綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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追憶

原節子追悼番組として、小津安二郎監督原節子主演【東京物語】をBS3チャンネルで放映していたので見た。家族のあり方・親子関係の微妙な感情をえぐり出しながら、人間の救いがたい【さが】を描ききっている。子供は成長するにしたがって、親の思いとはかけ離れていくものなのだ。親から見れば子供はいくつになっても子供なのだ。全編を通じて哀愁が漂うとともに言いしれぬ感動が心の底からわきあがる。素晴らしい作品は魂を揺さぶるものだ。尾道から老夫婦が東京にいる長男は医者をしているし、長女は美容師している夫婦と次男がなくなり未亡人として働いている嫁の家を訪ねる所から始まる。長男の家で親を東京見物に連れて行こうとしていたが、急患のため往診することになり取りやめになる。孫はおじいさんおばあさんに無愛想で知らん顔を決め込む。長女の家でも手狭で永居は出来ない、忙しいために、熱海の旅館へ行ってもらうように取りはからうが、熱海の夜は旅館の騒音に悩まされて、老夫婦は眠れない夜を過ごす事になる。ほうぼうの体で長女の家に帰ってくるが、長女はあまりいい顔をしない。忙しくて東京見物にも連れて行けないために、未亡人である次男の嫁に頼んで東京見物に連れて行ってもらう。長女の家に永居も迷惑であろうと考えた老夫婦は親父さんは友人を訪ねて泊めてもらう予定を立て、母親は未亡人の家に泊めてもらうことにする。未亡人は、義母に少ないですがと言って小遣いを渡す。親父は友人の家に泊めてもらうはずが、深酒をして、友人と一緒に酔っ払って夜中に長女の家に転がり込む。東京を発って尾道に帰る途中に老婆が体調を崩して、大阪にいる三男の所に立ち寄って静養をし、尾道に帰り着く。しばらくして老婆が病に見舞われ危篤状態となり子供達が慌てて尾道に来る。三男坊は老婆の臨終には間に合わない。墓に布団はかぶることが出来ぬと嘆くが後の祭りだ。長女は形見分けにあれこれと欲しいものをいいつりる。葬儀が終わればみなそそくさと帰ってしまう。最後まで残っていたのは、血のつながらない未亡人の嫁である。老夫婦と一緒に住んでいる次女がお姉さんもお兄さんも皆あまりにも身勝手すぎると言うが、子供は大きくなれば皆自分の生活に追われていくものなのよ。と未亡人は諭す。老爺は未亡人にどうかいい人があれば結婚して欲しい。実の子よりもあなたには世話になった。ばあさんも生前そのように言っていた。感謝を言うが、私はそのような善人ではありません。私はずるいのです。と言って涙する。ごてごて書いたがあらすじはざっとこんな所か。昭和28年のさくひんである。私がまだ生徒の頃だ。ざっと63年まえの作品である。現代社会の縮図を予言されたような作品だ。
  この映画を見ながら50年前の記憶が蘇る。あれは昭和39年頃であったか。親父が私に、家の中の経済が苦しくなってきた。少しぐらい援助してくれないかと言った事があった。之まで一度として聞かなかった言葉である。私は、親の心子知らずで、親父さん少しは経済的に苦労するのが長生きの為にいいよ。なんて平然といったものだ。そのとき親父はなんと思っていただろうか。経済的に苦しい中大学まで出してやったのに、自分がひとり大きくなったように思っている。と思ったであろう。親なんて寂しいものだよ。親の心子知らずだ。なぜ、あのとき、いくらぐらい援助すればいいのか。と優しく尋ねなかったのか。なぜ幾ばくかの援助が感謝をこめて出来なかったのか。後悔先に立たずとは、この事だ。慚愧な思いが心をさいなむ。さらに、いいわけが立たないのが、人の道を教える立場である教師でありながらこのざまだ。恥ずかしい限りというより教師失格だ。そのような追憶をさせる映画であった。
 附記、今年は親父の五十回忌であったので、懇ろに法要を営んだ事で、生前の親不孝をわびたことにしておこう。今更、墓に布団を掛けられもしない。そんなこと如何に弁解がましく言おうとも自己満足に過ぎぬ。クリスチャンでは、懺悔をすれば許されるかも知れぬが、仏教徒である私には通用しない。親の気持ちを忖度出来なかった自分が情け無い。お遍路さんになって仏の慈悲にすがろうか。
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by ayabemorinaga | 2015-11-28 16:54 | 教育・学校 | Comments(0)

