり、砂上の楼閣にも似た私論を展開していると、おかしく思われる人もいることは知っている。が、地方分権を推進するには、彼のようなカリスマ性のある強力なリ-ダ—が必要ではないか。
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by ayabemorinaga | 2015-05-23 09:16 | 政治・議会 | Comments(0)

出所進退(胆識)

大阪都構想は住民投票の結果、小差で反対が賛成を上回り実現が頓挫した。反対の意思表示が多かったのは、70才と50歳代の女性であったと報道されている。70才以上の高齢者は、府と市の二重行政の税金の無駄遣いと云った高邁な話より、市がなくなれば、高齢者の優待パス(市バス・地下鉄等)がなくなると言う、目の前の利害得失のはうが重要な事であり、反対側の説得力が勝っていた。高齢者をぞんざいに扱えばとんだしっぺい返しが来るか知れたものでない。特に高齢者になればなるほど、損得勘定に過敏に反応するようになるのか。大阪都構想が高齢者の反乱によってついえたと云えば独断過ぎるか。
 いつもの悪い癖で前置きが長くなった。この結果を受けて、大阪市長橋下徹氏は市長任期満了をもって、政治の世界から引退する。と明言された。多数決による決める政治を信条として、選挙を究極の民主主義と表現してきた橋下氏。たたきつぶすと言って、こちらがたたきつぶされた。と発言して引退表明をされた。潔い引き際である。なかなかまねの出来ぬ清くも有りさわやかな引退表明だ。
 さらに、もうひとかた、維新代表の江田憲司氏も、大阪都構想は維新の党の立党の原点であり、それが否定されれば、当然トップは責任を取らなければならぬ。と言って代表辞任する旨表明された。私は、江田氏の物言いにいささか、上から目線を感じてあまりいい印象を持っていなかったが、今回の辞任を聞いて、原理・原則を尊重する近年まれにみる希有な人物であると認識を改めた。ご両人胆識が備わって居るからこそ、側近や党員の慰留を振り払って、辞任という重い重い決断ができたのだろう。
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by ayabemorinaga | 2015-05-19 13:17 | 政治・議会 | Comments(0)

岡目八目(政治編)

安倍総理は、平成27年9月に自民党総裁に選任されて、平成30年9月まで政権を維持することが可能になるる。されど、政権運営は、地雷原のうえを走っているようなもので、いつ何時、地雷を踏んで自滅するかも知れぬ恐ろしさがある。ただ、謙虚さ、慎重さをひとときも忘れることなく運営しなければならぬだろう。自民党政権・民主党政権崩壊の要因に一つには、いずれも党内対立がその原因である。ところで、ポスト安倍は果たして誰なのか。年齢面から見れば石破、岸田、あたりがふさわしい。ただ、谷垣は年齢は高いが宰相になれなかった総裁として同情論もある。と田崎史郎氏はみている。私は、是非わが選挙区から出ている谷垣幹事長になんとしても総理になっていただきという強烈な願望はある。産経新聞が、谷垣幹事長はポスト安倍を封印されれようとしている。とか、報道している。真偽のほどは分からぬ。  安倍総理が女性宰相として、稲田朋美政調会長を育てようとしている。とこれも新聞からの知識である。野田聖子前政調会長も意欲満々ではないか。かっては、田中真紀子総理大臣待望論を書いた人もいる。自民党再生リ-ダ-田中真紀子氏しかいない。彼女はバイ夕リティ-とカりスマ性があり、類い稀なるユウモァ-がある。とか、確かに、人物評論は、短い言葉で端的に表現する人である。たとえば自民党総裁選で競い合ったときの田中氏の発言、軍人(梶山)、変人、凡人(小渕) はその最たるものだ。その変人(小泉純一郎)を総裁選で応援して、勝利させた。小泉内閣で外務大臣として入閣をしたが、将来の強引さが裏目に出て自滅した。あとは、ご存じの通り民主党に変わり、落選の憂き目を見る事になり総理の芽は消えた。小池百合子氏も一時は、宰相候補の噂に上ったことがあった。直近では、小渕優子氏がささやかれていたが、政治と金問題で挫折している。挫折を経験して人の世の辛酸を経て、それをバネにして再起を記す気概を持って欲しいものである。この際、是非お勧めしておきますが、熊野の古道を一度お歩きになっては、熊野古道は、蘇りの道と言って、平安時代から、行って帰ってくると蘇ると言われていますよ。さてさて、安倍総理が小泉純一郎元総理に育てられたように、稲田氏をしっかりと育てていただきものである。いまから、稲田氏もしっかりと帝王学を習得されたい。政治家に必要なのは,勘である。勘の悪い政治家は大成しない。一般論としては、官僚出身者は,勘が悪く,地方出身者は勘が良いと云われている。官僚なんて、人を丸める才能に優れた人達だ、ゆえに、官僚に丸められるのではなく、自分で判断出来る判断力をしっかりと養うことも必要か。稲田氏には、一度もであったこともないが、かって親しくしていた、椿原高校教育課長の娘さんであるから何となく近親感がある。自民党が野党時代に、管直人総理に厳しい質問をされていたことが、思い出される。ぼちぼち、女性宰相が生まれてもいい時代ではないか。野田・小渕・稲田トリオで切磋琢磨されては---
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by ayabemorinaga | 2015-05-16 11:29 | 政治・議会 | Comments(0)

