綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

粋なフレ—ズ

報償を目的としたり、恩にきせるこころもちで、為される言行は、真の誠意でもなく、又、親切でもない。我が人生の歩みの中で、このような心で生きてこなかったか。忸怩たる思いにたどり着く。世の中にt感銘を受ける言葉はいくらでもあるが、そのような粋な言葉を咀嚼して生きていく礎に出来たか。出来たり、出来なかったり、出来なかったことばかりが多く思い出される。情け無くもあるがそれが人間の生きざまの断面だ。
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# by ayabemorinaga | 2016-10-11 09:52 | Comments(0)

信念

ヘブライのソロモン言葉【人の真の価値は、黄金にあらず、また、宝石でもない。さりとて、名声でも権勢でない。ただ、信念の有無にあり】と言って信念を持つことの大切さを強調している。人生油断もスキもないもので、ふと、気を抜くと、あきらめ、悲観、弱気、迷い、という悪魔の囁きのような声がきこえてくる。いかなる場合も、絶対何とかなる。と希望をつなぎ確固たる信念を持っていれば、未来が切り開けてくるから不思議だ。信念をしっかりと心に刻み込み生きていくことが必要だ。但し、信念は自分本位であってはいけない。他への思いやりがあってこそ、信念を貫くことが出来る。人の利害とぶつかり合うような信念は論外だ。若い諸君、信念をつらぬき人の為、世のために役に立つ人になってくれ。行き先が見え始めた老いたる者が、未来を切り拓く若者に贈るエ-ルだと思ってくれ給え。
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# by ayabemorinaga | 2016-10-10 09:27 | Comments(0)

大過無く

無難にとか、大過無くと言う言葉は私はあまり好きでない。定年退職をしたときの挨拶さらには、次のポストにつくとき、しばしば用いられる台詞である。何かしなければならないときに、何もしないのは、何かして間違うのよりも悪い。すべき時にしないのは、悪いことをしているという認識を持つべきである。何かしなければ成らぬ時、すべき時にしない事さえ分かっていない野暮な人もいるが。いや、無知なのかも知れぬ。そんな人が管理職になっている場合がある。管理職になると平穏無事に過ごすことばかり考える人がある。まあ、あっちこっちで摩擦ばかり引き起こす手合いも困った物であるがー大過なく無難に過ごす事が出来ました。なんて、自分無能をさらけ出しているに等しい。何かをやろうとすれば、必ず反対がおきて物議を醸す場合がある。その反対を押し切って事を為せば批判の大合唱だ。何の業績も残さず地位あるポストを終わった人が大過無く、無難にと言う言葉を使うのは納得出来る。
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# by ayabemorinaga | 2016-10-09 10:24 | Comments(0)

安心して

安心して老いるために、ふと、私が認知症になったら、どんな言葉や歌を口ずさむのだろうか。と考え込んでしまう。きのうきょう、ついさっきのことは忘れても、若い時にたたきこまれた歌や言葉は忘れないものらしい。とすれば、私はさしずめ、みよ東海の空あけて、ーー勝ってくるぞと勇ましくーー七つボタンは桜に光りーー等軍歌を口ずさみ、介護士さんからは、哀れみのまなざしで見られていることも知らずに歌っている認知症老人には成りたくもないが、そのようなことを言っておる人達が案外そのような老いの道を歩むものだ。安心して老いるためにはどうすればいいのか、ふと、思案に暮れる日々なり。さて、皆の衆、お笑いなさるなー軍国主義に塗りつぶされた少年時代をすごした生き残りなのさ。安心して老いる事の出来る、社会の到来を願う。ゴ-ルデンプランと言われた介護保険制度であるが、在宅介護が難しくなり施設への入居を希望しても、則入居とはならない事がある。又点滴で問題の、大口病院に見られる在宅介護が出来ない終末医療患者を受け入れる病院も少ない。一般病院を退院しなければならぬ病弱老人の受け入れ先もママならぬ。現状では、またまだ安心して老いるための社会の構築が出来ていないと考えるのは間違いか。
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# by ayabemorinaga | 2016-10-08 12:48 | Comments(0)