情も理も

夏目漱石・草枕の冒頭に智に働けば角がたち、情にさおさせば流される。とかくこの世はすみにくい。と言った文言があるが、政治の世界では、義理人情を使いこなして、人心を把握する事が出来なければ大成する事は叶わぬ。人の為に何かをするときも相手をたててプライドを傷つけない配慮が必要だ。自分がしてやったのだぞ。こうなったのは誰のおかげだ。と言った気持ちが顔や態度に出てしまう。さらに傍らでいろいろと干渉すれば人心は離れてしまうのが世の習いだ。そのことは百も承知していても、自分の実力でなったといった態度に出られれば、ついつい嫌みな言葉が付いて出る。所詮之も人間の避けがたい業である。義理人情もバランスよく使わなければ、命取りになる。後藤田正晴氏の著書【情と理】のなかで、人の世は情と理の両面で支配される要素が多いが政治の世界では之が格別おおきくはたらいている。と言う事らしい。情のふぶんは人情・感情絡み、理には、理念、理論、理想などの要素がある。人は、理屈では動かない動くのは感情だ。と言われる事がある。浅川博忠氏は著書の中で、後藤田氏の情と理に基づき分類すると、山崎拓議員は情にすぐれる親分肌、加藤紘一議員は理に走りすぎるから、子分達をまとめきれない。小泉純一郎氏は情と理を旨くミックスしている。祖父又次郎の情の部分と、実父純也の理の部分両者を受け継いだ絶妙なバランス感覚の持ち主である、あなたが1番早く宰相になれる。と言ったそうだ。政治家として大成するには、此の事をしっかりと肝に銘じておくことだ。何の政治の世界だけでなく、世の中を無難に渡には、情と理、いや、義理と人情を上手に使いこなす細心の気配りが必要だ。義理人情を任侠の世界か、と侮蔑するような人も見かけるが、そのような人を見かけると自分は何様だと思っているのか。と、くびをかしげたくなるが、自分の世界に閉じこもっているのなら話は別だ。此の事への配慮に欠けると、常にトラブルメ-カ-になり、人から忌み嫌われるだろうよ。と思ってみるが果たして正論か。
 附記 偉ぶったりして、ひとかどの事を言っておりますが、私も情と理のバランスを失って、(どちらかと言えば理を優先しすぎて、人情をおろそかにした。)不義理をしている事が一つある。この不義理をいかにどのように果たすか。
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by ayabemorinaga | 2015-11-26 15:42 | 政治・議会 | Comments(0)

