綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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認知症

認知症即ちボケは別段病気でなく老化現象であるといわれている。が、私なんかもパ-ティの席で話しかけられても相手の名前が出てこないことがよくある。昔の事はよく憶えているが、最近のことはすぐ忘れることが多くなった。これもボケの特徴か。
 考えてみれば、ぼけてしまうと煩わしかった事など゛ぜんぶ忘れいやな奴の顔も名前も思い出せない?我が子の顔さえ忘れてしまう。ある意味では幸せなのだろうか。老人になれば、片時も忘れることが出来ない、死の恐怖からぼければ逃れることが出来る。出来ればぼけないで一生を終わりたいと願っている人が多いだろう。
 どうしたらボケないのか、決定的な答えはない。が、ボケになりたくなかったら、多少す馬鹿をやり、少し無茶をして、フラストレ—ションを発散させる事が必要とも言われている。社会から老人は役に立たないものだという扱いをされていないか。そのような扱いを受けると、それが頭脳の退化の原因になっていないか。
 老人の哀しみは自分が蓄積した知識、経験がもはや世の中が必要としないと思ったときにおきるものだ。この世に暮らしていて何も人の役に立たないと言うことは、人間として1番つらいことなのだ。我々の心の中には、自分が誰かの役に立ちたい、社会の為に有用な人間でいたいという気持ちが、誰の胸の中にもあるものなのだ。それをふさがれてしまうと生き甲斐を無くしてしまう。さりとて、自分は人様の役に立っていると思って、出しゃばりすぎると人様は、目障りになるだろう。難しいな。この兼ね合いは--
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by ayabemorinaga | 2015-12-28 11:00 | 教育・学校 | Comments(0)