情と理

世間を渡っていくためには、情と理を如何にバランスよく使い分けるかである。人人を納得させるために、理づめで説得しても理解は得ることが出来ぬ。人間には情がある。それを否定しては話がすすまぬ。伊吹議員が【政治家は理を実現する為に情と謙虚さがなければならぬ。指導者は理をわすれ情に流されてはいけない。私たちの世代が引退したら理と情を大切に貫ける政治はなくなるかな。】産経新聞紙上で発言されている。人間は、理屈によって納得するが、感情によって動く。指導者は、人人を納得させるとともに、動かさなければならぬ。人は感情によって動く。故に理と情を大切にしなければ、物事は前に進まない。物事をなすのは組織ではない。物事をなすのは計画や制度ではない。物事をなせるのは人だけだ。組織・制度・計画は、人を助けるか、邪魔をするだけである。組織や制度や計画が完璧であっても、理詰めで物事を推し進めようとすれば、人人の間に摩擦がおきて達成できない。人の情をしっかりと理解することが先決だ。組織では最終的には、人事権を行使して物事を推し進めることもできるが、感情的なわだかまりが人人の間に芽生えるだけだ。トップが変わるまで静かにしておればよい。と言って面従腹背を装って、部下は動かなくなる。たしかに現代は、理と情を大切にする考えの人達が極端に少なくなってきている。理と情を強調すれば、人人は侮蔑のまなざしを向けてくる。それは任侠の世界の論理と偏見を持っているのか、知るよしもない。されど日常生活を送る上で理屈だけでは人が相手にしなくなる。さらに、情を大切にしなければ、トラブルを起こしたときに、解決の糸口を見いだすことは出来ぬ。指導的立場の人達は、情と理こそ、人を動かす原理原則であることをしっかりと理解し行動していただきたい。私は、理を曲げて情に流されよとはいわないが、情のかけらもない人にはなるな。と、あえて強調したい。理屈を押し通して相手の感情を害すれば、その人は、怨念を抱くだけだ。とかくこの世は住みにくい。なんて言っておられぬ。情を忖度し理を貫く指導者こそ、指導者の指導者たる所以である。
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by ayabemorinaga | 2015-05-12 12:28 | 政治・議会 | Comments(0)