評論

新聞紙上に維新完勝の文字が躍っている。私は、府知事は維新にほぼ間違いないと思っていたが、大阪市長は接戦に追い込み僅差で自民が勝つかと思ったが、見事な負けぷりである。大阪都構想で住民投票に敗れた維新が、再度挑戦して底力を発揮したか。それとも、大阪都構想の住民投票に負け橋下氏を引退追い込んだという、呵責の念にさいなまされた府市民が維新に同情したのか。いやいや、府市民はもっとドライではなかろうか。大阪府民市民の方々は、かっては、革新の黒田知事を選ぶかと思えば、芸人の横山リック氏を知事に選んだりする。大阪の民意は変化自在というか、千変万化、傍からは計り知れぬ。時代を先取りする感覚というか、臭覚に優れていると言う言い方が適切かは知らぬ。自民は府会議員・市会議員が総力を挙げて選挙戦を果たして戦ったのか。府会議員・市会議員の中が必ずしっくりといっていないと聞いたが、事実かどうかは知らぬ。維新は総力戦で一致団結し橋下市長の強力な発信力とカリスマを備えたり-ダ-の指揮により、再び大阪府民が維新なら、大阪の沈滞ム-ドを打破してくれるという期待感の表れか。橋下氏の現状の問題点をずばりと指摘して、府民に訴える選挙戦術に府民は乗せられ麻痺させられてしまうのか。維新の府議・市議にも厳しいノルマを課してその目標達成の貫徹を求める。身内からもブラック政党とため息が漏れるほどとか。選挙は一糸乱れず団結して戦わなければ勝利するわけがない。司令塔がばらばらで、それぞれが思惑を持って臨んでいるようでは、持てる力など発揮出来るわけがない。自民党は、敗因を徹底分析して、来るべき参議院選挙に備えるべきである。私は、維新の教育施策にはなぜか近親感を憶える。橋下氏でなければなしえなかった教育改革・国旗国歌斉唱問題・職員会議の最高議決機関の否定・校務分掌の決定・学力向上・等々こまで歴代の知事・市長がなしえなかった課題を解決された。ただ校長の公募による選任は、私の考えとは異なるが。教育委員の選任にも私から言えば齟齬がある。大阪都構想・さらには道州制問題について、今後、知事・市長はいかなる対応をされていくのか。注視をしたい。
 追記 大阪都構想について、府・市の二重行政の無駄ばかりが、強調されているように感じるが、いかなる施策もメリット・デメリットがある。それをしっかりと峻別し府民に提示して判断を仰ぐことも必要だ。
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by ayabemorinaga | 2015-11-23 11:53 | 政治・議会 | Comments(0)

虚仮

つれづれなるままひぐらしパソコンにむかいて、呻吟することしばしなり。書くことが浮かばない。かきはじめてもまとまらぬ。えい、ままよ。破れかぶれの文章でもかこうか。どのような分野でも現場主義を徹底するほど、学者や評論家の机上の空論とは別の論理、人間の情念や利害--が支配するが、農業ははことさらその機微をとらえなければニッチもしゃっちも行かぬ。革命的な農政転換の見識と農家の信頼の両方備え持つ人材を見いだすことは容易でない。自民党農林部会長に就任された小泉進次郎氏が現場主義を徹底されるかどうか。そしていかなる農政施策を構築されるのか。ここは大器への足がかりとも言える正念場だろうな。さてと、国家的水準の人材は極めて乏しい。いつの世でもそうかも知れぬが、人材育成をしっかりと考えず半世紀が過ぎたといえる。今の日本では高水準の人材は砂漠の水滴のように貴重である。とか、直球勝負の政治家が出れば手段を選ばずつぶしにかかられ、いかがわしさがつきまとう豪腕政治家が出れば疑惑でつぶされる。【政治の悪とは何なのか。】政治における金、利権の役割は何なのか。そして【政治における善とは何か。】政治家は端的に言えば国民をあらゆる暴力と悪から守る仕事ではないか。理念が利権に食われれば、国家は堕落し理念と利権が完全に分離すれば、政治は力を失う。どうすればいいのか。いかなる社会も人間によって成り立ち存続しているのだ。解決の道筋はあるだろう。その解決策を問う。
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by ayabemorinaga | 2015-11-20 09:06 | 政治・議会 | Comments(0)

