綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

ころし文句

殺し文句の使える人は人情の機微を知っている人だ。たとえばこんな例は如何でしょう。東北賊藩のひとつで数数、官軍に痛めつけられた庄内藩を立て直した名家老、菅実秀の門人が、実秀をはじめ日頃恩顧を受けている人々を自宅に招いて、一夕の宴を開いた。当日実秀、その弟子に昨夜の礼を述べた後でいった。あの心づくしの御馳走を一等よく味わったのは、たぶんこのわしで有ろう。そしてしばらくしてからさりげなく付け足した。あの御馳走のために、夫人の帯や着物がなくなったことであろう。弟子は自宅に帰って、このことを妻に話すと、妻の目からあつい涙が溢れ出た。夫人は実秀が言ったとおり、多くもない着物や帯を売って、酒や肴を整えたので有った。それを、密かに察して、手作りの料理を心して味わってくれた実秀心情に泣いたのである。ころし文句を上手に使って人々を奮い立たせる事ができればひとかどの人物といえるでしょう。私なんかころし文句のつもりがかえって、人々の心情を逆なでするようなことばかりで反省の日々です。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-19 06:46 | その他 | Comments(0)

幸福

一杯の水がおいしく飲めたら、その人は幸福である。幸福とはささやかに訪れるものなのだ、という箴言があるけれど、人生にはネ、大きな幸せがそう沢山あるとは思えない。結局小さな幸せを沢山に集めることだ。そして、その沢山の小さな幸せを身辺に拾ってゆくことによって、大きな幸せになるのだ。毎日を感謝の気持ちで過ごせば、小さな幸が沢山有ることに気が付くことでしょう。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-18 17:23 | その他 | Comments(0)

優しい言葉を

自分の亭主を甲斐性がないとか、ロクデナシと言う女性はおられないと思いますが、とくに、仕事で苦労している最中にこれを言われると悪くパンチがきいて再起不能になることがある。ある人の夫人は美女で才女で、少なくとも外から見た場合、一点の非の打ち所がなかった。しかし、口うるさいうえに、思いやりに欠けていたらしい。その人が会社で上司と大喧嘩をやり辞表をたたきつけて帰ってきた。玄関を荒々しく開けて奥さんの顔を見るなりうっぷんをこめていった。とうとう上司と喧嘩をして今辞表をたたきつけて帰ってきた。といったら、だからいわん事じゃありませんか。あんたは頑固ものでいつかはきっとこうなるだろうと思っていました。私や子供はこれからどうしたらいいのですか。これを聞いたときは喧嘩した上司よりも女房のほうに数倍腹が立った。と言う。これと反対の例が主人が役所で上司と大喧嘩をして帰ってきなり、奥さんに向かって、たった今役所を辞めて帰ってきたよ。と言うと、奥さんはにこやかに笑って、そうですか、それではこれからあなたの好きなつりが、毎日楽しめますね。と優しく言われた。できればこの様な優しい言葉を言ってほしいですね。そういいながらも心の中では、これからどうして生活をしょうと考えられたと思いますが、それを押さえて主人を奮い立たせるような名言?を言われたところが心憎い限りです。是は架空の物語ですこれを読まれた方がけしからんと思われたらお許しを〃
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# by ayabemorinaga | 2008-06-17 09:29 | その他 | Comments(0)

機の重要性

誰にでも機はある。だがそれはどうしても一生に一度か二度-めったにないもののようだ。それを捕まえたら人生大変魅力的なものになる。精気に溢れ、まわりを活気つけてしまうところがある。こういう状態の人を脂がのっている、いう。人間に最も大事なのは機だ。機とは漢方で言えばツボとか勘所というもので、そこをはずすと物事が生きてこない一点をいう。生活にこの機を活かしてとらえることが、生の飛躍につながる.機をとらえる。的確に捉える事が人生をさらに豊にする。機をとらまえて挑戦する心構えを常に持っていたい。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-16 08:43 | その他 | Comments(1)

若者に感動を

若者に必要なのは感動である。それが自分の立場を自覚させ、使命感を強めさせ、一層の向上に奮い立たせる。感動は魅力の源である。様々な可能性をを持っている若者に感動を与える場を仕掛けなければならない。自然界の現象に感動を覚えるような感性を養う教育がなければならない。今の子供は感動する心が育っているのだろうか。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-15 14:44 | 教育・学校 | Comments(0)

寂莫感

夢よりも、ふとはかなげに、桐の花、枝を離れて、ゆるやかに舞いつつ落ちぬ、二つ、三つ、四つ、幸あるは、風に吹かれて、おん肩に、さやりて落ちぬ、色も香も、尊とき花の、ねたましや、その桐の花、昼ふかき、土のうえより、おん手の上に、拾われぬ。この詩は三好達治の桐の花です。源氏物語の豪奢絢爛が目のあたりにうかんでくる。しかし、絢爛さの背後にある寂莫感が身に沁みる。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-14 07:55 | その他 | Comments(0)

