綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

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教育の現場

万引きをしたという誤ったデ-夕に基づく進路指導により広島県広中町で中学生が自殺した。目の前の生徒よれも誤記録を信じただすことを怠る。それでは教育といえまい。過去の会議で誤りが指摘されながらデ—タが修正されていなかった。生徒の重要な情報について誰が責任を持つのかさえ不明確でずさんきわまりない。それ以前に疑問なのは一年時の問題行動の記載だけで推薦しない指導だ。あまりにも事務的で冷たく見える。根本的な教育姿勢の誤りではないか。これは,産経新聞の主張の論説の一部分である。その指摘に対して反論の余地はない。
 万引きという非行行為(触法)を学校現場ではどのようにとらえているのか。人間一生の間には,人に言えない行為をしたことがないと断言出来る人が何人いるか。特に青年期の非行は一過性のものである。大なり小なり青年期にはそのような非行を経験して成長するものだ。青年期特有の一過性の非行行為を進路指導のデ-タとして重要視し活用することが本当に必要であったのか。さらに不思議なのは非行行為をデ-夕として記録して残す事だ。生徒指導上必要不可欠であると考えるなら、担任・生徒指導担当者に口頭でつたえる程度にとどめるべきである。非行行為をデ-夕として保存すること自体間違っていないか。デ-夕化すれば誰かが消さない限り、また、破棄しない限り非行行為一覧とて残るではないか。
 【呉下の阿蒙に非ず】という故事があるが、一念発起すれば人は成長するという理念を教師は共通理解しているのか。
 一過性の非行を重視する姿勢は性悪説を信奉する事にならないか。教師であればそのような説を信奉していまいが。昔昔のその昔は,怖い人の存在があった。現在は世の中に怖い人が存在していない。そのため、若者達が非行へのコントロ-ルが効かなくった側面はある。
 同和教育に携わっていた頃、〔不利益は黙っていない〕ということを徹底しておしえたものだ。そのことが徹底されていたら,生徒も万引きがあると担任から告げられても,そのような事実はないと抗弁したであろうと思うがこれは私の一人よがりな見解か。評論はいくらでもできるが,学校現場の詳しい状況を見聞きしたわけではないゆえ,間違った認識に基づき評論しているかも知れぬ。
 だが,このような悲惨な出来事は二度と繰り返さぬ事だ。そのためには、教師は多忙だと言うが,生徒に向き合うより優先すべき事があるのか。と言う指摘を、すべての教育現場では謙虚に耳を傾けるべきであろう。
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by ayabemorinaga | 2016-03-18 09:13 | 教育・学校 | Comments(0)

交友録(追悼№3)

彼(西山保君)と最後の言葉を交わしたのは,下市自治会総会で懇親会があり、退席の折に,彼にお先に失礼します。と挨拶をすると,僕はもう少しこの席で話して帰るつもりだ。と珍しく上機嫌であった。
 その夜に知人から,西山君が公民館の階段から転落して緊急入院したという知らせであった。翌日友人と二人病院に見舞に伺ったが,家族の方がおっしゃるには、もって一週間です。という哀しい言葉であった。
 彼は,物部小学校の同級生である。小学校四年生の体育の時間に、,跳び箱で転倒して大腿骨骨折という大けがをした。半年間療養の為学校を休んだ。生来まじめであった彼は,真剣に跳び箱に挑んでいた姿、担任先生の驚きの様子、両親に背負われて通学をしていた様子は,75年を過ぎたいまでも,私の脳裏に強烈な印象として残っている。彼は,担任の先生が一生懸命教えてくれて、進級できたと担任の先生に感謝をしていた。彼は,人に対して寛大でおおらかで人の過ちを受け止める優しい心を持っていた。また,人の世話をするのが好きで,同級会の幹事を率先して引き受けたり,綾部市身体障害者協会会長を二期八年、ものべ老人会会長等奉仕の精神を身を以て実践した。
 私が彼と昵懇にお付き合いをするようになったのは,私が市会議員に立候補する為に,下市地区幹事をお願いしたときからである。二期目の立候補を決意したときは,一期目にお世話になった後援会役員がほとんど高齢の為辞任され、後援会本部役員の再編成を余儀なくされた。当時の状況は,市会議員定数を22人から4人減らして,18人定員となった。立候補予定者は20人の少数激戦が予想された。地元物部で立候補をされる人があるという噂も広がっていた。森永株で誰か立候補を思いとどまらせる者はいないのか,と言う声も聞こえてくる。
 そのような厳しい選挙情勢のなか,彼に後援会会長を無理にお願いした。彼も万が一をおもんばかって心中穏やかでなかったであろうが,本部役員が全員一体となって協力をしてくれるならといって引き受けてくれた。
 会長を承諾してくれてからは,彼は歩行が不自由な身体にむち打って,後援会員の勧誘に懸命の努力を傾けてくれた。その献身的な行動に本部役員は触発されて彼を懸命に支えてくれた。本部役員の連帯をたかめ全員一致の行動力へと駆り立てるのも彼の人徳である。
   神は敬虔なクリスチャンである彼をはやばやと天国に招いてしまった。彼をこれ以上苦労させまいとの御心か。                                                                    彼の元気な姿・声を永久に見る事も聞くことも出来なくなった。諸行無常・合掌
 