辞任のススメ

学問のススメならぬ辞任のススメ  またしても政治と金問題が浮上している。国会閉会中の審査で、高木復興相が政党支部や資金管理団体の政治資金収支報告書に、香典や枕花代の支出を記載していた問題で野党から追求されて、高木氏は香典は葬儀迄に自身が弔問して渡し、私費で負担したので問題ないと語った。だが、高木氏本人から香典を受け取っていない、という遺族の証言もあるらしい。事実であれば公職選挙法に抵触する可能性もしてきされている。また、勘違いや虚偽の答弁だとすれば、このまま見過ごすわけにはいかないもんだいである。高木氏の問題を取り上げたのは週刊誌であるが、事実無根であるならば、名誉毀損で告訴され身の潔白を示されるべきである。国会で野党の質問にも名誉毀損で告訴すると公言されるべきではないか。そのような発言は、高木氏本人からいまだ聞かないように思うがーー私ならば、事実無根の事を書かれたならば、告訴するぐらいの勇気は持ち合わせている。待望すること幾星霜待ち待った閣僚だから職務に精励し手腕を発揮したい気持ちは痛いほど理解できる。国民にしっヵりと説明責任がはたせる自信が無ければこの際、清く、さわやかに辞任されるのが男の花道でしょう。いや、議員としての矜持だ。という自覚を持ってもらいたい。かっては、民主党政権当時の閣僚であった前原誠司議員は、政治資金問題でその事実を認めて辞任されたという過去の例もある。いたずらに国政を混乱させる愚を断ち切るためにも是非きっぱりと決断されることをお勧めする。進退窮まって辞任する愚かさだけはしてほしくない。辞任は誰からすすめられるものでなく本人の責任で決断すべきである。(自己の出処進退は人に相談するのでなく、自らが決断することこそ、男の美学たる所以である)花も嵐も踏み越えて行くが男の生きる道という時代でもないようだ。
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by ayabemorinaga | 2015-11-16 13:55 | 政治・議会 | Comments(0)

風の行くへ(東祭)

今日は、自民党府連青年局主催の会合に誘われたが、高齢者が出席する場所でもあるまいと考えて辞退して、由良川キャンパスで行われている東祭に参加した。昨年は四方同窓会長と一緒したが、今年は私一人で行った。毎年のことであるが、相変わらず大勢の市民皆さんが、お目当ての野菜を購入するために、行列を作っておられた。生徒諸君があちこちで物品販売に生き生きと目を輝かして参加している。以前四方会長が、西町商店街の一角を借りて、生徒に物品販売をさせては、提案されたことがあったが、当時木久事務長が生徒に金銭を扱わせるのは問題があるとのご意見で止めになったことがあった。しかし、生徒諸君のきびきびとした動作で物品販売に参加している様子を見て販売実習として、支障が無ければ実施するのもいいことであるな。せっかくなのでラ-メンを食べることにした。野菜ラ-メンであったが、アジが少し薄味であるが、200円なら致し方が無い。立派な葉ボタン一つ300円だ。安いかな。買うか買うまいかと思案していたら、湯川副校長と上原事務長がめざとく見つけて、挨拶に見えた。湯川副校長と応接室で話していると、府教委から、高校教育課と人事担当が見えたので、退去する事にした。湯川副校長が府教委のお客さんを待たせて、見送りにこられたのには恐縮した。(このような気配りの出来る管理職はいまだ少数派だろう)されど、管理職の姿勢はかくあるべきかな。私自身は口うるさく人様に傍若無人の振る舞いをしている事にはとんと気付かぬ情け無い根性の持ち主であるが人様の態度は人一倍気になってるさもしい人間なのよ。が、いかように思われようとも、管理職の先輩であるという自負は喪失していない。。かっては、先輩を先輩と思わぬ、無礼のきわまりない、そして、敬の意識のかけらも、持ち合わせぬ人が存在していることに驚いた。この人物、現役時代の役職はご立派なものだ。この人物については、後日ブログで紹介をします。正論、いや、正道はいずれにありやーー皆さんの賢明なご判断を仰ぎたい。
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by ayabemorinaga | 2015-11-14 14:18 | 教育・学校 | Comments(0)

風の行くへ(講演会)