納得

馬鹿では困るが、利巧すぎてもいけない。利口なのが利口ぶっているのは、まあーたいしたことはない。馬鹿が利口ぶれば始末が悪い。何よりも怖いのは、利口なのに馬鹿ぶっている。このような手合いは恐ろしい。    十人が十人悪く言う奴、これは善人であるはずがない。だからといって、十人が十人ともよく言う奴。之は善人と違う。真の善人とは、十人のうち五人がけなし、五人が褒める人物だ。さて、十人のうち九人が悪く言い一人が褒める人は、なんて言うのかな。そんな人をたくさん知っているのよ。
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# by ayabemorinaga | 2016-10-03 11:00 | Comments(0)

そのとおり

私達は、人の傷みの分かる人間にならねばならぬ。など立派なことを言っているが、人の心の痛みが本当に分かる人とはどんな人なのか。皆さん分かる。思いやりのある人だよ。思いやりのかけらもない人が、いくら立派なことを言っても、それは嘘っぱちだ。ひとの心の痛みは、おもいやりという心眼をとおしてしか分からぬものよ。それじゃーちょっと、お伺いしますが、おもいやりって、何よ。そう来ると思った。おもいやりとは、、まず何をおいても相手方の気持ちになって考えてみることよ。納得していただけますかな。
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# by ayabemorinaga | 2016-10-02 18:51 | Comments(0)

なるほど

人の身体は食を求めるが、人の心は友をもとめる。とは、言い得た言葉だ。私の回りの人を見ていると、老いてなお、多くの友を持ち、携帯電話がひっきりなしに鳴り響く。誘いの電話だ。若くして奥様を亡くしたが、多くの友に恵まれて充実した人生を過ごしている。おいていくにつれ、心の通った友こそ生きる道しるべだ。胸襟を開いて話せる友を持つ事の幸せをしる。
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# by ayabemorinaga | 2016-09-27 08:37 | Comments(0)

現地現場主義

昨今テレビで報道されている現況で判断すれば、都議会のチェック機能が働いていたのか。疑問を感じるのは俺一人か。地方議会は言わずと知れた二元代表制であり、首長も議員も直接都民から選挙で選らばれる。議員・首長とも責任は都民に負わなければ成らぬ。都議会の議員さんは現地現場主義を実践しておられぬようだ。議会では質問されているが、都幹部職員が理論整然と嘘をついているのを、見破ることが出来なかった。豊洲市場移転という大きな問題である限り、議員も議会質問で確認をする程度は職務怠慢ではないのか。当然担当委員会が豊洲の現場を視察して、現況確認をすると言う基本的事項が守られていない。首長も担当者にまかせにするのではなく、進捗状況等を現場に足を運んで視察するということことを怠っていた。首長、議員が現地現場主義を徹底していたならば、このような問題になることもなかったのではないか。このような結果になった責任の一端は都民にもある。民主主義とは、そういったものよ。なぜだ。首長・議員を選んだのは都民でしょう。

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# by ayabemorinaga | 2016-09-26 11:06 | Comments(0)

男よ。

ますらおの五十路をすぎてからよりは、金を数えるおとこになりにけり。--そんな男になるなよ諸君。
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# by ayabemorinaga | 2016-09-24 09:53 | Comments(0)

ライフサイクル

現代人のライフサイクルはまずこれだ。四十不惑はもう古い。四十初惑【四十にして始めて惑い】五十立志【五十にして志を立て】六十にして精励【六十にして事に励み】七十にして成就【七十にして事を成し遂げ】八十にして熄む。皆の衆、元気を出してこの心意気で人生を闊歩せよ。六十歳定年だなんてしょげているな。みっもないぞ。世の中まだ、七十歳成就出来る環境は整っていないよ。そんな気の弱いことを思っているからダメなのだ。皆の衆が一致団結、そのような生き甲斐が持てる社会に政治を変えろよ。

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# by ayabemorinaga | 2016-09-23 10:02 | Comments(0)