夫婦円満の秘訣

一度ブログで書いたも知れぬ。近頃認知症ノ初期現象のためか物忘れが酷い。今日は、女房操縦法の原理原則を言っておこう。勿論私が考えついたことではない。人様の受け売りだよ。
 その一 夫婦げんかをするとき、相手の逃げ口を全く塞いではいけない。どこかに逃げ口を必ず一カ所作っておくこと。徹底して追い詰めては、修復(仲直り)不可能になる。私達が議論を戦わせるとしても、相手をこてんぱあに論破すれば、窮鼠猫をかむと言った行動に出られる。之と同じよ。
 その二 口が裂けても相手の兄弟の悪口は言うな。おまえの内の教育はなっていない。弟のできは最低だな-なんてことを
 その三 いつもがみがみ怒鳴っているよりも、年に二度ほどは、毅然たる態度を取ることだ。
 その四 けなすよりも徹底して褒めろ。褒めることは、何も女房だけに限った話ではない。人は、けなすより褒めるに越したことはない。子育てでも、子供の欠点ばかりを拾い上げて叱責するより、あんたは優しいところがあるよね。とか、挨拶が良くできるねと近所のおばさんが言っていたよ。なんて-たとえば、私があんたの1番いいところは、優しいとこなんだ。と折ある事に何回も褒めて見ると、褒めたように変化してくるからおもしろい。女房の嫉妬に苦しんでいる人は、女房に向かって、君のいいところは無用の焼き餅を焼かないところだね。といえばへそ曲がりの女房は、よくもぬけぬけとそのような見え透いた嘘が言えるね。反論されるかも知れぬが、そのような言葉など無視して、何回も何回も呪文のように唱えることだ。さすれば、知らず知らずの内に女房が嫉妬しなくなるから不思議だよ。だから大上段に振りかぶって、命令口調ではなく褒めることに徹することだ。これが夫婦円満の秘訣よ。私にはとてもできっこないがね。
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by ayabemorinaga | 2015-12-24 12:45 | 教育・学校 | Comments(0)
昨日は、京あやべホテルで開催される綾部自民党政治経済懇談会に前市議村上氏の車で参加した。講師は自由民主党政調会長稲田朋美衆議院議員である。多くの人の参加で受付は混雑を極めている。市議会議長であり、自民党綾部支部長の安藤さんに出逢ったら゜、自民党が下野していた時代の四方源太郎しんぶんの記事を見せてくれた。その新聞を見ながら、民主党政権下で建設業界を始め多くの綾部市内の団体からは自民党には距離をおかれ苦しい時代に、参議院選挙を戦ったときのことが思い出され、しんどかったな-とふたりで振り返った。されど心ある人達の声援に支えられて、何とか踏ん張り切ったことも、思えば懐かしい思いでだ。高倉議員からは、物部地区選出の種清議員の質問は素晴らしい、立派な議員になりますよ。と賞賛されていた。荒木市会議員がめざとく私を見つけてわざわざ挨拶をしていただいた。荒木議員とは、議員が秘書課長のときであったと思うが、一緒に常熟市を公式訪問したことがある。また、議会質問でもご意見をいただいた事がある仲だ。
 会場は満席状態である?最初に安藤支部長の挨拶があり、引き続き山崎綾部市長、四方府会議員のあいさつがあった。西田参議院議員は、稲田朋美政調会長の前で、持論である北陸新幹線敦賀・舞鶴ル—トを稲田会長と一緒に推進したいと言ったことを強調されていた。東京までのアクセスに中丹丹後は日本で1番時間が掛かる地域である。その解消の為に敦賀・舞鶴ル—トが必要という論旨である。稲田政調会長は私のめがねは宣伝のためであり、視力は、1・5 2・0である。網タイツも福井の宣伝のためにはいている。私は、福知山の庵我小学校に小学生の時通っていた。と。朝八時に家を出てこの会場まで4時間近く掛かった。確かに東京からは時間的に遠く感じる。島根・鳥取も空港があるから東京までは時間的に近い。自民党が野党の時は、参議院では西田議員が、衆議院では私が民主党政権の批判の急先鋒であったこと。稲田会長の選挙応援に二回にわたって福井に西田議員が行かれていたこと。自民党北陸新幹線プロヂエク卜チ-ムの座長西田議員を推薦したこと 西田議員は、はっきりとモノを言われるので腹が立つこともあるが、正論である。建設国債容認の立場を西田議員はとっておられる。西田議員は、安倍さんの前に谷垣議員を宰相に推薦したいと言われていたこと。稲田会長と西田議員はかなり親密な関係を構築しておられるのだなと思った。是非稲田・谷垣・西田トリオで来年の夏までに北陸新幹線ル-トの大枠を舞鶴経由の案で合意形成していただきたい。と思った。すでに調査費も計上されているのだからーー
 講演の主要な主旨は割愛する。安藤・四方議員がブログに書かれると思っているから-迫力のあるいい講演でしたね。と多くの人から聞いた。懇親会の席で稲田会長に挨拶していたら、山崎市長が知り合いですかと言われたが、いやとんでもない 稲田会長のお父さんが府教委高校課長・公立校長会会長の時いろいろとお世話になった事をお話ししているだけです。松山福知山市長が福知山高校で稲田会長のお父さんと一緒に勤務されていたかなど、福知山高校に昭和38年から43年頃までお父さんが勤務されていた事などと。松山市長は東京に行けば稲田事務所に顔出されているらしい。山崎市長に是非東京に来られたら事務所に寄ってくださいと。言われていた。
 二ノ湯参議院議員には、お元気ですね。何年生まれですか。昭和8年と言えば、ほうー私より11歳年上ですね。そんなときまで元気でおれるかになーと言われたので志を持っておれば大丈夫ですよ。舞鶴選出の池田府議会議員には、また、一度一献傾けるのもいいですね。など、四方府議には代表質問いい質問でしたね。と。このような場に出かけると、いろいろな情報が得られる。家の中にすっかごんでいると世の中から取り残されそうだ。お歳でしょう。今更世の中から取り残されたって、ドゥと言ったことはないでしょがーーそんなのを年寄りの取り越し苦労というのよ。 そろそろ年齢を考えて、いつまで出しゃばるつもりかなど言われないように気をつけねば--と思っているが-さて-
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by ayabemorinaga | 2015-12-20 14:47 | 政治・議会 | Comments(0)

