綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga
笑いは人間だけが持っているものであります。だが同じ笑いでも千差万別であります。苦笑。ひきっつた笑い。洪笑、嘲笑、スマイル、純な赤子の笑い---人は皆これらの複雑さを全部濾過した「練られた笑い」をいつも心がけて人に接することが大切です。そうはいっても人間だから時には、微笑のかげに苦渋の色がにじみ出たりすることがありますし、時には歯を食いしばり、目に涙を浮かべても笑っていなければならぬ場面も有ります。ヤセ我慢をはっても、これらを克服していくところにえもいわれぬ拈華微笑の魅力が生まれてきます。そのためには、何よりも心の支え和顔愛語という行動原則を持っていることです。拈華微笑とは、インドの霊鷲山上で釈迦が黙って華を拈ったところ、大衆はその意味するところが理解する事ができなかったが、迦葉尊者だけがその意味を理解して破顔微笑したため迦葉に禅の法門を伝えたという伝説からきている。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-09 06:27 | その他 | Comments(0)

自信

自信とは考えてみれば恐いものだ。あるポストに座って経験を積み、年功も経てくると、自ずから仕事に自信が出てくる。そこまではいい。ところがやることなす事が、順調な成果を上げてくるとだんだん調子に乗ってくる。そうなると、この仕事は俺でなければできない。と思いこむようになり、人の言うことを聞かなくなる。その瞬間から、その人が、今のポストに座っていることを、人々が必要としなくなっていることに、気が付かない。故に、自信過剰に陥り、自己満足に陶酔して、傲慢な態度をとり、人々にだっかの如く嫌われていることを、知らない。心すべきである。と言われているようですが、みなさんはどのようにお考えでしょうか。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-08 06:02 | その他 | Comments(0)

宗教

仏典の解説をよんでいたら、仏教とは何か。それは見てござるという一語に尽きるという一節にぶっかった。それまでは、目に見える世界がすべてだと確信していたが、目に見えない世界が有ると言うことを、その一語で感得した。宗教を肯定するにしても、否定するにしても最低10年ぐらい心の葛藤が必要ではないか。いや、一生の課題かもしれない。それだけの努力をする人生上の大問題であり、古今東西にわたって人間はこれを追求してきた。神は存在するのか。佛性はあるのか。人類始まって以来の永遠の問いである。この問に私たちも一生に一度は真剣に問うてみる必要がある。なぜなら、人間とは何かと言う問であるからです。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-07 06:35 | その他 | Comments(0)

任怨分謗

思い切った新しい仕事をするときには、決まって誰かの怨をかうものです。しかし、その怨を気にしていたのでは事業は推進できません。任怨とは、あえて、火の粉をかぶるのをおそれるなと言う意味です。分謗は、怨みをかって敵の攻撃を一身で支えている人を放ったらかして逃げてはいけない。一旦志を共にした以上、その怨をともに受ける気概がなくてはならない。人間は勝手な者で、共にやろうと誓いながら形勢が不利になると逃げた゛したくなるものです。どのよう事態なろうともぶれない事が大事でしょう。何事に当たるときにも、任怨分謗の気概を持って事を成し遂げよう。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-06 12:18 | その他 | Comments(0)

人を信じる。

中国五千年の歴史は動乱と革命の連続である。その中で育ってきた漢民族は内乱とか、革命には、きわめて敏感な民族である。どの民族でもそうであるように、一応、地位、名誉、財産とかを求めようと努力はするが、だが、それがいかにむなしいものであるかを歴史の体験で知っている。というのは、ひとたび革命が起これば、真っ先にやられるのが、地位が高く、財産をもち、名誉ある人間だからである。このため、何事にも懐疑的であり、漢民族特有の虚無感を持っている。しかし、人間である以上、何かを信じなければ生きていく意味がない。いったい、何を信じればよいのか。それは人間が人間を信じて生きていく意外に道はない。信義誠実を重んじる人、信頼できる人、と裸の交わりを続けることができれば、自分の人生も自ら開けてくる。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-05 07:07 | その他 | Comments(0)

