綾部市物部地区在住


by ayabemorinaga

義命

道理、義命を求める生き方こそ尊い生き方である.私などはとても及びも付かぬ生き方である.釈迦やキリスト・孔子のような聖人でない私たちは人間本来の生き方がなかなか悟りきれず、怨念の世界のなかで私心を捨てきれず我執の思いにさいなまされて、あくせく生きている悲しきそんざいである。                  さて、人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし--と遺訓した徳川家康。棺を蓋いて事定まる。と詠じた杜甫の詩ではないが、結局のところ自分自身の日常生活における行動一つひとつについて事の善悪を考え、道理とは何か、義命とは何か、常に自己診断しながら自我の上に立った不断の努力と忍耐を積み重ねてその評価を他の人に待つことになるだろう。世間の人が棺を蓋いて評価してくれるには、晩年の生き方如何に関わっている、いかほど生前の名誉・地位・功績があったとしても、晩年の生き方次第では汚名を永遠に残すことになる。晩年になっても我執から解脱できない人のいかに多きことか。晩年になって、義命・と道理を探求して已まぬためにも不断の努力と気力を維持しながら生きていければ、人生有終の美を飾ることができるだろう。私などは、怨念渦巻く世間の恨みを一切ひっかぶり悠然と生きるだけの気迫はまだ持っている。恐ろしいことであるが---だから思わぬところで失敗を重ねている。昨日松本清張の霧の旗をTⅤで見た。怨念の塊となって復讐するすさまじさに--さもありなんと思った。羽振りよい自称人権弁護士が怨念を抱かせたばかりに徹底した復讐にあい没落する哀れさは当然の報いである。人に恨みをかい怨念を抱かせるような愚かな行為は慎まなければ墓穴を掘ると言うことを改めて考えさせられた。
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by ayabemorinaga | 2013-02-09 20:51 | 教育・学校 | Comments(0)