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by ayabemorinaga | 2016-03-15 10:13 | 教育・学校 | Comments(0)

視点

電話で見る女性の視点とは,たとえば、今頃はあまり見かけることも少なくなりましたが、公衆電話にいて,人が待っているにもかかわらず延々と話し続ける女性と、あ,今人が来ましたから,これで失礼します。とか,公衆電話ですので,後からおかけします。といえる女性を比べますと,どちらが気配りの行き届いた人かは歴然としますね。それから電話を切るとき,話が終わるやいなやガチャンと切る女性と,電話を切るときには,話がすんでも受話器を耳に当てたまま,なんか向こう側が言い残したことがあるかも知れないと思い、先に切ったりしては失礼だから,ちょっと、そのまま待っていて,それで向こうが何も言わなかったら、こう,ゆっくりとゆっくりと,静かに受話器を下ろす。こんな気配りの出来ル人に成りたいと改めて、反省している自分がいる。
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by ayabemorinaga | 2016-03-13 11:30 | 教育・学校 | Comments(0)

男をみがく

男をみがくなんってーあまり聞き慣れない言葉ですが、でも、なんだか興味をそそる言葉ですね。男をみがくという言葉から皆さんは何を連想されますか。
 男を磨くという根本的な考えは何かと言えば,自分だけの考えで生きていてはダメだと言う事です。大勢の人間で世の中は成り立っていて,自分も世の中から恩恵を受けているンだとと感じル事だ。【だから自分も世の中に出来ル限りは,むくいなくてはいけない。】それが男を磨くことになる根本思想だ。
 じゃー具体的にどのように世の中に報いるのか。一つ例を挙げると、料理屋に言ったときとか,旅行で旅館に泊まったときに,仲居さんにチップをする。でもさー人によっては、サ-ビス料金を支払っているのに,その上何でチップを渡さなければ成らぬのだ。と言う人もいるが,これは誠に道理に叶っている。いや理屈に合っていると言う方がいいか。だけどね、かたちにでなきゃ分からないんだ。気持ちというものは。あまのじゃくは,ありがとうと言っているではないか。と言いたいだろう。ありがとうなんて誰でもやすうり出来るんだ。 言葉だから-   チップを渡すことによって、ありがとうと心から言っている真意が伝わるわけ、だから、 身銭を切ることが大事なのさ。ところで、身銭の切り方と言った方がいいのか、チップの渡し方があるよね。上から目線でくれてやると言った態度では、もらわない方がましだ。少しもありがたくない。心からありがとうと言っているかどうかは態度で分かるものだ。さほど人の心はデリカシィなのさ。そこのところをしっかりと心得ないとね。とんでもない失敗をする事になりかねない。 おとこをみがくには身銭を切る事が必要なのさ、それ故、小遣いが男は必要なのさ。自分が自由に出来るお金がね。
 男を磨くに、異議ありと言われれば,人間をみがくでもいいですよ、 
  