無難に生きるため

このような、生き方が出来れば、人生平穏無事に過ごせるのではないか。私などとても及びもつかないがーデモ、努力する価値はあるよね。苦労に負けず、苦労を肥やしにして自分の器を大きくしていきたいものだ。
 人間誰もが持っている四つの欠点をなくすことなのだ。
 まず始めの一つは、【意】であるが、これは主観だけで憶測をするということである。正しい判断を形成するためには、まず何よりも正確な情報を集める必要がある。情報という者はいくつものフィルタ—を通して入ってくる事が多いので、出来ればその上に立って、さらに、自分の足と目で確かめる事で、このような努力を怠って、主観的、希望的な観測に走ると必ず判断を誤る。故にそのような欠点を無くする事だ。
 二つ目は、【必】で必とは、自分考えを無理に押し通すことである。一人前の社会人なら当然自分の考えや意見を持たなければ成らぬ。主張すべき時には、断固主張することは大事だ。だから、やたらそれを振り回したり人に押しつければ、周りの人達に反発を買うことになる。その兼ね合いを見分けることが必要だ。
 三つ目は,【固】であり,固とは,一つの判断に固執すること。わかりやすく言えば、頑固である。仮に正しい判断を形成しても,情勢は常に変化している?先には,正しい判断だとしても、情勢が変化すれば当てはまらぬ。あくまでも一つの判断に固執すれば必然的に対応を誤り,時代に取り残されていく。固の病は,歳を取るにつれて嵩じていくので自戒が必要だ。私などはすてに手遅れで、病膏肓と言われる状況で有る。
 四つ目は,【我】で、我とは、自分の都合しか考えないことだ。これもまた、社会人としての協調性を欠いている、これをやると、どんな組織に身を置いても人間関係の中で孤立してしまうこと間違いない。以上の四つの【意・必・固・我】欠点を無くする努力をすれば、社会人として、きわめてバランスのとれた生き方が出来ると考えますが、如何。
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by ayabemorinaga | 2015-12-19 10:07 | その他 | Comments(0)

役立つ研修とは

日本は昔から教育を重視してきた国である。明治になると全国津々浦々に小学校が建てられ、市町村も乏しい財政から優先的に費用を割いて教育に投入してきた。教師にもその地域で一級の人材が投入された。地域の人々は教師を尊敬していたし、教師もそれに応えて教育に使命感を燃やした。このような積み重ねが文盲率ゼロになっあらわれている。私達が享受している繁栄は私達の努力もさることながら、先人達の苦労の上に築かれたものである。先人の苦労に感謝するとともに、この良き伝統は受け継いでいく必要があるのではないか。日立製作所は社員研修に熱心な会社らしい。講師には会社ΟBが起用されていると聞く。中には会社0Bの自慢話など今更聞かされいても何の役にもたたないよ。とうそぶく現役いるかも知れぬ。それは違うだろうと言いたい。時代の流れとともに変わってしまったものもあるかも知れぬが時代を超えて変わらぬものもあるはずだ。不易流行と言う事がある。現役の後輩がOBの話を師資相承として受け止めていくことで企業は限り無く発展を続けていくだろう。
 ところで、現在の管理職・教員研修がどのようになされているかは知らぬが、私が現役の頃の管理職研修は、学校の管理職経験もない、大学教授の机上の空論と言ってもいいような、役にも立たない話をえんえんと聞かされたものだ。管理職の応対辞令についても聞く機会は無かった。故に先輩に対して無礼な応対をしていたかも知れぬ。そのような些末なことに要らぬ気配りなど無用だと言われる人もいるかも知れぬ。されど、管理職中には依然として応対辞令が皆目分かっていない人達が要る事も事実だ。外来者の人によって応対が違う管理職をみかける。中には校長室にふんぞり返って見送りなど素知らぬ顔をしているひともいる?故に応対辞令についてしっかりと理解をする為の研修は取り上げるべきであると、今も思っている。いや、一度、現職校長が教頭の本務について話されたが、聞いている教頭から、教頭経験のない校長がいくら立派なことを言っても教頭の苦労は分からないよ。と批判めいたことを言っていたことがあった。話の内容は校長が退職するときに教頭はいかなる気配り目配りをすべきかと言った事であり聞く価値はあったと思った。現場経験者の話は聞く価値がある。教職員研修は、現場経験者・0Bを出来る限り講師にすべきでないかと言う事を言いたいのさ。議員の時も職員研修は、特定機関に丸投げするのでなく、現場経験者や0Bを講師にすべきでないかと総務部長に提起したことがある。さらに、現地・現場主義を標榜して、議員カッドウをしたものだ。現地現場の声をしっかりと聞き、それを行政にただすことこや、改革改善を提起することこそ議員の本領発揮だ。この信念が無くては議員の資格なし、公言したい。それはそれとして、教師の世界にも師資相承を取り入れるときが来ている。