子供の貧困率16,2%

昨日は府立校長会0B会に参加して、川村指導部長から子供の貧困対策について話しを聞く機会があった。現代子ども乃貧困率が16,2%であり、六人に一人が貧困状況にある。(貧困率16,2%とは、300万人の子供が貧困状況の中に置かれている)外国では、アメリカが貧困率21%フランス11%イギリス7%であり、日本はアメリカに次いで世界で第二の貧困率という不名誉なじょうきょうである。貧困率増加の原因は、片親家庭(母子家庭)の増加よる。さらには、収入の不安定な非正規雇用の問題もある。それらの家庭では年収181万円のようだ。貧困家庭では、子供としての当たり前の生活が出来ない。高校に入学するのが当たり前の時代なのに高校に行けない。たとえ入学しても中退を余儀なくされる。親から子への貧困の連鎖を如何にして断つことが出来るのか。施策としては、児童手当の充実、子育て支援制度の拡充、高校生給付型奨学金の拡充等がある。平等社会を目指しながら、貧困家庭の増加による格差社会が出現してきた。
 子供の貧困率の増加している現代教育の現場でどのような教育実践が必要不可欠なのか。いや、貧困家庭で育っている子供達にいかなる手をさしのべてやれば良いのか。私は、まず同和教育の実践に学べと言いたい。憲法25条にすべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。この実現のためて国家は、あらゆる施策を実施しなければならぬ事は自明である。(同和教育の取り組みも憲法25条・26条の実現を求めてとり組んだと言えよう) 今日もあの子が学校に来ていないという現状認識に基づき、就学保障の取り組みこそが同和教育の原点である。と共通認識を深め、そして進路保障へと確かな取り組みを進めていった。今正に、親から子への貧困の連鎖を解消する喫緊の課題として、学校現場での取り組みが求められていると言っても過言ではない。子供達の生存権の保障を、さらには、かけがいのない豊かな生涯が送れる社会の実現を確信して----教師達よ、今一度同和教育の取り組みに真摯に学び、子供達を貧困状況から立ち上がらせる為にも、自己肯定のしっかりとできる自立した子供へと育ててくれ。国民・市民のみなさまも、此の現実(子供貧困率16,2%)をしっかりとまず理解し認識していただきい。
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by ayabemorinaga | 2015-05-10 11:14 | 教育・学校 | Comments(0)

校訓を生かせ

校訓とは、伝統・地域性・生徒の実態などを考慮して独自に設定した学校全体の教育・指導方針である。校訓のない学校は羅針盤のない船のようなものだと極言すれば失礼か。老いは過激を増幅させるようだ。ついつい大げさというか言葉が過ぎるようだ。羅針盤のない船は方向が定まらないのと同じように、校訓のない学校は、その折々の世相の谷間を漂うだけだろう。徳の備わった人物など出てくるわけがない。が、たとえ校訓があっても、校長訓話やHRで先生が指導しなければ無いのと同じだ。無用の長物となる。昔昔、国民学校にはいずれの学校にも、二宮尊徳の像が建立されていた。[至誠、勤勉・]二宮尊徳についての話など聞いたことがなかった。ただたんに薪を背負い本を読んでいる人であると言う事ぐらいしか記憶がない。指導しなければその程度にすぎぬ。幸い校訓のある学校では、しっかりと校訓について指導されて有為な人物を育ててくれ給へ。管理職の人達よ。
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by ayabemorinaga | 2015-05-06 11:50 | 教育・学校 | Comments(0)

議員・先生

以前ブログで、先生・先生と威張るな先生・先生・生徒のなれのはて-これは、先生をからかっているのか?小馬鹿にしているのか。そこで、改めて広辞苑を引用すると先生は、先に生まれた人。学徳の優れた人。自分が師事する人。また、その人に対する敬称。学校の教師。医師・弁護士など、指導的立場ある人に対する敬称。とある。広辞苑にもう一つ先生の意味がある。他人を親しみからかって呼ぶ称。と。夜の世界では、お客さんを社長、先生などともてなしてくれる。と。あるから、せんせいせいとのなれのはて-からかい半分に云っていることは自明の通りだ。悪い癖で、前置きが長くなった。国会議員や地方議員は本人の意思に関わらず先生と呼ばれるのが通例だ。【市(特例市を除く)町村議員が先生と呼ばれる例はあまり知らない。】本来議員とは、こどもから大人、地域社会から尊敬の念を抱かれ、その活動は信頼関係によって成り立つものである?議員はいまや自ら汗をかく時代になってきた。また、一挙手一投足、頭のさきから足下まで見られている自覚が欠かせない時代である。常に範を垂れなければならない指導的立場を担っているのが議員であり、先生と尊敬の念をもって敬称で呼ばれる人であると確信している。先生と敬称をもって呼ばれる議員(議員と呼ばれるすべての人)であってほしいと私は願っている。が、統一地方選挙のある立会演説会で応援弁士が先生と呼ばれる議員にはなって欲しくない。と力説されていた。、おそらくからかい半分に呼ばれるような議員先生担って欲しくないという意味と善意に解釈したが---先生の解釈について聞く事はなかったからその真意は測りかねる。
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by ayabemorinaga | 2015-05-01 08:29 | 教育・学校 | Comments(0)