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by ayabemorinaga | 2016-03-07 12:44 | 教育・学校 | Comments(0)

自分のこと

人間というのは、自分のことは分からないんだよ。あんまり,そのかわり他人のことは分かるんですよ。第三者の目で見ているから-【君、こうしたらいいんじゃないか。】  とか。【君あれは良くないぞ】とか言うでしょう。
 だけど、そのときに、 何だおまえにそんなことを言う資格があるのか、おまえだってこうじゃないか。と言ったらおしまいよ。なるほどそうかも知れないー と言うふうに思わなければ-私なんかも到底出来ない事であるが。デモーーなるほどと感心はするよ。  しかし,自分のことは以外はよく目に付くのよ。かなしいかな-
 人間自分のことは分からないーーーものなんだ。だから、他人が言ってくれたことはやっぱり素直にきかなきゃいかんと思うわけ1
  それは傍から見ていれば分かるんだよ。ある会合で、話し合いをしている途中,何が気に触ったのか,いきなり語気を強め感情をあらわにされる場面があった。そう感情的にならなくてもいいのではないか。と思ったが,人のことは冷静に見聞きすることが出来るものなの--自分のことはさておきー
 最初に,この会合では何でも話し合おうではないか。と言う事で始まったのだからーー【今の言い方は、失礼ではありませんか。】と言おうとしたが,そのことで会議の雰囲気をさらに悪くしてはダメだろうかーーとおもんぱかり言わなかったが--注意をしてくれる人がおられる人は幸せですね。私なんか,誰も注意・忠告なぞしてくれる人もなく,陰では悪口雑言に言われているだろうが,私の耳にはとんと入ってこない。さみしい限りですよ。【ほんとかいな、注意・忠告でもしたら頭から湯気が出るほど激昂するくせに】--と思われているだろう。
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by ayabemorinaga | 2016-03-05 11:07 | 教育・学校 | Comments(0)

西方浄土

キリスト教の死後観(浄土観)は,天国なのかも知れませんが,仏教の死後観は西方浄土に往生する。と考えたと言われている。西方というのは,たとえば太陽は西ノ彼方に沈む。だから人間も命尽きてあの世に行くときは、だいたい西の方に行く。つまり西方とは,死を象徴する世界を表している。日本人はインド仏教を通じてつたえられた西方十万億土というとんでもない遠くに浄土があるのではなく、我々が住んでいる生活圏のすぐそばにある山の頂が浄土である。と読み替えた。その結果至る所に浄土存在するようになった。日本の山の多く頂上近くに浄土という名の場所があり、ここが聖地と言う事になっている。そして麓を下ると,だいたい地獄谷というところがあり,そのそばに賽の河原がぁつて、お地蔵さんが立っている。故に仏教とは死んだ者達を山頂の浄土と導き,成仏させる。そして同時に家の神様になってもらう。神になり仏になる野は贅沢と言えば贅沢なお話ですが。長々と書いて何を言おうとしているのか。そうそう,仏教徒が時たまクリスチャンでもないのに、天国という言葉を弔辞に述べられることに,少し違和感をかんじたというそれだけのことなのーー御免な
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by ayabemorinaga | 2016-03-03 10:10 | 教育・学校 | Comments(0)

諸行無常、

仏陀は無常とは、【形あるものはすべて壊れる・滅する。】と客観的に説きましたが,平家物語の冒頭に出てくる【祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり】の句のなかに出てくる【諸行無常の響あり】の無常とは,形あるものは滅するというだけでは説明が出来ぬ。もっともっと奥が深いものである。即ち、滅び行くものへの無限の同情・共感の涙を流してやまない悲哀の感情、あるひは、人生のはかなさに対する繊細な感覚が無常という言葉のなかに秘められている。諸行無常を体感したことを踏まえて,交友録№1・№2を書き留めたました。近いうちに,交友録追悼№3・№4を書き記したいと思っています。
  去る者は日に以て疎く,来る者は日に以て親し
  浮生は多塗なりといえども、死に趨くは惟れ軌を一にす















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by ayabemorinaga | 2016-03-02 15:48 | 教育・学校 | Comments(0)