一昨日西田昌司参議院議員の講演会が綾部自民党支部の主催で開催されたので参加した。講演内容の詳細については、四方府議・安藤議長が自らのブログに書かれているので割愛する。西田議員のお話は、いつ聞いても聞き応えのある内容だ。そして、さわやかな弁舌は聴衆を魅了させる。物事の本質を適格にとらえて、解説されるからよく理解が出来自分なりに納得する事ができる。さらに、議員としての信条は一本筋通っているし、着眼点も見事だ。政治課題の本質をものの見事に指摘される。北陸新幹線は、2022年度金沢から敦賀駅までの新区間が開業する予定になっている。敦賀駅から先については、与党の検討委員会が建設費や所用時間、経済効果などを分析して、2年以内に結論を出す事になっている。その検討委員会の座長に西田議員が就任される。検討委員会の委員は省庁からの官僚は入れずに、与党・都道府県連会長が就任することに、稲田政調会長と協議された。新幹線ル-トについては、たとえば、敦賀駅より舞鶴を通過するのであれば、京都府知事の了解が必要になる。舞鶴から京都さらに、大阪(天王寺)から関空へとなると大阪府知事・大阪市長の了承が必要になる。新幹線ル-トを決定する前提として、府県知事・JR西日本の理解が必要不可欠の条件らしい。北陸新幹線の延伸ル-ト敦賀から舞鶴を経由して京都-大阪「天王寺)ー関空・関空から四国を縦断して熊本へというのが、西田座長の将来構想だ。。安倍首長・稲田政調会長・谷垣幹事長としつかり連携をして、実現に向けて努力をしたい。ということであった。未来に向けて、国民に夢を与える話・いや夢でなく実現に向けてご尽力を賜りたいと心から念じた。西田議員の行動力・実践力に期待している。是非舞鶴ル—ト実現にご尽力をお願いしたい。
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by ayabemorinaga | 2015-11-10 15:10 | 綾部 | Comments(0)

意思疎通

議会議員の重要な本務とは、議会は批判監視の府といわれている。議員の使命と言えば住民の声を代表して当該団体の行政をよりよいものにするため建設なな批判を加え仕事のやり方を監視し、行政の公正、適正を確保する事で有るといわれている。議会の使命は、納税者の立場で監視・批判する事である。議員は地域住民の信頼を勝ち得て議員になった人達だ。議員の発言は、住民を代表しての発言である。と心得なければならぬ。行政に携わるひとたちは、此の事をしっヵりと理解しておかなければならぬと思う。
 前段は、このくらいにして、本論に入ろう。府議会議員と高校管理職の連携はどうあるべきか。まず最初に私の経験について、そのことの善し悪しは別として書く。私が、府立工業時代に、当時の上田教育次長から、宮津高校に転任してはどうか。宮高はかってのナンバ-スク-ルであるし、徳田府議としっかり連携を取っていれば、学校運営は楽ですよ。と言われたことがある。これは、府立工業の時、無人工場の一部に欠陥があり、作動していないと言うことが議会で問題化していた事もあったらしく、文教委員会委員が現地調査のため、本校と大江高校に視察にこられることになった。大橋議員は地元選出議員として参加された。校長室で議員との懇談があり、そのとき某政党の議員から、無人工場の設備は稼働しているのですか。との質問があり、私は問題ありません。と答弁した。がおっかなびっくり、もし問題の箇所がスム-ズに作動しなければ、えらいことになる。内心ひやひやものであつた。早速工場見学になった。工場につくやいなや、質問された議員は、問題の箇所をよくご存じで直行されたが、当日はトラブルもなく稼働した。大橋議員には、その間随分フォ-ロしていただいた。(この件は以前にもブログ書いている)
  府立工業開校式の時に、大橋議員が挨拶される順番になっていたのだが、事務長が府教委の指示により他の議員にお願いしていた。此の事は大橋議員の心情を著しく傷つける事になった。開校式の当日大橋議員から電話が有り、挨拶はどうなっているのかと言う事であったが、今更変更する事も出来ず既定方針どおり挙行した。あとから、府教委より、大橋議員事務所に謝罪に行くよう指示があったので、出向いて謝罪したが、大橋議員は、【いや、校長さんに謝っていただくことではないですよ。おそらく府教委の指示でこられたと思うけれどーー議会事務局はしっヵりとつたえていたと思いますが、府教委の事務局のミスですよ。】と言って寛大な態度で対応していただいた。--さてと次は、東舞鶴高校の時、府教委から、テニスの特別指定校を受けるかどうかの連絡があった。体育科の主任に相談したが、テニスの指導者がいないし、私も今年退職するので責任が持てない。と言う事であったので、府教委に辞退を申し出た。此の事が、江守府会議員の逆鱗に触れて、あわてふためき議員事務所に謝罪にお伺いしたが、開口一番、校長さんは自分の勝手な事は無遠慮に頼むが肝心な時の配慮が足りない。と叱責を受けたことがある。早速府教委に連絡をし、テニスの指定校を受けた事があった。何を言いたいのか。議員とはしっかりと連携を密にして、議員の発言は住民の意思の代弁であると言う事を考えるならば、管理職は地元選出議員との意思疎通をより確かなものとして、学校の課題解決に万全を期すと言った気概と意気込みを持って学校運営にあたることである。教員の悪い癖で批判を極端に嫌うが、【批判なければ進歩なし】、と言うことが理解できていない。
 附記 大橋・江守議員事務所にはしょっちゅうお邪魔した。江守事務所には等身大の野中広務衆議院議員(当時)の写真が掲示してあった。江守議員は、俺の親分だと公言されていた。時には、江守議員を東高で教えた先生が東高におられたので、その先生と私と江守議員と一献傾けたこともあったな-大橋事務所では、大江高校の桐村先生に出逢うことかしばしばあった。奥さんにお目にかかる事もしばしばで、奥さんが選挙は男のロマンだなんていって議員を辞めようとしないんですが、先生はどう思われますか。と聞かれたこともある。たまたま、山陰線の電車のなかで大橋議員とご一緒する事があったが、府教委に行かれるのなら、公用車が駅まで迎えに来ているので一緒に乗られませんか、とお誘いを受けたこともある。大橋議員には、お頼みしたこともあれば、頼まれたこともある。たまたま私が勤務した地域からは府会議員が二人選出されていたので、バランスよく気配りを怠らずに意思疎通に細心の注意を心がけたよ。
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by ayabemorinaga | 2015-11-08 11:03 | 教育・学校 | Comments(0)