老いの心意気

誰でも長生きはしたいと思うが、年を取りたいと思っている人はいない。人間とはそうしたものだろう。人間は老人になるよりも老人にさせられる。のである。恩ぎせかましい敬老会も癪の種だ。そんなことを臆面もなくぬけぬけ言うから嫌われるのだ。もう少し賢い老人ならなければ成らぬ。
 さて、考えてみれば人生という舞台で生を演じてきたようなものだ。だから、年を取ったがゆえの、衰えたところ、悪いところは、なるべくなら見せないに越したことはない。そうかといって無理をすることもなかろう。年齢相応の物のいい方、仕草、そして、年を取らねば分からぬことの伝え方、それぞれがちょっと工夫して、あの人が傍にいるだけでほんわかする。そう言われるような年寄りになりたいと思ってみるが、所詮私にはできっこない。あなたが傍にいるだけでいらいらすると言われる。そんな年寄りって哀しいものですね。そのようなくだらないことを言うから、人様に馬鹿にされるのさ。そのような暖かさを人に与えるような人になりたい。今日できなければ明日にでもなれるように心意気を新たに、日々精進しょう。そういった気構えを心に念じて日々を健やかに暮らしたい。


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# by ayabemorinaga | 2016-09-21 12:36 | Comments(0)

世論つて何だ。

世論という正体不明の怪物がまるで民主主義の主役のように跋扈している。世論って何だと叫びたくなる。政治家は、口を開けば国民の皆様のご理解を得て、とか、国民の声を反映させる政治の実現に全力を。とか、簡単にできないことでも叫ばなければならぬ。野党になれば、世論無視の政治と批判を繰り返す。じゃー世論てなんだ。と言いたくもなる。世論を民意と言い換えても良い。世論と言えば世論調査を思い浮かべる。あらゆるマスメディア・調査機関が頻繁に行っている。世論調査の方法や精度を問題としているのではない。有権者や国民がみな同じ考えているとは考えられぬ。考えの物差しは人によって異なる。満足度が同じでないから多様な意見を反映させるために、代議制度がたんじょうしたといえる。即ち民主主義である。現在民主主義に取って代わるシステムはない。有権者の考えはマスメディアに左右される。現在社会でテレビの影響は計り知れないほど強大である。マスメデアによって世論が構築されていくと言っても過言ではあるまい。世論調査で自分固有の考えと信じていることが、マスメディアによって情報操作された可能性は否定しきれぬ。テレビ報道が情報操作によってある方向へ誘導することさえ可能なのだ。あるテレビ局デレクタ-が世論操作によって政権交代を可能に出来る。と豪語していたことがあった。有権者の考え【世論】が情報操作される懸念もあるテレビによって左右される時代になったのか。ならば、新聞こそ、情報操作されない真実をつたえるべきではないのか。そんなかんがえの甘い時代ではないのかもーー世論て何か。幼い頃、自分正当性を主張するために、だれだれさんかって言うとっちゃった。と自己主張をしたことがあるがーー野党が世論無視だと言っていることと、そっくりだ。世論そのものがきわめて操作されやすい時代に世論という得体の知れないものに準拠する政治もまたきわめてあぶないものになりはしないか。世論ってー何だ。分かったようで分からない。
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# by ayabemorinaga | 2016-09-20 11:38 | Comments(0)

政党の党首選は

このごろ、政治論ばかりでごめんなさい。気に障れば読まないでください。某特定政党以外の代表選びは政策・識見より、誰を代表にすれば選挙に勝てるか。と言う事が判断基準になっている。なぜこのような事になったのか。その原因考えられるのか゛衆議院に導入された【小選挙区比例代表並列制】と言う選挙制度である。従来の中選挙区制であれば党首はだれであっても、さほど、個々の選挙に致命的な影響を与えることはなかった。しかし、狭い選挙区から当選するのは一人だけという小選挙区制では、全く異なってくる。つまり、政党対政党の争いになる。従って、党首の顔がきわめて重要になって来る。指導力、政策に対する議論のすくないイメ—ジ先行の党首選びになっている。テレビが決定的な影響を及ぼすテレポリティクス時代では、若さ、さわやかさ、清潔さと言うイメ—ジが必要不可欠になった。果たして、そのような党首選でいいのか。そのような事柄を如実に示したのが、今回の民進党の党首選びではなかったか。正に選挙向けのかおとして誰がふさわしいか。と言う事が党首選びの最大の基準と考えた結果だ。前原氏と蓮舫氏では、政策・識見において私の見る限り前原氏が優れている。新聞紙上では、蓮舫氏は、中身も国家観もない単なる客寄せパンダ払拭なるか。と指摘している。さてさて、民進党が今後蓮舫代表のもとで党勢拡大が期待できるのか。なにより党内のガバナンスを確立できるのか。蓮舫氏の執行部人事を見ていて危惧を感じるのは私一人か。興味深く注視していきたい。

