綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

<   2015年 08月 ( 11 )   > この月の画像一覧

放下着

放下着とは,捨ててしまえと言う事であるが,この句は、茶掛けによくみられる。ある人が、この放下着の一軸をかけて茶事をした。客の一人が、この茶掛けをみつけて、うむ-下着を放つか。この茶席では裸にならんといかんのですか。と真顔できいたという笑い話もある。そのことはさておき、歳を重ねるにつれて,こだわりがつよまり,どうにもならぬ事にも執着して、こころを痛める。いや心がひん曲がってしまう。こまったことだ。人人の行いが気になって,捨ててしまえばいいものを,いつまでも心にためている。人様は人様と割り切って、気にせぬ事がいいのは分かっているが、あの偽善者め、格好のいいことばかり行って、人を拐かす無礼なやった゛。失礼千万なやっだ。と、憤慨している。馬鹿かとと言われれば、そうた゜な馬鹿か。と思ってみたりもするが--
 さて、放下着について解説しておこう。明冶時代の有名な禅僧であった、原坦山の若い時の話である。坦山が親しい友人と行雲流水の旅に出て、たんぼ道を歩いていたら、小川にぶっかった。川幅は広くなく、水も深くはないが、橋がない。歩いて渡るほかないが、ふと横を見ると妙齢な乙女が川を渡りかねてこまっている。
 それで坦山は、 どれ拙僧が渡してあげよう。さあーしっヵりと私の肩につかまりなさい。と言いながらー軽々と乙女を抱き上げ、川を渡った。そして、その乙女が真っ赤な顔をして、お礼いうのにもみ耳にかけず、さっさと親しい道友の後を追ったのである。やがて半里もきた頃、それまで不機嫌そうに黙ったまま歩いていた道友が、どうしても我慢が出来ないという風情で、坦山に言った。おまえは、実にけしからん、出家の身で若い女を抱くという法があるか。その道友はすごい剣幕でそう言ったのだが、坦山は、とぼけた顔して、あたりを見回し、次の様に言った。なに-女どこにいるのだ。   とぼけるな。さっききれいな娘を抱いていたじやないか。     ワッハツハーーーーなんた゛、あの女のことか。俺は川を渡して、下ろしたよ。おまえあれからず-っと、まだ、だいていたのか。坦山のこの名答に道友は二の句がつげなかったとさ。皆さんそのような体験はありませんかな。
[PR]
by ayabemorinaga | 2015-08-26 12:50 | 教育・学校 | Comments(0)

演歌は恨歌

ひとかどの評論家顔して偉そうなブログを読まされていたのでは,皆さん飽き飽きされるでしょう。今日は,がらりと趣向を変えて、がらにもないことをかきましょう。演歌が下火にったと言われて久しいが、サラリ-マンが忍耐をする状況が無くならない限り、演歌ならぬ恨歌の灯は消えることがないだろう。私などは,変調で旨く歌いこなすことが出来ぬ。カラオケに通って練習すれど上手にならぬ。だから宴会の席で歌わなければならぬときは苦行そのものだ。されど演歌はなぜか好きだ。そのことで、人様に侮蔑のまなざしで見られようがいっこう苦にならぬ。なぜ演歌好きなのかと言われても応えられぬ。好きなものは好きだ。理由などない。森進一の歌う 理由の分からないことで  悩んでいるうちうち  おいぼれてしまうから--という歌詞に共感を憶え切なくなる。つまり俺の孤独、俺の忍耐、俺の哀しみは誰も分からない俺の道連れは演歌しかないのだ。北の町ではもう 哀しみを暖炉で  燃やし始めているらしい 襟裳の春は 何も無い春ですゥ  人生の折り返し点を過ぎた頃は,とりわけ来し方が想われる。俺には之しか生き方が無かった。器用に立ち回ることなんかできない。上役にお世辞も言えないし,若い奴らをおだててつかうこともできない。このまま自分なりに生きていくしかないのだ  日々の暮らしはいやでも  やつてくるけど  静かに笑ってしまおう  いじけることだけが 生きる事だと  飼い慣らしすぎたので  歌詞に自分の来し方をおもい 共感をしながら 涙して口ずさむ  演歌ならぬ恨歌は男のうさの捨て所--か。それとも演歌を口ずさむ事で自分が癒やされているのかナ-癒やしと言えば,お酒を飲みながらーー酒は涙か,ため息かーー最高じゃないだろうか--それとも寂しくなったら,二人でお酒が飲めなくても,独りむなしく、二人でお酒を飲みましょうーーと口ずさむのいいではないか。それこそ恨歌を----
[PR]
by ayabemorinaga | 2015-08-21 14:30 | 教育・学校 | Comments(0)