教師の世界

教師は恥知らずではないかも知れぬが、礼儀知らずだ。いや、世間の常識知らずだ。なぜ教師は常識・礼儀知らず、社交知らずとして育っていくのか。教師は、22才で大学を卒業すれば、世間で通用している礼儀作法・常識を身につけることなく教師の世界に入っていく。教師の世界は、先輩・新人区別無く対等・平等の世界だ。そして若造でも一人前として処遇される。故に先輩を先輩として尊敬をすると言った態度は見られない。対等平等が常識なのだ。教師は授業等指導技術向上については、切磋琢磨して研鑚に努める。そのときに、先輩として授業技術についての指導助言はするが、教師の非常識な振る舞いについては目をつむって忠告なり指導はしない。故に教師は天上天下唯我独尊、世間では非常識・礼儀知らずと言われる行為も平然とおこない傲慢さを習得していく。言動について、人に忠告されたり、批判されたり、する事は皆無である。時には保護者から苦情が寄せられることがあっても、保護者も人質に子供を預けているから、あからさまに批判されることはまれだ。かくなる私自身も先輩教師から、【君の行いは下克上だ】と言われるような、独善的な先輩を先輩と思わぬ礼を失しする行いをした恥ずかしい過去がある。
【過ちて改めざるこれを過ちという】諺の自慢にも成らぬ言行不一致の情け無い実践者だ。教師も陰では結構仲間を辛辣に批判する事があるが、面と向かって親切に教えることはしない姑息な根性の持ち主だ。それ故、常識知らず、礼儀知らずの教師がわんさと輩出する事になる。教師には批判に対して、反省をすると言う姿勢は皆無だ。批判を受けることもない世界にどっぷりとつかっていれば、反省とはなんたるかも喪失しているのかも知れぬ。ところで、管理職のなかには、部下にこびる事によって組織を動かそうとしている人が、特に教職に携わる管理職のなかにも多く見かける。そのような事で組織は動かない。部下に甘く見られるだけだ。部下には厳しく仕事のなんたるかを教えることで信頼をされるようにすることだ。よい仕事をするには、上下さ左右の人間関係を大切にしなければない。さらには、対外関係機関との人間関係については、教職管理職は、緊密な関係を構築して細心の心配りが必要だ。このノウハウを習得している管理職はごくまれだ。これなくして、よい仕事(当面の学校の課題解決)が出来るなど思わぬ事だ。教師を貶めるために書いているのではない。指摘・忠告に納得がいけば謙虚に反省する度量を持っていただきたいのだ。分かるかな此の親心
 追記  ところで、あんたも地方議員を経験されたのでしょう。ぐうたらぐうたら批判がましいことを言っていないで、提言ぐらいされたら如何ーーと思っていられる方もいらっしゃるでしょう。じゃ-一つ提言をさしていただきます。幸い現在初任者研修制度がありますからー理想的な教師像とはーー世間の常識一般ー応対辞令についてー人間関係の構築ー 関係機関との連携の仕方ー道徳規範ー 等々教師としての人格形成について必要不可欠な事項を徹底指導する事に尽きる。実地研修の採用も必要だ。問題は指導教官の資質も充分に配慮し任命する事が重要である。優秀な指導者は、7年スパ-ンで指導に当たらせる事だ。単なる管理職の再就職の場であると言う安易な発想は放棄すべきだ。こんな事を書けば、あなたも初任者経験者でしょう。今提言されていることをしっかりと実践されましたかとね。と逆襲されかねないから、不十分であったと反省しているから、遅まきながら提言しているのだ。
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by ayabemorinaga | 2015-11-07 10:42 | 教育・学校 | Comments(0)