生きる

タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。強い心がなければ生きていけない。温かい心がなければ幸せは得られない。生きるためには非情に徹するタフさがなければ生きていけない。しかし、タフに生き抜くためには情とか慈悲とか言う人間のデリカシイを犠牲にしてはいけない。この二律背反をいかにしてこなすか。人生とは、非情さと、情、慈悲をいかにバランスよくこなしていくかに尽きる、と言っても言い過ぎではないでしょう。左様な難しい事より、こちらの堀口大学の詩冬の祝婚歌のほうがよく分かるよ。こぼれ松葉は、寄り添って、こぼれ松葉は、雪のうえ、シ-ツの雪に、ひとふたり、「こぼれ松葉」が抱き合って、今日もお元気で
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# by ayabemorinaga | 2008-07-04 06:55 | その他 | Comments(0)

一冊の本

フランスの文学者モンテルランは、この生涯において、何度も読み返せる本持つ人は倖せである。さらに数冊持ち得る人は至福の人である。と言っています。もし、故あつて、刑務所の独房に入らなければならなくなったとき、一冊だけ本の携帯が許されるとしたら、論語。聖書。囲碁の本。どのような本を持って行かれますか。そんなことは考えたことがない。当然でしょう。一度考えてみてください。何回も読み返したくなる様な本をお持ちでしょうか。私は、十八史略でしょうか。十八史略を読んで4517人の登場人物の性格が皆違うので徹底的に人物研究をしたいものです。十八史略はなかなか難しい本でいっぺんやそこら読んだぐらいでは皆目分からない本です。何回も読み返したくなる様な本をもっことは本当に倖せです。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-03 07:00 | その他 | Comments(0)

冷ニ耐エ

冷ニ耐エ、苦ニ耐エ、煩ニ耐エ、閑ニ耐エ、激セズ、躁ガズ、競ワズ、随ワズ、以テ大事ヲナスベシ。これは,中国の王陽明の言葉です。冷たい扱いを受けても我慢し、諸々の苦しみに耐え、どんなに煩しく、雑用が多くとも乗り越えていく。また、左遷されたり閑職におかれても、気にしないで悠々自適する。そして、どんなことがあってもカッカしたり,うれしいことがあったからといって、はしゃぎまわったり、むやみやたらとライバル意識を燃やさず、といって、付和雷同もしない、と言う姿勢を持って毎日の仕事に熱中できる人はひとかどの立派な人物でしょう。私なんか後期高齢者にもなっていながら、この中のいくつぐらい実践できるか怪しいものです。一つも実践できないでは情けない。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-02 06:22 | その他 | Comments(0)

教育

教育とは、人から何かを引き出す事であって、何かを詰め込む事ではない。学ぶとは、誠実に胸にきざみ込むこと。教えるとは希望をともに語り合うこと。こんな教育ができればすばらしい。さらに日本がうんだ最高の教育者森信三氏は、教育についてこのように言っている。「教育とは流水に文字を書くように、はかない業である。だが、それを岸壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」と。流水に文字を書くようなはかないことを、自分の業として真剣に挫折することなく取り組めば、それぞれの人生に大きな花を咲かすのだ。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-01 07:16 | その他 | Comments(0)

信頼

社会生活の中で、一番大切なものは、何かと言えばやはり信頼であろう。人に信頼されるためには、何が一番大切な事なのか。信頼の基準は、1,相手の立場になって物を考える。2,約束はきちんと守る。3,言うことと行うことを一致させる。4,結果をこまめに連絡する。5,相手のミスを積極的にカバ-する。これらを全部できなくても、一旦引き受けた約束はキッチリと守る。それと、もう一つ、何でもよい一つのことに精進をして、これならあの人に頼もうと他人が思うようになる事である。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-30 06:34 | その他 | Comments(0)