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# by ayabemorinaga | 2016-09-19 11:35 | Comments(0)

政治家iに期待すること

断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても【それにもかかわらず】と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への天職をもつと、マックス・ヴェ-バ-は言う。政治家とくに国政に携わるには、そういった気概を持つ事は不可欠である。政治にとって言葉は重要である。政治は言葉抜きでは成り立たない。と同時に言葉ほど危険なものはない。しっかりと関心をもって見つめていないと事実を覆い隠すからだ。同じ言葉でも使う人の品性や動機によって輝くこともあれば、じつにうさんくさいものになる事がある。政治は変わるという言葉のかげて゛変わるように見えているのは、政治の風景だけで、本質は何も変わっていない。偽りに満ちた言葉が飛び交い有権者を翻弄させ政治不信を招くような、政治家であってはならぬ。今、政治家は言葉を失っている。その口から発せられる言葉は、薄ペラで人の心を動かすようなものとは言い難い。政治家特に、国会議員は、【語るべきもの】を持っていなければ成らぬ。【語るべきものとは】この国をどのような国にするか、と言う政治哲学である。このかたるへきものは官僚にゆだねるべきではない。これを官僚にゆだねた瞬間、政治家は言葉を失うのだ。信用出来る政治家とは、敵をつくる一言が言えることだ。どうやってリスクを背負い、どうやって恨みを買うかと言うのが政治だ。そのことを、避けるような人は信用できない。と判断するべきだ。私は、あなた方に厭がられることをやると言う、政治家が何人いるか。皆無に等しい。情報化社会の恐ろしさは、勇気を持って異論を唱える人人の声がかき消されることである。国家・国民の安全のために、命をかけて異論を唱える人か何人いるか。国民は、国家がどのような満足を与えてくれるという利害得失の一点に絞って政権運営を判断する。不満足であればたちまち反発をする。外交とか安全保障関連の問題という国家の存亡に関わることには無関心である。世論にやプロパガンダに、政治家が振り回されるようでは、まっとうな政治は出来ぬ。官僚の論理に政治家が負けるようではダメだ。官僚と喧喧諤々議論をたたかわすことが出来る能力も必要か。政治は可能性の技術であることを忘れてはいけない。実現不可能と思われるような岩盤に穴を開ける情熱と実行力が備わっていなければならぬ。政治が調整型と言われる時代は過ぎた。いまだに、政治の世界では、【なるの論理】が健在である。政局はどうなる。景気はどうなる。民進党はどうなる。為替相場はどうなる。などなど、なる。のオンパレ-ドだ。する。と言う言葉を使わなければ成らぬ政治家がもしかしたらー最も多く、なる。発言をしていないか。政治家は、おしなべて、する発言をして国民、有権者の信頼を不動のものにする努力を怠ってはならぬ。

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# by ayabemorinaga | 2016-09-18 10:49 | Comments(0)