偉大な作家、思想家の大著を潜心、熟読玩味することは、人をして別人たらしめると言われている。それが顔に表れる。小島直記氏は文字で心を洗い、心の鑿で顔を彫るとかかれる。その文字とは論語であり孟子であり言志四録であり、人生の原理原則を記した古典類である。この反対に下品で空疎なポルノ週刊誌ばかり読んでいると、人格も自ら低劣になり顔つきも卑しくなってくるとか。自戒をしなければと思う。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-13 17:02 | その他 | Comments(0)

胆識を養う

知識などというものは、薄っぺらな大脳皮質の作用だけでえられるので学校で講義をきくか、あるひは参考書を読むだけで身につけられる。しかし、それだけでは、人間の信念とか、行動力にはならない。モット根本的なもの、モット権威あるものが加わらなければ役に立たない。それは何かというと見識である。たとえば一つの問題について、いろいろな見方や解釈がある。いわゆる知識だが、問題を解決すべく、こうしようとか、かくあるべしと言う判断は、人格、体験、あるいは、そこからえた悟りなどというものが内容になって出てくる。即ち見識である。ところがこの見識だけではまだ十分ではない。その人物の見識が高ければ高いほど、理解できない人々は反対する。その反対、妨害を断固として排除し、実践する力を胆識という。つまり、決断力や実行力の伴った知識や見識が胆識といえるのでしょう。胆識を養うことも必要ではないでしょうか。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-12 16:58 | その他 | Comments(0)

善の真髄

詩聖と言われた白楽天が鳥窩和尚をとらまえて、善の真髄は如何 と問うと、諸悪莫作、衆善奉行と答えた。つまり、悪いことはしなさんな。いいことをやりなされ。あまりにも当たり前のことなので、子供扱いにされたと思った白楽天は、いささかむっとした表情で、そんなことは百も承知だと口をとんがらせると、和尚に一喝された。三歳ノ童子モコレヲ識ルトイエドモ、八十ノ老翁ナオ行ジ難シと言われて白楽天はいたく赤面をした。悪いことをしない。よいこと行いなさい。あまりに当たり前のことであるがこれを実践するとなるとなかなか至難の業である。でも一日一善を心がけたい。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-11 14:49 | その他 | Comments(0)

夷険一節

夷険一節とは、夷はたいらかと訓み順境のこと。険は危険の険だから逆境である。順境でも逆境でも全く変わらない人物。言い換えればいかなる時にもブレない人。このような人を真楽を身につけた人という。悲しいかな人間なかなかそこまでに達することができない。常に周囲ばかりを気にして右左する者である。私たちは真楽を身につけるために学問をし、もろもろの事象の真実を見極めるためにも常にしっかりとした学習を怠らないことである。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-10 08:37 | その他 | Comments(0)

政治家は結果責任

政治家には政治家としての罪がある。その最たるものが不決断だ。マックスウェ-イバ-は政治家の論理は、結果論理と言っている。終わりよければすべてよしその政治家が優れているかどうかは結果で決まる。一生懸命やったけどダメでしたという弁解は通用しない。田中美知太郎先生は昭和58年3月号の正論で次のようにいておられる。政治家の責任が厳しく問われなければならない論理としては、医者が患者の生命を親切に見守り、患者のタメニよいもの、悪いものを判明して、時には患者の欲求においても厳しく処置しなければならないことが有るように、政治家もまた国事を第一義とし、国民の将来を考え、どれだけのことをしたか、という一点で責任を問われるべきであろう。選挙民もそのような視点に基づき清き一票を投ずべきではないでしょうか。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-09 15:22 | 政治・議会 | Comments(0)

惜福の工夫

オックスフォ-ド大学のドクタ-・ジ-ンズは、この宇宙には平均の法則というものがあって、太陽も地球も、その法則に従って動いている。と言い切っているが、元国鉄総裁の石田礼助は、これを次のように敷衍している。人間、金を稼ぐだけ稼いで、握ったままはなさないでいると、必ず神様が取り戻しにやってくる。それも金だけならまだいいが、まかり間違うと、自分の女房や子供まで持って行かれる。だから神様がこの法則を実行される前に自ら進んで惜福の工夫する事が肝腎なのだ。そうである。惜福の工夫は自ら考えて行うことであるが惜福の工夫をするほど恵まれていないと。その様な思いも有るだろうが、それは所詮それぞれの人々の人間の内面のことである。社会に何か役に立つ奉仕の精神がそれぞれの人々の間に芽生えることが有れば世の中は平穏に暮らせるのではないかな。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-08 18:13 | その他 | Comments(0)