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by ayabemorinaga | 2015-12-18 08:51 | 教育・学校 | Comments(0)

罵詈雑言

政治家というのは、年齢より議員歴即ち当選回数に重きを置く人種だ。また、相手たとえ年上でも、自分の方が当選回数が多いなら先輩であって、相手は年上でも格下と見られる。しかし、このような習慣も徹底しすぎると問題がある。日本社会には、長幼の序という考えもある。衆議院議員であった池田行彦氏が生前、都立日比谷高校ー東大の同窓会に出席すると、いずれの席でも仲間から、君は母校の後輩の加藤紘一子分でいるのか。当選回数が加藤が先輩でも、立場を逆転しろよ。激励されるだよ。と、苦悩の表情でいつも話したそうだ。年上議員の心理を加藤氏は果たして理解していたか。そのような心理を理解しなかった故加藤氏は、念願の宰相になれず破滅した。小沢氏もしかり人の心を忖度する態度は皆無た。故に側近と言われた人達はは離れていった。ーー福田康夫氏自身も50才を過ぎてから政界入りで、自分より年下で議員歴がながい議員から君づけでよばれる苦い経験があったそうだ。 
 我々の周囲を見渡しても、長幼の序をあえて無視して、年少者が年長者を卑下して、自分の勢力を誇示する輩がいる。そんな人に限って利用価値が無くなれば、さっと人は離れて行くことを知らない。また、そのような人の周りには、おべんちゃらばかり言う人達ばかりが取り囲くものだから、ますます図に乗って自分は偉い人間だと勘違いする。忠告めいた事を言おうものならたちまち敬遠される。苦言にも忠告にも素直に耳を傾けて礼を尽くす、それが人間としての度量である。そのような人こそ何につけても大成する人間だ。
 あなたの罵詈雑言もその程度なのーたいしたことはないね。まあな--
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by ayabemorinaga | 2015-12-17 06:49 | 政治・議会 | Comments(0)

風の行くへ(追悼)

一昨日は知人の突然の訃報に接して葬儀に参列した。元気かいと友人に挨拶をかわすのもこのような機会ばかりが多くなってきた。ながい人生行路の避けて通れぬ通過点か。綾部高校教師時代は、忌憚なく何でも話し合える気心の知れた間柄であった。私は、親愛の情をこめて、【があちゃん】と呼んでいた。時には家に寄せていただき、奥さんの手料理のこいこくの味噌汁をいただいた事もあった。彼は、よく私達は共働きなので経済的には、何ふじゅうなく暮らせると言って喜んでいた。彼は事務能力優れていたし、校務分掌は教務・担任を3年単位で代わる代わるやっていた。彼は神経が細やかで、責任の追及されるのを極端に嫌いがった。また、外部との困難な交渉事も苦手のようであった。彼は、府教委の人事主事として赴任し、2年後に綾部高校教頭として帰ってきた。校長は府教委総括指導主事の荒川君だ。荒川君とがあちゃんは綾部高校では教務としていっも一緒にやっていた。二人が同時に校長・教頭として帰ってきたのだ。この人事をみいて、当時の校長が教務の同僚の時は良かったかも知れぬが、果たして、管理職としてはうまくいくかなと危惧された事があった。彼はその後、加悦谷・大江・西舞鶴の教頭をへて、福知山の北陵中学校長になったが、本人としては不本意な人事あると思っていただ゜ろう、と思ったが、本人は案外よろこんでいたかも心中知るよしもない。府教委で高校出身の人事主事をしていた人が中学校長になった例はかって聞いたことがない。此の事は私が知らぬだけかも知れぬので断言はしない。実直誠実そのものであったが、困難なことに飛び込んで言ってその解決を目指すといった武闘派ではなかつたかも知れぬ。唯唯今はやすらかなご冥福をお祈りするのみ。
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by ayabemorinaga | 2015-12-15 15:45 | 教育・学校 | Comments(0)