身の処し方

政治の基本は、礼である。礼を失したのでは、けっして立派な政治とは言わない。礼は心なり、儀は形なりと言う言葉がある。まず形を整えなければ、中身の改善なんかはあり得ない。形は人の中身を体現していると心得るべし。茶道などは、まずなにより形から入る事が基本である。まず歩き方畳の縁を踏まない。(このような事を書けば、ほんとかいな。あんた茶道を教わったの--と笑われそうだが、大徳寺聚光院に下宿していたとき、住職の奥さんから茶道を習わないかと誘われたが、作法が窮屈でとても我が身には向いていないと断ったことがある。今から思えば習っておけば良かったと臍をかんでいる。)儀は形なり。この言葉を左翼崩れというか、革新を自負する教師達に言いたい。何を言いたいのか。教師達は分かっているはずだ。教師としての服装があるはずだ。トレナ-の服装で、道徳を教えている教師がいた。またまた話が横道にそれた。何事でも政治家の言動は、情理にかなったものでなければならぬ。情にも反し、理にも適ない様な行為をする政治家は厳しく批判せねばならぬ。
【仰ぎて天に訴えるも天応えず,俯して地に訴えるも地に声なし】と嘆かなければならぬ人達が世の中には大勢いる。まず[無告之民〕の声に耳をかたむける事が出来るか。こまっている人を見たとき,何でもいいから力になってあげたいという気持ちがわかない人は政治家の資格なしと断言する。弱い人への優しさこそが政治家としての必要条件ではないか。このような身の処し方が政治家に求められている。まあーぬけぬけと自分のことは棚に上げて言うのう--そうよーす浪人(老人)はきままなものよ。世の中斜めに構えて、好き勝手なことが言えるのは愉快なものだ。--なんて憎まれ口をたたくゆえ--長生きができるよのう--と誰かさんが、誰かさんが、はやし立てている。    
  追記 情も理もわきまえぬとんでもない輩がいた。それも教育界に、気が向いたときに、どんなに非情な人間かを【君の名は】と題して書くことにした。
[PR]
by ayabemorinaga | 2015-08-19 09:25 | 教育・学校 | Comments(0)

公共事業民営化

公共事業を民営化する事がはたして,国民の為になる事なのか。今頃になってふとそのような疑問がわいてきた。中曽根康弘氏がすすめた国鉄の分割・民営化、小泉氏が強行した郵政民営化、行革を旗印に電電公社の民営化を推進しょうとする財界と中曽根氏。政治の役割・公共の役割を考えれば,果たして民営化という名の会社化は正しかったのか。後藤田氏は,日本の将来という大局的な見地から電機通信事業はどうあるべきか、と言う事でありいわゆるそろばん勘定だけの経済倫理に行うわけにはいかなかった。は発言している。国鉄の分割民営化も郵政民営化も地方の過疎を加速させたではないか。公共事業を,赤字・黒字で存続廃止を決めることが正論なのか。中曽根氏や小泉氏を取り巻く新自由主義という名の格差拡大主義者は,すべてを赤字黒字で測るようにして、公共を消してしまった。公共を担うのが政治ではないのか。今頃、地方創生が言われているが、民営化によって地方の過疎化が加速した側面はないか。1995年におきた阪神淡路大震災直後に民間の宅配便は引き受けを停止したのに,郵便局の局員は不眠不休で無料配達をつづけたという。被災者への支援物資の輸送や手紙の配達を,損得を超えて職業的使命で行った。民間では損得の話に成るから出来ない。民営化すれば職員のリツプサ-ビスの向上・親切丁寧な応対は比べものにならぬほど向上したことは事実である。されど民営化と言う名の会社にすれば,企業利益の追求は当然であり、,黒字は絶対至上命令である。赤字経営が許されるわけがない。地方の交通事業もしかり、赤字路線は廃止せざるを得ない。地方の過疎化は加速して不便になれば,若者は住みたがらない。限界集落が出現する事になる。あえて言う。公共を担うのが政治である。いかなる公共事業が過疎化に悩む地方に取って必要不可欠ものなのか。真剣に考えるべきではないか。JRの公共は如何にあるべきか。この視点に立って、京都発7時台の急行増発、山陰線複線化にとりくむ,将来が嘱望される若き政治家四方源太郎府議の活躍に期待する。
[PR]
by ayabemorinaga | 2015-08-17 17:08 | 政治・議会 | Comments(0)