後光がさす

人間も真正面から見つめられると即応的に身構えるから、わりとごまかしが利きます。だが後ろ姿だけはどのようにごまかそうとしてもできません。たとえばどんなに若作りをしていても、人はその後ろ姿から年齢を隠すことはできません。自ずと、その過ごしてきた職業の特徴をそれぞれの年齢に従って後ろ姿に滲ませ、これがまた味わい深い観ものとなるのです。孟子も、面に見れ、背に溢る。と言っておりますが、人は面より背のほうが大事.徳や力というものは、まず面に表れますが、それが背中つまり後ろ姿、肩や背に溢れるようになってこそホンモノであります.俗に、このような状態を後光がさすと言います。私なんかは、後光どころか未だ、面をしっかり整えなければ。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-29 07:57 | その他 | Comments(0)

美しく老いること

いかなる名僧といえども、最後の最後まで残るのは尊敬されたいという気持ちである。まして、凡人は老年になると一段と欲が深くなる。(欲深き人の心と降る雪は、つもるにつれて道を失う。これは江戸末期の槍の名人であった、高橋泥舟の歌です。)特に富が有れば、それを失うまいと焦る。だが、どんなに焦っても、いつかは容赦なくやってくる死によって零となる。これだけは明確に分かっているのに、多くの人が死の直前まで焦慮と欲望の虜になってあがくのである。散りぬべき、時知りてこそ、世の中の、花は花なれ、人も人なれ。時には清水の舞台から飛び降りるつもりでそのポストを去らねばならぬ事もありましょうだが、身を捨ててこそ次のチャンスに浮かぶ瀬も到来するのかも。美しく老いる事は難しい。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-28 06:08 | その他 | Comments(0)

邂逅

邂逅とは、その志すところ、従事する仕事が何であれ、人間は一人で大成する事はできません。必ず、他の人間との結びつきがあります。その結びつきかたはいろいろあります。だが、要するに何らかの結びつきをする前提として、どこかで誰かと巡り会わなければなりません。人間の運命は、どういう人と巡り会ったかで決まります。その巡り会いことを出会いと言います。しかし、出会いとはそもそもどういうことでしょうか。お互い毎日は、数え切れないほどの多くの人との接触によって織りなされています。つまり、数多くの出会いの可能性があるというのに、なぜ、それだけでは出会いと言うことにならないのでしょうか。出会いとは、心のバイブレ-ションであり、この心情をぬきにしてはいかに多くのスバラシイ人との巡り会いが有っても、それは所詮縁なき衆生におわるのでしょう。邂迢は、心に問題意識をもって、絶えず求めていかなければ、絶対に得られるものではありません。しかし、そのように必死求めたからと言って、必ずしも得られるものとは限りません。そこには口では説明できない縁と言うものがあります。皆様方もこれまでの人生で何か目にみえぬ不思議な縁でふかいきずなが生まれる人との邂逅があったからこそ、今があるのではないでしょうか。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-27 07:00 | その他 | Comments(0)

可憐な叱られかた

叱る以上に叱られかたはむずかしい。いうなれば、叱られかたがうまくなったら、その人は立派な人になる素地をもっいるといえます。仏教は縁の哲学であり、人生はすべて縁にて始まります。た゜から、叱られるのも縁が有ればこそなので大いに感謝すべきであります。たとえば叱られた女性が、唇をかみしめてうつむいたまま肩で泣いたら、思わず、駆け寄って抱きしめてやりたくなるような愛おしさを感じられるのではないでしょうか。実際そんなことをしたらセクハラでお叱りを受けますが、うつむけば、言い訳よりも美しき。叱ってくれる人の今はなし五月雨るる。可憐な叱られかたを心がけたいものです。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-26 17:54 | その他 | Comments(0)

情ヲ以テ理ヲ説ク

人の叱りかたは難しい.人の前では犬も叱らずという諺がありますが、人間というものは、他人の前で非難されたり、叱られたりするほど、激しい屈辱を感じるものらしい。叱られて悔い改めようとする前に、憤慨のほうが先走って心のバランスが崩れてしまう。織田信長に対する明智光秀の謀反の原因が一つの例でしょう。だから叱るときは、その人と一対一で向き合ってと言うことになるでしょう。もう一つはそのときのしかり方でしょう。情ヲ以テ理ヲ説クと言うことです。いかに理論整然と説き伏せても納得しない者は絶対ダメです.情のうらうちをするとややこしい話でも意外と素直に受け入れられる.障子を破ったなと叱られるよりは、障子が破れたね張っておいてくれと優しくいわれたほうが、心に沁みる事は言うまでもないことです。分かっておってもなかなか実行する事は難しい。私なんか失敗の連続でした。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-25 05:55 | その他 | Comments(0)

