綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

不良老年の生き方

私はこのブログで美しく老いる事は難しい、さらに、老計があるとかきましたが、野ざらし紀行の冒頭に、こんな文句がかかれています。僧に似て塵あり、俗に似て髪なし。旅をしている時、芭蕉はお坊さんの格好をしています。おくの細道では宿の主人からお坊さんですね、大変なご修行をなさっていますね、と、言われている。だから自分では、お坊さんの格好をして歩いていると芭蕉は自覚しています。しかし、塵ありなのです。塵とはちりあくたのちり、で煩悩と言う意味です。芭蕉はお坊さんの格好はしているけれども、心の中は煩悩だらけだと言っているわけです。それならば純粋の俗人かというとそうではない。俗に似て髪なしです。自分の心は俗人みたいに汚れているけれども、少なくとも髪だけは剃っている。そこには、僧の世界と俗人の世界を行ったりきたり来たりしている芭蕉の境涯が実によく表れています。聖なる世界と俗なる世界を言ったり来たりして、過ごす老後の生き方を不良老年の生き方と言われていますが、退職後そんな生き方も美しく老いる生き方ではないでしょうか。私などは世俗にどっぷりと浸かってあがいている、不良老年の生き方とは、遙かにかけ離れた生き方しかできていません。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-20 05:51 | その他 | Comments(0)

空亡

人生には潮の満ち引きがある。人生の潮が引いている時期の事を空亡と言うが、そういうときにはそれなりの過ごし方がある。つまり、左遷させられたり、病気で長く入院する事を余儀なくされたときは、絶好の充電期間ととらえたほうが賢明なのである。逆境こそチャンスというふうに考えるのだ。この空亡を転機として再出発するとその人の生涯は大いに充実し輝いてくる。そうだと頭では理解できても、悲しいかな心の中では迷いに迷って時にはとんでもない行動をとったりするものだ。そういったときこそ精神の鍛錬が必要だ。花の咲かない冬の日は下へ下へと根を下ろせ、と言った言葉口ずさみじっと我慢をするべきだ。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-19 07:24 | 物部 | Comments(0)

老婆心

頭がいい、才覚があると言っても、それは第一義ではない。人間には老婆心がなければならない、。この場合老婆心とは、うるさがられるほど世話を焼く、面倒を見ることを言う。官僚はあたまがいいだけでもかまわないが、少なくとも政治家は、われを忘れて世に尽くす、國を愛する老婆心がないとダメである。江戸時代の陽明学の大家・佐藤一斉も、政をなすの着眼は情の一字にあり、情に従って以て情を治むと書き残している。情の情たる所以は、思いやり(愛)ゆるす(恕)と言うことにある。何か起こったとき、すぐさま「大丈夫ですか」という言葉が口について出てくるような心がけを持っていなければならない。地方に携わる政治家といえども。言うは易し、されど実践は難しい。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-18 07:18 | その他 | Comments(0)

人生五計

第一に生計。我、いかに生くべきか。普通生計と言えば暮らしの意味だが、ここでは、モット本質的問題と考えたい。第二身計。いかに身をたてるか。自分の社会生活のあり方。第三家計。家庭をいかに営み、維持していくか。第四老計。いかにうまく年齢をとるか。第五死計。いかに死すべきか。死を見ること帰するが如しと言うところまで行けば死計は確立されたとか。事実私ぐらいの年齢になれば、人に会うときは、必ずあとこうして何回ぐらいあえるだろうかと言う思いが胸中をよぎります。そして、一期一会の言葉の重みをかみしめています。ぶきょうな私ですが、今後はさらに人と人とのつきあいを何よりも大切に生きていきたい。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-17 06:25 | その他 | Comments(0)