時の流れに

書くことが散逸してまとまらないので、故四方武元同窓会長のことについて書く。故羽室清市長が不出馬を決められたことによって、市会議員団が,四方武氏を市長候補として担ぎ出そうと画策した。助役・教育長・収入役も議員団がお膳立てすると言った徹底ぶりである。最終的には、四方武氏は立候補要請を辞退される事になるのだが、私は、四方氏が立候補されるのなら、自分で出来ル限りの応援をしょうと考えていた。その布石として,同窓会90周年記念達成のために立ち上げた、支部役員組織を通じて、年賀状を毎年送付し緊密な関係構築にとり組んだ。そのことを察知された,当時教頭であった、故四方庸夫先生から、森永さんあんた四方氏を応援しようと考えておられるようであるが、教育公務員としての立場をしっかりとわきまえて選挙には一切関わらないようにしてください。管理職として、厳重に忠告しておきます。とお叱りを受けた。が私は,四方氏が立候補されるなら徹底して応援をしょうという信念は揺るがなかった。四方氏には私として恩義があった。その恩義に報いることに何の躊躇もなかった。こんなのを若気の至りというのでしょう。四方氏の相手として立候補の意思表示をされたのが、谷口昭二氏であった。谷口氏は志賀清六市長によって、当時の職員組合執行委員長から,助役に要請されて就任された。が、羽室市政にかわり,退任され代わりに,四方武氏が助役に就任された。といういきさつがある。谷口氏は,当時の府会議員福井要氏が自民党ス関係者からの要請に基づき選挙責任者として采配をふるわれることになった。四方氏はいろんな状況を勘案して最終的には、病気入院という手段を執って立候補辞退をされる事になった。私も意地を通すことなく,首がつながったと言う事になる。結果た谷口昭二氏が市長に就任されることになった。どのような因縁かは知らねど,私が綾部高校のPTA担当となり、加藤静氏がPTΑ会長に就任された。加藤氏が提案されたかどうか記憶が定かでないが,歴代PΤA正副会長会OB会が結成されて、年二回懇親会を持つ事となった。その会に、谷口氏、福井要氏、福井治夫がおられて、交流を深めることになる。後では、福井要氏とは、府議擁立の立場が異なり、対立する事になる。もしも、四方氏が市長に立候補されて,三つどもえの選挙戦の結果、谷口氏が市長に就任されたとなれば,私などだっかのごとく毛嫌いされていただろう。人生の摩訶不思議を実感する。時の流れに身をまかせ幾星霜、時には、慶びもあれば,人に言いしれぬ哀しみも,味わい、さらには
背信行為を重ね、不義理・非人情な行為をゆるされ許し(自分では許されたと勘違いをしているかも知れぬが,人様はそう簡単に許してくれるわけがないと自覚はしている)歩んで厳しい八十路の坂をあえぎ゜あえぎ息切れしないように心がけ超えようか。
[PR]
by ayabemorinaga | 2015-08-16 09:02 | 政治・議会 | Comments(0)