老いの入り舞

歌舞伎の舞台で、役者が退場する直前に引き返して、もう一指舞うのを入り舞というが、おそらくこの情景から、年寄りが老いを見せずに新しい事を始める、あたらしいことを提案する。それを老いの入り舞というようになったといわれる。気持ちが若ければ老け込まない、と言う言い方もあるが老いの入り舞には、おっととっと、こんなことで人生おさらばじゃ、私の気持ちがおさまりりません、一言いわせていただきましよう。もう一花、たとえ植木鉢の花でも咲かせてみましょう、という、そう、気概と言う言葉がふさわしい精神的エネルギ-を感じるではないか。そのような、精神力旺盛な人もいれば、もう、わしのような年寄りが出る幕ではない、とか、年甲斐もなくししやりでても嫌われるはかり、とか、手のひらを、ひらひらさせて出番を断る人もいる。そうかと思えば、あの年になって、まだ出しゃばって、引退する気配も見せない困った者よと、顰蹙を買っていひともいる。確かに、あのじいさんかと、顰蹙をを買うことはあるが、その原因は、じいさんだからでなく、話がその場にそぐわなかったり、くどかったり、自慢話の響があったりするからだ。人それぞれいろいろよな。人生80年、人生二毛作、定年退職後の人生設計をしっかりとかんがえ、老いの入り舞、かれいに、はなやかに舞いきろうではありませんか。私も人様から、あらまあーと驚かれるような、老いの入り舞を無様か格好で舞いましたがーーーみなさん退職後は、ー老いの入り舞をしなやかにかろやかにまわれては如何。いかなる老いの入り舞をするかが大切ですよ。

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# by ayabemorinaga | 2016-09-17 15:53 | Comments(0)

風向き

民進党代表に蓮舫氏が確定した。代表戦の途中から国籍問題が浮かび上がり,蓮舫氏の発言も二転三転したが,風向きは変わらず圧勝された。まずは,おめでとうございますと祝福を申し上げる。私は民進党支持者ではないが、二大政党制が国政の場では必要であると考えている。二大政党制こそ、民意がバランスよく反映されるのではないかと考える様になった。与党と拮抗できる政党であり、いつでも政権交代が出来る政党に育て上げるべきである。蓮舫氏の今後の手腕と現実に即した政策提言に期待したい。蓮舫民進党新代表に,国籍問題について疑問を呈したい。蓮舫氏はテレビで国籍問題については,法的には問題ないが,道議的責任は感じていると発言されている。また,代表戦で国籍問題に対する発言が二転三転している。台湾籍は抜いている。生まれたときからの日本人、帰化、等等 台湾籍は抜いていると発言されていたが、まだ抜けていなかった。本人は虚偽の発言を意識的にされたとは思わないが、事実とは異なっていた。マスコミから指摘された時点でしっヵりと裏付けを取る事が出来ぬ脇の甘さがあるのではないか。いやしくも公党の代表者が事実異なる発言をすること自体が代表者としての資質を厳しく問われるものだ。私は、国籍問題にかかわって、法令遵守を問題ととらえている。日本国籍を取得した時点で台湾籍は抜くという義務があるはずだ。その法令遵守が守られていなかった。私は17歳の時、父が帰化手続きをしてくれたのでその時点で台湾籍は抜けていると思っていた。という言い訳は聞きたくない。率先垂範という言葉がある。その意味は、人の先頭に立って物事を行い模範を示すと言う事だ。法令遵守さえ出来ていない人が率先垂範出来るのか。義務の不履行ぐらいでぎゃあーぎゃあー騒がないでくださいよ。とおしゃりたい気持ちはそりゃー分かりますよ。しかし、そんな些細なことという心構えがいやしくも国会議員であり民進党の代表者である蓮舫氏がもたれていたなら問題である。風向きは変わらず、民進党は蓮舫代表を選出した。が今後これらの事柄が有権者の顰蹙をかい暴風となって蓮舫丸が座礁をせんことを祈る。
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# by ayabemorinaga | 2016-09-16 14:59 | Comments(0)