風習の崩落

田舎の風俗習慣が戦後は大きく変わってきたように感じる。隣組・地域での人人の連帯意識が驚くほど希薄になってきた。昔から受け継がれてきた、てんごり(地域の人々が何事も協力して生活する相互扶助の精神)
 結い(家相互で双務的に力を貸し合う労働慣行)・たとえば、戸主が病気で田植えが出来ない家があれば、隣組の人達が総出で田植えの手伝いをする。隣組の誰かが病気になれば、組み内の人達が、神社に参拝して、お百度を踏み病気の平癒を祈願する。大雪が降れば隣組は勿論地域の人達総出で雪かきをする。など相互扶助の精神が脈脈と受け継がれてきたが、今はそのような精神が崩落の危機に瀕している。原因はいずこにあるのか。知人曰く、葬祭に戦後業者が参入してきた事が一つの原因ではないのか。と?昔は、葬儀は隣組の協力なしには成り立たなかった。かって、悪しき村八分といった不合理極まる風習が存在して、村人から阻害されていたときでも、冠婚葬祭だけは例外でみんなが協力をしたと言われている。さほど、葬儀は人人の協力が無ければ無事行うことが出来なかった。故村人は葬儀を通じて連帯相互扶助の精神がたたき込まれた。今は、隣組の人に世話にならなくても葬儀は業者に任せれば簡単に行ってもらえる。からだとーーさらには、戦後教育の個人主義思想が大きく影響していないか。田舎に生活している人も組織に属していれば組織を守る為の連帯意識遵守しているが、田舎の良き風俗習慣を守る言った村落意識はからきし持っていないといえそうだ。ただ競争意識は強烈である。競争意識は昔あったことは事実だ。あらー嬉し隣の蔵が売られ行くーーと言って喜んだとか。競争意識を侮蔑はしていない。競争意識も程度というものがある。相互扶助の精神はしっヵりと堅持しながら、競争意識を持っているのは許容される。がだ-相互扶助の精神が欠落した人が競争意識を持ったら世も末だ。田舎の良き風習を如何にして継続していくのか。田舎暮らしの人達に課せられた課題だ。ところで、田舎にも村祭りがある。神は心の支えと言われるように、神社を崇めこれを守ろうとする村人の意気込みによって祭りが維持されてきた。如何に科学が発達しても、どんなに生活が向上しても心のよりどころとして神を仰ぎ神を信じ神にすがる心は揺るぎないものがある。信仰は誰の心にもある。地域住民総出で村祭りを盛大に挙行し、崩落寸前の危機に瀕している連帯・相互扶助の精神を涵養することが出来ないか。田舎暮らしで個人の一挙一足まで干渉がましく言われるのは息が詰まりそうで、逃げ出したくなる事もままあるがさりとて、隣は何をする人ぞと無関心でおられるのも寂しいものだ。これを身勝手という。--なににつけメリット、デメリットはつきものか。-
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by ayabemorinaga | 2015-12-12 10:50 | その他 | Comments(0)

ひもじい(爺)