支離滅裂

デフレ脱却を目指す安倍のミックスなる経済政策に国民はぜっだいなる信頼を寄せた。一昨年の消費税10%の先送りを国民に問う選挙でも,野党からは大義のない選挙と批判されたが,国民は安倍内閣を信頼し絶対多数の議席を自民党に与えた。ところが安全保障法案の審議で野党がこぞって、戦争法案、徴兵制につながる法案であると過剰なレッテル貼りを始めた。あたかもこの法案が成立すれば、今にも戦争が始まるようなアジ演説に,若者は敏感に反応し始めた。選挙権を18才にひき下げた結果約350万人の若者が選挙で支持する政党は革新政党へと流れるだろう。安全保障関連法案に反対する学生団体に対して、自民党の衆議院議員がツイッタ-で、戦争に行きたくないという自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうーと書き込み物議を醸している。戦争に行きたくないという考えは若者の自己的個人主義と考えるのが常識的なのか。それとも非常識なのか。いじめによる自殺に対して世論は、命を大切にする教育のへの大合唱だ。戦後一貫して教育界で徹底して指導したのは、基本的人権の尊重だ。不利益な事には黙っていない。権利主張ばかりを強調し、義務の履行はおろそかにされてきた。権利のあるところ必ず義務が付随する。その義務がおろそかにされてきた現実がある。命を大切にする教育を極端にすすめていけば、警察官・消防士・自衛隊を全面否定することなになる。それが果たして正しい教育なのか。それとも否か。そのようなことを考えながら,戦争法案だ。徴兵制につながる。とレッテル貼りをして,若者達を不安に陥れ党勢拡大に奔走している政党はいないか。徴兵制などあり得ない。欽定憲法には、兵役の義務が明示されていたが、現憲法は、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務である。憲法に明示されていない徴兵制などあり得ない。それこそ、憲法違反だ。国民の生命財産を守り平和を維持するのが国政に従事する為政者に負託された崇高な任務だ。戦争をする為の法案を提出するなんて考えられるか。若者よ。一時のアジ演説に騙される事なかれ。過去の政治の歴史を直視せよ。狼少年のように、戦争ダ、戦争が起こる。と何度もアジって大衆を不安陥れる政党が存在する事を知れ。されど平穏に70年過ぎてきたではないか。いやそれは我々が当時の政治の暴走を食い止めてきたからこそ成果である。と言われるか。政権の座についたことがある民主党が安全保障関連法案が,徴兵制につながると真剣に考えているのか。そのようプロパガンダをするとは、民衆を欺くこときわまりない。民主党には若手の論客が多数いる。その人達まで徴兵制につながると考えているのなら失望以外何も無い。期待はずれも甚だしい。  されど、安保関連法案の主旨がしっかりと国民に理解されていないようだ。安全保障関連法案の主旨を国民にわかりやすく説明し,説得するのも政権与党に課せられた責任だ。この負の連鎖を断ち切り、来年の参議院選挙には、体制を立て直し、経済最優先の公約を掲げて選挙に臨まなければ,厳しい国民の審判が政権与党に下ることはまず間違いないだろう。私の杞憂であればいいのだが-。整合性の内支離滅裂の文章になった。まるで支離滅裂の見本のようなブログとなった。昨今の酷暑で日頃から変な頭がさらに変になったようだ。
[PR]
by ayabemorinaga | 2015-08-12 12:29 | 政治・議会 | Comments(0)

政治家分類

政治家を、クりーンかダ-テイかで判断するのか。それだけで判断するので適格な判断は出来まい。そこにもう一つ、タカ派かハト派という物差しを入れなければ成らないだろう。さて、これらを絡ませて分類すると,1番ダメなダ—テイなタカ派から、ダ—〒イなハト派、クリ-ンなタカ派、そしてクり-ンなハト派まて四つのタイプに別れる。さて、最後のクり-ンなハト派はほとんど絶滅危惧種なので、論外なダ-ティなタカ派を外すと残りは、ダ—ティなハト派と、クリ-ンなタカ派に成る。クリ-ンなタカ派は清和会がおおくその代表格が小泉純一郎であるらしい。以上の分類は国家議員についてであります。府県会市町村議員をよっっの分類でやってみるとさて、どれに属しておられますかな。そのような視点で政治家を評価するのもおもしろくない。
[PR]
by ayabemorinaga | 2015-08-09 11:30 | 政治・議会 | Comments(0)

曲学阿世

歴代内閣総理大臣で学者を信用しなかったのは、故吉田首相、故田中首相の二人は知っている。戦後日本の独立に際して、吉田首相は単独講和に踏み切ったが、南原東大総長は全面講和を主張して譲らない。南原東大総長の主張に立腹した吉田首相は,曲学阿世の徒であると論難した。
 田中首相も 【学者は世間知らずだ。連中の話を聞いても机上の空論である。一文の得にも成らぬ。】と喝破している。自然科学者は信用できる。なぜなら彼らは真理の探究者である。問題は文系に属する学者達だ。ケインズ理論・マルクス理論が現代社会に通用するだろうか。現実問題として、経済学者と言われる人達が株でもうけているか。本来なら学説に基づき大もうけが出来るはずだが、まず株で失敗するのがオチだろう。経済学者が株で大もうけをしたと言ったことは聞かぬ。
 学者が政治に口を挟まぬことだ。曲学阿世の徒と言って貶められるだけである。しかし、世間は学者と言われる人を尊敬している。学者が言われるのだから本当だろう。信じる。これを悪用する政治家もいる。世間におもね自らの学説に口を閉ざす愚かな学者はいないか。
 教員の研修に大学教授の肩書きを持った人が講演されるが、理屈ぽくて聞く気がしない。大学教授の講演ほど退屈なものはない。実践を経た話ではなく、田中角栄氏曰く。机上の空論では役に立たない。
  歴史認識は学者にゆだねると言ったことを聞くが、真理に基づく歴史認識が確立出来るのか。時代におもねて,その都度歴史認識が変わらないか。かって、足利尊氏は逆賊と言われていたが、戦後はころりと変わったではないか。さてさて、今回は何を言いたいのか。ってですか。政治に学者を利用するなっていうことと、学者の中には曲学阿世の徒と言われ人もいるから、騙されないことが肝要である。と言う事なの--
[PR]
by ayabemorinaga | 2015-08-08 08:58 | 政治・議会 | Comments(0)