風が読めぬ

最近は,マスコミが築地市場の豊洲市場への移転問題について連日報道している豊洲新市場で盛り土すべきところが空間になっている。盛り土しなかった費用50億はどこに消えた。盛り土せずに地下空間にする事は、都が独断で決定した。盛り土をすべきであるとの見解を示した専門者会議は解散し、技術専門会議が立ち上げられた。都の情報公開が不十分である。都前知事猪瀬氏はテレビで市場長が説明責任を果たすべきである。と他人事のような発言をされていたが。マスコミ報道で知る限りでは,責任の所在が曖昧な感じがする。なぜ担当者がきっちりと説明責任を果たすことが出来ないのか。いや,都知事が説明責任を果たすのが当然である。今で言えば舛添氏であろう。辞任すれば知らぬと断言出来るのか。マスコミが都民の不安をあおるような報道は慎むべきである。市場は食料品を扱う場所であるから安全安心が最優先すべき事柄であるが,東京瓦斯のあと地であるために有害物質ベンゼン土中に埋もれている。等々議論がされている。東京都知事に小池氏が当選していなかったら,これらの事実は不問にされて,豊洲市場への移転が速やかに行われていただろう。地方自治体のトップの長期化は様々な弊害をもたらすことを改めて、有権者は理解しておくべきだ。さらに、都の監査の実態はどうなのか。しっかりと監査が出来ていたのか。監査は会計監査だけにとどまらず都の条例に基づく運営・経営についても監査が及ぶはずである。盛り土が変更され地下空間になった事実を知らなかったのか。監査も年次計画に基づきそれぞれの部署を監査することになるから,そこまで及ばなかった。と言いきれるのか。都知事へどのような監査報告をしていたのか。この機会に都議会へ監査報告をされては如何。都監査委員には弁護士を選任されてないのなら、この機会に弁護士を選任される必要がある。石原都政からいろいろ議論されて10数年を経て豊洲移転が目前に迫ってから,問題噴出とは都民の不信を買うような事態に発展した。行政チェク機能を果たすべき都議会の責任はあるのは当然だ。我々が擁立した知事からと都議会のチェック機能が甘くなったのなら問題だ。そのような勘ぐりはしたくないが。議会は行政とは,是々非々の立場を堅持すべきだ。本来地方議会の野党、与党化あるべき姿ではない地方自治体は大統領制を採用しているのであるから--地方議会の野党・与党化が議会本来の任務行政チェック機能が不完全燃焼をしている事実はないか。

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# by ayabemorinaga | 2016-09-13 10:05 | Comments(0)

田舎の原風景

私が住んでいる西坂町の圃場は60町歩ある。戦後二回目の圃場整備をして,一区画が2反から3反になった。一人が6町の圃場を管理すれば農家は10人でよい。農業の機械化が進んでおり,充分対応できる。しかし,現実は圃場の貸借関係が難しく簡単にことが運ばない。我が町では、昭和の初期に圃場整備を町独自の取り組みとして行っている。そのため戦前は隠し田がなくて供出米が反別に割り当てられて苦労したこともある。隠し田があればそれから収穫されるコメを供出米として出す事はない。また、谷が浅い割に圃場が多いために水不足に悩まれることが多かった。圃場の水はすべてため池に頼らざるを得ない実態だ。そのために企業が西坂に進出して農業経営をする事は不可能だ。コメ作りには水管理は必要不可欠である故ため池からの取り水は従事する労力費用がかさむ。昨今は9月上旬にはすべて稲刈りが終わる。昔は10月末日まで稲刈りが続いた。それにしても,【いのことは,冬支度のためにこたつを出す事】までには終わりたいと思ったものだ。その稲刈りにしても、現在は機械で半日あれば3反から5反の稲刈りが出来る。昔は,鎌で稲を刈り束に結いそれを稻木に掛けて,天乾し脱穀する。すべて人力でこなさなければならぬ。重労働そのものであった。女性には失礼な話であるが,農家の嫁は丈夫なのがよい。と言われていた。たれるほど頭の下がる稲穂かな。と言われるとおり實る従って穂先が重たくなり垂れ下がっていく。様のたとえであるが,人様の地位向上につれて,傲慢不遜になる態度を戒める箴言であろう。今頃のひとときは,黄金色にかがやく稲田と緑の葉がしげる小豆栽培の田んぼが半々だ。小豆が植わっているのは休耕田だ。黄金色に映える稲田はに三日もすれば跡形もなく刈られている。イナゴも見る事も少なくなった。昔は、田の畦にイナゴが飛び交いそれを捕まえて一升瓶に入れ一晩おいてから焼いてたべたものだ。ほりほりとこうばしいものであった。稲刈りが終われば、その後に麦を植える作業が待っている。麦を植えない田んぼは水を張っておく。その田んぼに入って春先にはタニシ取り、タニシを捕って販売して七夕の資金とした。そのタニシは見たくても今は見れぬ。人目に知れず滅び行く様子が現れ始めた。田舎の原風景が失われつつあるように--