それ恕か

弟子が、孔子にその一言で生きたくもなり死にたくもなる様な言葉があるとすれば、どんな言葉でしょうか、と尋ねると、孔子は、それ恕か。恕とは簡単に言いますと、思いやりと言うことでしょう。思いやりが、人間にとって最も大事であると、孔子は言っています。思いやりと言うものは単眼、つまりものの見方、考え方、感じ方が自分の視点からだけでは成り立たない。相手の身になって物事を見る。そういった、複眼的視点が必要である。さらには相手の目に自分がどう映っているのかを想像し、相手の気持ちをふまえた態度をとり行動をする。恕とはそういった解釈もできますが、もっともっと奥の深い言葉であると思います。だが肝心なのは、自分の主体性はしっかりと持っている、と言うことを忘れてはならない。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-24 06:02 | その他 | Comments(0)

人生

人生という本は最高の本である。人は好き勝手にこれを閉じたり、また、開いたりする事もできない。魅力あるペ-ジも二度と読むことはできぬ。運命のペ-ジは自ずからめくられてゆき恋いをしているペ-ジへ戻りたいと思っても死を迎えたペ-ジがすでに指の下に有る。人間の年齢というものは恐ろしいものです。人間は生のただ中で死に囲まれている。と言う西欧人の辞世がじんわりと実感できるようになりました。人生という本は最高の本であるがゆえに、それぞれかけがえのない人生を有意義に過ごしていただきたいものです。困難な時に遭遇すれば、これが私の運命なのかと諦めるのではなく、運命を切り開き立命に導く努力を怠ってはいけない。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-23 08:02 | その他 | Comments(0)

日記の効用

日記は、毎年大晦日、除夜の鐘をききながら繙き、一年間を回想し、併せて新年の計画を練る。読み直した場合には、一行の文字の間から、引き出されてくる事実は際限がないほど豊富なはずである。古い日記はすぐにしまい込むのではなく、新しい日記と一緒に古い日記をおいておき、たとえば古日記の何月何日に某氏に会ったと記してあれば、早速その日の朝某氏に電話する。昨年の今日あなたに会って、こういう話をしたけど実に有益で楽しかった。それを思い出して、また、逢いたくなってね。と伝えて旧交を温めようという。電話をもらった人は、コロリと参ってしまい、フアンになること間違いなし。日記もこのように活用をすれば如何でしょう。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-22 09:09 | その他 | Comments(0)

芽茶苦茶

茶道の心得のある人なら誰でも知っておられると思いますが、茶は三煎にして味わう。最高の芽茶に、まず、ぬるま湯をかけて芽茶のもつ甘さを味わう。ただし、この甘さと言う味は子供にも、わかる単純なものです。だから、人間も未熟な内は、あいつはまだ甘い、ということになる。第二煎は、ややあつい湯をかけて、タンニンの渋さを味わう。この渋さになると、幼児、子供にはわからない。従って人間もできてくると、大分、成長して渋味が出てきた。と言われる。最後に、熱湯を通して、カフェインの苦さを味わう。苦さがわかるには、かなり味覚も洗練されてこないとダメです。人生もまた、幾風雪を経てこないと、ほろ苦さの醍醐味など理解できない。ところが、お茶の心得のないひとは、せっかくの芽茶に、いきなり熱湯を注いで、甘さも渋さもない。ただ、苦苦しいだけのものにしてしまう。芽茶苦茶の語源はそこからきているとか。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-21 10:10 | その他 | Comments(0)

最大の説得は実践

中国の古典に、事ヲナスニ、コレヲ命ズルハ、コレヲ諭スニシカズ。コレヲ諭スハ、自カラ、ソノ例ヲ示スニシカズ。具体的に言えば人を説得するためには自ら実践をする事である。即ち最大の説得力は実践だ。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-20 06:42 | その他 | Comments(0)