新聞記者

新聞記者は,おじきをされるのが商売だ。しかし,世間の人が何でおまえ達にぺこぺこするか。新聞記者は世の中を知らず,役に立たない知識、理屈を頭一杯に詰め込んで、気位ばかり高い。ぞんざいに扱えば,すぐ逆恨みして悪口を言う。言うだけでなく書く。印刷して,頼みもしないのに日本しゆうに配って歩く。そうされたんじゃかなわないから,世間の人はおじきをする。耳は痛いが真理だろう。これは、田中角栄氏が、秘書早坂におじきのしかたについて,指導した後の言葉である。新聞記者との応対は誠実にしないと、何か事が起これば徹底してたたかれる。いやー記事にされて世間に公表される事により,著しくイメィジダウンになる。綾部高校時代に、教師が、M新聞の些細な記事の間違いを徹底して抗議したことがあった。それはそのとき何とか収まりは付いたが、後で高校の不祥事が起こったとき、記事にされないように管理職は,各新聞社に根回しに翻弄されたが、Μ新聞だけは、管理職の要請を振り切って三段ぶち抜きの記事とされた。揣摩憶測も加えた徹底した批判記事となった。さらに,石原高校でも、教師の暴力事件について、Y新聞記者が校長に面会にこられたことがあった。(この件に関わっては一度ブログに書いたと思う)私は,正直に教師の暴力的な振る舞いはあったが、府教委に報告して、その教師は文書訓告を受けている。と話した。校長は嘘はつかないと信じられたのか,その後は好意的な記事を書いていただくことが多かった。新聞記者との応対は、誠心誠意事実を話すことが大切である。と痛感した。されど新聞記者も傲慢にってはいけない。ペンの力を過信すべきではない。真摯な姿勢を維持することが必要だ。なかには、傲岸不遜・傲慢な態度人もおられますな。謙虚さを失えば記者失格ですな。なんて書けば、どんなしっぺい返しが来る事やら---
[PR]
by ayabemorinaga | 2015-08-07 09:38 | 教育・学校 | Comments(0)

祈り

祈り-好きな言葉である。今日は,広島に原爆が投下され、建物・自然は破壊され、幾十万人の人が犠牲となった。慰霊祭が開催されている。原子爆弾の恐るべき破壊力だ。人間の英知?は神の領域に手を突っ込み人類史上最強の破壊力を持つ原子爆弾の製造に成功した。そして,不幸にも広島・長崎に原子爆弾が投下された。世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本は、核廃絶を世界に訴えている。されど世界各国は核開発に血道を上げている。なぜか,世界の列強各国は,核開発によって国益をまもり、争いの抑止力として原水爆弾を保持して日本の核廃絶の訴えに耳を貸そうとしていない。国益をめくる各国の利害衝突が起こりえても、世界第三次大戦には発展することはないだろう。世界第三次大戦が始まれば人類滅亡が現実の物になる。原水爆弾戦争となり地球上の約40億の人類が死滅する。人としてこの世に生まれて平和を願わない人は皆無だ。平和こそ、人類最高の理念だ。戦争を好む人といえば,軍需産業に従事している一握り人達である。とは、断言できぬ。世界第三次大戦が勃発すれば,原水爆弾戦争となり、人類が滅亡の危機にさらされることは充分承知のはずだ。企業利益の追求が人類の滅亡を来すことを知らぬ程愚かな人達ではない。人類愛という人間の理性を信じたい。世界各国のリ-ダ-広島の平和記念館を訪れて原爆の悲惨さを実体験して欲しい。百聞は一見にしかず-である。そして,慰霊碑の前で平和の祈りを捧げて、不戦の誓いを新たにして欲しい。そして、世界平和のための敬虔なる祈りを捧げて欲しい。広島の慰霊祭の実況放送を見ながらそのような想いに駆られた。
[PR]
by ayabemorinaga | 2015-08-06 10:43 | 教育・学校 | Comments(0)