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# by ayabemorinaga | 2016-09-08 11:17 | Comments(0)

今昔物語

今から顧みると大昔の話、田舎には様々な請が存在した。大師請、いわずとしれた弘法大師の御教えをしのぶ請だ。請員数十名が請員の家を回り、弘法大師の掛け軸を掛けて弘法大師和讃を唱えるのだが、独特の節回しでゆっくり、とてつもなく長い和讃を唱えるのには閉口した思いでがある。後何ぺ-ジで終わるのか、こっそりぺ-ジ数を数えたものだ。和讃が終われば祝宴である。行者請、これも大師請とよく似ている。節分に日から請が始まる。一年で都合のいいときに、請員を家にお迎えして、お祓いをしてもらうのだ。鳴り物としては、ホラ貝を吹いて祈祷する。このホラ貝を上手にならすのには手こずった。大峰山へ山伏姿で修業する山伏が持っているあのホラ貝だ。これらも祈祷が終われば祝宴だ。これらは、いずれも、家族のための祈りの場、懇親の場、情報交換の場であった。これらの請を通じて田舎の相互扶助と連帯の和が保たれていたのだ。三夜待と言うのもあった。夕食を食べてから、会員の家に行き、十三夜の月が出るまで話しあう懇親の一種である。私も一度親父の代理で参加したことがあるが、吉備団子のぜんざいが出されて、その団子舌の上の感触がいまだに忘れられぬ。絶妙なうまさだっだ。連帯感、懇親、情報交換の場として存在したこれらの請はテレビの普及などにより、すべてなくなってしまった。しかし、なぜか、いまだに連綿と続いている請がある。八幡請だ。請員は11名である。12月に行われる。昔は、請員の家庭を野菜を集めるためにリャカ-をひいて回り請員で、杉本八幡大明神の掛け軸を掛けて般若心経を読経する。あとは祝宴である。現在は、料理屋で行っている。現在の西坂町は、旧西の保村と赤目坂村に別れていた。請員は西ノ保村の地域に在住する赤目坂村に所属する家の人人だ。田舎の助け合いの精神は、これらの請を通じてさらに強くなっていったのだろう。私など田舎の同調圧力に時には反発を覚えたが、そのような連帯意識に包まれた昔が懐かしい。これらの請がうたかたのごとく消滅したが、これは、西坂町の消滅の前触れなのか。地域創生策や如何に

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# by ayabemorinaga | 2016-09-06 15:08 | Comments(0)

あきらめは

10万円入りの財布をおとしたとか、株で大損をしたとか、家にこそ泥が入ってカ-ドをとられたとか、それらのことで、いつまでもくよくよ心を痛めるのは健康上良くないことは百も承知している。それらのことは心の病気を引き起こすとともに健康にも良くない。そのようにして不幸の上に不幸を重ねることになる。そんなことは誰でも知っている。されど、人によるかも知れぬが、私は年齢をかさねるにつれ、何事につけてもネガテブな考えに陥ってしまう。之はいかんともしがたい宿痾だ。たとえば、家内が出かけて帰りが遅いと、どこかで交通事故を起こしているのではないか。人身事故でも起こしていたどうしょう。物事を悪い方へ悪い方へとかんがえてしまう。そのことはさておき、過去におきたことはきっぱりとあきらめることができる人間にならねばならぬ。あきらめは心の養生と言うそうだ。あきらめることか゛これから生きていく上で必要なようだ。平常心なんて言うが、財布に力-ドや免許証など入れたのを置き忘れでもすれば、慌てふためく己の姿が情け無い。あきらめることが心の養生だと分かっていても、あきらめられぬ。そのような気の小ささ、度胸のなさが、また、無性にわびしい。

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# by ayabemorinaga | 2016-09-05 13:40 | Comments(0)