一昨日知人にあったら、戦中戦後の話を孫に一時間程話したと言うのを聞いて、私も孫に学校の宿題て゛おじいさんに、戦中戦後の話を聞いてきなさい。と言われたので聞かせて欲しいと言われ、、戦中、戦後の話をしたことを思い出した。今年は戦後70年を経た。戦後のあの食糧難など想像も出来ないほど、平和で豊かな飽食のじだいである。あえて言う大東亜戦争が沖縄玉砕・広島長崎の原爆落下により、と尊い多くの人命を失うという犠牲により終戦(敗戦)を迎えたのは、私が国民学校6年生の時である。戦争が始まったのが、国民学校2年生の時だ。国民学校6年生のときは、食糧増産のため荒れ地の開墾。道路端を掘り起こし大豆を植えにかり出されたり避難訓練も頻繁に行われ、梅屋・銅田国民学校から集団疎開で学年が4クラスになり、勉強らしき勉強をした記憶は皆無だ。私が孫に話したのは、田舎でも食べ物が無く、大根飯・夕飯はカブラのおかゆ・麦飯など、特に、大根のずわずわべとべとした食感には閉口したが、空腹を満たすためには、食べないわけには行かぬ。ひがな、一日ひもじい思いをして、せめて腹一杯食べてみたいと何度思ったことか。そのような話をしたら、孫が私につけたあだ名がひもじい(爺)さんである。ひもじいは方言かと思ったが、共通語である。しかし、まごたちは、ひもじいと言う言葉を初めて知ったようだ。ひもじいと言う言葉さえ、忘れられようとしているいまは、幸せな時代なのか。
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by ayabemorinaga | 2015-12-11 10:10 | その他 | Comments(0)

随想(悪筆)

へたな字を悪筆という。さらには、下手な字をあざけって言う場合は金釘流という。私も生来の悪筆で随分苦労をしてきた。伸び伸びとした癖のない美しい字を書く人をうらやましく思った者だ。字は性格を表している一面が有りはしないか。私など人がまねも出来ぬぐらい癖のある字を書く字が端的に性格を表していると言われても弁解できない?綾部高校現職時代悪筆参人男として名をはせた者だ。Hさん、丫さん、私のトリオだ。Y先生が、金釘流だろうが、悪筆た゜ろうが、歳を取ればそれなりに枯れた字になるのだ気にすることはない。といわれたの聞き、ほっとした者だ。字が下手であると自覚すれば、自ら書道なりペン字を習おうという気もなく現在までのほほんと生きてきた。H先生は、50台前後に退職して、市会議員に立候補され議長を歴任されたいまは、故人である。Υ先生は健在だ。選挙ではいつでも記名投票をしている様なものだ。筆跡ですぐにばれる。私は字がへたなのは誰に似たのかと思ったら母親だ。父親はそれなりの字を書いていたが、母親は金釘流いいところだ。字も遺伝するのだろうか。遺伝とまでは行かなくて何らかの影響はあるのだろうな。なで、同じ人間なのに、字を書けば千差万別となるのか。小学校教師の時1年生を担任したときの事だ。同僚から、君に担任してもらっている生徒は気の毒だな。あんたソックリの悪筆をまねる子がでてくるからな。毎日あんたの板書を見ていたり書かされたりするからな。生徒に同情したくなるよ。なんて-さ-幼少期から字を習う事などとても田舎では考えられぬ厳しい経済状態の環境で育ったから--デモ果たして、幼少期から字を習っていたら上手になっていたか。今よりはすこしは、調った字が書けただろうな。小学校の時習字の時間ほんの少ししかなかったしな。そんなことくどくど書く閑ががあったら、今からでも遅くはないしっかり字の練習にでも励めよってでスか。その通りですな--
 そうそう、議員の時中国常熟市を尋ねたときだ、中国の書道の先生が字をかかれ、是非皆さんの中から一人字を書いてくださいとといわれ、みんながあんたが書けと言わんばかりのまなざしを感じ、えいままよ、と筆を握り、友情と書いたが、その字のへたくそなこと、今思い出してもぞっとする恥ずかしさ。学問のススメならぬ習字のススメを
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by ayabemorinaga | 2015-12-10 11:18 | その他 | Comments(0)