友人(親友、心友)とは

昔の都都逸に、酒の相手に、話し相手、苦労しとげて、茶の相手、さらに、司馬温公の詩に、清茶淡話友ニ逢イ難シ、濁酒狂歌朋ヲ得易シ、と言うのがある。濁り酒にごれるのみて、呂律の回らぬ舌で、わけもわからぬことをわめき散らす友はいくらでもできるが、そんなのは何人いても本当の友人、心友ではない。トイツの諺にも、酒の作り出した友情は酒のように一晩しかきかない。と有るが、一緒に酒を飲みあったり、麻雀を楽しむだけで親友と考えるのは、如何でしょうか。そんな友達も必要かもしれませんが。本当の友人とは清茶淡話できる人ではないでしょうか。清茶淡話とは、教養も積み、いろいろな経験もして、酸いも甘いもかみわけられる境地に達したとき、初めて行うことができる芸当なでしょう。清茶淡話できる友を持っている人は幸せか。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-16 06:31 | その他 | Comments(0)

執着

退職した後、どんな人でも胸中を去来するのは仕事に関する思いでばかりだ。苦しかったこと、楽しかったこと、やり遂げて生き甲斐を感じたこと。失敗してせっなかったこと---様々な思い出が走馬燈のように、次から次へと浮かび上がってくる。すべて仕事というものは、始めなく終わりなきものだ。種を蒔くもの、咲きい出る花を愛でるもの、結実を祝うもの、みな、それぞれ巡り合わせというものだ。自分の播いた種が稔るのを見たいのは人情だけれども、そういった仕事に対する執着を断ち切り退く時はのかなければならない。歴史の大河にかげろうの身を浮かべる人の身の限界を粛としてしるべし。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-15 08:01 | その他 | Comments(0)

薬味

結婚披露宴のテ-ブルスピ-チで、たった一筋、えにしの糸が、手繰る倖せ、ふしあわせ、いう都都逸をまず紹介し、縁あって結ばれた二人は、やがて家を建てることになりましょう。そのときは、何をおいても、小さくていいから、バルコニ-をつくってください。そして今私が読み上げる漢詩の一節の境地をしみじみと味わってください。落日平台ノ上、春風ニ茗ヲ啜ルノ時、意味はバルコニ-で夕日を眺め、春風に頬をなぶらせながら、静かにうまい茶を喫する時こそ人生の最も幸せな一瞬である。と言ったようなスピ-チをされた方がありましたが、何を申しあげたいかと言えば、エピソ-ト、都都逸、詩、あるいは箴言というものはスピ-チの薬味であります。同じそばを食べるにしても、薬味を入れたのと入れないのでは、味に雲泥の差がありましょう。スピ-チには薬味を加えれば一層引き立つのではないでしょうか。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-14 06:07 | Comments(0)

二匹の蛇

人間のあらゆる性質の内で、嫉妬は最も醜いものであり、虚栄は最も気ままなものである。そして、心に巣くうこの二匹の蛇から逃れることはスバラシイ幸福である。と言わなければならない。しかしながら、その二匹の蛇が追い出された後へ別の二匹の蛇、つまり、人間蔑視と高慢が入り込んで来るのであってはならないことである。嫉妬と虚栄から解放された人たちには、このようなことがありがちである。自己欺瞞にならないためにも充分注意しなければならないことである。嫉妬は人の行動を狂わせる醜い執念である。これから逃れるために、心の鍛錬が必要である。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-13 08:31 | その他 | Comments(0)

忘年の交

若くして老人と交わり、老いては青年と交わる。この忘年の交わりこそが世の中を発展させる原動力となる。と言われております。老人は若い連中と交わって、その経験や知識を教え、若い者は、老人の歩いた足取りから、何かを吸収して次の飛躍を目指すという文字通り年を忘れ、齢を超越して、お互い心を許して交わることが忘年の交である。忘年の交を心がけて、豊かな社会の発展に寄与する事ができればと考える昨今です。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-12 07:02 | その他 | Comments(0)

経験こそ我が師

人はよく「その苦しみはよくわかる」などと簡単に言うが、心の痛みが深ければ深いほど、そうたやすく理解できるものではありません。しかし、ひとたび、同じような境遇にたたされると、初めてその苦痛がわかり、相手の身になって考えることができるものです。「患者は経験によってしか学ぶ事ができない」と言うが、人の悲しみとか、心の苦痛とかは、経験しなければ絶対分かるものではない。経験こそわが師であります。とかく、人のやった行為は簡単に批判できるが、そのものの内容はやった本人でなければ絶対に分からない。だから私たちは多くの本を読んで追体験を心がけるのですが、経験にに勝るものはないでしょう。でもひとの苦しみが理解できる努力は人間としてすべきでしょうね。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-11 07:10 | その他 | Comments(0)