栄枯盛衰世の習い

信なくば立たず。これは何も政治の世界だけでなく、社会生活を営む上では大切な事である。信義即ち一旦した約束は必ず守る。何事も信用が大事だ。信用が出来ない人など誰が相手にするか。世間であいつは政治家だから--とか、政治的に動くとか言われることがあるが、これは、政治とか政治家に対する国民の不信感を物語るものである。国民の政治、政治家に対する不信感に対して、多くの政治家は【政冶は最高道徳とか、】【政治の基本は倫理性にある】と述べている。勿論、政治・政治家に倫理、道徳性が無ければ、国民の政治不信は強まり、国の政治は成り立たないことは自明である。しかし、政治は道徳そのものでもないし、政治家は道学者でもないことは認めざるをえない。ところで、自民党が政権奪還の為に仕掛けた禁じ手とも言える自さ社政権で社会党党首の村山富市氏を宰相に据えた。トタンに、村山宰相は長年反対してきた自衛隊の違憲論を権力を手にしたとたん否定して自衛隊容認へと変節をした。そのとき国民は、何でも許される国になった感じたに違いない。いや、村山氏に対する国民の信頼は失墜したのではないか。その端的な事柄としては、社会党は国民から見放されて消滅した事実がすべてを物語っている。社会党が自民党に庇を貸して母屋を取られたのか、母屋を貸して庇を取られたのかは知らぬ。栄枯盛衰は世のならいと言うが、あまりにも惨めな結果ではないか。国民に不信感を与えては、政治は成り立たない。政治の基本は、現実の課題をどのように解決するかと言うことであり、政治と政治家に対する評価は、その解決能力があるかどうか。また、その解決が、本当の意味での国民の生活をまもり、その向上を図るものかと言う観点から厳しく行うことに尽きる。昨今野党間で連合政権構想なるものが来年の参議院選挙に向けて言われているが、さてさて、庇を貸して母屋を取られるのは、どの政党か興味津々    かりそめにも、政策が異なる政党が烏合の衆と化して政権を取れたとしても、しばしの夢物語で命運の尽きるのは、それこそ自明だ。政治家は信なくは゛立たず此の事をしっかりと肝に銘じて活動されたい。政権与党は国民にも耳のいたこともあえて言わなければ成らぬ事があるだろう。野党は国民に耳障りのいいことばかりを訴えていけるから気楽なものだ。しかし、出来もしない大風呂敷を広げて大衆迎合して国民を欺けばしっぺい返しが来ることも覚悟することだな-。国民の信頼を裏切ってはいけない。信なくば---ゆめゆめ野党議員と言えども忘れてはこまる。

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by ayabemorinaga | 2015-11-05 08:50 | 政治・議会 | Comments(0)