理屈

ハイエク先生は、人間の頭脳はかなり複雑な思考に対応できるものであるけれど、特に政治や経済体制になると、その複雑さに対応仕切れないところがあると考えたようです。というより、そのような複雑きわまりない社会をコントロ-ルしようとして、たとえどんなすごい人が知力を振りかざして事を運ぼうとしても、思わざる事態が起きてたちまちプログラミングが変更されるのがこの社会であると考えたようです。たとえばどんな優秀な官僚でも物価は決めることができません。それができると考えたのがソ連経済でした。結果はみなさんのご承知の通りです。物価は市場に任せるしかしかたがないのです。つまり、世の中は理屈通りには、決して立ち居かないようです。が、みなさんはいかがお考えですか。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-07 13:07 | その他 | Comments(0)

輿論について

世論と言うものがある。しかしこの世論ほど得体の知れないものはない。芥川龍之介は、鋭い洞察力で明快な論理を展開する天才作家だが、彼は侏儒の言葉の中で世論について辛辣なことを言っている。「輿論は常に私刑であり、私刑はまた常に娯楽である。たといピストルを用うる代わりに新聞の記事を用いたとしても」世論は私刑。芥川龍之介らしい明快な表現だ。真理をズバリ突いている。今の国政の状況は、世論に迎合しすぎていないだろうか。私刑を恐れて
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# by ayabemorinaga | 2008-06-05 10:37 | その他 | Comments(0)

人気とは

人気の反対は人望でしょうか。人望で絶対必要なものは尊敬と信頼です。人気のほうは世間一般の受けが第一ですから、世間から自分はどう受け入れられているかが関心事ですね。人望即ち人徳は、真心と思いやりで行動しますが、人気のほうには自己演出という行動がついて回る。自分はどう見られているか。そのために世間にどうアピ-ルするかどんな主張をするか。人望は自分の理念に基づいて行動するだけですから、主張する必要は有りません。人望とはそれなりにどんな小さな事でも真剣に生きる事を考えます、でも、人気は計算、打算で生きることを考えるでしょう。そりや議員で有れば誰しも人望があり人気があることを願うでしょう。そのためにはどのような姿勢が議員として大切なのか日々新たなりと言う気持ちを大切に生活すべきでしょうか。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-04 12:07 | その他 | Comments(0)

学問とは

学問は人間を変える。また、人間を変えるような学問てなければ本当の学問ではない。そして、その人間とは他人のことでなく自分のことである。他人を変えようと思ったら、まず自分を変えることである。自ら学び学ぶことによって、自らの行動が変わる。言うは易く行うは困難なことだ。でも少しずつで努力を重ねなければ。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-03 15:47 | 教育・学校 | Comments(0)

政治家として大切な事

政治家として一番大切なことは何か。それは肝心なときにものを言い、肝心なときに行動することである。清潔なことでもないし、演説がうまいことでもない。そういう些末事でなく、良い世の中を後の世代に残そうという理想の下で、肝心なときにものを言い、行動することであると与謝野馨氏が言っておられるが、全く同感である。ただ゜肝心なときという判断力をいかに養うのか。日々精進あるのみ。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-02 14:41 | 政治・議会 | Comments(0)

さなぶり旅行

今日は西坂農事部主催によるさなぶり旅行で淡路島に行った。さなふりとは、早苗振る舞いがサナブリになったと言われ、忙しい田植えが終わって一息つく、古くは農家の最も楽しい行事の一つであった。田の神様にお供え物をして、手伝ってくれた人々を招待して盛大な酒宴が行われたそうである。私が知っているのは、田植えが終われば大休みが有ってこの日ばかりは誰も仕事をせずに家で休んだ記憶があります。田植えは、重労働でありました。今みたいに機械で植えるのではなく、中腰の姿勢で一日田植えをしなければならず、それが2,3日も続けば疲労困憊といような状態でありました。それに比べて現代は機械化がすすみ、田植えも簡単にすますことができるようになりました。西坂ではさなぶりと言った昔の習慣が絶えることなく延々と続いているのです。
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# by ayabemorinaga | 2008-06-01 14:20 | その他 | Comments(0)

五叉路問題について

長年の物部、志賀郷地区の悲願でありました五叉路問題もようやく物部志賀郷地区の皆様方の目にもはっきりと見えて参りました。思えば、先輩諸氏のご苦労がようやく実ってきたと言えます。先輩諸氏のご尽力に心から感謝を申しあげますと共に、物部地区の皆様方のご協力に感謝申しあげます。ありがとうございます。完成の暁にはスバラシイ四叉路の道路となると思います。私としては平成22年度完成に向けて今後も綾部市と共に京都府に対して要望をしていきたいと考えています。皆様方のご支援ご理解をお願いいたします。
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# by ayabemorinaga | 2008-05-31 18:32 | 物部 | Comments(0)

初めてのブログ

今日初めてのブログを立ち上げました。
これから、様々な取組や報告を載せていきますので
みなさんよろしくお願いします。
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# by ayabemorinaga | 2008-05-31 16:37 | その他 | Comments(0)