念ずれば花ひらく

苦しいと嘆きたくなる時に、愚痴を言う代わりに、自分を潤し、力づける言葉を持っていることは大事な事ではないでしょうか。人間それほど強い者ではありません。苦しいこと、悲しい事に胸ふさがれる日もあります。気力が萎えるときもあります。そういうとき、口ずさむ言葉を持っていることは、生きていく上で大きな励みになります。人生を潤す言葉にふれ、口ずさみ、心に美しい火を燃やし、尊かったといえる人生を歩みたいものです。私は、念ずれば花ひらく、という言葉が大好きです。みなさんはどんな言葉を持っていますか。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-10 06:53 | その他 | Comments(0)
笑いは人間だけが持っているものであります。だが同じ笑いでも千差万別であります。苦笑。ひきっつた笑い。洪笑、嘲笑、スマイル、純な赤子の笑い---人は皆これらの複雑さを全部濾過した「練られた笑い」をいつも心がけて人に接することが大切です。そうはいっても人間だから時には、微笑のかげに苦渋の色がにじみ出たりすることがありますし、時には歯を食いしばり、目に涙を浮かべても笑っていなければならぬ場面も有ります。ヤセ我慢をはっても、これらを克服していくところにえもいわれぬ拈華微笑の魅力が生まれてきます。そのためには、何よりも心の支え和顔愛語という行動原則を持っていることです。拈華微笑とは、インドの霊鷲山上で釈迦が黙って華を拈ったところ、大衆はその意味するところが理解する事ができなかったが、迦葉尊者だけがその意味を理解して破顔微笑したため迦葉に禅の法門を伝えたという伝説からきている。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-09 06:27 | その他 | Comments(0)

自信

自信とは考えてみれば恐いものだ。あるポストに座って経験を積み、年功も経てくると、自ずから仕事に自信が出てくる。そこまではいい。ところがやることなす事が、順調な成果を上げてくるとだんだん調子に乗ってくる。そうなると、この仕事は俺でなければできない。と思いこむようになり、人の言うことを聞かなくなる。その瞬間から、その人が、今のポストに座っていることを、人々が必要としなくなっていることに、気が付かない。故に、自信過剰に陥り、自己満足に陶酔して、傲慢な態度をとり、人々にだっかの如く嫌われていることを、知らない。心すべきである。と言われているようですが、みなさんはどのようにお考えでしょうか。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-08 06:02 | その他 | Comments(0)

宗教

仏典の解説をよんでいたら、仏教とは何か。それは見てござるという一語に尽きるという一節にぶっかった。それまでは、目に見える世界がすべてだと確信していたが、目に見えない世界が有ると言うことを、その一語で感得した。宗教を肯定するにしても、否定するにしても最低10年ぐらい心の葛藤が必要ではないか。いや、一生の課題かもしれない。それだけの努力をする人生上の大問題であり、古今東西にわたって人間はこれを追求してきた。神は存在するのか。佛性はあるのか。人類始まって以来の永遠の問いである。この問に私たちも一生に一度は真剣に問うてみる必要がある。なぜなら、人間とは何かと言う問であるからです。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-07 06:35 | その他 | Comments(0)

任怨分謗

思い切った新しい仕事をするときには、決まって誰かの怨をかうものです。しかし、その怨を気にしていたのでは事業は推進できません。任怨とは、あえて、火の粉をかぶるのをおそれるなと言う意味です。分謗は、怨みをかって敵の攻撃を一身で支えている人を放ったらかして逃げてはいけない。一旦志を共にした以上、その怨をともに受ける気概がなくてはならない。人間は勝手な者で、共にやろうと誓いながら形勢が不利になると逃げた゛したくなるものです。どのよう事態なろうともぶれない事が大事でしょう。何事に当たるときにも、任怨分謗の気概を持って事を成し遂げよう。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-06 12:18 | その他 | Comments(0)

人を信じる。

中国五千年の歴史は動乱と革命の連続である。その中で育ってきた漢民族は内乱とか、革命には、きわめて敏感な民族である。どの民族でもそうであるように、一応、地位、名誉、財産とかを求めようと努力はするが、だが、それがいかにむなしいものであるかを歴史の体験で知っている。というのは、ひとたび革命が起これば、真っ先にやられるのが、地位が高く、財産をもち、名誉ある人間だからである。このため、何事にも懐疑的であり、漢民族特有の虚無感を持っている。しかし、人間である以上、何かを信じなければ生きていく意味がない。いったい、何を信じればよいのか。それは人間が人間を信じて生きていく意外に道はない。信義誠実を重んじる人、信頼できる人、と裸の交わりを続けることができれば、自分の人生も自ら開けてくる。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-05 07:07 | その他 | Comments(0)

生きる

タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。強い心がなければ生きていけない。温かい心がなければ幸せは得られない。生きるためには非情に徹するタフさがなければ生きていけない。しかし、タフに生き抜くためには情とか慈悲とか言う人間のデリカシイを犠牲にしてはいけない。この二律背反をいかにしてこなすか。人生とは、非情さと、情、慈悲をいかにバランスよくこなしていくかに尽きる、と言っても言い過ぎではないでしょう。左様な難しい事より、こちらの堀口大学の詩冬の祝婚歌のほうがよく分かるよ。こぼれ松葉は、寄り添って、こぼれ松葉は、雪のうえ、シ-ツの雪に、ひとふたり、「こぼれ松葉」が抱き合って、今日もお元気で
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# by ayabemorinaga | 2008-07-04 06:55 | その他 | Comments(0)

一冊の本

フランスの文学者モンテルランは、この生涯において、何度も読み返せる本持つ人は倖せである。さらに数冊持ち得る人は至福の人である。と言っています。もし、故あつて、刑務所の独房に入らなければならなくなったとき、一冊だけ本の携帯が許されるとしたら、論語。聖書。囲碁の本。どのような本を持って行かれますか。そんなことは考えたことがない。当然でしょう。一度考えてみてください。何回も読み返したくなる様な本をお持ちでしょうか。私は、十八史略でしょうか。十八史略を読んで4517人の登場人物の性格が皆違うので徹底的に人物研究をしたいものです。十八史略はなかなか難しい本でいっぺんやそこら読んだぐらいでは皆目分からない本です。何回も読み返したくなる様な本をもっことは本当に倖せです。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-03 07:00 | その他 | Comments(0)

冷ニ耐エ

冷ニ耐エ、苦ニ耐エ、煩ニ耐エ、閑ニ耐エ、激セズ、躁ガズ、競ワズ、随ワズ、以テ大事ヲナスベシ。これは,中国の王陽明の言葉です。冷たい扱いを受けても我慢し、諸々の苦しみに耐え、どんなに煩しく、雑用が多くとも乗り越えていく。また、左遷されたり閑職におかれても、気にしないで悠々自適する。そして、どんなことがあってもカッカしたり,うれしいことがあったからといって、はしゃぎまわったり、むやみやたらとライバル意識を燃やさず、といって、付和雷同もしない、と言う姿勢を持って毎日の仕事に熱中できる人はひとかどの立派な人物でしょう。私なんか後期高齢者にもなっていながら、この中のいくつぐらい実践できるか怪しいものです。一つも実践できないでは情けない。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-02 06:22 | その他 | Comments(0)

教育

教育とは、人から何かを引き出す事であって、何かを詰め込む事ではない。学ぶとは、誠実に胸にきざみ込むこと。教えるとは希望をともに語り合うこと。こんな教育ができればすばらしい。さらに日本がうんだ最高の教育者森信三氏は、教育についてこのように言っている。「教育とは流水に文字を書くように、はかない業である。だが、それを岸壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」と。流水に文字を書くようなはかないことを、自分の業として真剣に挫折することなく取り組めば、それぞれの人生に大きな花を咲かすのだ。
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# by ayabemorinaga | 2008-07-01 07:16 | その他 | Comments(0)